第216話 ルソン沖海戦

天正二十一年 春 金州衛 織田信長


 「どうやら、獅子丸様に率いられた艦隊が呂栄に向けて出港したようですな」

 「……で、あるか」


 呂栄の総督府への脅しの為に、獅子丸が艦隊を率いて出港した。

 新型の横浜雅礼音……俺達は外洋戦列艦と呼んでおる、大砲を通常の雅礼音よりも多めに装備した船、十隻で向かうのだという。


 くっくっく。

 そのような船団、噂に名高いレパントの海戦にて取り揃えたという数百の船で構成された艦隊でも無ければ相手などは出来まいな。


 「信長様は残念ではないので?」

 「うん?何をだ?」

 「いや……某が聞き及んだところでは、信長様は若かりし頃、亡き景藤様と艦隊を率いて外国と商いに向かう旨の話をされたとか……」


 おぅ!その話か!


 「くっくっく!それはなんとも懐かしい話を聞いたではないか?重門よ」

 「……」


 いや、別に叱責しとるわけではないぞ?


 「確かにそのような言葉を交わしたこともあったがな……なぁに、今の俺はこうして異国の明朝で大いに暴れておるではないか?それに、渤海湾では海戦も経験させてもらったしな!」

 「はっ、はぁ……」


 そういえば、あの時は重門もちびり倒しておったのぉ。


 「ともあれだ!俺はこの東北平原の開拓に忙しいのだ……呂栄にも行ってきたかったのは間違いないところではあるが、こちらを放り投げてはいかんからな。それに、今年からは金州衛近郊の開発には竹千代のところも本腰を入れると決めたようであるし、お隣、朝鮮の領である義州には百済朝廷の推薦を受けてどこぞの日本人が赴任するというではないか。こちらも楽しみが尽きることが無いわ!」


 そう、昨年の我らの収穫を見て、どうやら氏郷めが竹千代をせっついたようだからな。

 その献策を受けて、徳川家も金州衛の農地開発に人と物を大量に送り付けてきておる。

 おかげで、金州衛の発展は目をみはるばかりよ。


 とことっ、とことっ、とことっ。


 む?光秀か。


 「……信長様。義州城主がお見えになりましたので、どうぞ館の方へお戻りを……」

 「うむ、相分かった……では、重門よ。済まぬが、今日の船荷の確認は頼んだぞ?」

 「はっ!お任せ下され!!」


 今日は能登より信忠の船団が到着する予定だったのだがな。

 客人が到着とあれば致し方あるまい、ここは館に戻るとしよう。


 「馬を曳いて来い」


 俺は近侍の者にそう言いつける。


 「よろしいので……?此度の船には信忠様もご乗船されているとか?」

 「構わん。……別に俺ら親子は至って健康だからな、今日会えずとも構うまい。それに船は何日かは金州営に滞在するのであろうから、明日には倅も俺に挨拶に来ようというものさ」

 「左様ですな……荷の降ろしだけではなく、積み込みもありますからな」

 「そういうことよ……はっ!」


 俺は曳かれて来た馬に飛び乗ると、気合を一つ入れ、館への坂道を目指して馬を走らせる。


 こちらで収穫された米、麦粉、大豆や芋類に甜菜などなど……どの程度のものが、どの程度の輸送に耐えるのか、どのような品質のものが日本に届くのかを試験するのだという。

 目録の確認も複雑であろうし、積み荷の確認にも時間は掛かろう。


 そうよな……信忠とは明日にでも、ゆっくりと自慢の風呂に案内して語り合えば良かろう。

 館からは離れるが、湊の離れには風情の良い温泉宿などもあるからな。

 温泉につかりながら、親子水入らずというのも悪くはあるまい。


 ……

 …………


 「苟も麻呂が帝の推薦を受け、百済王の任命を受けた義州城の城主、岩倉具堯いわくらともたかでおじゃる」

 「ほぉ?左様か……俺は織田信長だ」


 岩倉……とは聞かぬ公家だな。

 どっかの新しい家なのかも知れぬ。

 だが、知らんものは知らんな。

 一応の名乗りは受けたのだから、こちらも名乗りは返しておいてやろう。


 「……」

 「……」


 なんじゃ?こやつは?

