第179話 日ノ本の銀行設立に向けて

1587年 天正十五年 晩夏 古河


 「まぁ、多少は不思議そうな顔をしておったのが大半ではあったが……まずは成功ということでよいのか?」

 「成功と呼んで良いのではないでしょうかね。銀貨の実物を手に取らせてもおかしな発言は有りませんでしたし、自分たちの仕事の手間が減ることを喜ぶ発言の方が多かったぐらいでしたから」

 「今日集まった者達は関東の城付きの事務方。強いて言えば、我らの打ち出す方針を如何に推し進めるかを考えるのが仕事の者達ですからな。問題はこの銀貨を町の商人達がどう扱うかどうか、ということで御座いましょうな」


 マイスターヨハンの手によって、三國通宝の銀貨の鋳造は問題なく進んでいる。

 竜丸曰く、来年からは纏まった数を計画的に鋳造できそうだというので、今日は古河城に奥州と関東の各城の事務方を呼び集め、銀貨のお披露目と「来年からの皆の俸給はこれで支払うからね?」というお達し伝令会を開いていた。


 銀貨は、見た目も何も大きく銅貨とは違うので、彼らも外見と価値の違いに違和感は抱かなかったようだ。

 これが、銀子を使うのが一般的な明とかだったらどういう反応が出て来るんだろうね。

 ちと、心配。


 「そうさなぁ……領民上がりの商人どもは戸惑うかも知れんが、外からの商人達は銀貨を使うことを条件に、領内の城下に店を出すことを認めたからな。初めの内は、銀座で銀貨から銀子への交換を希望する者共が多くなろうが、交換比率は固定ではなく相場だからな。一たび関東の領内で銀貨が使われ出したら、すぐに落ち着くであろうさ。……むしろ、俺としては銀子を銀貨に換える商人の方が多くなると踏んでいるがな」


 なるほど、吉法師の鋭い視点である。

 前々世の経済学的に言うならば、伊藤家の関東は非常に経済基盤が強い。

 人口、技術、流通等々、日ノ本で一番の繁栄と安定ぶりを示しているだろう。

 日ノ本で一番強い経済ということは、明との銀交換比率を見る限り、この東アジアで一番強い経済基盤を持っていることになるだろうね。

 そんな地域での通貨としての三國通宝(銀貨)、そりゃ強い貨幣になるよなぁ。


 大口商人たちにしてみれば、丁度良いリスク分散先に見えることでしょうとも。

 特に、ヨーロッパの商人たちにとってはね。


 「くっくっく!あーはっはっは!これも何もかも、太郎丸様の御意思を計画に移した僕の天才さ故!嗚呼、僕は僕の才能が怖い……」

 「「……」」


 この場に集まる一同、俺、竜丸、吉法師、忠宗、忠清、業平……あ、中丸は鎌倉で仕事が溜まっているそうなので今日は欠席です……その六名からの呆れた視線を一身に集めながらも身悶え続けている男。

 アウグスブルクはフッガー家出身のゲオルグ君改め、冨賀田介ふがでんすけ君である。


 はた目には、ちょっとイッチャテるような決めポーズを多用し、己の才能に溺れまくって、えら呼吸を始めてそうな青年なんだが……まぁ、本当の天才ってやつでしたね。

 日本語……というか、関東言葉は、たったの十日前後、古河の教会に入りびたっただけで覚えてしまい、領内で行われている経済活動の把握も十日前後で終え、最後に俺と三日ほど打合せをしたら、滔々と今後の伊藤家の抱える課題を理路整然と述べて来た……勿論日本語でね。

 なに、この異次元っぷり……。


 「田介よ……お主の発案である「銀行」の枠組みが大きくヨーロッパの商人たちの行動を後押ししたことには違いが無い。その功績は俺も認めるところではあるが……もう少し、静かに自慢せぃ」

