第220話 王女ユージェニー
1594年 天正二十二年 春 金州衛
びょわわぉ~!
「どうだ、太郎丸よ!この城より眼下に広がる湊町の喧噪、また、遠くには広大な麦畑がどこまでも続いておる!」
「……」
「城の東側は朝鮮へと続くところであるからな、そちらの方にはさほど開発は伸びておらんが、北の方では、ここから海沿いに遼東川の中流域の遼東郡司までをも麦畑は続いておるっ!」
「……ずびっ!」
びょわわぉ~!
吉法師君、君の熱弁、そして城下の御自慢話の途中で悪いと思うが、この季節の金州衛、大連の屋上野外ってのは寒過ぎよ?
うん、ものすごくね……おもわず鼻水を啜っちゃうじゃないですか。
「なんじゃ、相変わらず今生でも寒さに弱いのか?お主は?」
「相変わらずと今生が続く会話ってのが良くわからないけれど、この場所に突っ立ってて寒さを感じないのは少々おかしいと思うぞ?まぁ、蝦夷地ほどに寒くないとは思うが……」
びょわわぉ~!
「この強風は日ノ本じゃついぞお目に掛からんぞ?」
俺はそうひとつ悪態をついて、長年愛用している狼の外掛け(内布と羽毛入り)の前をしっかりと合わせる。
「確かに、この風は厄介ではあるが……知ってるか?太郎丸よ……風が強いと船は早く進むんだぞ?」
「んなん知っとるわ!」
吉法師のようわからんオヤジトークに全力でツッコんじゃったじゃないか。
「はっはっは!それは重畳、重畳!……この程度の気温なら俺には毛皮など必要ないが、確かに冬には毛皮、特に太郎丸の考案した羽毛入り毛皮は重宝しているな。こちらの生活は羽毛入り毛皮と火箭暖炉に支えられていると言っても過言ではない」
なるほどねぇ……そりゃ、春先でも風が吹けばこの寒さだ。
火箭暖炉も羽毛入り毛皮も大活躍だろうさ。
「で、その辺りの防寒具の数とかは足りてるの?作るにしても材料とかさ?」
日ノ本からの船荷に多少は乗せているけれど、到底全兵士……はぎりぎり間に合うか、でも住民までには絶対ニ行き渡らないよね?
「羽毛入り毛皮の作り方はそう難しいものではないからな、我らが暖かそうにしているのを見ていた現地の商人たちが上手い事再現をしておるぞ。物の品質は阿武隈産には劣るが、実用に耐え得る代物を城下の大店商人たちが売っておるな」
「おお……って、考えてみりゃ、そりゃそうだよね。毛皮の内側に当て布を入れて羽毛を挟んで格子状に張り合わせるだけだもんな。高品質を目指すわけじゃなきゃ、生産はそう難しくはないか」
「そういうことだな。だが、火箭暖炉の方はな……耐火煉瓦の品質が今一つで、日本の……いや、我らが作る物に比べると一段ものが劣る」
そういうものなのか。
なんだろうね?
石灰の成分とかその辺りの問題かな?
もしくは燃焼の
「ともあれ、冬に寒さに凍えずに済まず過ごせる程度のものは、十分な数が作られておる。この火箭暖炉は、いまや東北平原の殆どの都市で使われておってな、林殿からも大変感謝されておる次第だ」
「そうか、そりゃ良かった、良かった。なんにしても飢えと寒さを感じるというのは、ひどく辛いことだからなぁ」
うぅむ、前世で姉上に冬の山へきのこ狩りに連れていかれた時とか泣きそうだったもんな。
一日二食は食べられたけど、今の俺が江戸で食べているほどの量なんか食べられなかったし、一日三食とかが楽しめるようになったのは……伊達家と佐竹家から正月に人が来るようになった辺りからだったけか?
うぅん、逆に言えば、そのぐらいに領内が発展したから、二家が様子伺いに棚倉に足を延ばしていたんだろうな。
正月の席への出席と謳えば、堂々と敵地偵察が友好的な関係のままに出来るってもんだしね。
商人辺りからの情報は入っていたのだろうけれど、偵察専門の……それこそジャパニーズ・ニンジャなんか後世の創作物の中にしか出てこない代物だもんね、生きた情報、そりゃ喉から手が出るほどに欲しかったのだろうさ。
その甲斐あって?長年の誼によって、米沢じゃ酒造りが大流行したし、大宮じゃ砂金で大発展したしね!ちゃんと情報は流しましたよ?
