第215話 砲艦外交
天正二十年 初冬 壱岐島 伊藤景基
「景基殿もこのようにしてまで博多を出なくても良かったのじゃぞ?父からも伊藤家とは誼を十分に通じておけと言われたもんじゃし、
「何を言ってるんだい?お前……お前が心砕いて景基様をもてなしていたことは十分に伝わっている筈さ。……嘆くのはおよし……」
「宗茂様……」
なんだろう。
私の話から始まったはずなのに、気が付いたらこの夫婦は二人で抱き合ってしまっているとは、なんとも、まぁ……。
しかし、不思議なのは、この二人を見ていても一向に羨ましいというか……古河に残している妻たちを想って寂しくなるということが無いのは不思議だ。
「も、申し訳ありません。景基様……」
誾千代殿と宗茂殿が二人の世界に旅立った後、私の方に申し訳なさそうに頭を下げるのが豊久の仕事となるのはいつものことか……。
「気にするな。なんというか……私も慣れているからな」
「も、申し訳ありません。景基様……」
そう、肩を狭めてまで再度謝ることは無いぞ、豊久よ。
ちらっ。
どうやら、誾千代殿と宗茂殿がこちらの世界に戻って来るには時間が大いにかかりそうなので、二人を意識の外に外して、私は眼下の工事の進み具合を確かめる。
ここは博多から五海里ほど西に向かった島。
南北に四と半里、東西に三と半里ほどの大きさの
この島は平戸の
この決定に至った最終的な経緯は、壱岐島の勢力が松浦家、少弐家、龍造寺家、有馬家といった肥前・肥後の武家それぞれに援助を申し込み、更にはその家々の家督騒動までをも組み込んでの争いに発展しかかった為だ。
大友領は大友家が太宰府将軍家、大老家として九州・西国を統治する形にはなっているが、伊藤家の東国統治などとは違い、その支配領には多くの領主が各個に支配権を残している。
それら領主達も、当家を中心とした六大老の日ノ本統治の形を受け入れ、上様のことを「上様」と仰ぎ、礼節をもって接してはいるが、やはり領内のことでは独立独歩の気風が強い。
そのような中で、多くの領主を巻き込んでの壱岐島騒動。
大友殿としては断固たる姿勢と処置を見せることで領内の引き締めを図ったということだろう。
また、この取り上げの裁の後も、そのままに大友家の家臣が領主なり、代官なりに赴任してしまっては、後々にしこりを生むと判断。
ならば、いっそのこと伊藤家に預けてしまえ……となったようだ。
私としても、博多の長逗留は気が引けていたため、この話には渡りに船とばかりに飛びつかせてもらった。
それに、何と言っても、この壱岐島は金州衛からの船の中継地点としては最適な場所にあり、島の形も東西に絶好の風よけ湊を造るに適していることは見逃せない。
問題は、島単独では十分な田畑を維持するのが難しい所か……。
平地は狭く、場所が限られているし、稲を育てるための水を確保するには、島全体での水管理も難しい。住民の飲み水分は確保できても、田畑まで含めるとな……。
山を崩して川を新たに造る程の事は無い……というよりも、そのようなことをして何人をこの地に住まわせるのだと……。
結局、壱岐島では騒動が起き、人が減った故、刀持ちは一人残らず処払いが命じられ、伊藤家の領地となる旨の結論が出た。
「「えいほっ!えいほっ!」」
風に乗って、築港に勤しむ人足達の掛け声が、丘の上の社のここにまで届いてくる。
「……ご覧のように、景基様のご指示通り、先ずは東側の湊造りを第一としております。勿来の湊までとは到底参りませぬが、年内には桟橋二つは完成し、雅礼音の寄港も可能となる物が完成するかと思われます」
と、勿来、古河と伊藤家の土木奉行で修行をした豊久が胸を張る。
「ふむ。見事なものだな、豊久よ」
私は心より賛辞を贈らせてもらった。
なんといっても、当家の土木奉行所には、工事の大元を指揮する人材が少ないのだ。
ここは他家、大友家の家臣であるとはいえ、豊久の様な人材は大いに育てて行かなくてはならない。
「ありがたき幸せです!」
ふふふ。
さて……と、今日の視察も終えたので、一度博多に戻ろうかと思ったところで、博多方面より当家の旗を靡かせて、一艘の早船が湾内に滑り込もうとしている。
む?
