第三打席
ホームゲームを終え、慎二は出てくるケビンを迎える。冴えない表情を見た慎二は、まずは拳を突き出した。それに対する返事は、やはり弱々しいものだった。
「ホームランおめでとう。七号だっけ?」
「なんでもないよ、こんなの。手術してからのハリスはマイナーの漬物だ。そんなのをいくら打ったって、実力の証明にはならない」
そう言って鞄をあさるケビンは、あるものを取り出した。それは明らかにファースト用ではない、肉厚のミットだった。
「キャッチボールしようぜ」
「いいけどそれ、どうしたんだ」
「今日お前が来るから、持ってきた。話すより、こっちの方がいいだろ」
慎二はそれを聞いて、ただ頷いた。そうしてふたりは公園へと向かう。人のいない夜の道をボールを投げ上げながら歩くとき、ふたりに会話はなかった。
公園には、誰が作ったか盛り土がされている。それは正確に、目の前のボールパークのマウンドと同じサイズ、硬さをしていた。そしてケビンはそこに立つ。距離を測る歩数は、ケビンの大きな足で45歩。五十フィートの距離で腰を落とした。
彼は高校時代は捕手だった。キャッチングも送球もプロで通用するほどのレベルにも関わらず、チームの方針により予告なしにコンバートされたのだ。それでも持ち前の守備技術と楽観主義で、厳しい生存競争を生き抜いている。彼自身、試合に出るためならばどのポジションでも構わないと思っていた。
ゆえに彼がキャッチャーミットを持ってきた理由は、かつてのポジションへの名残惜しさではない。
「パーキンソンの、カッターとカーブ」
そう言ってミットを叩く。対する慎二は、マウンド上でプレートに足をかけた。これはふたりにとって日常のことだ。慎二は言われた投手の球を用意してきている。だがいつもと違うことがあった。それはこのキャッチボールが試合の後であることだ。
「知ってたろ。僕がこれでトライアウトに出るって。なんで先に言わなかったんだ」
「今日は、自分でやってみたくなったんだ。まずはコースに一球ずつ」
慎二は言われるままに投げた。マウンド上の映像を見て、フォームを模倣する。それは彼の持つ、類稀な技術だった。どんな変化球でも十分な精度で投げることができ、左右の別はない。スイッチピッチャーではないものの、フォームを固めてしまえばどちらでも投げることができた。
無論、制約はある。一度に用意できる投球フォームはひとり分のみで、使わない球種を投げるなどの応用は効かない。変化球も多いほど負担がかかる。この日のフォームは、二日前から用意してあった。
ケビンはそれを受けながら、苦笑を浮かべる。
「打てないわけだ。バッターの狙いの裏を突かれてる。まっすぐとこれだけで楽に三振が取れるよ」
「ああ。その上、このカーブだ。低めいっぱい」
数回受けるごとに言葉を交わし、感触を確かめた。座って受けるだけで、ケビンにはバッターボックスでの球の見え方がわかるのだ。
そうして三十球を目処に切り上げる。ケビンはベンチに座り、コーラのボトルを開けた。陽気な爽快感が、どこか無責任に口の中を遊びまわる。
「なあシンジ」
「ああ、君ならこれだけ見れば大丈夫だろ。今度はルイビルのマッケンジー?」
「違うんだ。シンジのこの力は誰にもまねできない。今だって、ビアーズがきりきり舞いのカッターを自分の球のように投げてるじゃないか。メジャーでも、きっと通用するはず」
その話は、何度も聞いたことだ。ケビンからだけではない。物好きなスカウトにも、ただの好事家にも。そのたびに慎二は首を横に振り、同じことを口にした。
「僕の球は、六十フィートは伸びない。速球もマックス七十七マイル、これでは変化球も活きないよ。マイナーのフロントも、僕のような頭打ちが見えているピッチャーよりも粗削りの剛腕の方が好みだ」
そう言うと、彼の無二の友は腕を組んだ。事実、その通りなのだ。高校時代から慎二にはプロのスカウトが視察に来ている。だがいずれも、彼にいい色は見せなかった。本人が言う通り直球あっての変化球であるほか、彼にはこれから成長していく独自の形がなかったのだ。球団のエースを正確にまねる投手を面白いとは思っても、使えるとは思わなかった。
だがケビンからしてみれば、慎二はスカウトとよく話をしていた。個人的なことで踏み込みづらいとは思いつつも、何となく好印象だったのだと理解している。だから、慎二が今もプロの世界にいないことの方が不思議なのだ。
それから車で自宅に帰るまでの間、ふたりの間に言葉はなかった。何でもない会話が途切れることはないのに、こと野球になると伝える言葉に迷うことがある。高速を走りながら、互いに自己と向き合う時間を必要としていた。
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