第73話

 

 ――――空が砂漠に落ちてきた。

 

 トキヤのデバイスにが映し出された時、それは丁度、砂漠に着地するところだった。

 かなりの高さから着地したというのに、それの足元で砂が舞うことはなく、そして、一粒も砂を巻き上げることなく再び跳躍するそれは、景色青空の一部が地に落ちてきて砂漠の上を跳び回っているようにも見える、そんな現実離れした存在だった。

「――――馬鹿な」

 だが、その存在が幾ら現実離れしていようが、それは、間違いなく現実に存在しており。

「ブルー、レース……!」

 今のトキヤが考え得る脅威の中で、――――最悪と言っても良い存在だった。

 後部車載カメラと接続したデバイスに映し出されたのは、淡い青色の髪を風に靡かせ、砂漠を駆ける一体のJDだった。

 そのJDは目を瞑り、ホログラムのフェイスベールで顔を覆っていたが、会談の場で、その姿を目にしたばかりのトキヤはそのJDがブルーレースであることを一目見た瞬間に理解した。

「……!」

 だが、そのJDがブルーレースであることはわかっても、ブルーレースが自分達を追ってきた理由がわからなかったトキヤは、何故だ、と心の中で叫んだ。

 この会談の帰り道で敵襲があるかもしれないと、トキヤは思っていた。しかし、それは反政府のトップ、カムラユイセを快く思っていない他の反政府メンバーが独断で襲ってくる可能性があるというぐらいのもので、お互いに納得した上で会談を終えたユイセが、ブルーレースを追っ手として放つとは夢にも思っていなかったのだ。

 ……あの場で戦闘を行わなかったのは、隣国が反政府のスポンサーだったか、ジャスパーが俺たちを守っていたからというだけで、本当はお前を拒絶した俺をすぐにでも殺したかったのか……?

 最後には敵同士というよりも、学校の友人のように話して別れたユイセが自分に殺意を持っているとはどうしても思えなかったトキヤだったが、最悪の脅威が迫り来る現実を無視できるわけもなく、トキヤはすぐに思考を切り替え、この局面をどう乗り切るかを考え始め。

「……」

 トキヤは半ば無意識のうちにポケットに手を入れ、あるモノを触った。

 それはジャスパーが帰り際にトキヤに怪我を負わせてしまった侘びとしてくれたモノで、これを使えばどうにかなるか……? と、トキヤは一瞬考えたが。

 ……いや、駄目だ。これは今、使っても意味が無い。

 これを使うには、もう少し時間が必要だ。と、ジャスパーから貰ったモノはまだ使えないと判断したトキヤはポケットから手を出し、デバイスに映るブルーレースを見ながら別の手を考え始めたのだが……。

 ……いや、待て、待ってくれ。

 この時に初めて砂上を走るブルーレースの姿を注意深く観察したトキヤは、ブルーレースの凄まじい動きに圧倒されてしまった。

 ……銃弾のような速度で宙を数百メートル移動しては着地して、砂を蹴ってまた同じように宙を移動する。……足に何の補助も付けず、あの速度で、あの動きが可能な人工筋肉搭載型ヒユーマンフェイカーのボディなんて聞いたこともないぞ。それに着地や跳躍の際に、砂が一切巻き上がらないのはどういう理屈だ? 衝撃が全くないということなのか、それとも着地点に何かを散布し、跳躍しやすいように砂を固めている……? 

 優秀なJD技師であるが故に、そのブルーレースの動きが既存のJDとは全くの別物、異次元の動きであることを理解してしまったトキヤは混乱し、そのブルーレースの動きの仕組みを究明するために思考を奔らせてしまっていたが。

「――――トキヤくん。ブルーレースが追ってきてるの? もし、追いつかれそうなら、わたしが迎撃に出てもいいけど……」

「――――」 

 アイリスに声を掛けられたトキヤはすぐに冷静さを取り戻し、再びこの局面を打開する方法を考え始めた。

「……アイリス、迎撃は論外だ。鋼の獅子も無い今の状況で撃退できるような相手じゃない。……逃げ切るしかない」

 ……そう、会談の会場からここまでの距離を考えると、ブルーレースは最低でも数十分はあの速さで移動している。あの身体にどんな技術が使われていようとも、絶対にいつか限界が来て速度は落ちるはずだ。……だが。

「……」

 その限界がすぐに訪れるようにはとても思えない。と、逃げの一手と言いながら、自分達が逃げ切れるイメージが全く湧かなかったトキヤは、砂上を舞うブルーレースを睨みつけながら、別の方法を考え始めたが。

「トキヤ様、アイリス。もう少し速度を上げます」

 というシオンの声がトキヤの耳に届き、トキヤは思考の回転を一旦停止させた。

「……駄目だ。この車の最高速度よりもブルーレースの方が早い」

 そして、シオンが自分の言葉を聞いて車の速度を上げたと思ったトキヤは、その行動はあまり意味がないと呟いたが。

「大丈夫です。もう着きますから」

 その呟きに反応したシオンの発言は、トキヤには理解できないものだった。

「……?」

 基地はまだ遠く、見渡す限り砂漠しかないこの場所から、いったいどこに着くんだ。と、トキヤがシオンに尋ねようとした、その時。

「――――!」 

 トキヤのデバイスに登録されていないJDからの通信が入った。

 ……まさか、ブルーレースか。

 そして、自分とコンタクトを取ろうとしているJDを想像しながら、トキヤはその通信を開き。

 