「あれは、早船か……誾千代殿、宗茂殿。少々問題事が起きたようだぞ?」
私はそう二人に告げると同時に、丘上の社、荒れ果てた島内の社寺を統合し、鎌倉の鶴岡八幡宮寺から人を呼んで再建した八幡宮寺から湊へ向けて走り出した。
1593年 天正二十一年 正月 江戸
二年連続で……って、二年だけだっけ?
ともあれ、年が明けて早速の評定で問題発生というか、発生した問題をについて話し合っています。
「ふぅ……島津家と長曾我部家が合同で出した船団が
深いため息とともに、景貞叔父上が眉のあたりをかきながらそう言う。
「はい。私が聞いたところでは、彼ら自身はひどい扱いを受けたということは無いようですが、ありもしない禁制品の抜け荷疑いを掛けられ、積荷の没収をちらつかせられているようです」
「一丸……それは濡れ衣で間違いないのね?」
「左様です、大御所様。私で見える範囲の資料では、彼らが問題になりそうな禁制品を扱っているようには思えませんでした」
「そう……」
数名の船員あたりは何かしらの悪さをしている者もいるだろうけれど、船をどうこう、積み荷をどうこうで獄に繋げるとかまでの行いはしてないだろうからなぁ。
一丸が調査済みというのもあるけれど、島津家と長曾我部家の「家」が関わった船団の話だもんね。
呂栄あたりで手に入る禁制品の密貿易で手に入る銭など、領内統治で上がる富とは比べ物にならぬ、本当に微々たる額だろう。
全くもって、危険性と利益の均衡が取れない話。
どっちの当主も、そんな愚か者だとは聞かないし、家政の中心にもそのような愚物が蔓延っているとは聞かないもんな。
「一丸兄上が調べて、そういった話であるのならば、彼らの狙いはただ一つ、日本の値踏みでしょうな」
「ふんっ……あまり気分が良くはないな」
「確かに……私は直接話した数は少ないですが、アルベルト卿などはそのような小賢しい行いをするような人物には思えませんでした。……これは、呂栄の総督府内でも何かが起きましたね」
伊織叔父上の推測も外れてはいないとは思うけど……。
今までの流れで言えば、呂栄と日ノ本の話はスペインの呂栄駐留艦隊が持ってくるのが常だった。
呂栄に総督府があるとは伝えられているが、今までは全ての話は軍服を着た人間が持ってきていた。
それが、今回は総督府の名前が前面に出てきて、当家には獅子丸の所を含めて一切の話が直接齎されてはいない……。
「「売られた喧嘩は買わねばなるまい!」」
血の気の多い、一門衆の重鎮、景貞叔父上と伊織叔父上が非常に物騒な発言を同時に行った。
……止めてくださいよ。
「私も叔父上達と同意見ではあるけれど……仁王丸?どう思う?」
「左様ですな……」
姉上の言葉を受けて仁王丸が話し出す。
「やはり、ここは一連のスペインでのことが影響しているのでしょう。十文字の一族がアメリカで独立を果たし、他の副王領も独立宣言しました。このことで、それまで本国の財源を潤してきた銀の道が途絶えました。……スペインの新王としては、国内やヨーロッパでの税制改革と共に、海外領地からの銀の掻き集めの方針を強めているのでしょう。……今回の呂栄の件は、そこに端を発していると思われます」
「仁王丸が申すことはその通りなのであろうが……その事情、結局はスペインの国内の話であろう?我ら日ノ本に火の粉を巻き散らかせて来るのは止めて欲しいのだがな」
景貞叔父上の率直な感想は、ある意味その通りの話だ。
やるなら自分たちで勝手にやってくれ……ではあるんだが、呂栄と日ノ本は頻繁に行き来が有るからなぁ……今回みたいに大老家の旗を掲げた船団が行き来もするし、民間商人たちの合資による船荷便も就航している。これは利益の九律波によるアメリカ遠征から生まれた方法だな。
今では当家の少なくない数の雅礼音がこの方法によって、堺、林、鹿島などと呂栄を行き来している。
そのような状況では、向うの政変がこちらに影響してくることは避けられないだろう。
……面倒なことこの上ないけどね。
