第177話 坂本の戦い
天正十五年 盛夏 坂本 伊藤景貞
「景貞様……その、何といいましょうか……こやつらの気は確かなんでしょうか?」
昌幸の言いたいことはわかる。
俺も全くの同意見だからな。
「良いも悪いも、この辺りの者達は「いくさ」を知りませぬ。京には強大な三好家、その以前には足利幕府があり、近江には六角が勢力を張っていた……大勢力の下で風見鶏を決め込み、略奪という美味しい汁だけを啜るために命を張る。そんな豪族ばかりが威張り散らしておりましたからな……己が家名を賭ける武家も、土地にしがみつく武士もこの近辺にはおりませぬ」
光秀は相変わらずの毒舌か……。
俺が名古屋に入ることをきっかけに、相模と伊豆は関東へと組み込んだので、俺が率いる東海の国は四つ、駿河、遠江、三河、尾張。
そして、此度の陣立ては、その東海から四千と美濃から五百、南近江三百、伊賀五百。
当初の見立てよりも、南近江からの参加が少なく、伊賀からの参陣が多い。伊賀衆はこの場に居る者達が全てではなく、更にもう二百ほどの者達が小太郎の指揮の下で山々に散っている。
想像以上に、当家の治政方針であるところの「領主を認めず、土地の個人所有を認める」、この考えに反対する南近江の武士共は多く、一方で伊賀の地侍達には賛成する者が多いようだ。
我らに反旗を示したその武士共は、俺達の目の前で、大津から坂本に抜ける街道沿いに造った関所を砦と見立てて陣取っている。
有難いことに、街からは離れた場所に集まってくれているので、無関係の領民、……無関係?何の関係もない……か?
……まぁ、領民たちを巻き込まずに済むのは有難い。
僧兵共の方は比叡山麓の日吉神宮寺に集結しておるとのことだしな。
砦に拠った敵方は、弓と鉄砲を構えた兵が櫓の上や砦の壁上に配置され、城門とも言うべき扉を守る籠城の構えを取っている。
また、その砦には数多くの旗印がはためいている。
やはり近江の領主豪族が多いのであろう。
どれもが六角家や京極家に縁がある図案ばかりだ。
数の上では、当方が五千と少々、向うが三千と少々といったところ。
しかし、こやつらは、一応軍装を整えておるとはいっても、本気で我ら伊藤家の精鋭に対し、急ごしらえの砦に拠っての籠城戦をしようというのであろうか?
ふむ……。
すたたっ。
「景貞様!仲介の使者と称した者がまた来ておりますが……いかがいたしましょうか?」
本陣で大いに困惑している俺達の下に、数ある困惑の種の内の一つが再度やってきたことを伝令が知らせに来た。
「「はぁ~っ!」」
俺を含め、一斉に皆がため息をつく。
「はたして、これで何度目でしょうかな……」
「光秀殿、もうそのようなことを数えるのも阿呆らしいであろう……」
「……二人とも、そう言うな。今までの文面を読む限りでは、この男は本気で王家と公家の威光で俺達を撤兵できると信じているのであろな……」
「「なんと浮世離れした……」」
ん!
心の底から呆れてはいるが、一つ、俺はそう唸って手を伸ばし、伝令が携えて来た文を受け取る。
差出人は朽木信濃守元綱……まったく……当家に対する使者が信濃守を名乗るとは喧嘩を売っておるよなぁ。
公家に繋がる男であり、「朝廷から正式に任官された」などとご丁寧にも一つめの文に認めておったような変わり者のようだ。
当家に対して、「朝廷」の威を借るあたりが謎の思考方法を持っておる……旗印を見るに京極氏の流れを汲むのであろうが……。
ふむ……正直なところ畿内に領地を持つ武士はようわからん。
その場その場で出自を変えるし、京に近い場所ゆえか、その時代、時代の権力者に
伊藤家の家風とは決定的に合わん。
「……で、景貞様、此度の文にはなんと?」
「ん?……ああ、どれどれ?」
達筆な文ではあるが、長々と、そしてくどくどと書かれている文なので無意識のうちに読むのを拒否してしまったか……一応は形式に準じて、文を寄越してきたのだ。
一応の礼節として、内容ぐらいはしかと確かめよう。
……
…………
「代わり映えせんな……」
「代わり映えしませぬか……」
「では、兵を引け、自分が双方の良いように取り計らう、帝もお悲しみだ、公卿の皆様も憂慮している……との繰り返しですか」
「おお、その通りだ……お?!」
相も変らぬ内容かと、辟易していたのだが、文の最後に今までとは違う一文が書き加えられているのを見つけ、思わず喜んでしまった!
