第221話 新たなる戦雲

1594年 天正二十二年 晩春 飯盛山


 「しかし、父上も相変わらず飯盛山城に戻って起床しますか、今では畿内の外交、政務は伏見で行っているのでしょう?多少の拡充を施し、指月城で寝起きした方が便利なのではないですか?」

 「そうは言うがな、太郎丸よ。お主も知っていよう?私はこの後に来るであろう大地震のことが頭に過る。確か、あの地震は指月城の改築中に被災をして、多数の死者が工事現場で出たと言うではないか。……太郎丸や私のような存在が居ようとも、前回の天正大地震は起こった。甚大な被害を齎してな……」


 言われてみればその通りか。


 「人間の行えることなど、地球規模、宇宙規模で考えれば微々たるものでしかないのであろうな。私もこの記憶が植え付けられてから、その意味を探しに探した。その中ではこの先の世の悲劇を避けるため、神仏が力を使われたとも思い、大戦や天災を避けるために無い知恵を振り絞ってみたこともあったが……はてさて、どこまで達成できたことやらな」


 そうだな……俺も父上の様な考えを抱かなかったことが無いとは言わない。

 なにより、現在進行形で行っている方策などは、東アジアの大戦回避や世界規模の大戦回避を第一義に考えている。


 こりゃ、混乱に混乱をした赤子時代から、何とか生き延びるために奮闘したいた前世とは大違いな今生だよね。


 「……っと、ここまで偉そうなことを口に出せるのも、義父上が前世で為されたことのお陰でしたな。私としたことが、どうにも口が過ぎてしまったようで……」

 「そんなことは無いさ、父上。確かに俺は前世と前々世、二つの生涯を経験した魂を何故だが持ち合わせているけれど、今の俺は間違いなく父上と真由美母上との子だ。そんな、頭を下げられるようなものじゃないし、そこまでの偉業を達した者じゃないよ……むしろ、姉上?凄いのは」

 「はっはっは!そいうかも知れませぬ、いや、そうかも知れぬな」


 最近では、俺のことを息子の「太郎丸」として扱うことに慣れた父上「仁王丸」だが、こうしてちょいちょい俺のことを「義父上」太郎丸としても扱ってしまう。


 こうして考えてみても、なんともややこしいことこの上ないんだが……まぁ、しょうがないよね。

 その時、その時で自然な感じで話を続けて行けば良いだろうさ。


 「さて……伏見の大地震に対する物はそれなりに備えというものを考えているし、瑠璃たちへも「その時」への心づもりを忘れぬようにと、機を見て話はしている。ここは話を変えて、またぞろ息子が持ち込んだ難事についての話を進めようではないか」


 そう言って、片目をパチリと格好いいウインクを決める父上。

 昔っから、親父はウインクが上手いんだよなぁ。

 俺はどうにも頬の筋肉まで吊り上がっちまって、不格好なもんなんだがね。


 「すいませんというか、何と言うか……」


 俺もお返しとばかりに、ウインクを試してみたがやっぱりどうにも上手く行かない……今度獅子丸にでもやり方を学んでみるか?

 沙良は、外見こそ母親のマリア・ルイーサさんにそっくりの金髪碧眼だが、根っこの根っこから日ノ本の阿武隈の伊藤家の振る舞いそのまんまだからなぁ。ウインクとか俺以上に出来ないし……。


 まぁ、いい。

 それよりも父上の言うように、ジェニーさんが持ち込んだ話の方が重要だよね。


 俺はひとつかぶりを振って話を進めてみる。


 「ユージェニー殿に気付かされたのは、中華の民の多さと、日ノ本で言うところの流民の多さです」

 「流民か……」

 「ええ、日ノ本ではそれこそ我ら伊藤家が源氏に敗れ山に籠った時、北朝方に敗れ山に籠った時、そのようなときに一族郎党が置かれた状況のようなものを流民と考えがちですが、中華の場合はより身近に流民が社会・文化の中に根付いています」