 「おおっとぅ!それは失礼をしました、信長様!ついつい、自分の才能に恐怖してしまいました故!」


 このままでは話が脱線したままで終わってしまうな。

 このままでも面白いけれど、少しは修正しとこう。


 「ともあれ、領内では三か所に銀行を設立するということで良いのか?」

 「ええ、今の伊藤家の領内、特に関東ではこの三つが一番良いと考えます!勿来、鎌倉、そして古河!個人的には、百年後には江戸に本店機能を持つ銀行・銀座を作りたいところですが、今はこの三か所が良いと考えます!」


 そうなんだよね。

 田介ってば、日ノ本の地図を見た瞬間に、「帝都はこの江戸がふさわしいと考えます!」って指さしたもんなぁ。

 「帝都」ってなんだよ!?って思わないでもないけれど、神聖ローマ帝国の領内から移住してきた彼には、その呼び方が一番しっくりくるそうで……。

 なんか面倒そうな奴らが湧いてきそうだから、その呼び方は止めとけ、とは言っておいたけどね。


 「銀座もその三つの城下に造る形にしてと……銀行業務は領内決済、両替、預金、資金運用の四つにするんだよな?」

 「ええ!本来でしたら、海上保険や近い将来に起きるであろう、海上紛争、裁判の解決の補佐業務なんかも行っていきたいところではありますが、今のところはこの四つに致しましょうとも!」


 ……田介ってば、頭の回転が速すぎて、話しててすごく面白いやつではあるんだけど、いちいちに決めポーズを挟んでくるから、どうしても疲れるんだよなぁ。


 「銅貨、銀子、金子と銀貨を交換する。預金で銭を集め、その銭を貸し出し利子を取る。この辺りの業務というやつはわかるのだが、如何せんお主のいう「領内決済」というのがぴんと来ないのじゃが……今一度説明してくれぬか?」

 「ええ!いいでしょう、いいでしょう!柴田の長老様が疑問に思われていることは、この僕が全てお答えしましょうとも!……つ・ま・り・!」


 自由に質疑応答をしようよ、ということで集まった茶飲み会議ではあるが、このままではどこまで行っても田介の暴走が終わらなさそうなので、一足お先に軽食を頂きに行こうかな?

 う~ん、流石に俺がいなくなるのはなんだから、勝手所に注文だけしに行って、直ぐに戻ってくるか。


 ……頭を使った後には単純糖質が必要ということで、がっつり大盛炒飯と野菜炒めに唐揚げ辺りを頼んで来よう。

 ……あれ?もしや、これでは軽食じゃなくなるのではないだろうか……?


 「ぬ?太郎丸よ。何処に行くのだ?」

 「ああ、会議も長くなりそうなんで、この場に飯を持ってきてもらえるよう、勝手所にお願いをしに行こうと思ってね」

 「おお!それは良い考えだな!……では、俺にはかつ丼をお願いしておいてくれ」

 「……」

 「でしたら、兄上。私は牛と葉野菜の炒めものに辛味の効いた汁物、あとは炒飯をお願いします」

 「おお!お手数ですが、儂らにも何ぞ飯に合う炒め物を頼んでおいてもらえますかな?」

 「飯ですか?!なら、父上!私は汁麺が食べたいですっ!」


 ……


 君たち、本当に自由だよね。

 そして、美月よ。

 せめて君は俺と一緒に来なさい……。


天正十五年 晩夏 古河 伊藤景竜


 夕餉は夕餉として別に食べる予定ではあったのですが、何やら兄上が空腹を感じて勝手所に飯の用意を頼みに行ったところ……当然の結果といいましょうか、目の前の円卓には、所狭しと明風料理が並ぶことと相なりました。


 話を聞いたところでは、勝手所では我らの注文を聞いて、ならばいっそのこと!と城に残っていた各城の事務方へも食事の提供をしているという事です。


 勝手番には悪いことをしたとは思いますが、これで事務方の皆も、噂に聞く古河の明風料理……兄上曰く中華料理ですか、それを食すことが出来るのですから、伊藤家の方針と言いましょうか、政と言いましょうか……ともあれ、家中のもの達への心尽くしという面では良いことでしょうね。


