怨霊見参

妻高 あきひと

第1話

 伏見新太郎は武家の子だ。

長子ゆえ、いずれは家を継ぐことになるが、そのために修めねばならぬ事々が山のようにある。

その一つがほぼ毎日通う剣道場での剣術修行だ。


 新太郎は今朝も夜が明けきらぬうちに道場に向かった。

三軒隣に住む山尾菊之介は同い年であり親友であり道場仲間でもあり、声をかけるとまだ朝飯の最中だと言う。

弁天堂まで先に行っておるぞと、声をかけて先にいく。


剣術熱心な者は暗いうちに来て道場の外で素振りをしている。

もう道場に来ている者も多かろうと思いながら足が自然と早くなる。

月明かりがあるので提灯はいらない。

屋敷町から外れてしばらく行ってゆるい坂を下ると川の土手道に出る。

道場はその土手道の先およそ七八町ばかりのところにある。


その土手道のほぼ真ん中あたりに小屋掛けの弁天堂が立っている。

間口と奥行きはともに二間くらいだが前半分は土間で後ろ半分が高さ一尺そこそこの板張りの床につくられ、その上に弁天様が鎮座している。

新太郎はその板張りの床に腰を下ろし菊之介を待つことにした。


弁天堂の壁板の隙間から吹いてくる川風が心地よい。

すると気のせいか急に風が少し冷たくなった。

新太郎は気づいたが、川風なので気にもならない。

外を見ると東の方が少し明るくなっているように見える。

「じきに夜明けか、菊之助よ、はよう来い」


とつぶやいたときだ、弁天の後ろから大きな声がした。

新太郎はおどろいて振り向くと弁天の後ろに小袖姿の侍がいる。

それも人の倍はあるほど大きい。

顔貌は恐ろしく目は悪鬼のように冷たそうだ。

妖怪か、新太郎の背筋に冷たいものが走った。

その侍が言う。

「小僧、あ奴の孫じゃな、やっと会えたな、ここで会えたが百年目、あ奴はまだ存命であろう、あ奴の息子も孫の貴様も許しておくものか。一家みな呪い殺してやるわ」


何のことやら新太郎には分からないが、あ奴とは祖父のことで、一家皆殺しにしたいほどの恨みを持っているらしいことは分かった。

爺様にそのようなことがあるのか、新太郎には信じられない。

侍は見たところ歳は四十なかば、顔も身体も青白く、首には横一文字に斬られたようなすさまじい刀傷がある。

それのみか磔にもされたらしく首の左右には槍で何度か突かれた穴が開いている。


しかし、腹から下は陽炎のようにボヤっとして腰も足もない。

つまり幽霊だが、この場合は何といえば良いのか。

幽霊、妖怪、魔物、いや恨みがあるなら怨霊か。

しかし新太郎は思った。

(怨霊なぞ夜中に出るものじゃ。じきに夜明けなのに出るとは奇っ怪な奴じゃ)


