第222話 東北の軍備

天正二十二年 秋 秋田 奥村永福


 かんっ、かんっ、かんっ、かんっ!


 来航を告げる鐘が遠く、湊の鐘楼より鳴らされる。


 雄物川の河口に築かれた湊、そこを拡張し、今では一本桟橋ながらも大型船の係留が出来るまでに開発された秋田湊。

 この秋田湊を使う西回り船は、今では二航路ある。


 一つは、月に一度ほど回って来る江戸、林、勿来、室蘭から秋田を通って七尾に向かう船。

 少名が使われることが殆どで、たまに雅礼音も使われる。

 ここには、主に兵装や建築材料、道具が積められているが、秋の中頃に寄港する船には米が積まれているな。


 もう一つは、比較的新しい航路、石狩、秋田、七尾、壱岐、金州衛を周る定期船で先ほどの航路のものよりも頻繁に秋田へとやってくる。

 こちらは、比較的小型で旧式となった武凛久が殆どで、室蘭から来る船よりも大砲の数が多かったりする。

 やはり、中華にまで行くことになる分、その辺りの警戒が強いのであろうな。


 さて、今日の来航はそのどちらでもない。


 「おお、この鐘は、確か船の到着を知らせる物でしたかな?」

 「その通りだ、和田殿。ただ此度の荷は、残念ながら安東殿との交換の品を乗せているわけではない。相済まぬ事だがな」

 「いえいえ、滅相も御座いませぬ!」


 和田殿は大きくかぶりを振ってはいるが、どうにも落胆の表情を消せてはおらぬ。


 和田殿が仕える安東家は、鎌倉の頃に立った家であるとのことだが、安藤から安東へと字を変え、流れも変わったようではあるが、仔細は不明だ。

 日ノ本は長い間の混乱期にあったから、このように流れがあやふやな者となった家は多いのであろうな。

 かくいう俺とて、尾張の前田家に仕えた家人の出だが……なんの因果か、こうして奥羽の北で城主などをしておるのだからな。


 「はっはっは。定期便が大きく遅れるようなことが無ければ、……左様、五日後には関東からの米も到着するであろうから、そこで今年分の取引量に従った物をお渡しできると思うぞ」

 「そうですか!そうですか!それは有難い!」

 「はっはっは。そこまで喜んで頂けるとは有り難い」

 「いや、これはお恥ずかしい所を……ただ、奥村様には包み隠さず申し上げますが、正直なところ、我らの住まう土地での収穫量では当家の家臣のみならず、領民を養うこともままならぬ有様でして……」


 和田殿は、そう恥ずかしそうにしつつも、笑い話のように様子を語っておるが、安東家の実情はかなり厳しいとは陸路を使う商人たちの話だ。


 南部家の傘下に入り、血縁関係を強く結んだ安東家は、この秋田方面を預かる役目を南部諸家の内で負っていた。

 その後に、南部家のお家騒動と戦、伊達家と当家による仕置きに従い、今では大舘に小さな館を整え、比内ひない鹿角かづのを領地としている。


 「そのように卑下なさらぬ様……我らとしても、安東家の領から齎される鉱物の類いには非常に助かっておりますし、最近では毛皮の需要も高まっておりますれば、今後も大いに交易を行なわせていただきますぞ?」

 「おお、それはなんとも頼もしきお言葉……しかし、毛皮にそこまでの需要が?失礼ながら、奥村様の治める秋田でも十分な量の毛皮が取れているのではないでしょうか?」


 そうだな。

 考えてみれば、これは安東家には伝わっておらぬ話やも知れんか……。


 「いやさ、当家は大陸の東北部に領土を明朝より借り受けましてな。そこの開発を押し進めてはいるのですが、これがなかなかどうして……夏は奥羽よりも暑くなり、冬は奥羽よりも寒くなるという土地なのです。冬の活動に毛皮の備えは欠かせませぬが、如何とも大陸の人は多い。彼の地のみで、領民の装いを全て賄うのは無理なことなのです。当家の奥羽でこしらえた毛皮でも物は足りず、今では蝦夷地からもあいぬの民の手を借りて金州衛に送っておるのですよ」

 「ほぅ……そのようなことになっておりますか……。ならば、その件に関しては我らもひと役買えそうですな。なんといっても鹿角から津軽、二戸、三戸に向かうところは山深い。街道は通ってはおりますが、季節を外すと多くの獣たちが山から下りてくるような土地柄。……伊藤家にて、毛皮の買取を約束して頂けるのならば、我ら安東の者達で街道の警備がてら山に入る時にも熱が入るというものです」

 「おお、そうして頂けるのならば有難い。昨今では伊達家で開発された稲、伊達米が広く普及し、私の領地でも戸賀崎の辺りでそれなりの収量が計算できるようになってきました。また、麦粉に関しては蝦夷地で大々的に栽培がおこなわれておりますからな。安東殿との交易にも、多くの物をご用意出来ましょうぞ」

