理想の給食

冬野こたつ

理想の給食

  僕はバレないように小さくため息をついた。教室の壁にかけられたポスターが目に入ったからだ。今週のスローガン『残さず食べましょう』という文章が書かれていた。

 僕は小さい頃から胃腸が弱く、とても小食だった。ただでさえ給食の時間は苦痛なのだが、今週はさらに周りの視線も気になってしまい、プレッシャーでさらに食欲がわかなかった。

 周りを見渡すと、既に食べ終わり、おかわりしに行く人。牛乳が嫌いで、顔をしかめながら飲んでいる人。おしゃべりに夢中で全く食べていない人。等々色んな人がいるが、彼らは最後にちゃんと給食を食べ切る。つまり、僕のように給食を食べ切れるかどうかで悩んでいないのだ。今週のスローガンを考えたのはどこのどいつだと、怒りが込み上げてくる。だが、逆に僕なりの理想の給食を考えてみることにした。いくらかこの目の前の給食が食べやすくなるかもしれない。

 まずは味付けだ。それぞれ家の味があるのだから、最初に味付けをする必要はない。炒めたり、油で揚げた野菜を自分の好きな味にできるというのはどうだろうか。肉や魚も薄い味付けにしておいて、仕上げは自分たちでやるっていうのがいいんじゃないか。

 僕はいい案を思いつき、少し笑みが溢れた。このアイデアを周りの子に話したくなったが、話につきあってくれそうもないのでやめておいた。僕は給食をちびちび食べながら、さらに想像を広げていった。

 オーブントースターがあったら、食パンが焼ける。あんなパサパサのパンでも焼きたてはうまいだろうし、きっとあの香ばしい匂いで食欲が湧くはずだ。アレルギー対応の給食があるくらいだから、献立が選べるっていうのはどうなんだろう。作るのが大変だけれど、小さい鍋に好きな具材を入れて、好きな味付けにして煮込むスタイルも悪くない。あー夢のようだ!

 すっかり想像に浸り楽しくなっていると、突然廊下側の席がざわつき始めた。どうやら一班の石川さんが泣き始めたらしい。周りの子が声をかけている。

「ど、どうしたの?」

「豆が、豆がどうしても食べられない」

「豆が嫌いなの?石川さん?」

「うん。甘い豆なら食べられるんだけど」

「そうなんだー」

どうするのかと思ってみていると、他の子が口々にどうしたら食べられるかを言い始めた。

「鼻つまんで食べればいいんじゃない?」

「噛まずに飲んじゃえば?」

「甘いと思って食べたら食べられるんじゃない?」

そんなことで食べられたら苦労しないんだよ。と思いつつ、僕もひよこ豆が特に苦手だったので石川さんに同情した。すると、何か思いついたように太田くんが一冊の本を持ってきた。

「これ朝に読んだんだけど、催眠術がのっててさあ。これで豆を甘いって思わせられるんじゃないかなって思って」

「そうだ。テレビでもやってたね。怖いものもそれで大丈夫になるんじゃなかった?」と周りの子も催眠術ならいけると応援しだした。それならばと太田くんは、開いた本を片手に催眠術の準備に入った。

「まず、僕の指を見ていてください」と太田くんは石川さんを指さした。ぐるぐると指先で円を描きながらこの豆は甘い、この豆は甘いと呟き、最後に指をパチンと鳴らした。

「さあ食べてみて」

太田くんにうながされ、石川さんは顔をしかめながらひよこ豆を一粒、口に入れた。するとフォークを力いっぱい握りながら、辛そうに目を瞑り、噛み始めた。教室が静まり返った後、石川さんがひよこ豆を飲み込む音がした。

「どう?」

太田くんが恐る恐る聞いた。

「さっきよりは甘いかも」

石川さんは少し安心した顔で言った。それから石川さんはさらに3つのひよこ豆を頑張って食べた。みんなが拍手をしだした。そして、石川さんはまた3つ食べた。残りはあと1つだ。教室中が見守っている。もはや泣いて食べられないなどと言う状況ではなかった。石川さんは最後まで残った一際大きいひよこ豆を口に放り込み牛乳で流し込んだ。

「やったー」周りの子が叫んだ。

「すげーな太田」と言われ、太田くんはまんざらでもない顔で立っていた。終始辛そうだったので、催眠術にはかかっていないであろう石川さんは、泣き笑いのような顔をしていた。応援の力は計り知れないなと思った。試しに僕が教室のみんなに応援されている様子を思い浮かべた。が、すぐに頭を振った。応援されたらむしろプレッシャーで食べられなくなるなと思った。

 僕も牛乳で流し込むという技を真似て、残っていたひよこ豆、生臭い焼きサバ、こんもり盛られた白米を完食した。

 豆騒動があったので、いつもより給食が長引いていた。僕は食器をワゴンに片付け、寸胴の中を覗いた。まずいなと思った。少量ではあるが、汁物やご飯がまだ残っていた。僕は無理だが、食べられる人がいるかもしれない。このまま残しても良いだろと思うが、『残さず食べましょう』の文字が蘇る。自分の給食だけでなく、クラスに運ばれる給食全ての完食を目指さなければならないのだ。

「おーい、みんな給食がまだ残ってるよー。おかわりする人いるー?」

「はーい、はーい」

何人かが、お皿を持ってきて、すくっていった。こういう時におかわりする人は顔色がいい。胃腸が丈夫なのだ。つくづく僕は羨ましくなった。

 寸胴の中にはほんの少し、あと2人おかわりすれば無くなる量だけ残っていた。なので、もう一度声をかけることにした。

「あと2人おかわりすると空っぽになるよ」

しかし、皆口々にもうお腹いっぱいだよなどと言って立ち上がる人はいない。ダメかと思ったその時、太田くんが立ち上がった。

「みんな、僕の指を見て」

みんなが太田くんを見た。

「まだ食べられる。まだ食べられる」と言いながら太田くんは指をまわし、最後にパチンと鳴らした。

 すると、佐藤くんが立ち上がった。たしか太田くんの親友だった。

「なんかちょっとお腹すいたかも。おかわりしようっと」

「だよな。俺も俺も」とそれから6人の子も一緒になって少しずつ食べ、寸胴が空っぽになった。友達想いの佐藤くんのおかげでなんとか乗り切った。僕は胸を撫で下ろした。

 豆騒動と、おかわりに時間がかかって昼休みの時間はほんの少しになってしまった。しかし、みんなで頑張って完食したので、達成感からか文句を言う人はいなかった。

 5時間目は算数だった。僕はぼんやりする頭で、黒板に数式を書き連ねていった。僕以外の教室のみんなも眠そうだった。

 そして帰りの会。僕は給食の時間を振り返って話始めた。

「えー、今日の給食はみんなの頑張りのおかげで、残さず食べることができました。太田くんのユニークなアイデアも良かった。みんなの応援の力で食べきった石川さんも頑張りました。頑張った2人に拍手」

教室のみんなはパチパチと拍手をした。

「たくさん食べた人はエネルギッシュで素晴らしい。あまり食べなかった子も省エネで素晴らしい。今日も一日みんなで楽しく過ごせて良かったです。ではまた明日。佐藤くん、号令よろしく」

「起立!礼」

「はい。さようなら」

「先生、さようなら」

子供たちがみんな教室から出て行った。僕は教卓の前に立ち、壁に貼ってあるポスターを見た。

「後、4日か……」

 僕は子供の時から給食が嫌いだった。いつも残してばかりで、担任の先生に怒られてばかりだった。だからこそ、教員になった僕は食べられない子にも優しくしようと誓った。でも、このクラスの子たちだったら大丈夫だなと思った。食べられない人にも優しく、応援や助け合いができるのだから。きっと後4日間も、誰も嫌な思いをせず、給食を食べ切れるはずだ。僕は依然として給食自体は苦手だ。しかし、教員になって初めて理想の給食の時間に出会えた気がした。子供の時は給食が無くなるのが理想だったが、自分だけでなくクラスのみんな全員が楽しく食べる給食というのが本来の理想だ。

 あの子たちの頑張っている姿を思い出した。たかが給食されど給食。何においても人が頑張っている姿というのは人に勇気を与えるものだ。クラスのみんなのおかげで勇気が湧いてきた僕は、教室の電気を消した。

「湧いてほしいのは勇気じゃなくて食欲だけどな」

僕は1人フッと笑って、誰もいない教室を後にした。


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