鏡の中の自分

第61話

 何処までも広がる青空の下、広大な砂漠の真ん中を一台の車が砂煙を上げながら走っていた。

「……」

 その車の助手席に座る青年、トキヤは外の景色に目を向けることもなく視線を落とし、デバイスに映し出されている、彫りが深く、鼻が高い、髭を生やした男達の顔写真を眺めていた。

 そして、トキヤがこの顔は誰々、と中東でよく聞く名前を呟いてからデバイスを操作して隠していた名前を表示し、顔と名前を紐付けるという、まるで学生のテスト勉強のようなことをしていると。

「――――やはり、危険すぎます」

 ハンドルを握る銀髪のJD、シオンが既に何度も繰り返している言葉を声にした。

「トキヤ様。今からでも遅くはありません、すぐに基地へと戻りましょう。上の方々への言い訳でしたら、私が全力で考えます。最悪、その行動が軍規違反と判断され、懲罰部隊が送り込まれても、私が絶対にトキヤ様を――――」

「だから、大丈夫だ、シオン」

 そして、大丈夫という言葉だけでは納得しない心配性のJDを安心させるためにトキヤはデバイスの画面を消し、シオンとの会話に集中することにした。

「俺は別に戦闘をしに行くわけじゃないんだ。使者として反政府のお偉いさんに会って、向こうの話を聞いて、その後にそれとなくこっちの要求を伝えるだけだぞ? それの、どこに不安になる要素があるっていうんだ?」

 そして、トキヤがシオンを安心させるためにわざと軽い口調で言葉を紡ぐと、シオンは。

「――――不安になる要素しかありません」

 怒りの籠もった瞳をトキヤに向け、怖いぐらいに落ち着いた声を発した。

「お、おう……」

 そのシオンの静かな剣幕を見せられたトキヤは、シオンの言葉に思わず頷き、シオンの視線から逃げるように外の景色を眺めた。

「……まさか、このような話をお受けになるとは、想定外でした……」

「……」

 そして、トキヤはシオンの疲弊しきった呟きを聞き、自分がとても頭の悪い選択をしたのではないかと不安になったが。

 ……いや、バルには呆れられ、シオンにはこの通り負担を掛けてしまっているが、俺が反政府のトップと会うことで、色んな問題が一気に解決できるかもしれないんだ。

 やらないわけにはいかないさ。と、トキヤは自分の選択は間違ってはいないと自己肯定することで何とか心の平静を保った。

 トキヤは司令室で敵JD、ジャスパーのアニメーション映像を見た後、グリージョから詳しい説明を聞き、使者として反政府のトップと会うことを決めた。

 嫌々ではなく、これは、これ以上に無いチャンスだと考えて。

 現在、首都で新たなJD達を育成中の軍の上層部達は、新しいJD達が戦力として使えるようになるまでの時間稼ぎをしたがっていた。だからこそ彼らは、末端の技師に敵軍のトップが会いたがっているというこんな与太話にしか思えない話すらも利用しようとしているのだ。――――故に、トキヤはそこに付け込むことにした。

 トキヤは自分が使者として反政府のトップと会い、上の要求を上手く伝え、停戦や休戦といった時間稼ぎになるような成果を挙げたら、身体に人格データを入れているJD達を統合知能ライリスに納れることと、鋼の獅子の改造を首都の工廠でやらせてもらいたいという要求を出した。

 その要求を聞いたグリージョは、確約こそしなかったものの、トキヤが会談を成功させたら、その要望を叶えることに全力を尽くすと約束したため、トキヤはその言葉を信じ、こうして反政府のトップとの会談に向かっているのだ。

 ……これから反政府のトップと会うっていう仕事があるから、棚からぼた餅、とまでは言えないが、ちょっとした苦労で最大級のメリットが、仲間達の安全が手に入るんだ。

 だから、やらない理由が無いんだがなー……。と、トキヤは自分の事を心配しすぎてピリピリしているシオンの様子を横目で窺いながら、会談で自然な愛想笑いができるように笑顔の練習でもしておくべきか? というようなことを考えていると。

「……トキヤ様。一つ、お聞きしたいことがあります」

 シオンが淡々とした口調で質問があると言ってきたため、トキヤが少しびくつきながらも首を縦に振って了承すると、シオンは再び口を開き。

「……トキヤ様は、敵を、あのネイティブの言葉を信用しているのですか……?」

 ジャスパーを信じているのかと、シオンは僅かに寂しさのような感情を滲ませた声でトキヤに尋ねた。 

 招待状と共に送られてきたジャスパーの映像については、関係者以外には言わないようにとグリージョに軽く口止めされてはいたが、トキヤはシオンも十分に関係者だと判断し、シオンに映像の内容を教えていた。

