第八打席
この日、まだ薄暗いテキサスには季節外れの牡丹雪が降っていた。
交通機関も滞って社会全体が停止する中、慎二はケビンの家へと向かう。彼は今、球団からの連絡を待っていた。ミルウォーキー・ビアーズとの契約を解除され、マイナーにも拾われなかった彼は、ことによれば野球をあきらめる必要にさえ迫られているのだ。
ゆえに、近頃はいつもケビンの隣に控えている。メジャーリーグの代理人資格も手にし、ケビンの契約に関わることにした。それがケビンにとっても、ひいては自分にとっても有意義なものになると慎二は考えていたのだ。
しかし、ケビンのもとへは下部リーグのチームからしか声はかからなかった。3Aで不自由しなかったのは、ホームグラウンドが家からほど近いからだ。ゆえにそれ以下の条件は呑めない。慎二の見立てでも、ケビンのコンタクト力は2A以下だ。自力でボールを見極められるには、まだ時間がかかる。ゆえに下駄をはいてでも高いレベルに居続ける必要があるのだ。
ゆえに、マイナー下部の打診を受けるたびに慎二は歯噛みする思いでそれを聞き、保留か断りを入れる。必要なのは、人間ふたりが安定して生活できる給料。
だからこの年に一度の豪雪の中を、慎二は急いでいるのだ。末端は凍るように冷たいが、芯は火照っている。門の前までたどり着くと、声をあげた。
「ケビン、僕だ」
「ああ、寒いだろう。あがれよ」
そう言って迎えられ、肩に積もった雪を払いながらリビングへと入る。
「ほら、ルートビア温めてあるぜ」
「どうも」
慎二は大きなマグのそれに口をつけると、テーブルに置かれた携帯を見た。
「球団からの連絡は来そう?」
「もう無理かもしれない。さすがの俺でも、待ち疲れたよ。来るなら今日中だと聞いているけど」
「来るといいね」
そのまま電話は来ず、緩やかに時間が過ぎていった。高校時代より無駄話をし続けていた仲だが、だからこそ口数の少ないケビンを見るのは慎二にとって新鮮でもある。日が高く上る頃には、昨夜から降り続けた雪も止んできている。とは言え気温は上がらないため、男がふたり暖炉のそばで丸くなっていた。
「もうこんな時間か。お昼にしようか」
「そうだな。ピザでいいか? チェッカーミックスが一昨日から安いらしいぜ」
「今日は呼んでも来ないよ。キッチン貸して」
野菜に縁のないグレアム家の冷蔵庫には、数日前から慎二の区画がある。高校時代から、彼に野菜を食べさせることは使命であると慎二は自認している。ゆえに彼は昼食は自分で作るようになったのだ。
「牛肉使っていい?」
「ああ、いいぜ」
それを背中で聞いた慎二は、勝手知ったる厨房で調理していく。幼馴染でかつ全寮制の高校に三年も通えば、好きな味付けも苦手な食べ物もだいたいわかっている。グレアム家の壊れかけのコンロを使うのも、慣れたものだった。
「ほい、できたよ」
「うげ。今日のサラダ、パプリカ多くないか」
「気のせいだ。僕の分は別であるから、ごまかしは利かないぞ」
「へいへい、じゃあいただきます」
慎二が自分の分を持ってくるより早く、肉にフォークを突き立てていた。手を合わせ、母国にない言葉を口にするのはもう癖になっていた。
「今日のソースうまいな」
「それはどうも」
野菜類は日本のエッセンスが若干入っているが、肉料理はほぼテキサス流、もといグレアム流だった。この味がケビンにとっては一番であり、それ自体は慎二も同じだった。
食べ終わると、また苦痛の時間が始まる。日付け変更までに電話がかからなければ、保留にしていた下位リーグの球団に入ることとなる。そこはハイライフの支社がある地方都市で、慎二側が無理をすればどうにか今の生活を続けられる。ゆえに2Aながらも断らなかった。そこまで来れば、活躍してもメジャーに直に昇格することも不可能ではない。だが、それではビアーズにいたころと同じだった。
ひたすら待ち続けると気は滅入るものだ。ケビンの脳裏に引退の二文字もよぎる中、慎二はひとつの期待を胸に手を組んでその時を待っていた。
携帯が鳴る。バイブレーションの淡い円軌道を追うように、ケビンは瞬時に手を伸ばした。
「はい、グレアムです。はい。え、ドラフトって、俺がですか?」
その言葉を聞いた時には、慎二はもう端末をひったくっていた。
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