第225話 競馬路と北の塩田

1595年 天正二十三年 啓蟄 館山


 どたばたたたたっ!

 どどたたばばららった!


 「これ、桜花ちゃんも椿花ちゃんも!あなたたちのお爺様とお婆様の手前なのですから、少しは静かになさいっ!」

 「「はぁ~い!!」」


 どたばたたたたっ!

 どどたたばばららった!


 「って、静かになってなぁい!!」


 どたばたたたたっ!

 どどたたばばららった!

 どたったたたった!


 駆け回る娘が二人から三人に変わった。


 「……っと、いいのかい?止めなくて?」

 「大丈夫ですよ、旦那様。梢も旦那様と同年で体力が有りますから」


 いや、俺が聞いたのはそういうことではないのだが……。


 「その通りです!父上が古河に移られたり、江戸に移られたりとしている間に、梢も妙印尼みょういんに様から十分な稽古を付けて頂いておりましたようですから、今ではいっぱしの剣士ですよっ!」

 「そうなのか、それは凄いな……」


 だから、俺が聞きたいのはそういうことではないのだが……妙に威勢よく妹弟子の出来を褒め称える我が娘である。


 しかし、妙印尼様、輝子婆さんは今でも元気なのかいな?


 「そう言えば、妙印尼様はお元気なのか?俺もだいぶご無沙汰してしまっているし……」

 「そう言われてみれば……最近は勿来に戻れていませんものねっ!どうなのです?笙?」

 「そうですね、妙印尼様も景文院けいぶんいん様とご同年、漆寿しつじゅの祝いを行なったばかりですから、お身体も以前のように……とは行きませんが、今でもお健やかにお過ごしですよ」

 「そうか、そうか。それは良かった」


 折を見て、ご挨拶に伺わねばならんのだが……如何するが吉かな?

 今年の夏ぐらいには時間を作って、勿来と羽黒山には向かわないと駄目か?


 ちなみに、今、双子を追いかけまわしている安中梢、沙良と美月からの質問に答えていた柴田笙、二人とも親族長老達の意向で俺の側へと送られて来た、俺と同年の娘なのだが、諸々の女性会議の結果、無事に沙良付きの女中として収まっている。

 どうにも、沙良さんには人を引き付けるカリスマが備わっているようで、うちの娘たちを含め、気が付くと沙良の配下に収まってしまうという謎。

 彼女たちは、今では桜花と椿花のお世話係になっている。


 「若殿様も鷹揚にばかりなされないで、きちんとご挨拶に足を向けた方が宜しいですよ?私の娘のようにしょっちゅう城を抜け出して湾を船で漕ぎ出す必要は有りませんが、孝行したい時には親居らず……とは為りませぬようにね」

 「はい、義母上。ご忠告、確りと……」


 有難いお言葉に一礼。

 けど、マリア・ルイーサさんも日ノ本の言葉だけでなく、こうした言い回しまでも流暢に扱うようになったよねぇ。

 金髪碧眼の美人さんなのに。


 とたったったった。

 すたったたた。


 娘たちが走り回るような足音とは別の種類の足音が聞こえて来る。


 すっ……さぁ~。


 俺が気付くより早く、美月が立ち上がり、戸のふすまを大きく開ける。


 「おやぁ、これは有難いこって。……ささ、奥方様、皆様。料理の準備が出来ましたからねぇ。どんどん持ってきますよって」


 両手に溢れんばかりの膳を抱えて、お女中さん達が部屋に入って来る。

 して、このお女中さん達。皆がなんとも彫の深い顔立ちをされた方々ばかり。


 今日は館山にお邪魔しているのだが、実は館山城にお邪魔しているわけではない。

 獅子丸の招待を受け、湊脇の高台に建てられた瀟洒なお宿にお邪魔している。

 宿の造りは、見慣れた和風という感じではなく、何というか洋風建築と和風建築を併せ持った様式のお宿だ。

 俺達が使っているこの離れの外観も、近くで採石されているという白い石で組んである。


 十文字一族で経営されているという館山の温泉宿。

 有難く、その料理を堪能させて頂こう。


 ぱんっ、ぽんっ!


 「はい!あなたたちもご飯が来たんだから戻ってきなさい!」

 「「はぁ~い!」」


 どうやらわんぱく娘達も母親の言うことには従うようだ。

 ……いや、あれは沙良の言葉を聞いたというよりも、単にお腹が減っただけなのかも知れないな。


 ちょこんっ。


 桜花が梢の膝の上、椿花が笙の膝の上にご着席。


 父親としては「俺の膝の上の座り心地も宜しいのよ?」と言いたくもあるが、やはりここは常日頃の付き合いの深さというか、お世話度の深さというやつなのかも知れない。

 ……少々寂しい現実よね。


 さて、畳の上に膳が整えられる。


 一の膳と言ったところなのであろうか、この膳の上には汁物にパンと焼かれたサルチーチャとハモンが供されている。

 汁物は魚介がふんだんに使われたサフランスープであり、パンはアメリカから持ち込まれ、今では館山名物となったトマトと大蒜が塗られた物だ。


 料理に使われている酪農製品は、安房でも少量は作られてはいるが、その大部分は那須の牧場から送られてくる。

 以前は、那珂川から水戸の湊で船を乗り換えて館山に届けられていたものが、今では鬼怒川と渡良瀬川を使って江戸に、そして、そこからの内航船で館山に届けられるという仕組みだ。

 この経路の変更によって、新鮮な品物がいち早く届けられることとなった。

 今では御三卿の一角となった佐竹家だが、元来当家とは別の家、関の問題やら税の問題なんかが未だにあったりする。

 そりゃ、前世の童時分の様な群雄割拠の時では考えられぬほどに商業路が簡略化、効率化されたとはいえ、やっぱり伊藤家の領内だけを通過する利便性とは比べ物にならない。


 ああ、そうそう。ついでに忘れちゃいけないのが、こうやって館山で新鮮な酪農製品を食べれるのは競馬路のおかげだということ。

 もう、競馬路とかいう通称が付けられちゃっているのが何なんだけれども、競馬場と牧を繋ぐ、立派な道路。土木奉行所の匠の技で建設されたこの通路が、この那須の牧場からの輸送を大きく助けているのだ。


 競馬路は旧奥州街道沿いに造られているので、この路はそのままに奥州から宇都宮の流通を一変させた。

 舗装された競馬路は、行軍以外での徒歩通行を禁止、人の移動は馬車を使ってのみとしているもので……いやいや、一種の流通革命が産まれてしまったね。


 その煽りで、那珂川の水運を担っていた黒羽衆の小栗さんの部署が少々暇になったということなので、競馬路の保全と休憩所の設置・運営を任せたところ、これが大当たり。

 当初は予想していなかった、水運と陸運の結合というか、良い塩梅での都合の付け方が興り、この数年で、黒羽衆は規模を以前よりも大きくして業務に当たっているそうです。

 実際、競馬路で就航されている馬車の多くは黒羽衆のものらしく、どうにも、水運会社から大規模流通会社へと進化した模様。


 競馬路……今のところは、本宮始点の宇都宮競馬場終点の一本だけだけど、今後、この仕組みの道路をもっと、もっと増やしていくのはアリだよね。

 費用と熱意の関係から、どうしても牧と競馬場の結び方になっちゃうのが欠点だけどさ。


 ……白河の関を越えられたのなら、次は碓氷峠を越えてみるか?

 信濃は元より馬産が盛んだ。

 盛んではあるんだけど……だけど、奥州馬と信濃馬・木曽馬系列は体格が相当に違うから競馬での走破能力を比べてしまうと微妙なんだよなぁ。


 う~ん……ここは専門家の知恵を借りるか!

 紫も蝦夷地から帰って来てるだろうしね!


天正二十三年 啓蟄 石狩湊 伊藤伊織


 「新春も過ぎ、だいぶ日は伸びましたが、まだまだ蝦夷地は、特にこの石狩湊は冷えますな!」

 「そうですね。石狩館から港までの僅か二里の移動も、まだまだ身体に堪えますね」

 「はっはっは!何を、何を!伊織様の頑健さ、我らアイヌの民も見習わねばと思うほどでございますぞ!」


 口々にアイヌの頭領の方々は、俺の頑健さを褒めてはくれますが、実際に身体の方は言うことを聞いてくれなくなってきているのです。

 俺も、今年で七十七。喜寿の祝いというものを新年に集まった江戸で、そしてこの石狩で皆が設けてくれました。

 当家は長寿の系譜といえど、流石に寄る年波には勝てぬというもの。

 一昨年には祥子に先立たれ、今も蕪木が小田原で養生に努めています。


 亡き樹丸との約束で、この身が朽ち果てるまで伊藤家の為に働いてみせると決心しましたが、どうにも限界はありそうです。残念ではありますが、不思議と悲しくは有りませんね。

 父上も、晩年はこのような心持ちだったのでしょうか?


