第223話 草原世界の城塞都市
1594年 冬 呼和浩特 前田利益
「ふむぅ、徒歩での移動は流石に堪えるな」
どれ程、身体を鍛えていようとも、長距離の移動というものは辛い。
脚もかなり膨れ上がっておるし、背の肉も疲れを訴えてきているな。
「これだけの距離を歩いて来て、感想がそれだけかよ??ジパングの人間ってのは揃ってこんなにクレイジーなのか?」
彼等との短くない期間の付き合いを経て、俺も多少はイギリスの言葉というものが感じられるようにはなったが……おう、今の言葉は何やら、俺を揶揄っているように思えるな。
ぱしっ!
「うっ、うわぁぁっ!」
どららっ、どららっ。
ちょっとばかしむしゃくしゃとしたので、下らぬ軽口を叩いたであろう男の馬の尻を杖で軽く叩いてやった。
はっはっは!
やはり馬を徒歩に合わせてでしか使っていないと、意外と元気が有り余っているのだな。
結構な速度で飛んで行きおったわ!
「前田殿……あまり私の部下をいじめないで頂きたい」
ユージェニー殿は、城壁に向かって一目散に走り出してしまった部下を見ながらため息を漏らし、そう言った。
「はっはっは!それは済まぬ事をしたな。なんとなく俺が馬鹿にされたような気がしたので、つい……な。許されよ」
「……はぁ」
はっはっは!
美人のため息というのは、それはそれで様になるというものよ。
「で、真面目な話を少々させていただきますと……前田殿、本当にこれより北へも向かう気ですか?季節は冬。未だ漠南とはいえ、中華は既に彼方ですよ?」
「これは異なことを仰る。俺の役目は、最も過酷な旅をして蒙古の……北元でしたか?そこの都に向かうことだ。旅の目的に変わりは有りませんぞ?」
そう、此度の度の目的は、行軍の様子を俺自身が身をもって感じ、練兵の礎とするためのもの。
ユージェニー殿にもその旨は通っていると思ったのだがなぁ。
「……わかりました。一応の確認をさせて頂いたということです。……ここまでの旅で、前田殿が非常に頑健な方だというのは理解できましたが……これから北、砂漠を越え、皆が言う「漠北」に向かうには季節が悪すぎます。この時期に砂漠を渡る者は、一部の命知らずな商隊か蒙古軍だけですよ?」
「なぁに、商隊が渡っておるのならば、俺が渡れぬこともあるまい。無論、準備と道案内の用意はユージェニー殿に教えて貰わねばならんがな?」
左様、先だって信長様より引き合わせて頂いたユージェニー殿。
その昔に俺がアメリカで散々に懲らしめてやった海賊の元締めの国、イギリスの名家の娘だというこの女性の手助けを以て、俺はひと月足らずで金州衛から、このような草原の城にまでたどり着けることが出来た。
俺は別段うぬぼれ屋というものではないからな。
今回の旅が、ユージェニー殿のお力を借りねば成し遂げられるものではなかったことは、重々承知している。
「……わかりました。確かに冬でも商隊は移動するようですからね。……私もこちらの草原に足を踏み入れたのは、今回が初めてではありますが、確かな伝手は持っていますし、こちらの草原に詳しい者も部下におります。……ここは腹を括って呼和浩特の町で準備をするとしましょう」
「はっはっは!それは有難い。感謝しますぞ、ユージェニー殿」
漠北には
呼和浩特より大漠を越えること二百五十里。
途上には小さな村々もあるということだが、水も簡単に凍り付くという寒さの中、何としても烏蘭河まで辿り着かねばならん。
「本来でしたら、東北平原の北より山脈を越えて草原に入り、川沿いに西へ向かうのが最も楽な道筋ではあるのですがね。……まぁ、月一組の商隊は烏蘭河と呼和浩特を行き来しているのも事実です。私たちの社名を使えば、ある程度は移動の名分も立ちますからね。外国人らしい商隊を装えば問題は無いでしょう。なんといっても草原の民は、自分たちと商いをしてくれる商隊には優しいですから」
とは、ユージェニー殿の部下の言だ。
なんとも現地に精通している配下を持っておって、心底羨ましいものだな。
……と、社名?
