第15話

「……疲れた」

 大浴場を出て、更衣室を通り抜けたトキヤは自分の仕事場に戻ろうとしたものの、精神的疲労から廊下で座り込んでしまった。

「……」

 そして、天井の一点を見つめて、自身のメンタルの回復をトキヤが待っていると。

「――――トキヤ様は、フルーツ牛乳が一番お好きでしたよね」

 月の光を彷彿とさせる銀色の髪を揺らしながらシオンが姿を現し、その手にはキンキンに冷えた牛乳瓶を持っていた。

「……ああ、あの国にいたときは飲んだこともなかったんだが、この国に来てから嵌まって、一時期は毎日のように飲んでいたぐらいだ。……ありがとう」

 そして、シオンから牛乳瓶を受け取ったトキヤは慣れた手つきで牛乳瓶の蓋を開け、フルーツ牛乳を一口飲み、うまい。と、小さな声で呟いた。

「……アイリス達の様子はどうだ」

「私もトキヤ様と同じく問題ないと判断しましたので、サン、バル、カロンの三名にアイリス様を任せました」

「……そうか」

 シオンが自分と同じ判断をしたという事実を知り、安心したトキヤは大きく息を吐いた。

「シオン。この件に関しては速急に解決策を考えるが、それまでにアイリスが女性職員以外の人間にメンテナンスを頼もうとしたら、何が何でも絶対に阻止してくれ」

「はい、必ずや」

 助かる。と、トキヤは礼を言い、シオンが自分の側にいてくれることを頼もしく思いながら、穏やかな気持ちでフルーツ牛乳を飲んでいると。

「――――あらら、またこの技術屋さんはシオンに負担ばっかりかけてますね。そんなに大切なら、いっそのこと獅子の中にずっとしまっておけばいいんじゃないでしょうか」

 と、トキヤをからかうような声が更衣室の方から聞こえ、トキヤがそちらに視線を向けると、そこには短いツインテールが特徴的なJD、バルが一人で佇んでいた。

「バルか。アイリスはどうした?」

「サンと仲良く遊んでますよ。一応、カロンに監視を頼んでますから、ご安心を。技術屋さんのお気に入りはサンと性格が似てるというか、波長が合ってますから、技術屋さんが絡まなければ、あの二人はかなり仲良くなれると思うんですよね」

「……俺が絡まなければ? それはどういう……いや、そのことよりもバルには聞きたいことがあった。バル、お前はJDとしての機能向上を求めるアイリスに何を教えた?」

「基礎体力の作り方を内蔵機能の能力向上という言い方で教えておきました。……これなら問題無いですよね?」

「……ああ、全く以て問題無い。……ありがとう、バル」

 そして、トキヤが自分を窮地から救ってくれたバルに感謝の言葉を述べると、バルはこそばゆげに頬を掻いてから、少しだけ目を細めた。

「技術屋さん、バルからも一つ質問いいですか? ……技術屋さんは、どうしてバルにお気に入りを任せる気になったんですか? いつものようにバルがふざけたり、イタズラをするとは思わなかったんですか」

 そして、自身が抱いた疑問をバルがトキヤにぶつけると、トキヤはきょとんとしてから。

「ん? いや、あの時、一瞬目を合わせただろ」

 その答えを口にした。

「え? あ、はい。確かに目は合いましたけど……?」

「あの時のお前の目が本気だったから、信じただけだ」

「……はい? ……技術屋さんは、生ものでも何でもないこの人工物の瞳を見て、バルが本気だってわかったんですか?」

「ああ、むしろ俺みたいなはぐれ者には、人間の目なんかよりもよっぽど感情を読み取れる。実際、あの時お前は、アイリスのことは任せて欲しいって思ってただろ?」

「え、ええ。まあ、それはそうですけど……」

「……同じライリスに入っている私でも、バルの複雑な思考パターンを推測するのは困難だというのに、人工眼球を見ただけで完全に理解するとは……、流石です、トキヤ様」

「――――って、シオン。なんですか、その肌が粟立つようなテンプレ讃辞は。技術屋さんをあまり褒めないようにって、散々……」

 バルとトキヤが会話をしている最中にシオンがトキヤの洞察力に感動し、思わず讃辞の言葉を呟くと、トキヤが褒められることを妙に嫌うバルがすぐに食って掛かり、トキヤそっちのけで口論を始め、怒るバルと困惑するシオンの会話をトキヤはフルーツ牛乳を飲みながら眺め。

「……」

 楽しそうに、嬉しそうに、トキヤは口元を少しだけ緩めた。

「……って、バルがシオンを説教しているこの状況を小馬鹿にするように笑っている性格の悪い技術屋さんがいるようですけど、バル、ケンカを売られてるんでしょうかね?」

「……ん? 俺、今、笑っていたか? いや、悪い。別にお前達を馬鹿にしたわけじゃない。ただ、お前達、いや、この基地のJD達は、軍所属だってのに皆、感情豊かでいいなと思っていたんだ」

「……? トキヤ様、他の国の軍属のライリス対応JDは私達とは違うのでしょうか?」

「ああ、軍とは少し違うが、俺が昔いた国の自衛隊という組織でもJDを採用していたんだが、自衛隊のJDが、人間相手なら兎も角、同一のライリスに入っているJD同士で会話をしている姿なんて見たことがなかったからな。だって、JDならライリス内での方が、正確に情報や意志が伝わるだろ?」

「それは、まあ……」

「……ええ」

 そうトキヤに言われ、バルとシオンは目を合わせてから、小さく頷いた。

 この時代に存在するJDの殆どは、人間でいうところの脳のような働きをする何よりも大事なシステムがその身体の内部では稼働していない。

 それなのにどうして、JD達は人間以上の思考能力を持って行動することができているかというと、あるクラウドサービスをベースに造られた、統合知能ライリスという機械がこの世に存在しているからである。

 ライリスは、JDの頭脳の集合体であり、一つのライリスの中にJDの人格を構成する莫大なデータを数万体分は納れることができる超テクノロジーである。そのライリス内に入っているJDの人格データが、傍受、探査、阻害を絶対にされないHemisphere-High-Host JD Connection、通称H3通信と呼ばれる特殊な方法を使い、タイムラグなしに登録認証されたボディ、自分の身体を動かしている。

 ライリス対応のメリットは多くあるが、その中でも目立つものを幾つかあげると、ライリス内に人格データを置き、身体を遠隔操作するので、JDの体が壊れてしまった場合でもデータは無傷であるため、他の身体を同じJDの人格データで動かすことが可能であることや、同じライリスに入っているJD同士の知識、経験、思考パターンなどを共有することができるため、同じライリスに入っているJDの人格データが多ければ多いほど、そのライリス内のJD達の性能が上がっていくといったところだろう。ただ、個々の人格データには個性があり、得意不得意が違うため、情報処理が苦手な人格データは、知りたいと思ったり、疑問に思わないと情報が入らないように設定をしていたりするため、全ての人格データが同じように学習をするというわけではない。

 何にしても、先にトキヤが言ったようにライリスに対応しており、更に同じライリスに人格データが入っているシオンとバルは人間のように言葉を交わすよりも、ライリス内でデータのやり取りをした方が迅速かつ正確に情報交換ができるのだが、それをトキヤに言われるまで考えもしなかったシオンが静かに頭を下げた。

「申し訳ありません、トキヤ様。トキヤ様の仰るとおり、同じライリスに入っているJD同士なら言葉を交わすよりもデータ交換の方が効率よく情報を整理できます。今後は……」

「今後も今まで通り、そうやって話続けてくれ、シオン」

 そして、これからはやり方を改善すると言おうとしたシオンの言葉を遮り、トキヤがこれからも今までと変わらないJD同士の会話を続けて欲しいと言い、シオンは首を傾げた。

「……改善、しなくてよろしいのですか?」

「ああ。だって、それは改善じゃなく改悪だからな。お前達の会話を聞くことで、お前達への理解が深まる、……ことも大事なことだが、俺としては、お前達がただの工業製品のように黙って並んでるよりも、そうやってぺちゃくちゃと喋っている姿を見ていた方が気分が良いんだ。……うん、ただの我が儘だなこれ」

 もちろん、喋れない状況ならライリス内で情報交換をしてくれればいいが。と、トキヤが照れ隠しのように言葉を紡ぐ姿を見ながらシオンは。

「トキヤ様の、人の、我が儘……」

とても小さな声で呟き。

「その我が儘、それに少しでも応えられるのなら、私は……」

 シオンは胸に手を当て、愛しき人を思う少女のように静かに目を瞑った。

「……」

 そして、そんなシオンの姿をバルは横目で見ながら、やれやれ、と肩を竦めた。


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