 「ともあれ、伊織様のおかげをもちまして、この石狩にこうまで見事な湊が出来上がりました」

 「ああ、正にその通り!」

 「そして、伊藤家の定期船が就航することで、石狩での月の市が盛大に行われる運びとなり、冬の間でも十分な品を買い求めることが可能となりました」

 「ああ、正にその通り!」

 「我らも冬備えを欠かさぬように日々を生きてはおりますが、どうしてもその時になってから足りぬものが出てきてしまいます。今までは、それこそ力に任せて掻き集めてきたものもありましたが……。今ではそのようなことは昔となり、こうして湊に出向き、市で贖うことが出来るようになりました。真、蝦夷地も平和になり申したわ」

 「ああ、正にその通り!」

 「……っと!さっきあから旭川のはそれしか言えんのか?!」

 「むっ!なんだとっ!!」


 はっはっは。

 長年に渡る築港を経て、今ではこうしてアイヌの頭領達と日ノ本の言葉でこのようなやり取りが出来るようにもなった。


 以前は千歳の関の南側、ストゥシャイン殿の領内でしか十分に育たなかった麦も、金州衛の信長より送られてきた春麦のおかげで、滝川たきがわ深川ふかがわ旭川あさひかわにまで麦畑が広がることとなっている。


 単位収量では冬麦には敵わぬまでも、麦畑に転用できる土地は千歳から北の方が広いからな。こと、収穫総量で言うならば、蝦夷地の麦作は千歳川、石狩川、夕張川流域に軍配が上がろう。

 今後、更なる開墾と人手が増えて行けば、蝦夷地での自給分を超え、南で商う量も相当なものとなろう。

 結構なことではないか。


 「まぁまぁ、旭川のも夕張のもそのぐらいにせぬか?伊織様が呆れておるぞ?」

 「「む、むぅ」」


 別に呆れてはおらぬぞ?札幌の。


 「こうして、石狩の湊は完成をみた。さすれば、伊織様はこの地より去られ、新たなる任地へと向かわれるのであろう。その前に、我らは二三話さねばならぬことがあるのではないか?」

 「おお、そうであったな!札幌の!」

 「そうだ、そうだ!ことは俺の土地の付近の話だな!」


 ふむ。

 俺に相談、若しくは了承しておいて欲しいことですか。

 ある程度の想像は着きますが、ここは黙って話を聞くとしましょうか。


 「実は伊織様!俺の土地、旭川は石狩川の源流を含む広大な土地だ!大地も麦と芋の栽培に適しているし、山から作物を荒らしに来る獣を狩る勇者たちも大勢いる!」


 ほう、それは結構なことだ。


 「そんな俺のところに、北隣のナイオロの頭領が相談に来たのだ!」


 旭川の頭領の話を要約すると、物資に困った隣の部族が助けを求めに来た。

 ……と、どうやらそういうことらしい。


 「だが、ナイオロとしては、塩を融通してくれている海の部族達との仲も気にしなければならないというのだ!我らのように伊藤家と付き合ったことの無い奴らは、倭人との交易をし、畑仕事に精を出すアイヌを軟弱者と見下す向きがある!怪しからんことに!」


 なる程。

 ナイオロは我らと交易をしたいが、必需品である塩の取引相手の部族が倭人との取引を良しとしない。

 ついては……ということですか。


 「旭川の、一つ伺っても良いかな?」

 「勿論ですとも!何なりと!」

 「もし、塩を石狩で大々的に作ったとして、それでその海の部族というのはどうなりますかな?」


 こちらとしては、あまり武力による統一行動というものはしたくない。

 兵を整えるにしても費えが掛かるし、奥州より呼び寄せるには手間がかかる。

 出来得れば、消費だけの為の行動よりも、後の生産に繋がる行動を行ないたいところだ。


 「伊織様の言う「大々的に」ですか!それはなんとも空恐ろしいことですが……多少の争いは産まれるかも知れませぬが、元より人の数が違います!それほどの血が流れることなく収束すると考えますぞ!」

 「そうですか、それならば良いですね。……私の滞在を今少し伸ばし、この石狩に大規模塩田を作るとしましょう」

 「「おお!!」」


 冬の間は難しいでしょうが、春から秋にかけての石狩の気候なら勿来の仕組みと同じものが使えるでしょう。

 あの枝条架塩田とやらをここにも造ってみましょうかね。


1595年 xxxx xxxx


 「ひぃ、ひっ……」


 ばしっ!


 「休むんじゃない!お前の様な新羅者に休む暇などがあるものかっ!」

 「ぐっ、ぐぁっ!」


 どすっ!がすっ!


 「ちっ、動かなくなったか。……おい!早くこのごみを外に運び出せぃ!」

 「「へ、へぃっ!」」

 「……全く使えん奴らよ。……この鉱山は王淑様の御叡智により生み出された有難いものだというのに、こやつらはちっともその事を理解しておらん!感謝と敬意の念が足りんから、簡単に休もうとするのだ!ほれ!働け!働け!」


 ばしっ!びしっ!がすっ!


 「っく……成り上がりの糞役人どもめ!」

 「おい!万が一にでもそんな言葉を聞かれでもしたら大変な目に遭うぞ!」

 「ふんっ、どうせ奴らは坑道の奥までには足を向けんさ。危険な場所に立ち入る勇気など、農奴上がりの糞役人どもが持ちよう筈も無い!」

 「確かにな……。あいつらはほんの数年前までは、我らの足元に這い蹲って田畑を耕すしか能が無い農奴ばかりであったのにな」

 「全くだ。……それもこれも、我ら崇高なる大朝鮮国と明との戦にしゃしゃり出て来た小倭人共の所為だ!」

 「奴らめ、東の果ての田舎島国で満足していれば良かったものを、大朝鮮の富を分不相応にも欲しおってからに!」

 「その通りだ!百済などという古の汚物を復活させた小倭人どもめ!」

 「「必ず報いを受けさせてやるぞ!!」」

 「だが、……どうやって事を為すのだ?」

 「どうやってだと?!そんなことは!……そんなことは!」

 「どうやってだ?今の我らはこうして鎖に繋がり、日々危険な岩掘りをさせられている存在……」

 「されど!……されど!」

 「ああ、望みは失うな!……言うても鉱山の警備はそれほど大がかりではない。後先を考えなければ、蜂起することは可能だろう」

 「確かに可能だ。……だが、それでは去年のように、鎮圧軍がやって来て、蜂起に加わった皆が殺されるだけだ」

 「「そうだな……」」

 「そう、確かに鉱山に踏みとどまっては去年の二の前になってしまうだろう」

 「……うん?」

 「俺は外への運搬の人足もやらされているからわかるんだ。……どうやら、俺達の様な鉱夫はここだけじゃない。太白山脈に沿って、多くの鉱山で強制労働に従事させられているのだ」

 「「……」」

 「始まりは俺達だけかも知れん。だが、俺達と志を同じくする同志は他にもいるはずだ!」

 「……他の鉱山でも蜂起させるか。……だが、蜂起してその後はどうする?人数が膨れ上がれば、それだけ物資が必要になるぞ?食い物はどうする?」

 「食い物か……それなら、俺に案がある」

 「……聞こう」

 「俺には弟が何人か居てな。……俺は最後まで大朝鮮に殉ずるべく、山に籠ったのだが、生憎と志低い弟たちは逃げ出したのだ」

 「……」

 「弟たちは志は低かった分、狡知には長けていたようだ」

 「……勿体ぶるな」

 「ああ、すまん。……そのだな。弟たちが言うには、長白山脈を西に越えた先、遼東平原には実り豊かな大地が広がり、そこでは出自に頼らず、大きく人手を募集しているのだという」

 「なっ!!誇りある我らに農奴になれとでも言うのか?!」

 「そうではない……。思い出せ!この話の始まりは何であった?」

 「そりゃ、食料の話……っと!そういう事か!」

 「ああ、そういう事だ。実り豊かな大地があるというのなら、我ら同士の腹を満たす物があるというものであろうさ」

 「そうだな!作物にしても、無為な生を貪る有象無象に食されるよりは、崇高なる使命を担う我ら大朝鮮の同志に食されてこそというものであろう!」

 「「そうだ!そうだ!!」」

 「「大地の支配者は我らだ!」」

 「「大朝鮮万歳!李朝万歳!大朝鮮に栄光を!!」」

 「「大朝鮮に栄光を!!」」

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