「如何なされましたか?!景貞様」
「はっはっは!ついにしびれを切らしたか!みてみぃ、昌幸よ!最後の所だ!」
俺はそう言って、文を昌幸に手渡す。
「おおぉ!!ついにですか!いやぁ、長かったですなぁ!ほれ、光秀殿も」
「失礼して……ほほぅ」
喜びのあまりに拳を突き上げる昌幸と、最近掛けだしたという眼鏡を弄る光秀。
朽木から届いた文の終いには、「伊藤家にお聞き届け頂けぬのならば、武士として、この元綱にも考えがある」とあった。
「これで言質は取ったな」
「はい、これ以上なくはっきりと……」
比叡山に合力する武士共をこの場に閉じ込めて、早十五日、俺達が一思いに揉んでしまわなかったのは、ひとえにこの迷惑な仲介役の所為だった。
朽木の所領、北近江は高島郡の朽木谷。
北近江は長尾家の管轄、おいそれと俺が踏みつぶすわけには行かないのだ。
そこで、俺は一通目の文が来た段階で長尾家に問い合わせをしたところ、「朽木のそのような行動は当家の関与するところのものではない故、景貞殿に全ての対応を一任致す所存。ただし、当家に服従を誓い、務めを果たしている家に変わりはないので、一定のご配慮は賜りたし。されど、朽木が武家として尋常なる立ち合いを仄めかした場合には、武家としての御裁断をお願い致す」と返事が来た。
要するに、朽木は態度が目障りだけれど、形としての服従はしているので、名分だけは確保して欲しい。名分さえ手に入れられれば、俺の随意で滅ぼして構わない。
そういうことだな。
「では、遠慮なく砦を焼こう。……昌幸、投石器と移動柵、鉄条網の準備は今晩中に可能か?」
「……信繁?」
「はっ!我が手勢の者にて、抜かりなく!……明日の日の出とともに、いつでも攻撃に移れるよう準備できまする!」
「宜しい、では、明日の日の出とともに攻撃に移る!こちらからの降伏勧告は再三にわたって行ってきた故に、これより後、一切の心馳せは不要である!……昌幸、その方に北側の指揮は任せる!敵兵を一兵たりとも坂本の町には入れるなよ?」
「はっ!お任せあれ!」
これにて用意は全て整った。
明日は日の出とともに、当初の予定通りに戦を始めるだけだ。
敵の突撃を防ぐ陣を築いた後に、砲火を浴びせる。砦は兵ともどもに焼き払う。
これも時代の移り変わり、野戦でなければこういう形となるか……。
いや、近々、野戦でもこういった形になるのかも知れぬな。
特に平野部が狭い西での戦いはこうなって行くのであろうさ。
1587年 天正十五年 盛夏 古河
姉上が飯盛山に行っている間、俺は古河に行っていることにした。
姉上は畿内で使節の話を済ませてきたら、すぐにでも古河に戻ってくると言っていたが、流石に国としての使節云々だ。
伊藤家としての意思決定はすぐにでも固まるだろうが、諸将との調整には多少の時間もかかるだろうね。
俺は、姉上が古河に戻ってくるのは早くて年末、たぶん年明けぐらいになるのだろうと予想している。
その間に一門が古河を留守がちでは体裁が悪かろうということで、俺が母上(真由美)の屋敷というか、仁王丸の屋敷というか、古河城の奥の丸に来ているということだ。
中丸も鎌倉城と江戸城を行ったり来たりだから、古河にまで滞在するような形を取っては、移動だけでたいそう月日を食ってしまい、満足な執務が行えなくなってしまうだろうからな。
元服前の惣領息子としては、正しくお飾りとしての役割を全うしようということだ!
