第十二打席
この日、慎二は朝から球団で契約に関する手続きをしていた。ここで話し合う内容はすべて確認事項だ。契約に関する細かい話し合いは既に詰め終わっている。慎二の交渉の甲斐あってか、年俸は新人選手の上限、契約金や出来高も十分な値となった。
そして慎二の立場は、ケビンの打撃投手兼マネージャーというほぼ希望通りのものとなった。当初、球団はこの異例の申し出に驚いたが、山岡の仲立ちによりスムーズに運んだ。
そして、慎二は横浜球団に入社した。その規模は慎二が想定したよりずいぶん小さく、従業員は役員含めて三十人程度。ゆえに慎二はその中のひとりとして様々な業務をこなすこととなった。
そして慎二の初仕事は、新人選手の入団記者会見だった。慎二は主に記者対応の方を任されていたため、新人選手であるケビンと話す機会はあまりなかった。
当日、会場は球団総出で最終確認が行われていた。
「ねー横井くん、これどこ?」
「どこだっけ。場所はわからんけど、後で記者にお配りするからその辺に置いといて」
「山岡さーん」
「何だ何だ、この忙しい時に」
「宮岸くん見ませんでしたか」
それを聞いた山岡は、表情を崩さずに答える。
「大丈夫、時間にゃ来るよ。来たら服装だけ見てあげて」
「了解でーす」
慌ただしい雰囲気の中で、どうにか会見がはじめられた。
ケビンは、まだよい方だった。球団総出で肝を冷やしたのは、ドラフト一位の投手だった。
「宮岸選手。今回、横浜ホエールズからの指名について、どのように感じましたか」
「……ああ、横浜か。って、思いました」
「そ、それはどういった気持からくるものでしょうか」
「……どこで野球できるのか、わからなかったけど、横浜ってわかって、自分は青いユニフォームを着るんだな、頑張ろう。って思いました」
司会は慌てて彼からマイクをひったくると、取り繕うように説明し直した。その後も、そのような場面が何度も続き、質問を終えるころには職員は汗だくになっていた。
そして、二位への質問に入る。ここが正念場だった。ケビンはほとんど逆指名な上に、ドラフトの隙をついての二位指名。記者団は事実上の一位指名という認識で一致していた。
慎二は入念に受け答えを言い含めておいたが、それでも不安はぬぐえなかった。
ひとりの記者が手を挙げた。指名を受けると、彼は不遜な表情を浮かべマイクを受け取った。
「グレアム選手が他の球団からの指名を拒否されたという報道がありますが、その真偽はいかがでしょうか」
「いいえ。そのような事実はありません」
これは本当だった。指名拒否を示唆したのは山岡一人だからだ。それも世間話の折である。攻められることはない。
「近頃はドラフトに関していろいろな噂が立ちます。中には裏金などという話も。グレアム選手は横浜に、何か特別な魅力があったということでしょうか」
意地の悪い質問だったが、それには答えがあった。だがケビンにそれが言えるかどうか。
だが、ケビンは首を横に振った。
「横浜は第二の故郷です。ホエールズは、横浜で愛されてきた野球チーム。僕は今より大きな選手になりたい。それができる球団は、横浜だと思ったからです」
「では、結果次第ではまたメジャーにわたるということでしょうか」
慎二は後ろからサインを送る。英語でしゃべっていい、という意味だ。ここを間違えるのはまずい。地元愛とメジャー挑戦は相反するものだからだ。
ケビンはひとつ深呼吸すると、毅然として答えた。
「はい。そのつもりです」
「しかしそれでは」
ですが。その反論には良く通る声で機先を制した。
「それは横浜に恩を返してから。そう考えています」
慎二はここでようやく胸をなでおろした。なおも食い下がる記者もあったため、田代がマイクを取る。
「グレアム選手にとって横浜は第二の故郷。だからいずれ彼が偉大な選手になって、本当の故郷であるアメリカに帰ってゆくことに何の依存もございません。それでよろしいですかな?」
監督にこう言われれば、もはや返す言葉はない。あとはファンからの他愛のない質問に答えてこの時間をしのいだ。
そこから先は順調に進み、会見は終わった。終わってもまだ職員に暇はなく、慎二は慌ただしく動いていた。
セットを片付けていると、一部の記者の声が聞こえてきた。
「三年前の件といい、横浜のドラフトは目に余るよな」
「弱いくせに、そういうとこだけいきっちゃってさ。見苦しいっての」
「言えてる。だが、こいつは燃やし甲斐があるぜ。見てろよ」
そう言って去っていく男たちを、慎二は作業を止めて見ていた。もしかすると、ケビンは招かれざる存在なのではないか。そう気を重くしていると、後ろから肩に手を置かれる。
「ほっとけよ」
「山岡さん、でも」
「まあ、連中の言うことも間違っちゃいねえ。だがこちら側の筋は通ってる。結局は、結果が物言う世界なんだ。見返してやろうぜ」
そう言って去っていく背中を見ながら、慎二は自分の役割の大きさを痛感していた。
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