第114話
トキヤ達がホテルに到着した頃からポツポツと降り始めた雨は、夜半には本降りの雨となった。
「……」
夜に大雨が降ることは
綺麗な黒髪に青みを帯びた黒の瞳を持ち、この国で生まれ育った少女のような容姿をしているそのJDの名はバル。
「……」
バルはトキヤの護衛としてこの国に来たが、今はトキヤのいない部屋の中から外の景色を、雨だけを見つめていた。
憎き敵を見るように。
恐怖を覚える存在を見るように。
――――決して許されることのない自分の罪を見るように。
「……」
バルにはこの国で雨を見ると、どうしても思い出してしまう過去の記憶があった。
「……っ」
――――お気に入りの紅茶の匂いが漂ってくることもなければ、古いアニメやゲームの音もしない。
編み物をしながら穏やかに語りかけてくる声も、お酒が入るとほぼ確実にする若い頃に付き合っていた彼氏との思い出話も聞こえない。
帰って来るなり可愛い服を見つけてきたよと叫んで駆け寄ってくる姿も、何かある度に貴方が私のJDで本当に良かったと微笑んで抱きしめてくれることも。
全てが無い。全部、なくなってしまった。
そんなのは、あまりにも空虚で、耐え難い、耐えられない、耐えられなかった。
けれども、それは当然のことなのだ。
だって――――あの人がいないのだから。いなくなってしまったのだから。全てなくなるに決まっている。
でも、それでも、あの穏やかで優しい日々が戻ってくると信じ続けた。あんなのは誰かの酷いイタズラで、嘘っぱちだと。
あの人は必ず帰ってくる。そう思って、そう信じて、待ち続けた。
けれども――――
「……」
けれども。
「……ふー」
バルは降りしきる雨から視線をそらして、肩の力を抜いた。
「……」
今のバルは辛い過去を思い出しても、心を落ち着かせることができた。
その理由は。
バルの視線の先に、命が、
「……」
初めての旅で疲れ、ベッドで熟睡するアイリスを見て表情から危うさが消えたバルは、アイリスを起こさないようにそっとベッドまで近づき、至近距離でアイリスの寝顔を見つめた。
……年齢は全然違いますけど、あの人と同じ女性だからでしょうか。見てるだけで結構落ち着けますね。
そして、アイリスの寝息を聞くことで自分が平常心を保てていることを心の中でアイリスに感謝したバルは、アイリスの柔らかいほっぺをツンツンしたくなる欲求をこらえながら、アイリスの寝顔を眺め始めた。
今、バルとアイリスがいるこの広い部屋は三人で泊まることができるトリプルルームなのだが、ここにトキヤの姿はない。
トキヤがこのホテルを予約する際、最初はこの一室しか予約していなかったのだが、ホテルに着いてからそのことを知ったバルが『えー、二十歳とはいえ一応は成人している男性が女の子と同じ部屋に泊まるなんて常識的にどうかと思いますよー』と言い出し、まあ、それもそうかとバルの意見に納得したトキヤが空室状況をコンシェルジュに確認するとこの部屋の隣にあるシングルルームが空いていたため、その部屋を追加で借り、トキヤはその部屋に泊まることになった。
「……」
ただ、例え同じ部屋に泊まったとしてもトキヤが間違いを起こすことは絶対にないとバルは思っていた。
それでも部屋を別にして貰ったのは――――
……同じ部屋で気づかないふりをするのは無理がありますからね。
カチャン、と部屋の鍵が開く音が廊下に響き、続いて扉が開く音と誰かが部屋から出てきた足音を
扉が開いたのは隣の部屋、トキヤがいるシングルルームである。その部屋から出てくる人物は一人しか存在しない。
「……」
ショッピングモールを出てこのホテルに向かう途中に、ここからそう離れていないところに昔住んでいたという話をトキヤから聞いたバルは。
……絶対、近くにありますよね。……アヤメさんの……技術屋さんが愛したJDのお墓が。
この近くにトキヤが何よりも大事にしていた存在が眠る場所があると推測していた。
そして、今後のスケジュールを考えるとこのタイミング以外で一人でお墓参りをすることは難しいだろうと考えたバルはトキヤが動きやすいようにアイリスと共にトキヤとは別の部屋に泊まることにしたのだ。
「……」
トキヤが足音を忍ばせ部屋の前をゆっくり通る音を聞きながらバルは考える。これは護衛対象の夜間外出であり、トキヤの護衛として後をついていく以外に選択肢はないと。
けれども。
……あまりにも無粋ですよね、それ。
大切な存在のことを思うときにコソコソと後ろからついてこられたら決して良い気分はしないだろう。少なくとも自分がされたら絶交レベルの行いだ。と思ったバルは、当初の予定通りトキヤのこの行動に気づくことができなかった、ということにすることにした。
「……」
そして、遠ざかっていくトキヤの足音を聞きながらバルは大事な存在が眠る場所へと行けるトキヤを羨ましく思ったが……。
……これ、的外れな羨望ですね。技術屋さんはバルとは違うんですから行けて当然です。
マスターの眠る場所へ行く資格のないJDとは話が違う。と、トキヤを変に羨んでしまったことをバルは心の中で謝罪した。
そして、そんなことを考えているうちにトキヤの足音が聞こえなくなり、その事に気づいたバルはアイリスの側を離れ。
「……」
再び、暗闇の世界に降る雨を眺め始めた。
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