 「……確かに、日本で考えるところでは流民は戦で敗れ、時の権力者の構築する体制に参加しない者達、これらを「まつろわぬ民」と呼んで久しいな。大和武やまとたけるが日本を征服し、それ以後に蝦夷を本州から追いやってからは特にな」


 秀郷流藤原、平氏伊藤家としては、なんとも縁深いところだ。

 男系であろうとも母系であろうとも、俺の体にはそれこそ数多の蝦夷の、まつろわぬ民の血が流れ込んでいるのだから。


 「……そのような「流民」ですが、中華ではより身近なのです。日ノ本でも買い付けた人間を……そうですね、父上と俺だけですので、先の世の単語で話を進めてしまいましょう、そう「農奴」として使用する場合が多々あります。村々では彼らを共有財産として扱います。その後、農奴の人数が増えた後には、彼等を一纏めにして「下位集落」にしてしまう問題がありますが、中華ではこの下位集落が本当に流動的なのだそうです」

 「民の流動性が「下位集落」を形成はしても、定住はさせぬか……」

 「はい、この辺りが耕作地が狭く、山と海に囲まれた「狭い」日ノ本と、大河流域に広大な沃野を有する中華との違いなのでしょう」


 ついこの間行ってきたばかりの金州衛近郊だけでさえ、日ノ本の規模で考えれば大国が三つ四つ入る大きさだし、それこそ東北平原をも考えたら東国の平野を丸々と飲み込んだ面積よりも広大だろうしな。

 定住を強制されるいわれはないという考えが、彼らの間には、どこかにあるのだろう。


 「で、一度世が乱れれば、彼等「流民」が武器を取り、官軍にもなれば、反乱軍にも、盗賊にもなるというのか」

 「ええ、流石に官軍そのものになるのは難しいみたいですが、官軍側の下請けや雑兵にはなれるようですね。……で、此度の大規模反乱です」


 播州の大反乱。

 歴史教科書的には「楊応龍の乱」と言った方が、耳馴染みが言いかも知れない。


 この反乱、それこそ教科書で得ていた知識だと、互いに硬軟合わせた経過を経て、平定に十年以上かかった反乱と記されているが、どうにもこの世界での反乱規模とは大分違う。

 こっちの世界では、せっせとポルトガル商人が暗躍して、相当に広範囲での大乱へと成長させていた。


 なんだろうね。

 朝鮮の役が無かった分、明帝も前々世の時よりやる気が起きなかったのかね?

 配下の腐敗ぶりも大したものに見えるし……どうなんだろ?

 その割には、前々世では聞いたことも無い林文鴎なんて人物が東北方面を抑え、女真族による後金国建設なんかあり得ない程、明朝としての安定した治政を実現してるし……。


 まぁ、考えてもわからないことはわからないよねってことで。


 「首魁の楊応龍ようおうりゅうの傘下に直接ついた者こそ少ないですが、混乱に乗じて私兵を募り、小は村々の利権争い、大は明への反抗と大した混乱ぶりが、後に言う四川省、貴州省、広東省、広西省、湖南省、雲南省、江西省、福建省と中華の最南端のすべてに及んでしまっています」

 「……その規模から導かれる百万近い奴隷発生ということか……」

 「そういうことです……」

 「「……」」


 どうにも、あまりの規模の大きさに二人一緒に言葉を失くしてしまう。


 「知らぬ、存ぜぬと、見て見ぬ振りも出来ようが、流石に百万単位の人間を目の前にして見殺しには出来ぬし、したくもないな」

 「ええ、流石にそれでは目覚めが悪すぎます。……かと言っても、我らは神仏でも無い身ですので、彼らの全てを救えるとは到底思えません。ですが、出来る範囲の事すら為さぬのならば、それこそ何のために我らが今まで生きて来たのかの意義が問われます」