朝が近づいている安心感からか、落ち着いてみれば怨霊は刀すら持ってはいない。

怨霊に問うた。

「そちは怨霊か、何の恨みかは知らぬがもう夜明けぞ、化けて出るには遅すぎよう」


怨霊は答える。

「長くこの日を待った。陽が昇るまでには用は済む」

新太郎が問う。

「ならば怨霊よ、拙者に何かご用か、今しがた『あ奴の孫か、やっと会えた、』と申されたが、あ奴とはわが祖父のことか、その孫が拙者かとはどういうことか」


 とそこへ遠くから”新太郎よォ~”という声が聞こえてきた。

月明かりの影で新太郎と分かったらしい。

菊之介が走ってやってくる。

怨霊は”チッ”と大きな舌打ちをした。

だっと菊之介が駆け込んできた。

「おう待ったか、すまんかったの」

と言ったところで怨霊に気が付いた。


「ギエッ な、なんじゃ、こいつは、妖怪か怨霊か、新太郎、大丈夫か」

「大丈夫じゃが、何か知らんが、わしの爺様に恨みがあるらしい。わしもいきなり言われて何が何やら分からぬ。今からその恨み言らしき話しを聞かせてもらうとこじゃった」

「ああそうか、お前の爺様に恨みのう、人様の恨みを買うような爺様ではないがの」


怨霊が言う。

「しからば聞かせてやる」

怨霊の声色が変わり、地獄の鬼もこうか、というような恐ろしき声で話し始めた。


「今より二十年余り前、大阪夏の陣にてのことじゃ。

拙者と貴様の爺はともに豊臣方についていたが、おそらくは負けであろうと覚悟し、ともに斬り死にし、冥土で会おうぞと約束した。

じゃが貴様の爺は徳川に内通し、砦に徳川の兵を引き入れよった。

砦を守っておった者はみな殺され、わしは傷を受けて半死のまま捕らわれ、あくる日には磔にされて斬首、首は砦の前にさらされた。

裏切り者のお前の爺はとっくに姿を消しておった。


 大坂城落城の後、落ち延びておったわが妻子も捕らわれ、妻と二人の娘は磔となり、どこかも分からぬ街道に首をさらされた。

上の娘は十一で下は九つじゃった。友に裏切られ、なおも妻と娘は磔の上にさらし首じゃぞ、

分かるか、貴様、このわしの気持ちが」


新太郎は黙って頭を傾け、菊之助は下を向いている。


「わしはあれ以来、三途の川を渡ることさえできず、彼岸と此岸の間を彷徨っておる。貴様ら一家を呪い殺し、恨みを晴らすまでは妻子にも会えぬ。

貴様の一家を探し尋ね、貴様の一家がこの辺りに移り住み、家来を抱える身分になっていると知った。

貴様の祖父はすでに年寄りなれど、わしはあの時のままじゃ。

歳月は流れようとも恨みは流せぬぞ。


あ奴の孫である貴様を真っ先に殺し、次に父母弟妹を殺し、最後にその爺をいたぶりながら殺してやる。

あ奴を苦しめ、苛ませ、わが口惜しさと辛さの報いを受けさせる。

貴様がほぼ毎朝、道場に通うためにこの道を歩くと知った。

なのでこの弁天堂で待っておったのよ、貴様の骸はこの弁天堂の前に転がしてさらしてやるわ。


 大賀源信よ聞け、我は斎藤嘉門じゃ、忘れたとは言わせぬぞ、怨霊となって再び会いにまいった。

まずは貴様の孫大賀源太郎を血祭りに上げる。

わが積年の恨み、妻と娘の恨み晴らさいでか、思い知れ、大賀源太郎」


と言うや怨霊はバッと新太郎の上にかぶさり、両の腕で新太郎の首に手をまわした。

絞め殺す気か、菊之介が新太郎を守ろうとして脇差を抜くと、新太郎が叫んだ。

「菊之介、手を出すな。こいつは人違いしておる。怨霊よ人違いじゃ、わしは大賀源太郎ではない、伏見新太郎じゃ、手をはなせ」

怨霊はおどろいた。


脇差を手にしている菊之介も叫んだ。

「こいつの名は今言った通り、伏見新太郎じゃ、そもそもこいつの爺は大阪の役には参陣してはおらぬ。豊臣がなくなり、その後の国替えで西国から殿とともにここへ移ってまいった。

何より新太郎の爺様の顔を見てみい。お前の知っておる大賀とやらとはまるで別人ぞ」

怨霊は新太郎を放した。


「嘘偽りではあるまいの、嘘偽りならば貴様も貴様の一家一族も火炎で焼き尽くすぞ」

新太郎が言う。

「わしも菊之介も武士のはしくれじゃ、うそ偽りは言わぬ」

怨霊は二人を見ながら言った。

「ならば大賀はどこにおる。ここが在所と聞かされた。冥界の話しじゃ、嘘はない。草の根分けてでも探し出し恨みを晴らさねばならん」


首をさすりながら新太郎が菊之介を見ると、顔色が青白く悪い。

新太郎は八ッとした。

以前菊之介から聞いたことを思い出した。


(そういえば菊之介の家は豊臣の家臣だった。なんぞ事情があって徳川に従い、そのおかげで一家一族は生き残り、譜代である今の殿様に仕えることになったと言っておった。あれこれあってその後に名前を変え、菊之介という名もそのときに変えた名前じゃとも聞いた。その前の名は聞いても本人が嫌がるじゃろうと思って聞かずにおいた。

怨霊の言う恨みある相手とは、まさか菊之介の爺様のことか)


新太郎が改めて菊之介を見ると、泣きそうな顔になっている。

やはりそうかと新太郎は察した。

ならば菊之介が危ないと思い、脇差の柄に手をかけたが、怨霊はすでに冥界の住人だ。

斬って斬れる相手ではない。

さりとてむざむざと菊之介を殺させるわけにもいかぬ。

刀で斬るのは簡単だが、風を斬るようなものだろう。

何か他に手段は無いか。


すると菊之介は新太郎の気持ちが分かったように、新太郎の手を止めて首を横に振った。

菊之介は少し間を置くと怨霊に言った。

怨霊は天井いっぱいに広がって菊之介を見下ろしている。


「拙者の名は山尾菊之助、山尾の旧名は大賀でござる。

大賀源太郎は拙者の旧名であり、斎藤殿を裏切ったは我が祖父大賀源信に相違ないと思われるが、いかがか」

「そうじゃその通りじゃ、大賀の奴め今は山尾姓か、孫の源太郎は貴様だったか、おのれ」


菊之介はかまわず続ける。

「祖父よりそのことは聞いております。

あのとき摂津にいた私の母と姉のみか親戚の多くが徳川方に捕らえられ、徳川に従い砦に兵を導かねば総ての者の命はないと脅され、祖父はやむなく徳川方の兵を砦に導いたと聞いております。