『やー、何だかとんでもなく大変で、それでいて、とても面白いことになっているようだね、トキヤ氏?』

 

 その声を聞いた。

 トキヤに取って、その声はまだ耳に馴染むというほどには聞いていない声だったが、確かに聞いたことがある声で。

「……! ライズか!」

 トキヤはウルフカットの髪を掻き上げる仕草が印象的な、くすんだ赤色の瞳を持つJDの名を叫んだ。

 トキヤ達が敵基地を占拠してから、援軍として送られてきた唯一の戦闘用JD、ライズ。

 そんな彼女が急に連絡してきた理由がわからずにトキヤが悩んでいると、切羽詰まったトキヤとは正反対の調子で、ライズが言葉を続けた。

『ペルフェクシオンに中継して貰って、会談を皆で聞かせて貰ってたけど、まさか、フィクスベゼル最強のJDを超える、と語るJDが現れるとはねー』

「……シオンが中継? 中の様子がわかるようにシオンには俺のデバイスから音を拾って貰っていたが、それは初耳だぞ……って、何にしてもライズ、今はそんなことを話している場合じゃないんだ。俺たちは今、その最強のJDに追われていて――――」

『うん、知ってる知ってる。だから、連絡したんだよ。で待ってる間、暇すぎて調べた極東生まれのトキヤ氏が好きそうな言葉を披露しようと思ってね』

「……は?」

 と、まるで平時にする雑談のような調子で話し続けるライズに付き合う余裕のなかったトキヤは、ライズとの通信を切ろうとしたが。

「……ねえ、トキヤくん。あそこ、前に見えるのって、もしかして……」

 その前にアイリスから話し掛けられたトキヤは、視線を前方の砂漠へと向け。

 

『――――トキヤ氏。ここは我が身に任せて、先に行け。――――なんてね』


 トキヤは、少しだけ照れくさそうに笑いながら手を振るライズの姿を目にした。

「――――!」

 シオンが車の速度を緩めなかったため、その姿が見えたのは本当に一瞬だけだったが、あれは間違いなくライズだったとトキヤは車のリアカメラでライズの後ろ姿を見ながら、デバイスに向かって大声で叫んだ。

「ライズ! どうしてお前がここに……!?」 

『いや、敵の襲撃から君たちを守る以外の理由はないでしょ。まあ、この作戦は我が身が提案したわけじゃないけどね』

 何にしても、ここは任せて貰うよ。と、すぐに現れるであろうブルーレースを迎え撃とうとしているライズの後ろ姿を見ながら、トキヤは思考を廻した。

 ……ライズは、あの基地にいる戦闘用JDの中で唯一統合知能ライリスに人格データを納れているJDだ。だから、例え身体が破壊されたとしても人格データは……。

 そして、この場を任せるのにライズ以上の適任者はいないと判断したトキヤは。

「ライズ。……お前に、任せて良いか」

 最悪の脅威ブルーレースと戦ってくれとライズに頼んだ。 

『ああ、君は十分に有能で、政府にとって価値のある人間だ。今の我が身の全力で守らせて貰うよ。それに最強を語るJDが相手なら、――――身体の慣らしに、丁度良さそうだ』

 そして、トキヤとの会話を終え、ライズが通信を切ると、ライズの周囲に砂煙が舞い、――――黒き棺が砂上に現れた。

 その黒き棺は特殊なカラーリングの輸送ボックスであり、砂上に現れた輸送ボックスの数は丁度百個だった。

 そして、その中に何が入っているのかを知っているトキヤは。

 ……身体を全部持ってきていたのか。これなら……。

 何とかなるかもしれない。と、一瞬で黒色に埋め尽くされた砂漠を見ながら、ライズがブルーレースに勝てる可能性もあると考えたトキヤは、心の中で、頼んだぞ、ライズ。と、呟いてから。

「……それでシオン。俺はライズが待機しているってことを全く知らなかったんだが……」

 これはどういうことなんだ? と、全ての事情を知っているであろうシオンに声を掛けた。

「会談に向かう前、トキヤ様のご意志が変わらない、変えられないとわかった後、私はその事をレタ様にご相談し、新たな戦力であるライズに今の身体の慣らしも兼ねて、出撃するようにという指示を出して貰いました」

 国境を越えた後の敵襲を想定し、ここで待機して貰っていて正解でした。と、知らされていなかった作戦内容を語るシオンの横顔を見てトキヤは、本当にお前は頼りになるな、と思いながら安堵の息を吐いた。

「正直、一言欲しかった気もするが……、何にしても助かった。ありがとな、シオン」

「……いえ、この作戦は私一人で考えた訳ではないので、感謝の言葉は彼女にあげてください。特にライズや自分達が待機していることをトキヤ様やアイリスには内緒にし、サプライズで登場をするという最大のアイデアは彼女のものですから」

「サプライズ登場って……」

 それが一番いらないやつだったんだが……、と、その馬鹿げたアイデアは一体誰が考えたのかをトキヤはシオンに聞こうとしたが。

 ……いや、聞くまでもないな。

 と、考え直したトキヤは、声を出すことなく含み笑いを浮かべ。


『――――さてさて、どうでしたか、技術屋さん。バル発案のサプライズ、驚いてくれましたかー? あ、でも、ドキドキし過ぎたからといって、――――バルに惚れちゃうのはダメですからね?』


 どんな状況でも自分のもとへと集ってくれる、頼りになる仲間達の姿をその目に映した。

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