強襲

第17話

 大人なら、いや、例え、二十年も生きていない子供だったとしても、この苦痛に溢れた世界で生きる人間ならば、一度はこんなことを考えてしまうだろう。

 あの時に、戻れたら。と。

 自分の発言が、自分の行動が、自分の選択が。

 他者の発言が、他者の行動が、他者の選択が。

 それらを始めとし、幾つもの要素、要因が合わさり、己の人生を大きく動かす分岐点になるような瞬間が、人間には必ず訪れる。

 その結果が、己の望む未来を導くものならば、何の問題もない。

 だが、半数近くの人間、下手をすれば殆どの人間には、その運命の瞬間は悪い方向へと傾くものだ。

 そして、それは当然の話である。この世界の人間全てが幸福を手にしてしまったら、世界そのものが崩壊してしまうのだから。

 これは、凡百の競技の仕組みと何も変わらない。競技は数多の敗者がいてこそ、唯一無二の勝者が輝く。それと同じようにこの世界は多くの不幸があってこそ、一握りの幸福が存在できるのだ。

 そして、この当たり前の話で厄介なのが、その運命の選択を誤り、不幸に堕ちていった人間の人生が、そこで終わらないということである。

 ポジティブに考えれば、それは敗者復活戦への挑戦権であり、事実、負けた後に勝利を掴み、不幸を乗り越え幸福を掴む者も少なくないだろう。

 だが、二度目以降のチャンスで幸福を掴み取った者達にでさえ、必ず、この思いがつきまとってしまうのだ。

 もし、一度目のチャンスで成功していたのなら、自分の人生は更に良いものになっていたのではないか。と。

 それは絶対に手に入らない可能性。そして、絶対に手に入らないからこそ人は、求めてしまうのだ。

 あの時に、戻れたら。と。

「……」

 そして、羽野時矢という青年にとっての、戻りたいあの時は。

『      』

 その音が鳴り響いた、ある日の夜なのだ。

 ギュインギュインと鼓膜を劈くような電子音が夜の静寂を容赦なく切り裂く。

 その電子音はあまりにも五月蠅く、人の眠りを妨げるものであったが、それこそがその電子音の役目である。

 それは人間に自然災害の予兆を教える警報音であり。

 そして――――

「――――っ……!」

 トキヤが死ぬその時まで後悔し続ける出来事の幕開けとなった音なのだ。

「――――アヤメっ……!!」

 その電子音を聞いた次の瞬間には、トキヤはベッドから飛び起き、真っ暗な部屋の中で自分にとって何よりも大切な存在の名を叫んだ。

「……!」

 そして、トキヤは寝起きのうまく働かない頭でこれが現実かどうかを考え、即座に現実であるとと決断した。

 眠る前にいた国では絶対に聞くことがない筈の祖国の緊急地震速報の電子音が今も鳴り響いているのだ。これは普通では有り得ない。

 だが、有り得ないから夢だと判断し、行動が遅れ、せっかくの奇跡を台無しにしてしまったら、それはあまりにも無様すぎる。

 だから、トキヤは今を現実と決めつけ、このチャンスを逃してなるものかと目を血走らせた。

 ……時間遡行であろうが並行世界であろうが、理屈も理由もどうでもいい。あの日に戻り、あいつの手を引いて、家が崩れる前に外に出るという行動を俺に取らしてくれるのなら……!

 俺はどんな現実でも喜んで受け入れる……! と、トキヤは思考を整理しながら真っ暗な部屋から出るために駆け出し――――

「――――な」

 自分の動きを感知して、部屋の明かりが点いたことにトキヤは驚き、足を止めた。

「……」

 人感センサーは、トキヤの生まれ育った家の照明には付いていない機能だった。

「――――」

 そして、明かりが点いたことで、トキヤは今、自分がいる場所を正確に把握した。

 そこは、自分の生まれ育った家ではなく、祖国ですらない、寝る前と全く同じ場所。基地の中にある、自分に割り当てられた部屋だった。

「……これは、どういうことだ」

 自分のいる場所を理解したことで、大体の状況を把握したトキヤだったが、未だに理解できていないことがあった。それは、中東に存在するこの国で極東にある祖国の緊急地震速報の電子音が鳴り響いているという現象である。

「……」

 そして、その音の発生源が枕元に置いておいたデバイスであることにトキヤは気付き、今も件の電子音をけたたましく響かせているデバイスを手に取り。

「……あの音源を勝手に使っていた。という話か……」

 その事実を知った。

「……!」

 トキヤは、ふざけるな……! と、デバイスを床に叩きつけたくなる衝動に駆られたが。

「……なんだ、これは?」

 そこに表示されていた初めて見る警告表示がトキヤを冷静にさせた。

 その警告とは。

「敵の大部隊が接近中、だと……?」

 トキヤのいるこの基地に、危機が迫っていることを告げるものだった。

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