「あ~、つかぬ事を伺うが、その「社名」というのは?」
「ぇ?……ああ、それは何と言いましょうか……そう、以前の赴任地で使っていた私の部隊の名前とでも申しましょうかね」
「ほうぅ?」
「……「ロシア会社」という名前を使って、草原の西の果てで行動していたのです」
ロシア会社か……会社、会社……確かそんな言葉を信長様と太郎丸様は使っておいでだったな。
俺は今一つ理解できなかったが、今の東北地方の政のやり方……いや、違うな。
東北地方と日ノ本の付き合い方の今後の形とか申していたな。
「で、そのロシア会社は蒙古の者達とも付き合いがあると?」
「ええ。正確には、草原の民の間にはそれなりに名が通ったものであるとお思いください」
「ほぅ?」
「東西千五百里にも及ぶ草原の世界ですが、そこに住まう人々は、私たちが思う以上に一つの世界なのです。草原の西の果てに居ようとも、草原の世界との関わりを持ったならば、それは東の果てとも繋がりを持つことにもなるのです。……もちろん、繋がりの強弱というものは有りますが」
なる程な。
東西南北四百里に満たぬ日ノ本でも、薩摩に伝来した鉄砲の話題は瞬く間に流れたし、カトリコの坊主共とその教えというやつの存在も、話自体は結構すぐに日ノ本の津々浦々にまで鳴り響いたものだものな。
「では、そのロシア会社なる名前でユージェニー殿は活動されるわけだな?」
「いえ、ロシアは西の国の名前です。……ですので、今後は別の名前で活動することになるかと思います」
「その名を聞いても?」
「勿論。……いまだ正式には女王陛下の御裁可を頂けてはおりませぬが、今後は「東インド会社」と名乗ることになると思います」
東インドとな?
インド、インディアナ……確か天竺のことであったな。
天竺の東で、「東インド」か……そのままだな。
1595年 天正二十三年 正月 江戸
今年は珍しく……というか、今年になって初めて正月の祝宴が江戸城で開かれた。
もちろん、今までも姉上を中心にこの城に居住する人々や、近隣の城の人達なんかは江戸城に集まっていたけれどね。
だが、今年は違う。
正月と言えば、伏見に集まっていた畿内より西の国々、大老家の面々も今年は江戸城にご参集である。
この計画自体は父上が以前より練っていたので、遠来からやってきた諸将は江戸城周辺に自分たちの宿や屋敷を抑えていたりする。
大老家や、彼らの領内での大身の者達は江戸城周辺に屋敷を建てていた。
江戸の人口が一気に増えているとはいえ、土地には結構な空きがあったし、埋め立てもどんどん進んでいるしね。
去年は、一年を通して、それらの屋敷、諸将の上屋敷が至る所で建てられる運びとなっていた。
……大老家や大身の方々は、部下の滞在場所として中屋敷も建てていたぐらいだ。
こりゃ、近いうちに下屋敷も郊外に建つんだろうなぁ……まるで前々世の江戸と似たような感じだ。
参勤交代の制度は無いんだけどね。
「こ、これが金貨ですか……確かに、黄金色に輝いておりますな……」
「確かに……輝かしさに、眼が眩んでしまいますな」
と、昼の宴も終わり、只今は休憩時間。
大老家の方々に、一室へとお集まりいただいて、竜丸と田介の渾身の作である「金貨」のお披露目会と洒落込んでいるわけだね。
「某共の領地ではようやく銀貨が広まったばかりではあったのですが、伊藤家ではその上の金貨をお造りになられていたとは……」
「いやいや、大友殿。この金貨はまだ試作段階でしてな。あと数年は、日本での銭の流れを見計らいつつといったところだと考えておる」
「何をおっしゃいます、上様!非才の身なれど、この家康。上様の、伊藤家の皆様の慧眼にはただただ感服するばかりですぞ。……大老家の中では、最も伊藤家に近く東に位置する我が徳川家は、三國通宝の銀貨の恩恵を
「……一番東にあるのは当家だ」
竹千代君のおしゃべりに、ぼそっと突っ込む顕景さん……そうだよね、伊勢より越後の方が東だよね。
「何にせよ、銀貨が流通しておるおかげで、領内の商いは非常に盛んです。所詮、物と物での商いでは限界がありますからなぁ。……明からの銭に全てを委ねていた頃には、深刻な銭不足で物が欲しがる者のところに辿り着けませんでしたからな。銀貨が広く使われ出した今では考えられぬことですな」
「そこまで……」
おおぅ。
大友君が竹千代君の口車に乗せられそうになっている。
……だが、俺としては日ノ本で通過流通が活発になるのは大歓迎なので、横から口は挟みませんよ?
