第116話
この国には、花笑み、という言葉がある。それは美しく咲いた花のような笑顔という意味の言葉であり――――その
「あはっ」
桜色の髪と瞳を持つその小柄なJDは、語尾にハートマークが付いているかのような甘い声を出し、恍惚とした表情で自分を抱きかかえている青年を見つめていた。その様子は恋する乙女そのものといってもいいだろう。
「……」
しかし、彼女の王子様である青年の方は彼女に対してそこまで熱い思いは抱いていないようで、青年は彼女の顔を見ることなく視線を上に向け、エレベーターが目的の階に近づいていることを確認していた。
「もうすぐ扉が開く。さっき言ったとおり、この階では部屋に入るまで喋るなよ」
そして、青年が落ち着いた声で指示を出すとそのJDは、はーいと元気よく返事をしてからその指示に従い、口を閉ざした。
「――――」
そして、エレベーターの扉が開くと同時にJDを抱きかかえている青年は早足で駆け出し、仲間達が眠っている部屋の前を通って自分が泊まるシングルルームへと辿り着き、鍵を開けて中へと入った。
「……ふう」
そこでようやくその青年、トキヤは肩から力を抜き、抱きかかえていたJDを優しくおろした。
「扉も閉まった。もう喋って良いぞ」
そして、床に二本の足でしっかりと立ったそのJDは、んふー。と、満足げな笑みを浮かべた後。
「あはっ、あたし、男の人にお姫様抱っこして貰っちゃった」
トキヤに抱っこして貰ったことがよほど嬉しかったのか、そのJDは顔を手で押さえながら、きゃっ、きゃっと喜び部屋の中で騒ぎ始めた。
「……」
そんなハイテンションなJDを視界に入れながら、トキヤは小さくため息を吐き、この一応は運命的な出会いについて考え始めた。
夜遅くに自分が愛したJD、アヤメの墓参りに行こうとしていたトキヤは、その道中で桜色の何かを見つけ、闇夜の中、その何かを見つけようと必死になって探した結果、トキヤは目の前で跳びはねている桜色の髪のJDを見つけた。
最初、トキヤはこのJDのことを一般家庭で使われ、捨てられたJDだと考えていたが、近づいてその身体を見たとき、このJDがバルやジャスパーと同じ戦闘用JDであることに気づいた。
そして、トキヤがその事実に気づくと同時にそれまで何も喋らなかったそのJDが喋り出したため、このJDとコミュニケーションを取ることが可能だと考えたトキヤは、管理地域外で長話をするのは危険だから場所を変えていいかとJDに提案した。
すると、この桜色の髪のJDは。
『いいけど、あたし、人魚だから歩けないの。だから、抱っこして、おにーさん』
と、何も壊れていない足がしっかり二本付いている身体でそんなことを言い出し、その発言の訳のわからなさにトキヤは少し戸惑ったが、ホテルの廊下を歩く際に足音が多いとバルに変な勘違いをさせてしまうかもしれないと考えたトキヤは、桜色の髪のJDを彼女のオーダー通り、お姫様抱っこをして宿泊先のホテルへと連れて行くことにしたのだ。
「……」
そして、ホテルの部屋に着いたトキヤは、30キロ程度の重さのJDを結構な時間抱っこしたことでプルプルと小刻みに震える両腕を見て、これは筋肉痛になるなと思いながら、部屋の扉に視線を向けた。
このホテルの客室はJDによる盗聴を防ぐため特殊な防音処理が施されており、部屋の扉の前に立たない限り部屋の中の音を聞くことは絶対にできない。
……廊下には誰もいないな。
そして逆に廊下の音は部屋の中までよく聞こえるのでその特性を利用し、廊下の様子をある程度気にしていればこの桜色の髪のJDと普通に会話をしても問題ないと判断したトキヤは扉から視線を外し、桜色の髪のJDに目を向けた。
「あはっ、ようやく、ようやくあたしの物語が動き出しそう……!」
「……」
狭い部屋の中を嬉しそうに動き回っている桜色の髪のJDは、本人的には舞踏会で優雅に踊っているお姫様のつもりなのだろうが……。
「……」
トキヤには桜色の髪のJDの動きが、散歩から帰ってきて雨でびしょびしょに濡れた身体で部屋中を汚し回っている大型犬のようにしか見えず、トキヤは小さくため息を吐いてから、桜色の髪のJDに話しかけた。
「しかし、お前、管理地域外にいた時はこの世の終わりみたいな落ち込みっぷりだったのに、この短時間で随分元気になったな」
「――――!」
そして、トキヤに話しかけられた桜色の髪のJDは動くことをやめ、トキヤの顔を桜色の瞳でじっと見つめてから満面の笑みを浮かべ、両手を胸の前で合わせてゆっくりと目を瞑る、という動作を経てからようやく話し出した。
「それは、おにーさんがあたしを見つけてくれたからなんだよ? それに、この国の男の人で一目であたしが人魚だってわかってくれたのは、おにーさんが初めてだった。これは間違いなく――――運命の出会い、だよっ」
そして、桜色の髪のJDはその小さく可愛らしい口から甘い声を出し、閉じていた目を開けて熱い眼差しをトキヤに向けたが……。
「そうか、それはよかったな」
トキヤには甘い声も熱い眼差しも、あ、こいつ十分元気だな。と判断するための材料にしかならず、トキヤは桜色の髪のJDの誘惑に一切動揺することなく会話を続けた。
