第一章
第十打席
プリンスホテルには、多くの人が集まっていた。ドラフト会議は各球団首脳だけでなく、記者や一般の観客まで招く。それらひとりひとりの小さな話し声が、大きな喧騒となって会場を包んでいた。
「山岡、本当にこれで行くのだな」
「もちろん。ご心配なさらず、根回しは済んでますから。うちとしか契約しないと言い含めておけば、この豊作年に一位では狙わないでしょう。そんなことをするより競合したほうがいい」
「だが取られたら編成に問題が出る」
「その時は、四月に取り直します。枠は余っているでしょう?」
それを聞くと、今年で還暦を迎える男はため息をついた。
「好きにしろ。だが忘れるな、お前の口先に私の首がかかっとること」
「はい、承知してますよ。田淵編成部長」
そうして、ドラフト会議が幕を開けた。一巡目は全員が一斉に選手を指名する。
甲子園優勝投手の向山には天狗、埼玉、新潟、山陽の四球団が、U18本塁打王の大河内にも三球団が競合している。だが各球団は横浜がこの競合に参加してこないと確信していた。それはケビンのことだ。NPBからの通告が下ったその時から、横浜のドラ一は確定している。ゆえにこの時、誰もが気を緩めていた。
「第一巡、選択希望選手。横浜」
球団旗がめくれたとき、会場は騒然とした。司会も驚きの色を隠せず、わずかに声を詰まらせる。
「宮岸徹。投手、立志大学」
発生し終わるのを待たずして、口々に苦言が聞こえる。
「まさか、2位で取るつもりか」
「ドラフトをなめとる」
だが山岡はそれらを一笑に付した。今更文句を言うということは、ケビンを取れない証拠だからだ。そうして競合のくじを引き、外れた球団が再度一位指名を行う。山岡も、ここでは他球団の動向をうかがっていた。
第一巡の選択を終え、二巡目の希望選手の発表に移る。最下位でシーズンを終えた横浜ホエールズは、一番に指名することができる。
「ケビン・グレアム、内野手。ミルウォーキー・ビアーズ」
口々に発せられ言葉を受け、山岡チーフスカウトは監督である田代に対し、囁くように言い放った。
「田代サン、大丈夫ですよ。こうなりゃ誰も文句は言いません。メディアが書き散らすかも知れませんが、あいつの時と同じように無視していればいい」
田代は腕を組むと、低く口を開いた。
「いい選手か?」
「もちろん、間違いなく気に入りますよ。ケビンは田代サン好みの男です。もちろん宮岸も」
ならいい。とでも言うように、田代は椅子に背中を預けた。
国内線でダラスまで飛び、そこから成田へ向かう長い旅が始まる。慎二とケビンは、アリューシャン列島上空を飛行しながらこれからの出来事に思いをはせていた。
「でもシンジ、驚いたよ。俺が日本でドラ二だなんて。山岡さんと話してたのって、こういうことだったのか」
「そうだよ。他の球団は物珍しい僕にばかり目がいってたけど、あの人だけはお前を見てたから。欠かさず連絡しておいたんだ」
ケビンは一瞬放心する。ああ、ずっと前からだったのか。慎二がマネージャーになるのは、突然決まったことだとばかり思っていた。
「結局、慎二の待遇ってどんな風になるんだ?」
「まだ正式には決まってないけど、今のところは球団職員だね。といってもホエールズは小さな会社だから、何でもやると思うよ。バッピだけじゃなく用具やスコアラー、もちろん通訳もある。ケビンもインタビュー英語で答えなよ。僕が訳すから」
「それいいな。どうせならかっこよく頼むぜ。今日のヒーローはケビン選手です。試合を決めた場外ホームラン、どんな気持ちで打ちましたか」
そう言って軽く握った手を近づける。慎二はまじめ顔で答えた。
「ずっと支えてきてくれた恩人に、この打球を届けました。今頃窓ガラスが割れていると思います」
「ありがとうございます。その方も怒るに怒れないでしょうね。それでは、ファンの皆さんにひとことお願いします」
「横スタのみんな、愛してるぜ」
「ケビン選手でした。って誰だよ。俺そんなキャラなの?」
「癖ありの方が人気出るぞ。何たって、彼のいるチームだし」
「あ、そうだったな。楽しくなりそうだ」
そう言って笑う。周りに配慮して、口角を上げてお互いに見せるだけだが。
ひとしきり話したのち、ケビンは少し真面目な顔になる。日本に留学し、そして母国へ帰り、再び日本に赴く自分を振り返ると、常に傍らに人がいた。
「なあシンジ」
「何だよ」
「俺はお前に助けられてばかりだ」
「そんなこともないよ。ケビンのおかげで、こうして日本で働けるんだから」
そう言って笑っていたかと思うと、すぐに慎二は眠りについた。疲れがたまっていたのだろうか。ケビンは目を開けたまま、これからのことについて考えていた。
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