「さりとて、現地の情勢がどうであれ、呂栄とは今後も付き合っていくしかありますまい。彼の地より齎される香辛料は、もはや日ノ本にとってはなくてはならぬものとなっておりますし、呂栄麻で作られた長綱は船作りには欠かせません。また、工房で活用の研究が始まった
「ふむぅ……面倒この上ないな!」
どうやら、俺と景貞叔父上は同じ感想を抱いたみたいだね。
「そうですね……石狩の湊造りでも、護謨素材は色々と試しで使っている最中ですしね。その供給が途絶えるというのは勘弁してもらいたいところです。……ですが、そのあたりの大規模農場はアルベルト卿やエストレージャ卿の息が掛かっていたのでは?呂栄の体制が変化するとなると、そのあたりの流通よりも前段階での問題……そもそも、その大規模農園が継続されるのかどうかという心配が出てきますね」
ああ……それはそうなるよね。
伊織叔父上が言うように、十文字家の伝手で始めて貰った農園なんかは、総督府の人間にとっては有用性が見えないことだろう。
呂栄麻、アバカに関しては当家だけではなく、日ノ本の多くで需要があるもんで交易品の一つとして銭を稼いでいるだろうけれど、ゴムのほうはなぁ……。
当家でも、まだまだ実験と試験運用としての活用段階であって、日ノ本全体で欲しがっている産物ではないもんな。
……一応は農園が維持できるような値段での買取をしてはいるが、向うの人間からしたら、別の作物なりを植えて、もっと大きな利を貪りたいと考えたとしても不思議なところは無い。
「獅子丸に尋ねたいんだけど、呂栄の十文字家の……というか、今までのように当家と仲良く話が出来る勢力が呂栄で実権を持つ形にはどうすれば良いと思うんだ?」
考えてもわからないことは、わかりそうな人に聞け!
ってことで、会話の合間を見計らって、獅子丸に質問してみる俺。
「はっ……これは未だ不確定情報ではあるのですが、一説ではアルベルトとその兄のアルバロ……スペイン海軍の総司令を長年務めた男ですが……彼はスペイン新王により処断されたのではないかと……」
「「……」」
「アメリカ経由の裏も取れた情報では、少なくともアルバロは総司令の座を下ろされ、現状の司令官位は空白。アルベルトはカディスの一族を集めてアメリカへの移住を指揮していると……」
「……大事ではないか……何故、もっと早く伝えんのだ……」
「申し訳ございません……景貞様の仰る通りでは御座いますが、先ほども申した通りに情報の裏が取り切れてはおりませんでしたので、中途半端な話で皆様を混乱させるわけにはいかぬと思いました」
景貞叔父上の言はその通りだと思う一方で、獅子丸の言にも一理あると思う。
なんといっても、電信・電話などが存在しないこの時代、情報の伝達は手紙などの物理的手段に限られるからなぁ……。
どんなに、無駄なく、快速船を経由しての情報だとしても、スペイン王宮内での情報など二月以上掛かってしか、流石の獅子丸でも入手出来ないだろう。
考えようによっては、たった二月?!ってなもんだよね。
「しかし、そうなるとメンド……いやいや、複雑な事態だよね」
じとっ。
俺のあわやの失言に、周りの視線が痛いです。
最後まで言わずに、途中で飲み込んだというのに……。
「今回の件に限らず、外交的な解決を目指すには、日ノ本の事情に通じて、友好的な人たちが呂栄の実権を握っていてもらいたいと思うんだけど……って、そこはどうなの?アメリカのルベンさんの部下とかで呂栄を治めることは可能かな?」
「ルベンの配下にですか……それはちと難しいかと。……アメリカに友好的な人物を総督府の上層部に付けることは可能でしょうが、直接人を送り込めるほどに、アメリカの人材は多くは有りません」
ですよねぇ。
人材の送り込みが可能だったら、ルベンさんの部下が、南北アメリカ大陸を抑えていただろうしね。
「人の送り込みというのなら、いっそのこと日ノ本から……というのは無理な話か、いや、忘れてくれ」
「兄上の考えは、私も頭に
うっ!