 「ああ、それは有難いお話しですな!大舘に戻りました暁には、我が殿に良い報告が出来そうです」


 戦の勝者と敗者。

 戦の勝敗は武家の常とは申せ、安東家も領地が最も広かった時代には雄勝おがちから比内までの全てを抑えていたのだ。

 その時の家臣団の暮らしぶりを思うと、現状はなんとも辛いことなのであろうな。


 がららっ。


 「邪魔するぞ?!」


 ……まったく。

 このように、荒っぽい仕草をしながらも、足音などをさせずに屋敷に上がって来るような男は一人しかおらん。


 「慶次よ。……斯様なことはふすまを開ける前に申せ!和田殿が驚かれているではないか?!」

 「いや、それは済まんな。癖というものはなかなかに抜けぬものなだ!」

 「ま、前田様でございましたか。これは、なんともご無沙汰をしております……」

 「おうぅ!和田殿も息災そうで何よりだ!」


 慶次の奴も、それなりの期間、秋田に居ってくれていたからな。

 和田殿との面識もある、か。


 「おかげを持ちまして……前田様も益々盛んなご様子。……と、先ほど聞こえた鐘の音は前田様が乗られていた船の到着を知らせるものでしたか」

 「はっはっは!別に俺の到着がどうこういうものではないがな。湊に当家の船が来た時には、必ず鳴るものに過ぎぬのだ。……して、和田殿がこちらにお出でになっていると聞いたので急いで城に上がってきたのだが……」


 和田殿が目的か、これはなんとも親友甲斐の無い奴め。


 ……しかし、九律波を率いて太平洋を動き回る慶次が和田殿に用があるとは意外だな。


 「それはなんとも嬉しいお言葉です。……しこうして、某にどのようなご用事が?」


 そうなるよな。

 見てみぃ、和田殿は警戒をしてしまっておるではないか?


 「なぁに、難しいことでは御座らん。ちょいと大陸にて、俺と一緒に兵を鍛える仕事を安東家の方々もしてみぬか?という誘いで御座るよ」

 「は、はぁ……」


 ぬ?

 なんだ、なんだ?

 俺が秋田にいる間、またぞろ太郎丸様がとんでもない事を思いつかれたとでもいうのか?


天正二十二年 冬 金州衛 織田信長


 「慶次郎よ、お主が直々に兵を鍛えてくれるというのは有難いが、海の方は良いのか?」


 赤子の頃より知っておるこやつが、長年伊藤家の剣術指南役として、各地の練兵を行なってきておるのは知っておる。

 だが、この近年は太郎丸の求めに従い、艦隊を率いて外洋を動き回っていたのではないのか?


 「ははは、これはどうにも……ただ、海の方には後任が見つかりましたからな。信長様もどうぞご心配なく」


 剃り上げた坊主頭を殊勝そうに掻き上げおってからに……。


 「お主がそこまで言うのならば、それで良しとするか!ともあれ、こちらに来てくれたことに感謝する。この通りだ……」


 俺は素直に頭を下げた。

 この広大な土地に魅入られて数年。

 穀倉地帯の礎は作れたが、これを維持、発展していくための人員が足りなかった。


 この課題を解決に導いてくれたのは、太郎丸とユージェニー殿だったが……問題というやつは次々にと現れて来る。


 領民の増加と農民の成り手は見つかったが、次には領民兵を養う必要が出て来た。


 金州衛近郊程度の農地の首尾ならば、日本から連れて来る兵達だけでまったく不都合はない。

 だが、これが全南遼東の穀倉地帯を見て行くとなれば、どうしても領民兵を組織して行かねばならん。


 まぁ、ある程度の数と領地警護程度の仕事なら装備を与え、一通りの訓練を施せば問題ないところではあるが、これが長期の遠征、しかも蒙古への遠征に加わる程度のものを仕上げるとなると……。

 俺に出来ぬ事は無いとは思うが、やはりここはその道に通じた者に任せるが一番よ。


 「お止め下され、信長様!……その……儂もいい年になったので、今なら心素直に言えます。儂は、信長様以外に仕える気など到底持ち得なくて、尾張を出てきたのです。……その支度段階でお市様に見つかってしまって脱走の手伝いをさせられもしましたが……」


 ぬ?

 やはり、お市の脱走の手引きは一から百までお主であったか……。


 「信長様に仕えるために船に乗り、勿来へと参りましたが、そこで出会った太郎丸様や大御所様、輝様……。なんと申しましょうな、勿来に辿り着いた儂は、急にこの世界が今までの幾万倍にも広がったかのように感じたのです。剣の腕ではとてつもない高みを見せられ、世を見つめる目では数百年規模の深さを見せられ、また戦乱の世にありながら、どこまでにも突き抜けた蒼穹の大空を阿武隈で見せつけられ申した」


 くっくっく。

 やはり慶次郎は歌人よな。


 ただ……。


 「俺には、お主の様な歌心は無いもので、どうにも己からは上手く表現出来ぬ。……出来ぬが、お主の言うことは良く分かるぞ。俺も童の頃に出会った太郎丸の心の内に、まだ見ぬ、未だ見果てぬ空と大地を感じたものだ……」