精々、気合の入った狸の口車に乗せられてくださいな。
「確かに、銀貨の流通は結構なことではありますが、我らが切実に欲しておるのは銅貨なのです。……上様、銅貨を今以上の量で都合して頂けることは叶いませぬでしょうか?」
「と申してもな……材料の銅が余りに余っているというような状況ではないし、尼子殿へ送らせてもらっている伏見銀座にも鋳造の限界はある」
「……そこを何とか」
父上に粘り込む尼子のオバサマである。
「……物には限りがある。我慢為されよ、尼子殿」
顕景君が渋い声で釘を刺す。
「そんな!それは大身である長尾家であれば!……と、すみません。言葉が過ぎたようですね」
「……気にしてはおらん」
確かに尼子家は、対大友、対長尾で相当に力を削がれてしまったもんね。
愚痴の一つでも言いたいところなのはわかるよ。
でもね、当家がある程度の制止を呼びかけなきゃ、滅んでたよ?尼子家。
……とはいえ、銭不足は碌なことにならないのはわかるので、一つ手助けを申し出てみる。
「失礼ながら、よろしいでしょうか?」
「ぬ?伊藤家の若殿が何の御用か?」
微妙に語調がきつい尼子殿……。
「何ぞ思案があるのか?申してみよ」
助け舟を出してくれる父上。
「はい。僭越ながら、領内の鉱山、貨幣の鋳造を見ております関係上、一つ問題が配下の者らから上がって参りました。……ついてはその改革案として考えたものが、多少は尼子殿の懸念を払しょくする手助けになるかと思います」
「ぬ……?手助けだと?!」
「おお!それは是非とも、この家康にもお聞かせ下され、景清様!」
微妙な尼子殿の反発の雰囲気を速攻で消してくれる狸大老。
「ええ、実は貨幣鋳造の量を増やすことはそれほど難しいことではありません。作業するための施設を拡充すれば良いだけですから」
「な、ならば……!」
喜色満面、食い気味に掛かって来る尼子殿を軽く制して続ける。
「ただ、問題は鋳造を行なうことにより、周囲へ被害が出てしまうという点なのです」
「被害ですか?」
「ええ、鋳造の為には火が要ります。炉が要ります。大量の煙、鉄や銅で汚れた水が出ます」
「……」
環境被害、公害の恐れが大きんだよね、金属を溶かしたりなんだりでさ。
「ですので、伏見の鋳造所を今以上に大きくすることは出来ません。伏見周辺には多くの人が住んでいますし、田畑も淀川流域には多く有りますからね」
「……」
「詳細の詰めはこれからではありますが、これらの恐れを分散させるために、鋳造所で行っている作業を、一部皆様の領地にある鉱山の側で行えないものかと思っております」
「「な、なんと!」」
驚く諸将、ただし竹千代君を除く。
だって、この間伏見に行った時に瑠璃から泣きつかれちゃったんだよね。
最初の内は、転炉を使って他領から送られてくる銅などから金銀が選り分けられて、伏見の懐もウハウハだったけど、時間と共にその利が大き過ぎてしまって困っていると……。
使い切れない金銀が手元に有っても困るだけなので、何とかして欲しいとね。
まぁ、元が他領、他家から送られてきたものだからね。
ちょっとばかりの余禄なら、有難く使わせて頂こうと考えたらしいんだが、いざ銀座が稼働し出すと、瑠璃達の想定を何倍にも越えてしまったらしい。
「それは伊藤家の技術を我らにも教えて頂けるということですかな?」
眼を細めて尋ねて来る竹千代君。
「こちらから全てをさらけ出すというものではない。だが、我らが施設を造り、運営をしては行くが、人員の全てを当家から出すというのは、如何にも無理なことでしょう」
「……それはそうであろうな」
「ええ、ですので、作業員といいましょうか、人足や一般技師は地元から集める必要があると思いますからね、振るって応募して貰えれば幸いです」
実は、これが他領への技術移転の続き。
第一弾は造船所で、第二弾は精錬所?
船の方も大元の設計図なんかは渡していないが、目の前で船が組み立てられ、自分もその中で働くという環境を以て、大友家の、
船大工の頭領達も、細かい部品の全てを一々横浜なり、勿来から取り寄せる手間を嫌って、簡単な部品は地元で調達しているのだ。
このことが、呉の職人たちの技術レベルを大きく押し上げているという。
これと同様のことを狙って企画したのが、精錬所を他領に設置するという考えである。
技術それ自体を秘匿することに意味は無い。
要は使い方、仕組みへの落とし込み方にこそ妙がある。
宇宙人の支配モデルでもないんだし、そんなに隔絶した技術差があるわけでもない。
そもそもが、俺のうろ覚えを発端に開発した物が多いとはいえ、その技術の殆どは既に古代中国やらギリシャ・ローマ、ルネッサンス期のヨーロッパで発明されているものばかりだ。
一地域で失伝した技術でイキったところで虚しいだけだよね。
それに、今後は今よりもっと多くの技術や知識がヨーロッパから流れ込んでくる。
今の日ノ本に必要なことは、その知識を受け止められるだけの度量を育て上げることさ。
「流石は景清様です。……日ノ本を導くだけの大器をお持ちですな。これは、日ノ本の未来も明るいものですな?!上様!は~っはっはっは!」
「……ふぅ。そうだな」
……ぬ?
どうして頭を振って、額を手で押さえるのだ?マイダディ?
……ん?
……あれ?
瑠璃から聞いたこの話って姉上としか話してなかったんだっけ?
江戸でしか話し合ってなかったのか……な?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます