第224話 御難の足音

1595年 1月 アカプルコ 真田信繁


 「あっ、そーれぇっ、そーれ!それっ!」

 「よっ!っとと!はっとっとっ!」


 メヒコの太平洋側の玄関口、アカプルコ。

 このアカプルコ湾は南に向けて入り口が広がり、湾口の東西には山がせり上がり、東の山頂には教会が、西の山頂には港湾機能を司る建物群が広がっている。


 「あっ、そーれぇっ、そーれ!それっ!」

 「よっ!っとと!はっとっとっ!」


 明日からは出港の最終準備に取り掛かり、明後日にはアカプルコからハワイへと向かう予定だ。


 そこで、今日は長期滞在最後の夜ということで、いつもの通り、我ら伊藤家水軍は船員総出で地引網を楽しみ、引き上げた海産物を盛大に浜焼きで使い、地元の商店からも酒やら飯やらを大いに買い求め、皆の士気を高めている。


 「シニョール・サナダ。こうして、我らの沿岸を共に警備して頂けること、誠に感謝いたしますぞ!」

 「おお、これは総督殿!なに、そのように他人行儀になされるな。アメリカは我が主君、景清様の奥方のご実家とも言える場所。我らとしても、交易相手の治安には十分な配慮を示すのは当然ですからな。どうか、お気になさらずに」


 名前は忘れてしまったが、この方は確かアカプルコの総督だったはずだ。

 ルベン殿とは違うしな……。


 「なんとも心強いお言葉、この×●▽▽×、シニョール・サナダを初めイトウ家の方々のご友情に深く感謝いたしますぞ!」


 ああ、名前は聞き取れなかったが、総督という部分は合っていたようだな。

 良かった、良かった。


 「と、ここで一つお願いなのですが……」

 「何でしょうか?」


 宴席で人目をはばかりつつ寄って来ての相談……。

 面倒事でなければ良いのだが……。


 「実はですな、アカプルコの庁舎の方は大丈夫なのですが、私個人の方のですな……銀貨を幾ばくか円銀貨に変えて頂けぬものかと思いまして、な?」


 ふむ……。

 年が明けたので一昨年までか、その頃はまだメヒコに銀座が出来ておらなんだが、去年にメヒコに銀座が出来て以来、最近ではこうしてちょくちょくと銀貨の交換を依頼されるな。


 「比率はメヒコの銀座で連邦政府より出されているのでは?総督殿からのお願いであるのならば、多少のお手伝いをさせて頂いても構いませんが、私としてはその比率を越えるようなことなどは一切出来ませぬぞ?」

 「いやいや、私としてもそのようなことは求めておりませぬ。ただですな、単純に少々交換をと思いましてな……」

 「そうですか、公定利率で良いのならば、少しぐらいのお手伝いは勿論できます。……作兵衛!済まぬが総督殿の配下と話をしておいてくれるか?」

 「ははっ!」


 信濃の時代より当家に従ってくれておる作兵衛に対応を任せる。


 任せるとはいえ、余裕がある銀貨の数などは予め計算してあるので、こちらとしては事前にある程度の用意は出来ている。


 ともあれ、メヒコで作られた銀貨は、円とは違い、銀の重量貨幣だからな。

 日本との交易では別であろうが、ヨーロッパとの交易ではメヒコ銀貨の方が使い勝手が良いとは思うんだがなぁ。


 「まま、詳しいことは配下の方にお任せして、総督殿もおひとついかがですかな?」

 「では、有難く頂戴しましょうぞ……っと、おお!?このサルサはなんとも?!」


 おお?!

 やはり、ここまでの各湊でも人気の醤油と地元のサルサを合わせる食べ方は大人気だったのだ、こちらの総督殿の舌にも合ったようで何より、何より。


 私自身も、このトマテサルサか、地元の飯屋で都合してくれたサルサに醤油を垂らしたものが、なんとも溜らん風味を出していて、箸が止まらんのだ。

 特にこのしいらの切り身に粉をまぶして鉄板焼きにしたもの、これに件のサルサを掛けて食うのが何とも言えず、美味い!


 「たまらなく美味いのは間違いがないのですが……ただ、私には少々……。おい!?アヒを貰っては来れんか?!」

 「ぬ?総督殿、アヒとは?」


 アヒ、アヒ?