 「太郎丸よ……なんだその大振りの海老を背開きにして……刻み大蒜に……旨そうだからひとつ俺にも寄越さぬか!」

 「え~!……まぁ良いけどさ、その分、吉法師のかつも一個回せよ?」

 「む?……これが等価交換というやつか……ならばしかたあるまいな、海老とかつ……悪くない取引だ」

 「ああ、ハイハイ……っと、ああ、かつも旨っ!!」


 兄上と信長だけでなく、皆が思い思い、其々に皿を分け合っている。

 こういう光景を眺めると、つくづく円卓で食べる中華料理は良いものだなと思える。

 ……そうだな、息子達が名古屋から戻って来た暁には、市も虎も多恵も連れて孫家飯店で食事を共にするとしよう。


 「で、食事をしながらで悪いんだが、さっきの続きというか、次の話をしたいんだが?」

 「ぬ?銀行・銀座の話の次?……ああ、明との交渉の落としどころか」

 「そそそ、簡単には話し合っているけど、今日は田介も加わっているしさ。俺としては金融の専門家の話も聞いてみたいと思うわけさ」


 そう言って、兄上はお茶を自分の湯飲みに淹れつつ、田介に意見を求める。


 確かに、何事も専門家の意見というのは重要です。

 専門家でもないのに、専門家の意見を聞かずに暴走するなど愚の骨頂ですからね。

 亡国の行いとも言えるでしょう。

 ここは、家業が金融であるという田介の意見を是非ともに聞きましょうか。


 「意見……意見ですか?!僕が太郎丸様のお話しを聞いた限りでは、皆様のお考えになんの問題もないかと!最終目標に明の経済・金融の支配というのならば、その第一歩としてポルトガル商人たちにおけるマカオの様な場所を得る!足がかりとしては商館の設立!まさに王道の着手法かと思います!」


 ああ、良かった。

 田介の賛同も得られましたか。


 ポルトガルの澳門での活動を真似て、伊藤家の商館を明に設立するという兄上の考えは、何度考察を深めても、最善の一手のように私たちには思えていましたからね。

 流石に、そこまで考えた案を否定されては自信が無くなってしまうところでした。


 「ただですな?!」

 「「ただ???」」


 田介の付け足しが気になりますね。

 つい、皆の声が揃ってしまいました。


 「ただ、……僕がどうしても逃れられぬと思う一つの事柄があります!」

 「それはなんだ?田介よ?いつになく言いよどむなど、お主らしくもないではないか?」


 ええ、信長の言う通り、田介が言いよどむなどらしくないですね。


 「そうですね……まぁ、僕は皆様ご存知のように!博愛主義者の平和主義者ですから!荒事は苦手なのです!」

 「……つまり?」

 「ポルトガルがマカオに商館を建てられ、商売権益を確保できたのはひとえに、ヨーロッパがアジアよりも遠いからです!しかし、此度は海を渡った隣国のジパング!規模はわかりませんが、武力的な衝突は必ず生まれるでしょう!」

 「「……」」


 やはりそうなってしまいますか……。


 「……俺としてはアジアが戦乱の渦に飲み込まれぬように、明への経済介入を考えているのだが、それでも戦は起こるか?」

 「太郎丸様の慈愛に満ちたお考え、大変に素晴らしい物ではありますが、残念ながら回避は出来ますまい!されど!こちらから行動を起こしての接触ならば、規模は小さいものになるとも思います!」

 「……田介は明朝が滅びない形もあると言うのだな?」

 「「……!!太郎丸(様)!!」」


 なんと!