 あの時に感じた空と大地が何であったのかはわからぬ。

 わからぬが、その思いのままにここまで走り続け、今ではこうして遼東の広大な土地を前に佇んでおるわけだ。


 「はっはっは。これはお互いに、なんとも遠くまで来たものですな。……そう、感傷に浸るのはいつでも出来ましょうからな、ここは心を入れ替え、お役目の話へと移りましょうぞ」

 「……で、あるな。ふむ、そうよな。簡単に言えば、南より連れられてくる移民の中から人員を集め、明朝に警戒されぬ程度、遼東の穀倉地帯を守り切れる程度の規模で軍を作らねばならぬ」

 「それは……なかなかの難事でございますな」


 そう、此度の練兵、軍の組織は、そのさじ加減が非常に難しい。


 この広大な土地を守ることを考えれば、兵は多ければ多いほど良いのだが、それでは明朝を警戒させてしまう。


 ここは租借地、我らは明朝から土地を借り受け、民を率いる権利を借り受けているに過ぎん。

 そのような身でありながら、徒に軍備を整え過ぎようものならば、明朝には警戒され、租借地の話にも問題が出てこよう。

 特に、地方で反乱が相次いでいるこの状況では、朝廷の奴らは恐怖で縮み上がり、どのように悪辣な罠を仕掛けて来るかわからん。

 それこそ、日本の歴史が証明する公家の陰湿さのようにな。


 「ともあれ、先ずは軍装をどのように整えるかですが……信長様に何か思案がございますかな?」

 「そうよな……日本での軍ならば鉄砲と長槍だが、……遼東は広大である上に敵は蒙古兵だ。相手が蒙古兵となれば、あの強烈な馬上弓からどのように身を守り、こちらの攻撃が届く範囲に騎馬を呼び込むのか……そして防具は長距離の遠征、移動に耐え得るものにせねばならん」

 「武器の方はある程度の殺傷力が有れば、後はやり方にはなりますからな。……やはり問題は、移動に耐え得る防具でしょうな。ふむ……信長様、近いうちに蒙古に向かう術は有りますかな?まずは儂一人でもその土地に向かってみるのが早そうに思えますな」


 ん?


 「はっはっは!そのように訝し気なお顔をなされますな。九律波の件では少々張り切らせて頂いてしまいましたからな!」


 顔に出てしもうたか。

 だが、慶次郎よ。

 お主が九律波を横取りしたことは忘れんぞ?


 「やはり、ここは現地を知る人間が居らねば話になりませぬからな。知らぬままで議論を重ねても無駄になる可能性が高いですから……」

 「そうだな……そう考えると日本はやはり狭いか……。俺でも蝦夷地の山奥でもない限りは、何処へ、どれだけの軍を移動させるかの想定において、兵の支度内容は即座に頭に浮かぶな」

 「左様です。正に、儂が言いたいのはそのことです。……正直、アメリカでの戦いは中々にしんどいものでしたからな。琉球の島々の様な密林の先に、いきなり富士山よりも高い山々が聳え立ってきますからな!」

 「ほ、ほうぅ!!」


 それはなんとも幻想的な景色だな……はっ!

 いかん、いかん。

 これでは、また話が終わらん展開になってしまうのではないか?!


 「こ、こほん!……とりあえず、蒙古の土地への立ち入りだな。うぅむ……。やはり「困った時は知っている人間」だな」

 「太郎丸様の言ですな……信長様には蒙古の土地に詳しい人物に心当たりが?」

 「ああ、一人……というか一団だな」


 ユージェニー殿は、彼女個人が蒙古、草原の世界に詳しいだけでなく……あの護衛達。

 あれらは歴戦の武者に通ずる雰囲気を纏っておったからな。

 ここは彼女に相談をしてみるとしようか。


天正二十二年 xxxx xxxx


 「恐れながら、陛下……」

 「なんじゃ?朕はこれより届けられた奇岩を検分しに行かねばならんので手短にな」

 「はっ、はぁ!……それではお許しを頂きまして、遼東の事を……」

 「ふむ。其方は過去の話を蒸し返すのが好きなのか?」

 「陛下!何卒お許しを!!」

 「……まぁ、良い。お主の長年の出仕に免じて簡単に答えてやろう」

 「……」

 「朕の土地で、朕の民が働き、朕の為に税を納める。素晴らしきことよな。それにだ」

 「……」

 「遼東の土地などからの租税が送られてこなくなって何年が経っていた?」

 「そ、それは……李将軍が女真族と蒙古軍を抑える為に……」

 「ふん!林も日本の者達も税を送ってきた上で奴らを抑えておるぞ?ん?」

 「……」

 「繰り言は言うな、二度目は無いぞ?」

 「はっ、はっ!!」


 ……


 「まったく、師父が居なくなって何年が経ったというのだ?いつになれば、朕とまともに話が出来る者が目の前に出て来るのやら……」

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