 どこかで聞いたような気もする言葉だが、何であったかな?


 「はっはっは。シニョール・サナダはご存じありませんかな?……っとっと、そう、これですよ」


 そう言って総督殿が部下から手渡されたもの……。

 ふむ、小鉢に入ったトマテサルサにしか見えぬのだが?


 「これはアヒ・デ・ラ・カサとかアヒ・デル・クルドとか申しましてな。生の野菜とアヒで作ったサルサです。このアヒが実に深くてですな、各家庭で独自の調合などが有ったりしまして、それぞれに趣き深い風味が有ったりするのです」

 「ほぅ、それは興味深いですな」


 確かに、日本でも家々で胡椒やら塩やら薬草やらの合わせ物を作っていたりするものなぁ。

 父上も駿河に居りし頃には、何やら乾かした柑橘の皮や、各地の塩を集めたり、館山から高価な香辛料を買い求めたりしながら、独自の配合を研究されておった。


 ぺろっ。

 一口舐めてみる。


 「……!!!」


 おおぅ!これはなんとも刺激が強い!

 口が痛いというか、舌を刺されるというか……勿来の陳さんや、古河の孫さんの料理ともまた違う刺激だ!


 「如何ですかな?これがメヒコの本当のアヒですぞ」


 総督殿はにやにやしながら、そう私を覗き込んでくる。


 アヒ……所謂、唐辛子の一種なのであろうが……いや、実に病みつきになる味だ!

 特に父上などは溜らぬ味だというだろう!


 いや、待てよ?

 それこそ父上は叔父上と一緒に、前田様と共にこの九律波に乗り込んで海賊退治をしていた筈。

 ならば、帰国後の父上が駿河で香辛料の研究を続けていたのは、この味を求めてなのかも知れぬな……。


 「いやいや、総督殿。私はこの味が非常に気に入りましたよ。ついては、この味を日本に戻ってからも楽しみたいのですが、何かしら方法はありますかな?」

 「ふむ……このサルサはその名が示す通りに「生」ですからな……到底日持ちをするとは思えぬので、ジパングまでの長い航海で保つかどうかは……」


 そうか……ならば我慢するしかない……となるはずがあろうか?!


 腐ってもこの真田源次郎信繁!

 景貞様の配下の折には様々な工兵技術を学び、それを実践で使ってきた漢!

 このサルサを持ち帰るため、全身全霊を込めて取り掛かって見せる!


 「とりあえず、このサルサを作っている者を紹介してはくれませぬかな?何本か、こちらで用意してある瓶に詰めさせていただきたいのと、出来得るならばその製法を贖わせていただきたい」

 「はぁ……そこまでのものですか……では、後程私の方からこの店の者をシニョールの下へと遣わしますので……」

 「いやいや!学びを請うのはこちら側。その店をお知らせいただければ、私の方から伺わせていただきます!」

 「は、はぁ……」


 よし!

 これで父上に良い土産が出来るとともに、少々大きい顔をすることをも叶うであろうな。


 ふっふっふ。

 ご自分が駿河で再現できなかった代物を、私が持ち帰るのみならず、あっさりと再現までしまったのならば、……これは大いに驚くであろうな。

 これは今から父上と会うのが楽しみで溜らんぞ!


天正二十三年 初春 金州衛 織田信長


 うぅむ。


 どれ程唸っても、唸り足りぬとはこの事よな。


 俺は金州衛の奥の丸、伊藤家の館内にある己の書斎に張り出された地図群、世界地図、日本地図、東アジア地図、そして最近追加されたアジア地図を眺めてひとしきり唸る。


 「一先ず、日本で戦乱の風は吹き終わった。これから先に大風を起こそうとも、そう簡単に起きるものではないであろう。それこそ、伊藤家の方々が同時期に軒並み亡くなられでもしない限りな……」

 「なっ……信長様とはいえ……その仰り様は……蒲生殿も居られますし……」

 「下らぬことを申すな、重門よ。我ら武家の者はいつ、いかなるときであっても最悪の事態を想定しておかなくてはならん。その想定内でのことで一々と文句を言うようなお方は伊藤家には誰一人おらんわ」

 「はっ、はっぁ!」


 重門も若いくせに、一々俺の言葉に過剰反応する。

 ただ、普通の武士というやつはそのような思考をするというものだろうか?


 「竹中殿、如何にも私は徳川家の禄を食むものだが、この程度の言を以て、織田様の忠義をどうこう言うような男ではない。ご心配なさるるな」

 「左様、この信長様のしゃべりようはいつものことだ。この程度を一々気にしていては、伊藤家の評定に上がった際などには卒倒してしまうぞ?」


 光秀はまだしも、氏郷の奴も言うではないか。

 忠義だどうだと、俺を揶揄う気満々ではないか!


 「二人とも重門を揶揄うのは構わんが、俺を揶揄うな!……それよりも話を戻そうぞ」

 「「はっ!!」」


 そう、話を戻さねばならぬ。


 大元の内部抗争も最終段階に来ているとのユージェニー殿の意見だった。

 大小、数え切れぬほどの国、部族に割れた大元も名実ともに終焉の刻が近付いているようだ。


 蒙古高原の民は、北元という国の形を取り、この数十年は固まっているようだが、結局のところ、その実情は個では先き行きが無くなったが故の衆であるとのことだ。

 基本的に蒙古高原では、作物を育て、それを食料に充てることは厳しい。

 多少は彼の地に適した作物もあるようではあるが、住民のすべてがその作物だけで生活して行くのは、中々に難しいようだ。

 このことは、正に歴史が証明しているな。


 彼らは、交易か略奪によって、それなりの食い扶持を集めなくては、衆を維持出来ない。


 昨年末に慶次郎が向かった第一の目的地、呼和浩特は、数十年前に蒙古によって造られた明との交易都市だ。

 彼らはこの呼和浩特を拠点として明と交易を行ない、生活に必要な物を集めていた。


 良いか、悪いか。


 明朝の懐柔政策により、この呼和浩特を使った交易は大いに栄えたようだ。

 明からの隊商も呼和浩特に集い、その勢いを以て、周辺地域の開発も大いに進んだようだ。

 もとより、黄河上流域とはいえ大きく蛇行した平原を持つこの地域は、作物の育ちも良く、大いに蒙古の民の腹を満たすだけの物が作られるようになっていたのだという。


 だが、この都市の機能も、先の寧夏の大乱以降、働かなくなってしまって久しい。


 第一は、この地域を治めていた男の死から始まり、他地域の部族による妬み辛みからの略奪と破壊。

 民の離散と農地の放棄……。


 うむ、この辺りの話は日本でもよくある話よな。

 枚挙にいとまがないわな。


 「詳しくは慶次郎が戻ってからにはなろうが、やはり大漠を北に越えるというのはいかにも無謀であろうな」

 「はい、その行程は無謀でしょうな。長い中華の歴史でも、そのような策の成功は衛青、霍去病にまで遡る必要がありましょう」

 「そう考えると、現実的なところでは、大漠の東端を北上して決戦を挑むという、過去においても最も数多く行われてきた策が現実的だとは考えますが……」


 そう、それが現実的ではあろうが……。


 「それでは面白くないな」

 「「で、ありましょうなぁ」」


 おう!

 三人とも声が揃っておるではないか!


 「信長様ならば、そうお考えでしょうな」

 「信長様なれば……」

 「こら、俺をそのように変人扱いするでないわ!」


 俺は、広い蒙古高原で、まったくの奇跡と偶然を当てにするような策を用いることを良しとせぬだけだ。


 敵地への侵入と言えば聞こえは良いが、結局のところ、そのような決戦は決戦ではない。


 そのような戦いは、そもそもが、彼等草原の民の意思による戦いでしかないではないか。

 場所も、規模も、中華の軍の規模を見た上で、草原の民が好きに設定ができるというもの。

 正に、後出し上等、入れ替え上等の碁盤の戦ではないか。


 確かに、そのような戦でまぐれの大勝を拾えば、後には草原の民の中での抗争が始まり、それまでの草原の主が倒されることもあろう。

 だが、それは言ってしまえば、草原の国の中で完結する代替わりみたいなものだ。


 大切なのは、奴らの首根っこを押さえるような戦をしなければ意味が無いということだ。


 「明朝が未来永劫に蒙古高原を支配できるはずもないとは思うが、せめて大元の統一から、中華への侵攻の歴史を繰り返すことが無いような手の組み方をするための戦にしなければ、この数年ごとの東北平原への蒙古軍の侵入は終わらん」

 「……一度大きく叩きのめした後に、人と物の流れをもって、容易くは切れぬ絆を結ぶということですな?」

 「そういうことよ」


 太郎丸とも意見を同じくしているところだが、やはり人が戦を興す理由は食料の有無よ。

 個人が怨恨によって興す戦もあるが、所詮そのような戦は小事。

 容易く消される火を見ては政を行なうことは出来ん。


 「確かに、蒙古高原が安定を見るならば西の草原からなにがしかが来ても、容易く撃退できるというものですかな」

 「で、あろう」


 蒙古軍襲来の危険性が無くなれば、東北平原の北部一帯でも春麦を中心とした作物が大量に作れる。

 さすれば、撒叉河衛の辺りでは現地での作物で運営がまわり、遼東郡司以南の地域では今以上に外に向けた品を作り出すことが可能となろうな。


 今年からは金州衛にて、砂糖と醤油は作り出すことが決まっておるが、今後はそれ以外の物にも力を入れて行くことが出来よう。

 それこそ、山師の一団を率いて領内の山々を探索させることもしなければな。


 女真の者共は、交易に川から採れる砂金を使っている。

 すなわち、東北地方の山々には金鉱があるということであろうし、太郎丸の言に従うのであれば、長白山脈はその昔は奥羽と同一であったのだという。

 ならば、その山中には豊富な鉱石が眠っておるのであろうからな。

 周囲の侵入の気配を抑えた後には、その辺りの開発を是非にとも行わねばなるまい。


 「ふむ、西の方はそのようなことだとし、東の方はどうなのだ?」


 そう、長白山脈を歩くには、隣国の朝鮮のことも見ておかねばなるまいな。


 「東……朝鮮でございますか。そちらの方は、百済が尼子家や京の公家衆の縁を使った技術をもって半島支配を行なっているようですな」

 「尼子家の技術と申すと?」


 尼子家は日本の大老家……ではあるが、どうにもその力は他の大老家と比べると如何とも弱い。

 伊藤家の様な技術も無ければ、大友家の様な交易の力も無い。

 長尾家の様な武の力も無ければ、長曾我部家の様な航海技術も無いし、竹千代のところの様な人の力も無かろう。


 「この数年で大友家に奪われはしましたが、尼子家は長年に渡って石見銀山を抑えておりました。その中で蓄積された鉱山に関する知識・技術にはなかなかのものが有ります」


 おお、そうであったな。

 確かに、そのような歴史があったからこそ、その昔に石見の人を阿武隈に送れぬものかと太郎丸から依頼されたこともあったな。


 「では、百済は尼子の技術を使って山の開発に勤しんでいるということか?」

 「はい、なんともここまでの朝鮮……李朝の下では、朝鮮半島の太白山脈の開発は、一つの禁忌とされておったようです。彼ら独自の思想もあることながら、一部の領主のみに権限を与えるための方策であったとも言われております」

 「一部の者が自分の力を守るため、禁忌をでっち上げて人の出入りを制限するか……。常套手段ではあるが、なんとも面倒なことを考えるものよな。……禁忌などというものは、時と共に独り歩きを始め、ついには暴走を始める代物だというに」


 日本でも、畿内で坊主共が血なまぐさい争いを繰り広げて来たものだ。

 王家や公家に連なる人物を頭に飾り、「やんごとなき」と常人には手出しをさせぬと禁忌を作り出しておきながら、その実は金と名誉を求めて互いに殺し合い三昧の生活よ。

 全くもって、馬鹿馬鹿しい。


 「朝鮮の動向がどうなるかはわかりませぬが、今のところ、それら鉱山の開発には旧李朝の東人派が使われ、なんとも過酷な現場となっているようですな」

 「勝手にしろ……と言いたいところではあるが、やりすぎによる暴動などを隣で起こしては欲しくないところだな」


 東北平原とは距離も離れ、長大な長白山脈で壅塞阻止ようそくそしされているとはいえ、隣国であることは間違いない。

 この数年で、少なからぬ民がこちらに流れてきていることもあるし、それなりには朝鮮も穏当であって欲しいものだ。

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