 兄上は明朝が滅びると考えていたのですか……。

 あの明が……。


 「はっはっは!流石は太郎丸様!僕が言葉を濁す必要は、本当にありませんね!そう、今の状況の明は詰んでしまっていますが、我らの提案する案!銀交換に関する二国間取り決めと新通貨政策!これを明が受け入れるならば、明の滅亡は回避できるでしょうねっ!」


 今日一番の「決め」をして満面の笑みを浮かべる田介。

 ……まったく、誰ですか?田介を京劇観劇などに連れて行ったのは……。


天正十五年 晩夏 xxxx xxxx


 「……あのような場で覚恕様の件を出されるとは……肝が冷えましたぞ?そもそも覚恕様を匿えと申されたのは!」

 「あはは、いやいや、申し訳ない!場の流れが最適と思ったものでな?いやいや、済まぬことをした」

 「……次回からは事前に知らせておいて欲しいでおじゃる。脇に控えておった麻呂たちは肝が冷えたのでおじゃる」

 「はっはっは。……まぁ、それはそれとして、あの件は殿下たちが悪いのですぞ?」

 「む、私たちが?」

 「左様……何故と申すほどに察せられぬのならば、はっきりと申す他ありませぬな。帝の退位はいつ行うつもりですかな?」

 「「……」」

 「なんと申しましょうかなぁ。某たち、武家にも我慢の限界という物が有りますからな。殿下たちのお気持ちを察して、こうして某は他の大老たちを宥めてはおりますが、それでも限界という物が有りますれば……」

 「わ、わかった……年が明けたならば……」

 「遅いっ!!」

 「「ひっ、ひぇっ!!」」

 「っとっとっと、済みませぬな、つい声が……しかし、年明けでは遅すぎますな、いったい何年引き伸ばせば満足ですかな?もう、引き伸ばしは効きませぬ。秋の儀式が滞りなく終了次第、速やかに譲位をお済ませなさい。年内にお済ませするというのならば、某も上様や他の大老たちを説得して資金の用立ても取り計らいましょうが?」

 「……必ず、用立ててくれるか?」

 「ええ、必ずに……」

 「な、ならばのぉ?」

 「承知でおじゃる」

 「麻呂も異論はおじゃりませぬ」

 「……決定でおじゃるな」

 「秋の神事を終え、冬の神事が始まる前に譲位を済ませることを確約しようぞ」

 「それは、安堵いたしました……ああ、それから、覚恕様には早々に京を出て頂き、大和の寺にお入り下され。さすれば、後の面倒は某が行いましょう」

 「……苦しまれることは無いように頼むでおじゃる」

 「ええ、殿下たちが先のお約束を守ってくださるのならば、某も違えずに……」

 「わ、わかったでおじゃる……」


 ……

 …………


 「まったく、今の公卿共は揃って小粒だな。今回のことも結局は怖気づいていただけではないか?」

 「殿……結局のところ公家とはそういう生き方しか出来ないのではないでしょうか?如何に責任を取らずに生きるか、それこそが己の命脈を守ることに繋がるという……」

 「まったくなぁ……その考えを改めさせるための大御所様の山城預けだというのにな?」

 「……そうなのですか?」

 「はっはっは!本当のところはわからんがな?……あの鬼婆様は心根が優しすぎるから、単なる仏心から出て来たことなのかも知れんが、ある程度は公家どもに立ち直りの機会を与えたという側面もあるであろうな」

 「……」

 「その機会に気付かずに無為の時を過ごしているのが、今の公家どもよ。さて、此度は儂が少しだけ背を押してやったわけじゃが……これで多少は奴らにも気概が戻るかのぉ?……まぁ、戻ってもらわねば困るのじゃが」

 「……如何でしょうな?しかし気概を取り戻し過ぎられても、殿としては困ったことになるのでは?」

 「まぁ、そこは塩梅を見てじゃな。少なくとも王家も公家も同じ木に集まる虫であることを思い出してくれる切っ掛けにはなろうかのぉ?」

 「一本の木に集まってもらわねば、駆除に時間がかかりますからな」

 「そういうことじゃ……切払う木は一本で良い。何本も切り払うのは面倒であるし、山にかかる負担も大きくなるという物だからな。山の管理の為には、なんとか害虫を駆除しなくてはいかんからのぉ」

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