ちりんっ、ちりりんっ。
「これが硝子で出来た風鈴ですか……確かに、なんとも涼やかな気持ちにさせてくれますね」
「そうなのです!南としては羽黒山で造られる薄い鉄製の風鈴の音の方が好きですが、硝子の風鈴の音も夏の暑い日には似合うのですよ!」
「ふっふっふ。阿南の風鈴好きは知ってはおりましたが、真由美も気に入りましたか。古来から大陸では、この風鈴を軒先に吊るし、暑い時期の病魔が家に入らないようにとの邪気避けとされてきたとか。貴方の古河暮らしも長くなってきましたが、生まれ故郷の那須に比べれば古河の暑さは一味違うことでしょう。少しはこの鈴の音で楽に感じてくれればうれしいのだけれど……」
「……景文院様。……なんとも痛み入ります」
ごりごりごっり。
ふぅ~んっ。
ごっりごりごっり。
ふぁさぁ~。
庭を眺める縁側に腰かけ、夕涼みを堪能している阿南と(前世の)母上と(現世の)母上。
なんとも美人さんたちが優雅に夏の風情を楽しんでいられる。
ごりごりごっり。
ふぅ~んっ。
ごっりごりごっり。
ふぁさぁ~。
ぢりっりりんっ、ぢぢぢりりんっ!
「む?!旦那様!風が強すぎです!もうちょっと、良い塩梅でお願いします!」
「……」
なんで怒られなきゃあかんねん……。
お三方が風情を楽しんでいられるのも、俺が人力扇風機を回しているお陰なんですよ?!
羽黒山の村正工房お手製の人力扇風機。
精巧に作られた歯車が織りなすハーモニー。
竹枠の団扇を三枚羽にした扇風機。
手元のハンドルをぐりぐりと回すと雅な風が正面より送り出されるという代物です。
流石の村正印の製品ということで、ハンドル自体の滑りはなめらかな物なんだが、如何せんずっと回し続けるのは疲れるし、飽きるので、非常にかったるい!
これも母親孝行よ、ということで頑張ってはいるがなんとも……。
初めの頃は沙良と美月も俺と交代で回していたのだが、二人は早々に飽き、板の間の方で剣術談議に花を咲かせている……夫と父親を置きざりにしててだ……。
さて、そろそろ止め時を見つけないことには、俺の腕が筋肉痛で使い物にならなくなるぞ?
どたたたたっ!
当家でも有数の剣の腕を持つくせに、こういう時の足さばきには無頓着な娘が駆け込んできた。
「ち、父上!ただいま本丸からの連絡で、スペインのアルベルト卿がご挨拶をしたいと使いを寄越されているとのことです!」
美月よ……別にあわてることではなかろうが。
アルベルト卿が日ノ本に訪れることなど……って、今、俺は勿来じゃなくて古河に居るんだったな……確かに珍しいな。
……はて?何ぞあったんだろうか?
それに本人では無くて使いなんだろ?
それじゃ、明日の朝一にでも……て、待てよ?これはちょっとした機会なのでは?
思わず手元の扇風機から視線を上げて美月の方を見る。
にやり。
そこには娘の笑みが……ふっふっふ、やはりそうか!我が愛しの娘よ!
俺に退却路を示しているというのだな?!
「そうか?!では、早急に使者殿に返事をしに行かねばいかんな!美月!本丸まで案内を!」
「はっ!承知しました!父上!」
俺は鈍い系男子ではないということだな。
美月からの誘導をきっちりと受け止め、華麗にこの場からの撤退を行なう。
我ながら惚れ惚れとする一連の流れよ!