「領地の運営としては、見てもらってように、何も問題は無い……っと、この先は室内に戻ってから話すか」
そう言って、吉法師は物見廊下から離れ、城内の戸を潜り、廊下を進んで居間と思しき一室へと俺を案内する。
けどさ、この居間って造り、だいぶ当家の屋敷で流行ったよね。
絨毯を敷いた部屋にソファを並べて中央に大ぶりの机を置く。
部屋の上座には椅子と机を置いたりして、簡単な読み書きと仕事なんかをこなしちゃうっていうさ。
うん。
俺が勿来の城で作ったオールインワンの私室の作りがそのまま広まってしまったみたいだ。
「飲み物は茶で良いよな?上州の赤城凍頂茶程の品質ではないが、本場中華の茶は中々だぞ?特に、この山東半島から届く茶は中々の味わいだ」
物見廊下から居間へと移る最中に頼んでおいたお茶セットを華麗に扱う吉法師。
利休で有名になった「茶道」に嗜むのではなく、中華式の茶に嗜む織田信長というのも中々に味わい深い(?)ものがあるね。
「……ふぅ、ふぅ……すぅ……ああ、美味いな!なんともまろやかで優しい味わいの茶だな」
「はっはっは!そうか、そうか、それは良かったぞ!太郎丸が金州衛に来るというので、急ぎここからは対岸にあたる
そんなに気を使わんでも良いのに……。
「ささ、美月殿もどうぞ座られ、一服しては如何であろうかな?」
「いや、結構です、信長殿。私は若殿の護衛ですからな、隣室に人の気配がする以上はこの場からは動けません」
え?!
美月さんや、ナニソレ!?
「達人の把握力というものは凄まじいものだな……いや、これは済まなんだ……ただ、勘違いして欲しくない。隣室といえど、この部屋とは厚い壁を挟んでいるし、この部屋へ直接入れるような造りは何処にもない。廊下と表の戸を通らざるにこの部屋には来れぬし、こちらの部屋の声も聞こえるような作りにはなっていない」
「……」
確かに、俺をどうこうするような吉法師じゃないだろうし、この部屋の作りは吉法師が言う通りの物なのだろう。
だが、美月が黙ったままというのは、それなりに鍛えた人物なら声ぐらいは拾えるとかって話なんじゃないか?
基本、俺の護衛をしてくれている娘さんは、家族や親しい人以外が居る時は、必ず俺のことを「若殿」呼ばわりするわけだからな。
「美月殿を警戒させてしまったことは謝る。この通りだ……俺としては主家に、特に太郎丸に含むところなどは欠片も無いことだけはわかってくれ」
「わかりました……私としても、長年私を可愛がってくれた吉法師おじさんを前にこうしていたくは有りませんしねっ!」
「……忝い」
そっと頭を下げる吉法師……って!
おやまぁ!吉法師さん!!
あなた頭のてっぺんがだいぶ寂しいことになっていてよ?!
「……俺とて還暦を過ぎたのだ。頭が多少薄くなるぐらいは問題なかろうが……」
「ウン、ソウデスネ」
やべっ、吉法師に頭頂部を凝視してたのがばれちゃった……。
「で、そうだな……話、相談しようとしていたのは、隣室に待機させている人物に関してのことだ」
吉法師の髪の毛イジリは早々に頭の中から放り投げて、話を進めましょう。
俺は軽く頷いて話の続きをせがむ。
「実は、南の澳門からの商人が金州衛までやって来て俺に会いに来たのだ」
「澳門??ってことはポルトガル商人か?」
澳門は広州府制圧戦を指揮する一丸によって占領されているはずだからな、命乞いと財産保全を願い出に?
いや、それでは、この速度感と吉法師を狙う意味がわからん。
「いや、ポルトガルではなくイングランドの商人だと言うておるな」
ほう!
イギリスの商人だと!?
ってか、イギリスの商人が船なんかを揃えられる世界なのか?ここは!?
海賊じゃなくて商人が?
「で、だ。……彼女が言うには、自分はイギリスの商人であるが、軍人でもあるということだった。女王の命を受け、中華にて活動の拠点となる湊を探していたのだという」
「その拠点としての金州衛か?」
「というわけでも無いらしい。拠点自体は澳門の対岸にある香港なる湊を使いたいと言うて来ておる。俺に会いに来た目的は、実質広州府一帯を制圧した日本への橋渡しを依頼しに来た、というのだ」
「……それなら、現地に居る責任者、一丸辺りに願い出れば良いだろうに……で、対価は?」
現地の指揮官い願い出るのではなく、わざわざ遠方の吉法師を頼る。
その「彼女」とやらは統治者との交渉よりも、遠方の実力者との交渉を選んだ。
これは、何かしらの取引を持ちかけたということだろうね、しかもそれなりの規模の構想のもとに。
「簡単に言えば、「人」だな」
「奴隷か?!……その手法は吉法師も知っているだろうが、姉上が烈火のごとく怒るぞ?俺も好かんし、お前も好きな手法ではあるまい」
「ああ、俺も好きな手法ではない。……だがな、残念ながら中華ではこの先、数え切れぬ数の流民や奴隷が発生するぞ?……俺も改めて彼女に話をされて気付かされたわ。……この話は林殿にも裏を取った」
中華の東北を大学士の一派として統括する林文鴎も認める内容かよ。
「播州の大反乱は広州府の作戦が成功したことを受け、鎮圧の方向に向かうであろう。だが、反乱軍は二十万に達する規模にまで膨れ上がった。その軍が戦で敗れるのではなく、補給を絶たれて敗れるのだ。直接的な死者はそれほどではないであろうが、近隣での物資調達は苛烈を極めるであろう。さすれば、善きにせよ、悪しきにせよ「人」は動く」
「だけど、それだけの人間を吸収できる土地が播州近隣にはないということか」
「そうだ。中華の南は山深い土地柄だからな。山々に囲まれた盆地や切り開かれた土地というのには限度がある。戦禍を逃れた民を吸収する力はないということだな」
しかし、それで「奴隷」というのもな……それならばいっそ……。
「そこで、彼女が提案したのが「移民」という手法だ」
そう、「移民」って……おおぉ?俺と同じ考えだったの?
