第十一打席
横浜に着くと、もう日は傾いていた。まだ住処がないため、ホテルを取って横浜の街に繰り出す。
鮮やかに光り輝く街並みも、そこで笑ったり騒いだりする人の心がどこか乾いているのも、以前と同じだった。
しばらく歩くと、左手に巨大な建物が見える。これからのケビンの職場であり、慎二も深くかかわることになる場所だった。
名を、横浜クリムゾンスタジアム。命名権を買ったクリムゾン・エレクトロニクスは日本では飛行機メーカーとして知られているが、暦とした軍事企業だ。ヨルダン戦争で荒稼ぎし、今はさらなる火種を探している死の商人とのうわさもある。この名前ひとつとっても、いわゆる日本の美しいものが横浜にないことの証左と言える。横浜はおのれのない街、独自性を必要としない街。その姿を、慎二は羨んでさえいた。
夕方までうろつき、予定されていた場所へと向かう。その居酒屋の入り口には、懐かしい顔があった。
「慎二くん、それにケビちゃん」
「もしかして、マリ?」
「そやん。テレビ見とったで、あのホームラン痺れたわ。打球速度175、角度40.1°の完ぺきな当たりやもん。ピッチャーの癖完全に見抜いとった」
「どうも、というかまだ解析機で試合見てんのか」
「そんなんどうでもええやん。でもすごかったわ」
「しかし放送時間は大丈夫だったのか? 就職組だろ」
「そんなの有給取ったに決まってるやん。ケビちゃんがメジャーで試合するってのに仕事なんかできんし」
そう話していると、がらりと店の扉が開く。
「お、メジャーリーガー様のお出ましだ。元気してたか?」
「リュウジか、懐かしいな。キミコとはどう?」
「うるせえ、中にいるよ。さっさと入れ」
冗談めかした声に導かれ、扉を潜る。そうすれば、彼らにとってかわらない仲間がいた。
「先輩、ちゃんと佳琳さん連れてきましたか?」
「来れないって。たぶん、忙しいんだと思う」
「やっぱダメかー、星はモデルの仕事、たかひろは研修。みのさんも仕事、ほんで公子は死んだ。ほんとなら全員がよかったが、仕方ないな」
「ちょっと、何殺してんの。ここでピンピンしてるんですけど。あと、こみかちゃん風邪ひいちゃったみたい。来れないって」
「あの強運娘が風邪って。まあ、じゃあ大分そろってきたな」
慎二が見渡すと、手招きをする男が見えた。一見ばらばらに見えるが、その実ポジションごとに並んでいるらしい。慎二は投手、ケビンは捕手のところに自然と収まった。
「やあケビン、久しぶり」
「ケンゴは築波だっけ、まだやってる?」
「一応部には入ってるけど、選手としてはやってないかな。基本はスコアラーと、あと三年なのにバッテリーコーチ」
「それって俺たちの時となんも変わってないじゃん」
「確か築波って首都リーグ優勝やろ。絶対スミケンのおかげやん」
「ケンゴは俺の師匠だからな。キャッチャーのやり方全部教わった」
「その調子で慎二の落とし方も教えてやれよな、ハマの貴公子の女房役だったんだろ」
話が弾む捕手と内野の間には、ひとつの空白があった。それを見たひとりの部員がけげんな表情を浮かべる。
「まさか、叡さん来ないっすよね」
その名前に、座が凍り付いた。内野手はだれかが再び言葉を発しようとする前に、部屋の引き戸が開かれた。
「押忍」
何も話していないことに驚いたのか、その巨漢は覗き込んだ顔を引っ込め戸を閉めようとする。慌てて止めたのは、投手の位置にいる男だった。
「おお。ヤマどこ行く、お前の飲み会はここじゃ」
「お、押忍」
今一度この男の顔を見て、一座はどっと沸いた。
「もう、山さんの席なら先に行ってくださいよ」
「あほか裕介、お前が早とちっただけだろうが」
とは言え疑問はぬぐえなかったのか、裕介と呼ばれた男は今一度尋ねた。
「それで、誘ったんですか?」
「誘おうとはしたさ。だが行方知れずだ。酒まずくしたくないなら、あいつの話はやめろ」
主将にそう言われれば、他の部員も従わざるを得ない。少しずつ会話が戻り、賑わいを取り戻した。
「飲み物来たぞ。レモンサワーは匠と冴木にひとつずつ、ウーロン茶が慎二と俺、あとは生。回せ回せ」
「カシオレって誰の?」
「あ、俺」
「孝さあ、一杯目からカシオレかよ」
「い、いいじゃんか」
「ほんま、そういうとこやぞ」
「でもこいつ解析班動かすときになると人変わるんだよな。ある意味すごいわ」
その輪の中には、運動部というには頼りなさげな体格をした者もいる。彼らはプレーとは別の形で、野球部に貢献してきた。相模拓道の野球部は名門校に比べて選手数は少ないが、多方面から野球を見ることでそれらに打ち勝ってきた。その自負はこの場にいる全員が持っている。
「よし、内野は全員渡ったな。他はどうだ」
「はいはーい。マネ隊オッケーです」
「外野良し」
「バッテリー大丈夫だよ」
「よし、それじゃあ。相模拓道高校、硬式野球部並びに野球解析部。仲間たちとの再会を祝して、乾杯」
不揃いな声が一座に響き渡れば、同じ目標を掲げた仲間は夢中で語り合う。慎二とケビンにとっても、その時間はこれからの大きな糧となっていた。
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