 年は三十はいっておろうが……そのように阿呆みたいに口を半開きにしおってからに……。


 「用件は挨拶であったかな?ならば、これにて御免。お互いに近くにおるとはいえ、日本での隣国とは距離が違うからな、今後顔を合わす機会も無かろうがよろしく頼む。金州衛での安全は俺が保証する故、心行くまで観光するが良かろう」


 これ以上、わけがわからん上に、何の益もない公家との面談に時間を費やしてたまるか。

 用件が無いのなら、とっとと任地へ戻って己の務めを果たすが良かろうに……。

 特に、義州周辺は前の戦にて大いに荒れ、土地は有ろうが人が満足にはおるまい。

 まずは十分な巡撫と警邏を行なわねば、人は戻って来んぞ?


 「よろしいのですか?信長様?」

 「ん?……挨拶がしたいと言われたから、俺は挨拶をしただけだぞ?……まったく、無駄なことにいちいち俺を呼び出すな、氏郷よ」

 「申し訳ございません……」


 とっとと応接室より席を立ち、もう一度湊へ戻るために館の外に向かう。

 光秀の問いかけに軽く答えつつ、後ろの方についてくる氏郷に小言を言ってみたのだが……ふむ、何やらを言いたそうな雰囲気だな。


 「何か気になることでもあるのか?」

 「はい、信長様のお耳に入れておきたいことが少々……」

 「……で、あるか」


 ならばと思い、俺は湊に向かうべく山を下りるのではなく、伊藤家の館がある方向、山の上へと足を向ける。


 金州衛の館……。


 館と呼び習わしてはいるが、物は古代の山城を改修して使っておるので、日本の感覚で言うのならば十分に「山城」と呼べるやつであろう。

 先ほどの応接に使ったのは、事務方の執務所も兼ねておる本丸部分で、今から向かう山上の部分は、さしずめ奥の丸といったところか。


 すたすたすたっっ。


 俺は足早に屋敷に入ると、己の書斎に光秀と氏郷だけを招き入れた。


 「……して?」


 氏郷に先ほど気になると言っていた話をさせる。


 「はっ!……かの御仁、岩倉殿は源氏長者であった久我晴通こがはるみち殿の晩年の御子息になります」


 久我、久我、久我……どこぞで聞いたような気もするが……それよりも源氏長者の久我だと?

 ともなれば、五摂家の流れを汲んでおるのかも知れぬのか……だが、九条の流れなれば、当家の者に対して公家言葉なぞは使わんと思うのだが?

 もしや?


 「……また、こちらが当家の殿より某宛てに送られてきた、岩倉殿の素性調査の文です」

 「ふむ……?」


 竹千代がいちいち、部下を通じて俺に送ってくるほどの物とは?


 ぱさっ。


 氏郷から文を受け取り、中身をあらためる。


 ……


 「……日本の公家など、もはや過去の遺物で、後は時代の波に呑まれて消えるだけだと思っておったのだが……ここに来て近衛の血脈だと?」

 「なっ!!……信長様、失礼いたします!」


 なにやら、慌てた顔で光秀が文を奪って行ったな……珍しいこともあるもんだな。


 「……こ、これは……氏郷殿、これは真のことで?!」

 「某も配下の者達を使っての調査ではないので確とは言えませぬが……殿の下には、この手の働きに優秀な一族が数多居ります。その者達を使っての内容であるとの隠語も含まれておりますれば、先ずもって間違いのない話であると思いまする」

 「な……っ」


 光秀も声を失うことがあるのだな。

 これは良いものを今日は見せて貰ったぞ!