 「ああ、私も太郎丸の想いが偽善などとは思わん。助けられる命があるのならば、それを助けようと思うことは当然のことだと思う」


 こっくり。

 深く頷き合う。


 「ですが、どうやって彼らを助けられるかというのは、中々に骨が折れることです」

 「そうだな。食料や衣料などが無限に湧き出る打出の小槌などは持っていないからな……作物は植えた分しか収穫できぬし、肉も捕らえ、捌いた獣の数しか存在はしない」

 「そこで、当家が所持……はしていませんが、管理をしている打出の小槌を振ろうかと思っています」

 「……東北平原……満州か」


 父上はそう言って遠くを見つめるような素振りをする。


 これは俺の考えというか、分析なのだが、父上はどうにも太平洋戦争が関連する記憶に接すると、急に親父の雰囲気が強まる。

 それほどに幼少期に経験した世界大戦は衝撃だったのだろう。


 「そうだな……彼の地は決して楽園というわけではないが、幸いにして、多くの人々が命を繋ぐことが出来るだけの作物を育てられる土壌がある。また、その土壌を農地へと変えられるだけの技術的な下地は当家にあるか……」

 「はい、更に土木奉行や来る傭兵稼業において、相当数の人数を無理なく経済の枠組みに編入する仕組みも当家にはあります」

 「そうか、そうだったな……っと?!なに?!傭兵稼業とは何事だ?!」


 日も暮れているというのに、大声を出してしまう父上。


 どたったたたた!!


 「如何なされましたか!!上様!!」


 父上の急な大声を聞きつけて、微妙な距離で控えていたであろう近侍の者達が腰に手をやりつつ集まって来る。


 「い、いや……なんでもない……ちと、太郎丸との話に興が乗り過ぎてな……なんでもない故、心配するな。……そう、あと半刻ほどで夕餉であろう?今宵は真由美もこちらに来ておる、家族三人だけで膳を囲むことにするのもなんだからな、広間にて皆の分も揃え、珠には大いに語り合おうではないか?」

 「「おおぉ!」」「それは有難いことでございます!」「では、某は早速にも勝手所に走って参ります!」


 気がついたら、今晩は飯盛山城で宴会が開かれることになったようです。

 晩春の今どきなら、酔いつぶれて眠りこけちゃっても風は引き難いだろうからね!


 でも、傭兵の話って父上にしてなかったっけ?

 利益をアメリカに派遣する前に話をしたとは思うんだけど……う~ん?

 「傭兵」とは言ってなかったっけか??


天正二十二年 晩夏 遼東郡司 織田信長


 「やれやれ、漸く朝廷からの許可をもぎ取ることが出来ましたよ」

 「それは、どうにもお手数をお掛けしました……」


 俺の感謝の心には嘘偽りないからな、自然と中華式の礼が出てきたというものだ。


 「私が指揮する軍も総数では十万を数えますが、それもこれも、殆どが中原からの兵。たまには故郷に戻さなければいけない部隊もありますし、徴募兵の一部はその時に、勝手に解散してしまいますからね。遼東から遠く離れた土地で何が起きようと、私が行えるのは当地の官に状況の説明を求める書を出すことぐらいです」

 「なるほど……足掛け五年にもなれば、徴募兵の維持は困難を極めるでしょうな」

 「ええ、その通りです。正規兵の多くには家族がいますからね。上級将校と下級兵士は軍隊が家族ともなり得ますが、一般兵はそうもいかないものですから」


 まぁ、それはそうであろうな。

 俺もこの長い期間の大陸滞在で、だいぶ中華の兵制というか、明の兵制は理解してきた。


 日本と違い、明には正確に武士という階級は存在しない。

 精々が、郷士に近いような存在であろうな。


 一方、林殿の様な将軍は、日本で言う「武家」そのものであろう。

 戦うことを生業にし、それなりの領地を朝廷から与えられそこで兵を養う。

 昨今の日本のように、それらが独立してはいないようだが、ある程度の自由はあるようだな。

 この辺りが、噂に聞く播州の反乱の一員になっているとも思えるわ。


 「ただ、それでもこの広大な東北平原を治めるには兵力がいる」

 「はい……私の指揮する軍は、その中核のみが林家の部隊です。それなりの期間、朝廷に仕え続けた武官の出ではありますが、林家だけではね……在地の女真族からも常備兵を集めてはいますが、未だに主力は中原からの徴募兵です」

 「徴募兵を土地に着かせようとしても……」

 「ええ、限界があります」


 そのような状況でもありながら、朝廷との折衝も繰り広げて、なんとか公称十万、実質五万の実働部隊を維持し続ける林殿の手腕は大したものだと思うぞ?


