第四打席
「お電話ありがとうございます。ハイライフ保険でございます。はい、はい、クリハラですね、少々お待ちください。おーい、シンジ。リチャードソンって方から」
「お電話代わりました栗原です。はい、はい、それはそれは、こちらこそありがとうございます」
慎二が顧客と話していると、横にいる従業員が親指を立てる。就職して一年と半年が過ぎようという中で、慎二は契約事について学んでいた。顧客と話し合う中で、自分の知識や経験によって結論を出すこと。野球しか知ってこなかった中で、それはとても刺激的なものだった。
高校時代、慎二は監督や仲間が導き出した結論に従って野球をしていた。彼のように、能力を発揮するために膨大なデータが必要なプレイヤーを練習に専念させるためだ。確かに、土壇場で自分を頼りにしてうまくいった試合もある。だがその例は少ない。
自分で結論を出すことを、彼は苦手としていたのだ。
今この時間は、自分主体で物事を考える時間なのだと慎二は考えている。会社の業務はその点で非常に有意義だった。
「お疲れ様でした」
「シンジ、今日ボールパーク行こうぜ」
「はい。その前に約束を済ませてからになりますが」
「ケビンくんでしょ。私彼のファンなのよね。気持ちいいフルスイングでしかも守備も上手い。もう若いのにチームの主役みたい」
「マリーは若い選手大好きだからな」
「うるさいわね。マイクだってミーハーの癖に。でもケビンくんと試合前に話せるなんて羨ましいわ」
「いえ、今日はそうじゃなくて。ちょっと別の予定があるんです」
「じゃあガールフレンド? ってそりゃないか」
同僚がするケビンの話を聞くと、慎二はいつも複雑な表情をする。素直に喜ぶべきところを、もどかしさが邪魔をしていた。ケビンのいる舞台に自分がいないことだろうか。あるいは、自分からケビンが遠ざかるような感覚からか。
「今から席取っときましょうか」
「いいよ、今日そんな混まないだろうし。それより相手の先発マーフィーだろ、どうにか一発打ってほしいね」
打ちますよ。鞄からフォームフィンガーを取り出し、慎二はその指先を上に向けた。
「マーフィーのスプリットはもう大丈夫です」
「えらい自信だな、ってシンジがやるわけじゃないだろ」
カッコつけんな。そう言ってヘッドロックをする同僚を引き剥がし、慎二はある場所へと向かう。この約束というものは普段とは少し違う。ケビンのためということは変わらないが。
そしてボールパークに向かえば三回表。掲示板にはビアーズの得点が記録されている。
「シンジ、シンジ、遅いって。今ケビンくんがタイムリー打ったんだから」
「マーフィーの調子全然悪くなかったのに。すごいぜ今日のグレアム」
見るとケビンは一塁でレガースを外している。背番号二をつける彼は応援ボードを見て、ひとつ笑いかけた。
「きゃ、こっち見た」
「馬鹿、慎二に決まってるだろ。彼は絶対気付くらしいからな」
「あら、付き合ってるとでもいうつもり? どうなのシンジくん」
「違いますよ。変なこと言わないでください」
そんな話をしながら、試合を見る。見ながら、ひとつの思いが脳裏をよぎった。ケビンがフィールドにいて、自分は観客席でそれを見ている。打てば自分のことのように喜び、凡退すれば悔しがる。それでいいのではないか。
そう思うと、慎二の中で胸の支えが取れたような感覚が湧き上がっていた。
高卒一年目からトライアウトのために大陸を渡り歩き、ついに慎二を受け入れる球団はなかった。独立リーグで続けることも不可能ではないだろう。しかし遠ざかっていくプロへの道に対して、自分なりの結論を見出す必要があったのだ。
今の彼にプレイヤーとして活動する場所はない。それでも投げる理由はある。ケビンの調整は、他ならぬ慎二にとってなくてはならないこととなっている。毎日仕事終わりにトレーニングと研究を行い、フォームチェックは数時間に及ぶ。そんな日々でも、野球と関わっているという事実だけで彼にとっては充実していた。
そんな日が続いた秋口のこと。ケビンが慎二を誘わなくなった。これまでも、先発がすでに攻略済みの場合やアウェイゲームでは慎二と調整しないこともあったが、ホームゲームで一カード続けては初めてだった。慎二は訝しみつつも、代わりに自分の作業時間を増やした。ようやく自立したのかと思っていたところ、一通のメッセージが。そこにはこう綴られていた。
「明日の試合、ビアーズ対ネイビーズ。絶対見ろよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます