第214話 太陽が沈む日

天正二十年 秋 金州衛 織田信長


 「ふむ、なる程な。ある意味では予想通りであったということか……」

 「はっ。麦については、この二年間の試験で、春麦、冬麦共に問題なく育成、収穫できました。ただ、米については伊達家から融通された稲を使っても金州衛の付近でしか栽培できませんでした」


 ふむ、想定通り……ではあるが……。


 「想定していた中でも最良の結果ということか……」

 「はい。この二年は天候も安定しており、金州衛の辺りは、夏にはだいぶ気温が上がった年が続きました。でしたので、この結果になったかと……。地元の老人などが申すには、このような陽気が続くのは珍しいことだと申しておりましたので、今後の計画には多少の修正が必要とは思いますが……つきましては、こちらが収穫の結果となります」


 どれどれ……。


 金州衛だけで、尾張と美濃の二国を越える稲の作付が出来ておるか……。

 麦は遼東郡司より南の全域……。


 「で、結局のところは春麦と冬麦、どちらを主とするのが良いと考える?」

 「どちらも栽培面では問題ないようなので、ここは収量が高い品種の冬麦が宜しいかと考えます。ただ、春麦は極一部での栽培を行ない、食用としてではなく、種として使うが上策と考えます」

 「……種は林殿に売るか」

 「……左様で」


 確かにそれが最良であると思われるな。


 林殿は遼東郡司に居しておるが、その支配地域は東北平原全域にのみならず、奴見幹ぬみかん郡司なる氷の平原の南で東の果てに居住する女真族にまで至る。


 彼ら女真族は春と秋の年二回、遼東郡司と撒叉河衛の二ヶ所で明朝と交易を行ない、それぞれの部族に必要な物を、それまでの功績によって下賜された符に付された数量までを、毛皮や砂金などと引き換えに手に入れる。

 武具、農機具、漁具、狩猟具、食料、衣類、酒等々……。


 符を使っての交易では悪くない交換比率で物資を手に入れることが出来るようだが、それ以外の交易、商人を使っての取引では相当に劣悪な交換比率でしか必要物資が手に入らぬ状況であるらしい。


 林殿の前任者の統治方法は、有力部族の幾つかにだけ優先的に符を回し、部族内での優劣をつけ、女真族内での憎悪関係を煽って彼らが統一組織を作ることを阻害し、明朝の敵とならぬようにしていたのだという。


 だが、林殿は前任者のその方針を危険であると判断した。


 確かに、女真族が統一されず、部族同士での抗争にのみ明け暮れるのであれば、明朝は東北地方への警戒を薄められるかも知れぬ。

 だが、結局、この方式では遠からず、女真の王が生まれてしまう。


 東北地方一切を、中華の外、明の国外として無視するのならば結構だが、衛を築き、領内としての統治を考えるのならば、これは悪手であろうな。

 陰陽師の使う蠱毒の外法ではないが、最後には明朝に恨みを持つ敵国を造ることにしかならぬ、と俺も思う。


 「平和裏に民を統治するには、広く、薄く、領主と領民が繋がるのが理想です。……伊藤家のように、土木奉行所の如き仕組みを作って厚い付き合いをするのはそれ以上ですが……」

 「まぁ、そのような銭がどこに落ちているのかという話よな……あれは奥州の棚倉という小さな地域で始まったからこそ成功したに過ぎん。女真族よ、と呼んでみても、その数は把握できぬほどに多く、領土は広大極まりないからな」


 そう、考えれば考えるほどに不可思議なことよ。


 太郎丸の存在そのものが不可思議ではあるが、あやつがあの時代の棚倉の伊藤家に生まれたからこその今だ。


 これが棚倉ではなく、俺の生まれた尾張であったら?三河であったら?美濃であったら?

 ……まずもって成功はしなかったであろうな。

 松平も織田も土岐もその諸家でもだ……これらがあっさりと飲み込んでしまったであろうな。

 おかしな道具やら仕組みを使うような家、城にそいつらを呼び出し、話が通らねば、全てを献上するのでなければ、即座に斬るだけよな。これは身内であろうと同じであろうさ。


 だが、棚倉の伊藤家はこのような環境に無かった。


 そもそもが隣接する領主は白河結城家と北常陸の佐竹家だが、白河結城家は度重なる騒動で弱体化著しく、佐竹家は隣接していたとはいえ、山の向こうだ。これは同じく岩城家にも言えるな。

 残りは村長に毛が生えた程度の者達しかおらず、没落していたとはいえ、名門の武家である伊藤家が率いる郎党衆に喧嘩を売れるような者共はおらんのであったろうな。

 平地で諸家が乱立していた尾張などとは別世界の出来事よ……。


 「ともあれ、光秀の言は理解した。俺もお主の策に賛成だ。文句を付けるところは無い」

 「ありがとうございます」

 「……しかし、あれから三年か……本当に三年で目途が立つとは、俺は正直ここまでとは思っていなかったぞ?」

 「はっはっは、それは恐れながら信長様は私を見くびり過ぎというものでございましょう」

 「そうか?それは悪かったな……「わっはっはっは!」」


 まぁよい、とにかく、これで東北地方での穀物生産の目途は経った。

 あとは順次、ここで作られる食料を求めて人が集まり、更に農地が広がることであろう。


 そうなると、問題はその富を狙ってくる不届き者達となるが……こちらは林殿に蒙古討伐を頑張ってもらう形となるであろうな。


1592年 天正二十年 秋 羽黒山


 「おおぉ、可愛いなぁ……可愛いよなぁ……本当に可愛いよなぁ……」

 「……父上……さっきから「可愛い」としか口に出していませんよ?」

 「だってしょうがないだろう?本当に俺の娘たちは可愛いんだから!!」

 「はい、はい……」


 ぱしんっ。


 あきれ声の美月に輪を掛けたあきれ声と共に姉上が扇子ではたいてくる。


 ふっ。

 だが、そのような生ぬるい攻撃!

 可愛い娘にデレデレのお父さんには効きませんことよ!!


 すぅっ……。


 「おおっと……そういえば姉上、そろそろ江戸に戻らなくてよろしいのですか?」


 弟の心を読むことに長けた姉上から放たれる達人の気配。俺は即座に不埒な思考を捨てるべく、話と意識を別なことへと向ける。


 「……大丈夫よ。江戸の方は忠清が上手くやってくれているしね……それに、九十も近づいた忠宗が未だに元気に江戸の開発現場を走り回ってるものね。……まったく、あの安中の長命っぷりには本当に驚かされるわよ」


 それは全くもってその通り。


 これまで、浮いた話の一つも無かった孫の忠法ただのりが、気付いたら男の子を設けていたことを知り、それまでは年齢通りの弱り方をしていた忠宗お爺ちゃんが、急に二十歳は若返った……。

 どうなってるのよ、あの一族は……。


 「そんなわけで、この数年は一門が参加していなかった秋の競馬。今回は私が初参加をするわよ。四年越しで、ついに美月と馬比べが出来るのね!」

 「おおぉ!伯母上からの挑戦状ですねっ!受けて立ちましょうとも!私も初年度以来の競馬参加ですからね!紫が鶴樹大叔父上からお役目を引き継いで、初めて自分で作ったという馬のお披露目です!負けてはいられませんからっ!」

 「美月も言うじゃないの……こっちも鶴樹叔父上が最後に手がけた黒影丸の仔ですからね。負けてられないわ!」


 めらめらめら……とでも、擬音を二人の後ろに入れたい気分にさせられるほどだよ。


 これはなんとも盛り上がりそうなこの秋の宇都宮競馬だこと。


 ちなみに当家の競馬事情。


 初回開催が盛り上がりまくったことと、騎馬隊の大規模遠征が無かったことも加わって、どうにも各牧が独自で開催する競馬までもが生まれてしまっていたようで……。


 最近では、各牧が主催する「地方競馬」は年四五回、当家が宇都宮で主催する「中央競馬」は春と秋の二回開催というのが定番になりつつある……そうな。


 これも、初回開催から、安中、柴田の一族が全力で悪のりしたおかげで、近隣の城に努める事務方が運営に駆り出されたのが領内展開の原因、謎の答えらしい。

 競馬運営のノウハウを吸収した事務方の皆さんは、任地替えの度に、そのノウハウを新天地で広めることとなり……気づいたら領内に「中央競馬」一場、「地方競馬」八場という……「地方競馬」は年に四十回近くの開催だよ?


 ただ……ええ、姉上からの厳命により、領民をギャンブル依存症にするわけには行かないので、「地方競馬」の勝馬投票券は一開催の最上位競争のみ、「中央競馬」は各開催日の主要三競走のみとしました。


 それでも、投票券の売り上げは凄まじいものとなっており、その資金を元手に領内の道路敷設は大変な勢いで進んでおります。


 ちなみに、この恩恵を一番に受けているのは羅漢山から黒磯までの、白河の関の峠道だったりする。

 切通しに鉄筋石灰壁を使った橋脚……以前は一日掛かりだった峠越えが、今では半日で行えるという……。


 これも、熱狂的な競馬愛好家の皆様の厚いご期待に沿った結果らしい。


 強い馬が多い奥州の牧から、関東の各競馬場へと、つつがなく馬たちを連れて行くための仕儀だとか何とか……。


 まぁ、お陰様で中間地点にある那須の人口も増え、砂糖作りを初めとする産物作りに勢いが出ているのですから良しとしたい!


 うん。本当に、日ノ本の人間って競馬が好きだよね……。


 「……あら?急ぎの知らせ?」

 「む?確かに?」


 俺にはそのような気配は感じられないが、達人お二人には何かの物音が聞こえた模様。

 それまで「私の愛馬が!」と言いあっていた口をさっと閉じ、外の気配に耳を澄ましておられます。


 たったったたった。


 あ、漸く俺にも聞こえて来たね。


 「……大御所様、若殿様。勿来の湊より、急ぎの文が届きました」


 うむ。


 姉上と俺は静かにうなずき、その姿を確認した美月がふすまを開け、伝令の者から文を受け取る。


 「ご苦労、下がってよいですよ」

 「はっ!」


 急ぎの文……いつものように、こういう物を改めるのは姉上の役目……ではなく、俺の役目である。

 姉上は俺からの報告を受ける役目です。


 ぱさっ。


 差出人が獅子丸であることを確かめ、俺は文を解き開く。


 急ぎの文であるため、獅子丸は不要なことは一切書かずに、端的に、たった一つの情報を記していた。


 「……なんて?」

 「……獅子丸の文によると、スペイン王フェリペ二世がこの夏に崩御したそうです」

 「そう……では、荒れるのね?」

 「たぶんね……」


 スペイン王フェリペ二世はこの世でも偉大な王だった。

 個人的な知己は無かったためにその為人はわからないけれど、ハプスブルグの嫡流として、カトリック世界を率い、この地球に「太陽の沈まぬ帝国」を築き上げた。

 最晩年にはアメリカ独立など色々あったが、ポルトガル領も併合し、ヨーロッパ他国も実質的支配下に置いて、「パックス・エスパーニャ」を実現させていた。

 その象徴が文字通りに倒れた。


 流石にポルトガル本国はすぐに動くようなことにはならないだろうけど、海外のポルトガル領は独自路線を模索するだろうし、アメリカ独立を見た、他のスペイン海外領もどう動くかもわからない。

 現地総督が野心に突き動かされるかも知れない。


 それに、なんといっても、カトリックの盟主が倒れたことにより、カトリック世界での後継者争いは確実に勃発するだろうし、ここまでは静かだった新教世界も勢いづくかも知れない。