 そのあたりの苦労は、戦いが終われば家に帰る仕組みの日本の戦、兵制とは全く別もの故に俺にはわからぬ所よな。


 「そこで、以前より温めて来た日本による東亜細亜会社の南遼東の借地権、陛下の印を頂くことが叶いました」

 「おお、ついにですな、有難いことです」

 「そう、「ついに」です……朝廷工作は前進してはいましたが、やはり最後の一押しとなったのは、そちらの英国の女性の存在でしょう」


 左様、今日のこの場には俺と林殿の他に、ユージェニー殿が通事と共に参加しておる。


 「私、以前には基補きえふにおりましたので、草原の民の動向には多少の知見と伝手がございますので」


 通事を通して、そう答えるユージェニー殿。


 林殿の言う通り、ここに来て日本による会社設立とその会社への遼東地方の租借が決定されたのには、ユージェニー殿の齎した情報が大いに影響した。


 我らにとっては蒙古の支配地としか認識しておらなんだ明の西部と北部。

 そちらは一様に草原の国、騎馬の国と考え、季節ごとに中華を侵食する外敵との認識であった。

 だが、当然のように、それら草原の国にもいろいろな思惑がある……のであろうとの認識が限界であった。


 かくいう俺も、ユージェニー殿が地図を広げながら説明する内容を聞いて、初めて草原の世界、また今日ではそれに付帯することにもなったイスラムという世界の一端を理解することが出来た。


 簡単に言えば、カトリコと同系列の神を信奉する国々と明朝の間にはイスラムの国々が点在する。

 だが、これらの国々……いや、世界と呼ぼうか、そのイスラム世界には様々な解釈が存在し、それぞれに己の生き方を掛け、ある時は戦い、ある時は手を組み生き続けているのだと言う。

 そして、そのイスラムの教えなるものに触れた経緯、時期はそれぞれの地域で大きく異なるらしい。


 草原の国、それこそ日本とも因縁深い元の拡大、これが今回問題となっている蒙古がイスラムに触れた契機なのだという。

 元は宗教には寛容……というか、それほどに関心を持たなかった。

 自分たちの方からこれというものを押し付けなかったようだし、土着の信仰をそのままに残す方針であったという。


 うむ、この方針は日本の民として俺も良く分かる。

 やれ、天台宗だ、法華宗だ、一向宗だと騒いで血なまぐさい争いばかりを繰り返す糞坊主共の相手など、いちいちしてはおられんからな。

 あやつらは銭を納め、葬式をしっかりと勤め上げ、後は書物に浸っておれば良いのだ。


 ともあれ、そんな方針であった元は、中央の力が衰えると、今度はその土地々々の文化・習俗に従って分離し出したそうだ。


 そんな中、ユージェニー殿が以前に居た土地は、ジュチハン国という大国の一部が分離した国で、今ではキリスト教の一派が力を持つのだと言う。

 経緯としては元の侵攻以前からのキリスト教国であったそうだが、進攻を受けジュチハン国の一部となっていたようだ。

 この辺りの詳しいところは、一度や二度の講義では理解しきれんからな。

 それこそ、今度は太郎丸辺りに聞いてみるとするか、あやつならそのあたりの歴史にも詳しかろう。


 「はっはっは、そうでしたね。ともあれかくもあれ、そのお陰で、我々は近く行われるであろうという、蒙古の再結集。西元の東元への侵攻という話を事前に知り得たのですから」


 そう、ユージェニー殿の齎した情報、明朝の朝廷を揺るがした報告とは、これであった。


 曰く、イスラムの大国、オスマン朝が後援となり、ジュチハン国諸国が蒙古平原への侵攻を企図し、最終的には明朝への侵攻を計画している、と。

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