 「そう驚くことでもあるまい?光秀よ。……元より、当家では京の勢力、特に王家と公家に対しては無関心を貫いておった。天正十三年に始まった畿内仕置きでも、特に誰ぞの首を三条河原に並べたというものでもなかったからな。……確か、その辺りは景基様と景貞様が指揮をお執りになり、六波羅探題が設置されておった頃合いに処置が済んだ話だったと記憶しておる。まぁ、公家の羽虫の如き生き意地を考えれば、幾人かの生き残りがいたとしてもおかしくはあるまい。……だが、問題は日本では家の存続や継承、新家の設立などが許されるはずもないであろうが、そのような男が朝鮮の義州で城主だと?どうにも百済という国は正体が見えんな」

 「……」

 「はっ、我が殿が信長様にお伝えしておきたかったのはそのようなことであるかと……伊藤家が早々に朝鮮から手を引かれた流れを受けまして、大老家の多くが朝鮮からは引き上げております。形としては、明より移った扶余公主が百済王として即位され、李朝の下で冷や飯食いであった西人派を使って国を治めております」

 「……」


 我らも明も、朝鮮の直接統治などといった面倒事とは距離を置きたいからな、百済という名で国が運営されるのならば、こちらとしては願ったり叶ったりだ。


 なんといっても、先の戦で、朝鮮にはほとんど軍と呼べるようなものは残っておらぬのだ。

 ……それこそ、蒙古の遊牧民のように、十五歳以上の男子は全てが軍兵である!などとやらぬ限りは治安維持で手一杯であろうからな。


 「……で?」


 俺は先を促す。


 「はっ、斯様に大老家は多くが朝鮮から手を引いたのですが、どうにも尼子家だけは足しげく船を朝鮮に送っており、定期航路の様なものを確立しておるとのことです」

 「ふむ……元より朝鮮との交易は尼子家の大事な収入源であったわけだからな、一番熱心に朝鮮へ船を送ることに疑問を挟む余地はないと思うが……」

 「ええ、船が荷のみを運ぶのならば問題は無いのでしょうが……」

 「人?!……まさか、尼子は処罰を逃れた公家どもを!?」


 む?

 どうにも光秀は公家に関心が高いようだな、何ぞ流浪時代に因縁でもあったのか?


 「そうですね、人……というのは正解ではありますし、その中には処罰逃れの公家も流れております……だが、それ以上に厄介な御仁を朝鮮に送って密会を重ねさせているとの噂があるのです……」

 「……勿体ぶるな」


 話は勿体付ける物ではないぞ?

 そのような遊びは俺が太郎丸に行う時だけで十分だ。


 「……当家でも裏は取れていないのですが……密会を重ねているのは、帝と扶余公主とのことで……」


1593年 天正二十一年 晩春 ルソン沖 十文字獅子丸


 「貴方ほどの人物がこのようなことになるとはね……」

 「そう言うな、レオンよ。俺としてもスペイン、アメリカ、ルソンと世界を動き回っていたのだ。こういうこともあろうというものさ」


 私の軽口に対して、軽く肩を上げ、両手を広げて答えるアルベルト。

 

 海から上がってきたばかりの彼は、上から下までびっしょりだ。


 「ただ……その前に……申し訳なかった、レオンよ。エストレージャ姉上のことは俺と兄上のミスだ……許してくれ」

 「……いえ……あの姉上のことです。幾ら年を取ったとはいえ、本気で逃げ出そうと思ったのならば、マドリッドの王宮からでも逃げることなどは朝飯前だったのでしょう。だが、それを行なわなかったのです……姉上なりのお考えであったのだと思います」

 「……そうか」


 ええ、王宮の最奥に幽閉されていたマリア・ルイーサをも、いとも簡単に連れ出した姉上です。

 本当に、逃げようと思えば逃げれたのだと思います。


 「で、首尾は?」


 アルベルトの謝罪は受けました。

 姉上の話はここで終わり。

 これからは、伊藤家に仕える十文字獅子丸としての仕事ということです。


 「ああ、文で伝えたように、ルソンの総督府は新王派3割、アメリカ派が2割、残りが日和見派だ。何とか、お前の艦隊が来たことを受けて内部に混乱を引き起こして、新王派が暴発するように仕向けることが出来た。近々、新王派の艦隊がお前の艦隊を殲滅すべく出港するだろうよ」