 そして、トキヤにこの無謀な行動を決心させた理由の一つがそのジャスパーの言葉なのではないかと考えたシオンは先程の質問をし、その問いに対し、トキヤは。

「映像を見ただけで直接会話をしたわけじゃないからな。今のところは信用していない。ただ、保険としては十分に機能すると判断した」

 特に悩むこともなく、一切信用していないと断言した。

「……そうですか。しかし、トキヤ様、保険とは、どういうことでしょうか……?」

「あの映像でジャスパーが語った条件を呑めば、更なる安全が約束される。ってのが、本当ならそれでいい。だが、ジャスパーが誰かに命令されて、あの条件を出してきたのなら、この会談は、まあ、罠ってことになるだろう」

 そして、トキヤが罠の可能性もあると考えた上で話を受けた事を知り、シオンが驚愕のあまりハンドルを握ったまま失神しそうになっている間にも、トキヤは言葉を続け。

「しかし、罠だとしても、――――考えられる中でのだ」

 だから、敢えて乗った。それだけだけのことだ。と、トキヤは罠であっても、それは踏む価値のある罠だと言い切った。

「最良の罠、ですか……?」

「ああ。会談の場所は、隣国の高級住宅街。そんな場所で騒ぎを起こせば、隣国に宣戦布告をするようなものだ。それにもし、反政府軍の資金提供者の中に隣国が入っていたとしても……、いや、逆に隣国がスポンサーであれば余計に自国の高額納税者達が住まう街でドンパチすることは望まないはずだ。だから、今回の会談ではよっぽどのことがなければ戦闘にはならないだろう」

 そして。と、トキヤは一度、言葉を句切り、後部座席に視線を向けてから再び声を出した。 

「理由はわからないが、向こうは俺だけでなく、にも興味があるってことがジャスパーの映像で判明した。ここで下手に連れて行くことを拒絶し、向こうが強硬手段に出る可能性を考えたら、比較的安全だと思われるこの会談に連れて行って、早めに敵の意図を知っておくべきと思ったんだが……」

 別に、おかしくないよな……? と、機嫌の悪い妻に怯える夫のような声のトーンでトキヤはシオンに声を掛けたが。

「――――」

 シオンはそのトキヤの言葉に反応しなかった。

 だが、それは無視をしたのではなく、トキヤ達の事を心配するがあまり、会談そのものについて殆ど考えていなかった己の愚かさに衝撃を受け、シオンは言葉を紡げなくなっていたのだ。

 そして、シオンが無言であることにトキヤが違和感を抱きかけた、その時。

「ねえねえ、トキヤくん。シオンちゃんとずっと話してるけど、勉強終わったの?」

 と、後部座席から声が掛かり、トキヤは意識をそちらに向け。

「ん、ああ、もう大丈夫だ。必要なことは大体覚えた筈だ。静かにして貰ってて悪かったなアイリス」

 トキヤは急遽会談に連れて行くことになった人間の少女、アイリスとの会話を始めた。

「ううん、全然、平気だったよ。外の景色見てるのも楽しかったし。けど、もう話して良いなら、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「ああ、なんだ」

「これから行く隣の国って、この国とはどう違うのかな? 地図上ではもうそろそろ隣の国なんだよね? でも、景色が全然変わらないから、違いがよくわからなくて……」

「あー、なるほどな。その気持ち、よくわかるぞ。島国生まれの俺も最初は地続きの隣国ってのがピンとこなくてな。県をまたぐ程度にしか変化はないだろって思ってた。けどな、文化も人もJDも全部別物なんだ。その中でも俺が一番驚いたのは流通関係だな。他の国じゃまず見掛けないかなり珍しいものが市場に出回っていて、これが仕事じゃなければ――――」

「……」

 そして、トキヤとアイリスが隣国の見所を話し合う、その尊い光景に癒やされたシオンは、自身の愚かさと向き合い、猛省してから。

「――――」

 これがただの観光旅行であればよかったのに。と、人間には聞こえない声量で言葉を零し、目的地である隣国の高級住宅街に向けて、アクセルを踏んだ。

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