「それで、結局お前は何者なんだ? 俺はこの国で、はぐれの戦闘用JDを見つけることになるとは夢にも思っていなかったんだが」
「だから、あたしは人魚だよ? おにーさんに会うために海の底から陸にあがってきたの。人魚が男の人に会いに来る理由なんて一つしかないってことは、おにーさんだってわかってるよね?」
「いや、わからん」
「あはっ、もしかして、おにーさん、わからないフリをして、あたしをやきもきさせることを楽しんでる? あんまり良い趣味じゃない気がするけど、あたしなら受けとめてあげられるよっ」
「いや、本当にわからない」
「ほんとー? おにーさんだって、御伽話や昔話で人魚のお話を読んだり聞いたりしたことがあるよね? そのままの理由だよ?」
「……昔話か」
そして、桜色の髪のJDからヒントを貰ったトキヤは、割と真面目に考え。
「自分の肉を人間に喰わせるためか?」
その答えを口にした。
「え何それ怖い」
ごめんなさい、それ本当に何……? とトキヤの回答を聞いて若干テンションの下がった桜色の髪のJDが割と真面目に聞いてきたので、トキヤも真面目に近県の
「……嘘。あたし、そんな話だって知らなかった。人魚に関係している場所に近いみたいだったから、こっちの方に来ただけで……。あたしの思う人魚はもっと華やかで、キラキラで……」
「……まあ、お前の言いたい事もわかる。ただこの国に昔から伝わる人魚の話ってのはこういうものなんだ」
「そんなあ……。人魚を食べちゃうなんておかしいよー……」
「あー……、その食べるってことに関しては、国民性が出ているかもな……。この手の話で人外の血肉を喰らうという行為は罰や英雄の試練みたいに扱われることが世界的にはポピュラーなんだろうが、この国の場合は一般人が割と雑な理由で人外の血肉を食べる昔話が結構あるんだ。しかも、ウマいとかマズいという描写がしっかり入ってな。……まあ、昔は食事にありつくことも大変だったのだろうから、きっと食への憧れが強かったんだろう」
「……おにーさん、それ憧れというより、食欲が凄いだけのような……」
「……かもしれないが、俺は探究心が凄い説を推したい。大昔は興味の対象が食い物しかなかったから食い物のことしか考えていなかったが、その凄まじい探究心が現代では違う事に向かったからこそ、この国の科学技術が発展したのだと。……まあ、今もこの国の住人は食べることが大好きだが」
これは難しい話だな。と、トキヤが唸ると、これ難しい話なの……? と、桜色の髪のJDが首を傾げたが、この国の人間の食に対する拘りについて話し始めるとそれだけで夜が明けそうだったのでトキヤはこの話を終わらせ、全く別のことを桜色の髪のJDに訊ねることにした。
「まあ、食い物の話はまた今度にしよう。それよりも俺は大事なことをお前から聞いていなかった」
「大事なこと……?」
「ああ、ここに来る途中俺の名前は教えたが、俺はまだお前の名前を教えて貰っていない。例え人魚だったとしても、自分の名前ぐらいはあるだろ?」
「もちろんあるけど……、うーん……、この国の人魚のお話を聞いたらちょっとテンション下がっちゃったから、取り敢えずおにーさんに教える名前もモルガンで」
「……モルガン」
何が取り敢えずなのかはよくわからなかったトキヤだったが、桜色の髪のJDが名乗ったモルガンという名前に近い名を最近聞いたような気がしたトキヤは記憶を辿り。
……この国に逃げ込んだネイティブの名前は、確か、モルガナイトだったか。
すぐにその名前に行き着いた。
反政府軍から逃げ、この国に潜伏している戦闘用JDの名前をジャスパーから聞いていたトキヤは、モルガンという名前はモルガナイトの愛称として十分に考えられる名前であったため、目の前にいる桜色の髪のJDがジャスパーの追っているJDではないかと推測した。
「……」
そして、トキヤは桜色の髪のJD、モルガンに直球で反政府軍から逃げてきたかどうかを質問したり、紙袋に入れクローゼットに仕舞ったジャスパーのプラモデルを見せてみようかとも考えたが……。
……それ程強力なJDとは思えないが、戦闘用の身体であることは間違いないからな。
俺が
「なあ――――」
明るい部屋の中で改めて見たモルガンの身体は雨に濡れているだけでなく、土や泥でひどく汚れており。
「……」
……まずは洗うか。
色々と話をする前に先に洗浄しようと考えたトキヤはホテルのアメニティグッズの中にJD用の洗浄液があるかどうかを確認するために、洗面所へと向かった。
「……? おにーさん? どこに行くの?」
「風呂に入るぞ。こっちにこい」
そして、トキヤに浴室に来るように言われたモルガンは。
「え、お風呂って……。きゃあ、おにーさん、だいたん」
と言って口を押さえたが。
「――――あはっ」
モルガンは満更でもない表情を浮かべ、早足でトキヤのいる浴室へと向かった。
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