伊織叔父上のスマイルが心に痛い……。
「何と言っても呂栄はスペインの影響下にあって長いですからね。これを日ノ本が取って代わるとしても、現地の支配体制の構築には長い時間がかかるでしょう。……なにより、そもそもの言葉が違いますからね、人の把握からして難題でしょうから……ここは、呂栄の総督府を上手く使うことを考えるのが賢明と考えます」
「でしょうねぇ……」
「「うぅん……」」
考え込む一同。
「ともあれ、先ずは話し合いの場を設けねばならぬでしょう。……こちらから、ことの解決を図る使節を送る。次いで、呂栄の動きを見てその後のことを決めましょう」
「……そうだな。仁王丸の申す通りだ。敵の内応を謀るにも、先ずは接触を始めねばなるまい」
「そうですね……敵を分断するには、先ず彼らの内部に亀裂を生じさせなければならないわけですからね。精々、無理難題を吹っ掛けさせていただきましょうか!」
「はっはっは!そういう事でしたら、何卒、その役目は老いぼれの儂にお任せあれ。大いに敵の動揺を誘ってきましょうぞ!何でしたら、この皺首を向こうに取らせても構いませぬからな!」
……これが戦国ジパングの思考回路だよね。
「いやいやいやいやいや……」
「義父上も大叔父上も忠宗も待って下され。……何もそこまで、最初から呂栄の総督府に喧嘩を売る必要はありますまい」
「何を言うのだ?「喧嘩を売ってきたのはあちら側だぞ(ですぞ)!!」」
仁王丸のツッコミに対して、綺麗に声を合わす三名。
「それはそうですが、私が言うのは最初から行動を伴う必要はないということです。……勿論、その心構えは持ってことに対処することは当然だとは思いますが……」
「ならば良かろう?初手を握るのは戦にとって大事なことだ。今回は向こうから嗾けられた戦だからな。ここは早めに主導権を握り返さねばなるまい」
おかしい……日ノ本でも外交の概念はあったはずなのに、どうしてこうなってる?
……いや、わかっているんだよ。
叔父上達の……っていうか、戦国ジパングの常識だと、積荷強奪に使者の獄入りとか、宣戦布告と変わらない含意が有るよね……。
「お待ちください……私が思うところ、呂栄の者達には日ノ本へ喧嘩を吹っ掛けた認識は無いと考えます!」
「「えっ……???」」
一同、口ポカーンである。
なお、当の仁王丸、俺、獅子丸、姉上、竜丸を除くではある。
「ここまでのことをしておってか?!」
代表で景貞叔父上が質問をする。
「はい。そのように考えます。……彼らは……言い難いことではありますが、これが外交の事柄、ひいては戦を引き起こし兼ねぬことだとは、欠片も認識しておりますまい」
「……そうなのか?獅子丸よ?」
仁王丸の言が予想外であったのか、景貞叔父上は獅子丸に確認をしてみたね。
「はい……上様の仰る通りかと……残念ながら、呂栄の者で日ノ本の姿を正しく理解しているのは軍人たちのみでありましょうから……」
「……太郎丸」
「あ、はい……」
姉上よりの御指名なので、一つの注釈を俺が入れる。
「スペインの商いは原則として、軍人が商人としての役割も兼ねているのが殆どです。これは商人が船を使う規模の交易を行なえる方策が存在しなかったからで、この点がポルトガルとは大きく違います。この理由は扱荷の違いや、補助金や出資法の整備なんかが有るのですが、そこは割愛するとして、スペインの商人は半分軍人だったと思ってください」
こくり。
一同の頷きを確認。
あとは、布教の方針とかが加わって来て、ローマ教会内でのハプスブルグ家の位置や、スペイン貴族の権力とかが関係したりもするんだけど、そこも割愛。
「市井の一般的な商人が出入りしているポルトガルならば、ある程度の噂、日ノ本の実情は流れているのでしょうが、スペインの支配者層にまではその話は上がっていないことでしょう」
「……なんだ。……そうなると、呂栄の総督府の奴らは、我らの実力も知らずにこのようなことをしでかした阿呆の塊……ということか?」
身も蓋も無い景貞叔父上の言い分だけどね。
「はっきりと言ってしまえば、その通りです」
「「……」」
一同沈黙!!
「……では、どうするのが良いと、仁王丸と太郎丸は考えるの?」
「それは……」
ちらりと俺を見る仁王丸。
「それは……獅子丸!済まんが呂栄まで艦隊を率いて話を付けに行ってくれ!!」
顔と名と実力と……人種差別って概念がこの時代にはまだ生まれていないと思うんだけどさ、ぶっちゃけ、アジア人が向かうよりもヨーロッパ人の獅子丸が艦隊率いて話を付けて来るのが一番手っ取りば早いと思うんだよね!
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