これを信じる信じないはそちらのことじゃ。


我が家の仏壇には斎藤の名のある位牌がござる。

我が家には縁のない名であり、以前祖父に尋ねるとこう申しておりました。

「斎藤とは生涯の友であり、命の恩人でもあるが身寄りがない。他人と言えどもこの位牌断じて軽んじるべからず。

我が命尽きればそちたちが後を継ぎ弔いをせよ」と。

以後絶えることなく祖父も父も毎朝その位牌に線香を上げ経を上げております。


我が家に恨みつらみがあろうとも拙者にはかけがえのない祖父であり父母でござる。

祖父の裏切りにて我が家は生き残り、私もそのおかげにてこの世に生を受けてござる。

恨み晴らしたくば、今この場にて拙者の命を取り、それで一切を終わりにしては頂けぬか。

拙者は長子で姉は早くに亡くなり、他に弟妹はおらず、拙者が死ねば我が家は断絶にござる。

拙者の一命にて総てをお許し願いたい。


立ち会いは新太郎にさせまする。

ただし血を流すような死にざまでは新太郎に疑いがかかるゆえ、そうならぬように願いたい。

我が命、ご存分になされよ。

新太郎よ、お前は生涯の友じゃ世話になった、礼を言う、さらばじゃ」

と言うや菊之介は弁天堂の前に出て座わり、脇差を置いて目をつぶった。


新太郎は怨霊に向かって叫んだ。

「菊之介を許してやってくれ、今さらこいつの命を取って何になる。亡くなられた妻子殿が帰ってくるわけでもなかろう。こいつに罪はない。あれから二十有余年であろう、菊之助の爺様も死ぬまで罪を背負っておる。もう良いではないか」


怨霊が言う。

「冥界では二十年なぞ歳月のうちには入らぬ。わしには昨日のことじゃ」

怨霊は新太郎と菊之助を見ながら、閻魔の断言のように言った。

「今もこうしておれば娘の無残な姿を思い出す。許さぬ、許さぬよ、絶対に許さぬ、菊之介いや大賀源太郎、貴様の命もこれまでじゃ、覚悟せよ、大賀一族は我が一族の仇じゃ、思い知れ!」

とっさに新太郎が菊之介の前に立ちはだかったが、バッと稲妻のような光りとともに一間ばかり吹き飛ばされて土手の横の田んぼに転げ落ちた。


新太郎は一瞬気を失ったものの這い上がって見ると、道の真ん中で菊之介の身体が赤い炎に包まれている。

新太郎が近づくと菊之介は炎の中で動きもしない。

手ぬぐいと稽古着を川につけて水を吸わせて炎にかけるが一瞬で蒸発して効き目はない。

新太郎はなす術もない。


しばらくすると、菊之介をおおっていた炎がゆっくりと消えた。

見ると菊之介のどこも着物さえも焼けてはいない。

菊之介がゆらりと揺れて目を開けた。

新太郎を見ながら、笑った。

生きている。

怨霊は消えていた。


菊之介が涙声で言う。

「これで済ませてくれたんじゃろうかの怨霊は」

新太郎が答えた。

「そうならええけどな、でも殺されんかったのは確かじゃ」

光と炎を見たのか近所の者たちが近寄ってきたが新太郎が手を振って何でもないと合図すると戻っていった。


あっという間の出来事だったが、二人はずいぶんと時が経ったような気がしている。

「お前、元は源太郎じゃったか」

と新太郎が笑いながら言った。

「ああ、そうよ、じゃが小さい頃で記憶にはない。それを知ったのは元服してからじゃ。あの位牌の斎藤にはそのような因縁があったとはの、いやおどろいた。


裏切りは許されぬことじゃが、そのおかげでわしは生まれ今を生きておる。

爺様には感謝のひと言しかない」

新太郎が言う。

「そうじゃ裏切りなんぞ戦国の世ではありふれたこと。

誰も好き好んで裏切りはせぬ。気にするな」


すると菊之介がぼそっと言った。

「あの怨霊、わしは無事じゃったが爺様も許してくれたんかの、家に戻ってみる」

「そうじゃの、今日は道場を休んでもよい。一緒に行こう」

と新太郎は言いながらふと見ると土手下の草むらに上半身だけの青黒い影があるのに気づいた。

新太郎があれを見てみいと菊之介の袖を引っ張った。


二人が見ていると、青黒い影は朝陽で輝き始めた川の真ん中にすっと出ると、そのまま霧のようにゆっくりと空へ上がっていった。

赤と青が混じる朝の空に青黒い影が少しづつ小さくなりながら消えていった。

新太郎はべそをかき始めた菊之介に言った。

「怨霊殿は今の話しを聞いていたのかの、もう大丈夫そうじゃ、怨霊殿はもう出ては来ぬよ。良かったの、道場まで競争するか」


新太郎と菊之助が泣き笑いしながら土手を走っていく。

道場の屋根が朝陽に光っていた。


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怨霊見参 妻高 あきひと @kuromame2010

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