第178話 伏見での話し合い

天正十五年 晩夏 伏見 伊藤景基


 「……」


 今日は飯盛山でなく、伏見の本丸大広間にて、先ずもって比叡山の問題を話し合うために集まっている。

 上様も大御所様にもこちらに来ていただいており、他にも六大老、またはその代理の方も来られており、山城を預かる宮中の説明を聞かせてもらっている最中である。


 参加者は当家より、上様、大御所様、景貞大叔父上に私。 

 大老枠として当家の家臣である秀吉殿、徳川家からは徳川殿、長尾家からは大谷殿、大友家からは高橋殿、尼子家からは山中殿、長曾我部家からは吉良親実きらちかざね殿が出席しておられる。

 説明役として、朝廷側から来られたのは前関白である二条元良殿だ。


 「近江から山城に抜ける街道を不当に占拠し、民の交通を無意味に妨害した比叡山の僧兵共とそれに合力した近江の豪族どもの内、東側はこちらで対処した。不逞な輩の大体を排除したとは思うが、主に山科一帯で無法を働いていた者共は、こちらの管轄外であるために手を出しておらぬが……二条殿、その方等は如何対処されたのですか?」

 「それは……ですな、我ら宮中でも最近は武士をそれなりに召し抱えておりましてな、その者達の方でそのような無法者どもを討伐させておる次第にて……」


 上様が詰問され、それに答える形の二条殿。


 「二条殿……貴方方が武士を召し抱えていることは知っている。先日も畠山殿がこちらに来られたこともあったしな……だが、我らが聞いているのは「今、どうなっているのか?」ということなのです。確かに朝廷からの兵が差し向けられれば、悪僧共は散るそうですが、一刻も経たずに戻って来て、また道を封鎖するという……この状況でよろしいのか?山科の道が閉じられれば、京の町はますます荒廃していくこととなりましょう?」

 「で、ですから、我らには山城を治める力はないと何度も……」


 そのようなことは皆が百も承知です。

 承知の上で、我らは「何とかしろ!」と言っているのです。


 「果たして「治める力」なのですかなぁ?当方に入って来る噂ですと、僧兵共の寝床は洛中の寺院の数々であるとか?我らとしては、「治める力」ではなく「治める気概」が無いのではないかと思いますぞ?」


 ぱちんっ。


 脇に座られている徳川殿が、扇子を打ち鳴らし、どうにも厭味ったらしく二条殿を問い詰める。


 徳川殿は大老の中では、もっとも宮中工作に熱心であったお方だと思うのですがね。

 なんぞ、二条殿との間には確執でもあったのでしょうかね?


 「そ、そのようなことは!……我らも上様、大御所様に諭され、大いに心を入れ替えておりますれば……」

 「ならば、何故、此度の騒動を引き起こした天台座主の覚恕様は六波羅の屋敷にお住まいなのでしょうかね?」


 ……おや?

 座主の行方は景貞大叔父上も把握されていなかったのですが、徳川殿はご存知だったようですね。

 しかも、六波羅の屋敷ですか……当家が震災に遭われた王家や公家の方々の生活ぶりを不憫に思い、譲り渡した場所ではありませんか……公家には我らの行為などは響かぬことは歴史が証明しておりましたが、まさか、こんなにも早く掌を返されるとは……。


 「そ、そのようなことは御座いませぬ!」

 「……徳川殿、その話は真で?」

 「ええ、京の奥に出入りをしている者から聞いており、裏も取ってはおりましたが……今の前関白殿の反応で確信が出来ました」

 「そうですか……二条殿、貴方はご存じ無かったのですか?それとも知ってて我らをたばかっておったのですか?どちらですか?」


 上様もお人が悪いな。

 答えは、今の反応でお判りでしょうに、こうして再度問い詰めることで、ことの幕引きの役割をもう一度宮中の者達にお返しになった。


 騒動の幕引きとして、比叡山に連なる者共を捕らえ、首を打つなり、遠国へ流すなりをするのは非常に簡単なことだ。

 比叡山に合力していた地侍達は坂本の地で滅んだ。

 隣接しているとはいえ、直接の関係者でもなくしゃしゃり出て来た朽木も砦もろ共に焼けた。

 これらの顛末をみて、これから先、比叡山の一味に力を貸そうとする地侍達はもう畿内にはいないであろう。

 ならば、京の周囲から、我らは好き勝手に兵を送り込むことが出来る。

 一日とかからずに、彼らを打ち滅ぼすのは簡単なことであろう。


 だが、それではどうにも収まりが悪い。


 我らが赤子の手を捻るように、比叡山の者共を滅しては、判官びいきの者達が畿内に生まれてしまうかもしれない。

 足利が京に幕府を開いて数百年……とはいえ、やはり畿内には王家や公家、寺社の勢力に心寄せる者や、生活の基盤を預けている者達も多い。

 伊藤家が畿内の政からは一歩身を引く姿勢を変えぬ以上、余計な感情を持つ層を生み出したくはない。

 此度の比叡山が行った暴挙、最後の幕引きは是非とも宮中でつけて欲しいところだな。


 「私は……存じておりませんでした……覚恕様は帝の弟御、宮中の中にも心寄せる者がおり、徳川殿がおっしゃられるような、そのような事態となってしまったのでしょう……これも宮中管理、山城管理を任されている藤原の者として、藤原を代表して皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします……」

 「そうですか……前関白殿が気付かなかったというのならば、よほどにその者達の手腕が巧みだったのでしょう。……しかし、これで此度の騒動の首魁の居所がわかったのです。前関白殿の手で事が収束することを信じておりますよ?」

 「は、ははっ!その点は皆様もご心配なく……」


 二条殿はそう言って、頭を軽く下げる。


 実情としては、先年の畿内討伐軍の成立以降、宮中の方々はおしなべて武家勢力に降伏してはいるが、一部には朝廷中心派とも言うべき勢力が存在していることは確かだ。

 近衛家が取り潰しになったことで、全ての摂関家は親武家派となったが、その下の家格、特に摂関家当主達の考え、方針が行き届かない羽林家、名家、半家の中には、世の様相がわからず、武家蔑視の公家も多く残っているとも聞く。


 そのあたりも含め、公家を纏める立場の二条殿は辛いのであろう。

 多少の同情を感じざるを得ない……が、それも数百年に及ぶ公家の悪行の数々の結果ではあろう……。

 私も父上を殺された恨み、未だ完全には消えておらぬ。


 ぱんっ!


 「これで話は決まったのでしょう。比叡山の残党、その首魁は責任もって二条殿達が決着をつける。では、次の話に移りましょう!」


 ふっふふ。

 どうにも、嫌なことを思い出して、心が暗くなりそうでしたが、流石は大御所様。

 大御所様の一言で、場の雰囲気も変わりました。


 そうです。

 父上が東国から提案された案件、明への使節の派遣についても話し合わなければいけませんでしたね。


天正十五年 晩夏 伏見 伊藤元景


 そう、どうにも公家の方々を目の前にすると、どうしても伊藤家の者達は過ぎし日の恨みが甦ってしまう。

 私も、父と弟を殺された恨みが消えることはない。


 だけど、その恨みをそのままに復讐に変え続けることもまた、余計な悪い因縁を引き継ぐことになってしまうでしょう。


 忘れることは出来ずとも、引きずることはしない。


 特に、目の前の二条殿、その時分には寺に入っており、実際には無関係なお人だものね。


 「おお、そうでございましたな!では、比叡山の話はここまでということにして、次の話に移りましょうぞ!お疲れかも知れませぬが、二条殿も引き続きお付き合い下され」

 「……いえ、お気遣いなく……」


 こういった空気を換える作業ってものは、どうしても私は力技に頼るところがあるのだけれど、秀吉は流石ね。

 本当にうまいものよ。


 「さて、皆様には内々にご相談させて頂いてはおりましたが、如何にも明朝と日ノ本の間には銀に纏わる問題がありましてな?どうにも、この件が朝鮮の李朝やら、明朝の辺境地帯の動乱に関わってきておるようでしてな。儂らとしても、これを見過ごし続けては、いずれ今以上の大混乱が海を越えて日ノ本に押し寄せ兼ねぬと思っておる次第……」

 「それがわかりませぬな!当家としては、明朝の問題が李朝に波及しておるとは思えませぬ。当家とは長い年月の付き合いがある朝鮮の江陵こうりょうの領主が救援を求めておるのです!尼子家としては義に則り、早急に救援の軍を出したいと考えております!」

 「……山中殿、そのように声を大きくされたところで状況は変わりませぬぞ?そこもとは江陵の領主の救援と言うが、そもそもその救援依頼というのは、李朝内部の権力争いに端を発するものなのではないのか?李朝の宮廷内での勢力争いに、我ら日ノ本の者が軍を率いて参加しては、収まる物も収まらなくなるのではないでしょうかな?」

 「なんと!高橋殿はそう言うが!そもそも……」


 秀吉が軽く話を振った途端に、待ってましたとばかりに食いつく、山中殿。


 山中幸盛やまなかゆきもり殿、年は四十少々といったあたりかしらね、武勇に優れているとの評判らしく、中々に鍛えられた身体をしているわね。


 ……ただ、身のこなしを見る限りは、どうにも力任せの武勇の技のようだから、戦場で出会ったとしたら私の敵ではないでしょうね。

 素手での打ち合いとかにならない限りは、一合の下に切り伏せる自信があるわ。

 年頭に古河で体調を悪くしてから、どうにも右手に痺れがあったわけだけれど、この痺れも私の技量向上に役立った。

 やはり、どうしても右手、利き手である以上、ここぞという時の脱力が甘かったのだけれど、今回の痺れを経験したことで、常に意識した無意識の脱力が出来るようになった。


 ふっふっふ。

 勿来で輝とも馬上の打ち合いをやってみたけれど、あの輝がだいぶ驚いた顔をしてたものね。

 総合的な剣の腕は大分昔に抜かれていたけれど、そのままに置いて行かれる私じゃないわよ!

 棚倉から遊びに来られていた輝子殿にも「お見事」の一言を頂いたしね……っと、太郎丸じゃないんだから、大事な話し合いの最中に物思いに耽ってばかりじゃ駄目ね。


 「高橋殿はそう言われるが、これは長年に渡る当家と江陵の城主との間の信頼に関わる問題でござる!大友殿が長年明朝の方々と交易を為されているように、我らも長年江陵の領主とは交易をしておってですな……!」

 「ああ、そうですな、その点ですな!明朝ですな!たしか……儂の記憶が確かならば、李朝は明朝にかしずく間柄のはず……たしか冊封関係……中華思想とかなんとか……でしたかな?前関白殿下?」


 李朝と明朝の問題が起きてより、仁王丸から海を渡った近隣諸国と日ノ本の関係の歴史を聞いていた秀吉は、うまい具合に二条殿を使って話を進めて行く。


 「左様……中華、今は明朝でありますが、代々中華の皇帝は周辺諸国の礼を受け入れ、徳を以て施しを与えるという関係性を作り上げております。過去には日ノ本の勢力が独自に中華の王朝と繋がり「倭王」の印を受けたこともあると記されております」

 「では、今現在の日ノ本と明朝の関係は?」

 「それは……」


 秀吉からの問いに対して、滑らかに回答をしていた二条殿に、仁王丸が質問をかぶせる。

 言質を取りたいのもそのあたりの所だものね。

 まぁ、この辺りの対応は仁王丸達に任せるわ。


 飯盛山の奥の丸では、夜な夜な、信長と一丸を交えた四人で検討に検討を重ねていたようだからね。


 「それは?」

 「それは……足利家が倭王とされておるはずです。……宮中の考えとしては、日ノ本は帝を中心とした国であり、あくまでも中華の王朝とは同格であると思っており……」

 「されど、足利家によって倭王は明朝の冊封体制に組み入れられておるということでしょうか?」

 「いや、そこはなんと申しましょうか……義満殿の頃に宋との交易を求めた幕府が先走り……」

 「おや?二条殿は武家が日ノ本を治めることに異論はないが中華とやり取りを為すことには反対という立場なのですかな?では、南蛮の諸国とは?天竺や琉球、呂栄とは?」


 畳みかける一丸と秀吉。

 せっかく、話題も変わって攻められる立場から解放されたと思ったのでしょうけど……そうは甘くはないですよ?二条殿。


 「そうでは無くですな……宮中の考えとしては……そう、李朝のように明朝の下に着くという形ではなく、あくまでも対等の立場としてですな……」

 「ふむ、あくまでも対等な立場で行う付き合いであれば、問題ないということですかな?」

 「ええ、まぁ、今までの歴史と照らし合わせてみますとそのようなことになるとは思われまして……」

 「なるほど、白村江での大敗後の郭務悰かくむそう殿との取り交わしもそういうことなのですかな?」

 「!!!!」


 あら、やだ。

 本当に白村江と郭務悰の話題を出すと藤原の人は言葉を失くすのね。


 仁王丸も詳しくはどのような経緯があったのかは知らないが、どうにも藤原にとって郭務悰は禁句であるようだ……と言っていたものね。

 太郎丸の時代の人でもわからないのなら、私たちにも解るわけはない……わよね。


 「……とにかく、日ノ本と中華は対等であるという……」

 「わかりました。では、そのような前提で話し合っていきましょうぞ。上様、皆さま……そうなるとです。山中殿、これは李朝の一領主に対して、日ノ本の大身たる尼子家が援軍を出すというのはどうにも筋が悪いのではありませぬかな?」

 「統領殿!それはどういうことで?!」

 「いえ、冊封関係、これは言ってしまえば、武家の主従関係と近いのではないかと景基様はおっしゃりたいのでは?李朝は明朝の配下……つまり、日ノ本で例えると……ああ、気を悪くせんで下されよ?今から儂が言うことは只のたとえ話ですからの?……つまり尼子家の領地、出雲の領主に対して大友殿が兵を送り、吉備の領主に対して長曾我部殿が、伯耆の領主に対して長尾殿が援軍という名目で兵を送り出すようなものになりませぬかのぉ?近隣の者達同士の付き合いが如何に深かろうと、やはり、家の長との話し合いが無い中でそのようなことが起きれば、それは、いたずらに戦が興るだけとなるのではありますまいか?」

 「なっ!!!!」


 「たとえ」と言いつつも、しっかり山中殿を脅してるわね、秀吉ったら。


 「これ、秀吉。山中殿に対して、言葉が過ぎるのではないか?」

 「いや、これは済みませぬ。どうにも口が悪さをしてしまいましたな……山中殿、これは申し訳ございませぬ」

 「……いや……某は気にしてはおりませぬ」


 そう、そりゃ山中殿も青くなるわよね。

 言外に、尼子一家でここにいる五家を相手取るか?と脅されればね……。


 「わっはっは!これはどうにも物騒な話も一段落ということで、ここは折角、太平の世が訪れた日ノ本ですからな。一先ず、李朝の親である明朝と話し合いの席を設けるのが妙手に思えますな?二条殿も「対等な付き合い」でのやり取りならば問題ないと仰せのようですしな!」


 あら?

 徳川殿が半ば強引にまとめたわね……二条殿の言質もとった形式にして……。

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