 比較的穏やかだったこの世界での宗教戦争が一気に過熱するかも知れないな。


 特に、ハプスブルグの本流争いでオーストリア家がスペイン家と争い始めでもしたら……ことは旧教と新教の争い以上に、全ヨーロッパを巻き込んだ戦争へと発展しかねない。


 ……それこそ、イギリスやオランダはどうすることやら……勿論、ここまで圧迫されてきたイスラム勢力も反攻の動きを見せるだろうし……。


 「沙良や娘達には悪いけれど、ここは早いところ江戸に戻っておかないと駄目かも知れないなぁ」


 妻子と離れるのは辛いけど、ここは情報が集まりやすい江戸に戻っておかないと駄目だろう。

 水軍を動かすにも、陸上戦力を整えるにも、兵站を整えるにも、江戸の方が判断を下しやすい。

 もちろん、飯盛山や博多、金州衛との連絡も江戸からの方が早いしね。


1592年 xxxx xxxx


 「おーほっほっほっほ!ようやく、あのよぼよぼの業突く張り爺が死んだのか!!これで、ようやく妾の時代が訪れるというものじゃな!おーほっほっほっほ!世界よ、待たせてしまって申し訳なかったぞよ?!」

 「別に世界は叔母様を待ってはいなかったと思うけど?」

 「……なんじゃ、お主は冷や水を掛けにわざわざ宮殿に足を運んだのか?」

 「そういうわけじゃないわよ。私としてもあの爺にはとっとと死んで欲しかったしね」

 「なんとも薄情な娘じゃな。一応はお主の父親であろうが?」

 「……止めてよね……あんな屑人間が父親とか……」

 「おーほっほっほっほ!それは済まなかったの?許してたもれや?」

 「……許すも何も……私は女王陛下の忠実な臣下ですから、そのようなご心配はどうぞご無用に」

 「そうか?それは殊勝なことよの?おーほっほっほっほ!」

 「で、さっきの質問よね?私がどうして宮殿に来たのかって……そんなのは簡単よ。呼ばれる前に来ただけ」

 「ほぅ……童がお主を呼び出すじゃと?」

 「ええ、スペイン王が死んだ。しかも後継者は十四の若造で、宮廷の佞臣共の傀儡でしょ?叔母様としては、対スペインの第一手として、遠隔地から始められるでしょうからね」

 「おーほっほっほっほ!流石は機を見るに敏な娘よ。母親を妾に売ったその慧眼は衰えておらぬな?」

 「……あの人は現実世界を見ることをしなかった……「母親を売った」と直接的に言われると、流石に傷つくけど……まぁ、そういうことよ。私は自分の郎党をみすみす死に向かわせるようなことはしたくなかっただけ……」

 「おーほっほっほっほ!そこを含めての「慧眼」じゃぞ?……まぁ、繰り言はこのぐらいにして本題じゃな?……お主に命ずる。ジュチ・ハン国への圧迫、ロシア・ツァーリを使っての工作は後任に任せ、お主には東洋に行ってもらいたい」

 「東洋??インドってことですか?」

 「いや、インドではない……インドではまだスペインの足元に近く、ポルトガル勢力も存外元気じゃからの。妾の言う東洋はインドの更に東、ジュチ・ハン国の東、つまりは明じゃ」

 「明……そんな辺境で何をすれば?」

 「何をすれば良いか……それもお主が考えるのじゃ」

 「そ、それは……流石に……」

 「おーほっほっほっほ!直ぐに結果を出せというものではない。妾としては全ヨーロッパよりも広大で、全イスラムよりも人が多いと言われるその土地に我らの楔を一つでも打っておきたい、と思うておるだけじゃ」

 「は……はぁ……」

 「これは、我が祖国百年の大計じゃ。……アメリカ大陸はオランダが一足先に唾を付けおった。ならば、と妾は東洋に唾を付けようと思ったわけじゃ」

 「は……はぁ……」

 「おーほっほっほっほ!お主の才を妾は高く評価しておる。存分に励むが良いぞ?おーほっほっほっほ!」

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