天正二十二年 春 金州衛 織田信長
「ここから先は彼女自身の口で語ってもらうのが良かろう」
俺はそう言って卓上の鈴を鳴らし、近侍の者に彼女を連れてきてもらう。
ついでに、増える人数分の茶の用意と簡単な茶菓子も持ってきてもらおう。
太郎丸も小腹が空いたであろうし、俺も空いたしな。
未だに、太郎丸の背後で立ったままの美月殿も、先ほど盛大に腹の虫を鳴らしておったし、簡単な茶菓子ならば立ったままでも摘まめよう。
すっ。
戸が静かに開けられ、外から一人の女性とその護衛の男が入って来る。
もちろんのこと、銃剣の類いは持ち込ませてはおらん。
美月殿も一瞬目を細ませ、彼らの様子を吟味したのであろうが、問題なしとばかりに頷きを一つ、俺に向けてしてきた。
「お初にお目に掛かります、プリンス・カゲキヨ。私はユージェニー、恐れ多くも女王エリザベスより東アジア統括を仰せつかっております」
「そのように硬くならないでくれ、レディ・ユージェニー。此度はジパングにとって有意義な話を持ってきてくれたとノブナガより聞いている。どうぞ座ってくれ」
「殿下の申し様、ありがたく……」
ユージェニー殿は俺達がスペイン語に長けていることを事前に知っておったのか、流暢なスペイン語で対応しておる。
そして、あの仕草はヨーロッパの挨拶かな?
そういえば、昔にマリア・ルイーサ殿からも同様の挨拶を受けたような気もするな。
「さて……早速ではありますが、ノブナガ様から殿下へはお話が合ったようですが、改めて私の方からも……」
ソファにゆるりと腰をかけたユージェニー殿は、そう言って先ほど俺から太郎丸に説明した話を、彼女なりの視点で語り出す。
彼女の分析では、播州から重慶、四川行郡司、貴陽府近郊を含めて百万人を超える人間が流民・奴隷と化すと言うておる。
ふむ、やはりこの辺りの人数の解釈は林殿辺りとは大分食い違うな。
林殿は行って十万と予測しておったが……それぞれの思惑を差し引くと、大体五十万ほどとみるのが正確であろうな。
しかし、五十万の流民か。
日本では到底及びもつかぬ人数よな。
そう考えると、俺が若い頃に連れ出した千人程度などというのは微々たる数字だったのかも知れん。
「……幸いにして、私共は広州湾の入口、香港にそれなりの拠点を作っておりますれば、かの地域から南に逃れて来る者達を運ぶに不便は御座いません」
「ふむ、その話を明朝に付けて欲しいということか……では長江を下ってくる者達については?」
「出来ましたらば、
「ふっふっふ、レディは中々に商売上手なお方だ」
「これはありがとうございます」
ふぅむ……これはもしかしたら上手い手かも知れぬな。
流石は太郎丸と言ったところか。
中華の人民を助けるという大義名分を使いながらも、東北地方ではない、正に中華の大都市に楔を打ち込む一手。
しかも、ヨーロッパの国を巻き込んで行う、か……。
これは俺も東北でのほほんとはしておられぬな。
「レディの提案は理解したが、その道具は如何する?私が知るところでは、このアジアで動くイングランドの船など微々たるものであろう?」
「その点はどうぞご安心を。広州にて便利な「道具」を揃えておりますので」
「そうか……では、その辺りはレディにお任せしよう。……だが、話が進んでから「出来ませんでした」は通用せぬぞ?」
「オホホホホ、あら、怖い。ですが、どうぞご安心を。そのような不安があるような様で、危険を冒してまで金州衛に来る女ではありませんので」
「道具」と申すか……なんとも苛烈なおなごだな。
表面上はお淑やかなものを纏っておるが、しばしば見え隠れする強烈なまでの瞳の輝きはなんとも苛烈だ。
いかさま、商人の眼というよりは軍人の眼であるな。
「よし、話は承った。……だが、私一人で全ての決済が出来る物ではないというのは理解して欲しい。湊も話をせねばならぬし、明朝にも掛け合う時間が必要だからな……ただ、香港への手出しを禁ずる旨は私の方から現地へ出しておこう。それで良いかな?」
「勿論でございます。殿下の御厚情、深く感謝いたします」
そう言って、ユージェニー殿は右手を優雅に胸元に添え一礼する。
「はっはっは!そのように謙ることは何もないであろう。……レディとて立派な御家名をお持ちでしょうからな」
「……!!」
ふむ、太郎丸め、ユージェニー殿の仮面を剥いだか……。
彼女の出自はそれなりのものと、俺も思っていたが、どうやら想像以上のものがあるようだな。
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