 「それは有難い……で、彼らの装備は?」


 ルソンでは多くのマニラガレオンが駐留、建造されていますし、購入された横浜雅礼音も数多く係留されていることでしょう。

 こちらは、新型の戦列艦で構成された艦隊とはいえ、横浜雅礼音辺りを何十と向けられては、少々厄介なことになりかねません。


 「ジパングから購入したガレオンはアメリカ派の船長で占められている。新王派と日和見派は旧式のマニラガレオンしか動かせん。しかも、戦列艦仕様の物は1隻も無い……すべてが、旧来のというか、小口径の青銅製大砲のみだな」

 「……そうですか。新型鉄製砲は有りませんか……」


 ならば、風を読み間違えなければ我が方の勝利は間違いがなさそうですね。

 射程は向こうの方が上ですが、5リブラ程度の砲弾など、たとえ数発受けたとしても問題は有りません。

 存分に、こちらの30リブラの主砲をお見舞いしてやりましょう。


 ……

 …………


 「艦影30!北北東2ミーリャ半!!」


 主帆の上から観測兵の報告が入る。


 宜しい。


 「2ミーリャより船首砲で攻撃開始、着弾観測の後、2発で回頭を始める!」

 「了解!2ミーリャより船首砲で攻撃開始、着弾観測の後、2発で回頭を始める!」


 私の命令を艦長が音声管を使って各所に指示を伝える。

 他の船には事前に指示を伝えているので、旗艦に合わせて2発ほど撃つこととなる。


 「2ミーリャ!」

 「撃てぃっ!!」


 ドウンッ!

 ドウ、ドウンッ!!


 船長の命令によって旗艦よりの砲撃が行われ、それを契機に僚艦からも砲撃が始まる。


 「あ、当たりました!!二隻に命中!1隻小破!……もう1隻はマスティル・プリンシパルが倒れました!」


 音声管を通して、観測兵の歓声が聞こえて来る。


 ふむ、修正を入れずとも、初撃で2発も命中とは……これはツイているな。


 「修正後2射、帆の用意!」

 「了解!修正後2射、帆の用意!」


 2発命中も艦橋内では静かなものだ。

 誰に言われたというものではないが、私の指揮する船の艦橋内では騒ぎ立てることを良しとしない風潮がある。


 ドウンッ!

 ドウ、ドウンッ!!

 バッシャァッ!!


 こちらの追撃も行われるが、相手からの応射も行われている。


 「続いて、5隻に命中!小破3、大破2!!」


 観測兵は浮かれた声を上げているが……いかんな、我らの艦隊は練度が高すぎる。

 向こうの不運と練度の低さもあるのであろうが、こうまでに挨拶段階の砲撃で命中をしてしまっては、向うが早々に逃げてしまうでのはないか。


 しかし、わざわざ敵の砲弾に中るというのも……太郎丸様よりお預かりしている船を自分から傷つけるというのは気が向かない。


 「安心しろ、レオン。……奴らはお前の想像よりも焦っているからな、今回の出港である程度の軍事的成果を持ち帰らねば命が無いとまで思い込んでいる」

 「そうですか、それは、それは……」


 アルベルトの工作というのも容赦ないな。


 それでは、精々、こちらの策を最後まで堪能して貰うとしよう。


 「作戦通りに行動する。狼煙弾を打ち上げて後、150度回頭!帆を張り、追い風を西南西へ向かう!」

 「了解!狼煙弾を打ち上げて後、150度回頭!帆を張り、追い風を西南西へ向かう!」


 アルベルトの言う通りならば、敵艦隊は総帆で追い風を受けて追いかけて来るのだろう。


 ふむ、行き足の付いた船、そうそう簡単には止まれぬのだがな。

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