「太郎丸?」
「はい!なんでしょう母上?」
居間から廊下に出、美月の後について行こうとした俺に母上が声をかける。
「御使者への返答だけならすぐに済みますね?私は扇風機の風という物が気に入りました。用が済み次第、すぐに戻ってきてくれると嬉しく思いますよ?」
「南も旦那様のお戻りをお待ちしています!」
「太郎……丸の戻りを私も待っています……」
「……はい。わかりました。少しばかり、席を外させていただきます」
そうはすんなりと撤退出来ぬのが
……
…………
「……昨日は、夕暮れ時という中、使者を立てるような無作法をしてしまい申し訳ありません。太郎丸殿」
「お気になさらず、アルベルト卿。伊藤家の門は貴方とエストレージャ卿を初めとするサンタ・クルスの方々に閉じる門戸などは持ち合わせていません。いつでも大歓迎ですから」
「はっはっは!そう言っていただけるとは嬉しい……だが、確かにエストレージャ卿にお聞きした通り、太郎丸殿は流暢なカステリャーノを使うようになられたのですね。これも隣にいるサラが教えて……はおりませんでしたな。サラはカステリャーノを喋れないのでしたな」
「「はっはっはわっはっは!」」
空とぼけの笑いをする俺と、良く分からないけどこの空気を笑い飛ばすつもりの沙良、この夫婦の笑いだけが広間に響く。
「……お二人の年齢差を知っているだけに、私はこの結婚を心配していたのですが……そのような心配は杞憂だったのですな。太郎丸殿、私の姪のサラを末永くお願いしますぞ」
どちらかというと喜劇よりだったはずの俺達の哄笑を見て、何故かアルベルト卿は目頭を押さえ、俺に対して日ノ本の武家的な礼をもって、頭を下げた。
「お任せください、アルベルト卿。これからは私の妻を……貴方の愛しい姪を必ずや幸せにしてみせましょう。……ご安心ください」
「……そうですか……あ、ありがとう……御座います」
男泣きに声を震わすアルベルト卿。
そういえば、幼い沙良を抱えたマリアさんと獅子丸を日ノ本に連れてきたのは、アルベルト卿ご自身だったんだもんな。
可愛がっていた一族の者を遠い異国の地に委ねる。
中々に勇気のいる決断であっただろうし……そこまで俺達のことを信頼してくれたんだ。
うん。信頼には信頼で答えるのが武家というものだよね。
「……そのような家族の御涙はどうでもいいので、早く私を紹介してくれないか?伯爵?」
「ぬ?……そうであったな、今日はお前を太郎丸殿に紹介するのであったな」
……えっと、何語なの?
ちょっと理解できない言語で……この口の中で籠る感じはドイツ語?
って、ドイツ語ってこの時代にはもう成立してるのか?
……オランダ語とかデンマーク語もドイツ語に近いんだっけ?
うむ、わからん!
思わず俺が首を傾げていると、二人の間のやり取りに区切りをつけ、アルベルト卿が俺に、彼の脇に座る男を紹介した。
「ああ、済みませぬ太郎丸殿。彼はカステリャーノが話せないので、私が間に入ります。……彼の名はジョルジュ・フュゲルと申しまして、アウグスブルグで商会を営んでいる家の男です。……才は有るのでしょうが、どうにも変わり者でして、実家を飛び出してカディスの当家に仕官をしに来たという」
「ほう……アウグスブルグ?すると銀山とか金融とかで有名な?」
「はい、そのアウグスブルグ出身です」
ほうほう。
太郎丸君は銀とか鉱山、金融関係の人材は絶賛大募集中だぞ!
それにアウ、アウグスブルグでフュゲルだろ?
フュゲル、フュゲル……ローマ字に充てるとFUGERU……FUGER……お?!フゲル!フッガー家か!
「アブスブルゴにも金を貸してるフッガー家か!?」
「……やはり、太郎丸殿は、太郎丸殿ですか……流石の知識だ……左様、そのフュゲルです」
「で、そのジョルジュがどうしたのだ?日ノ本に来たいとでも?」
俺は一縷の望みを託して、アルベルト卿にそう尋ねる。
「はぁ……本来は単に私の艦隊の会計主任として付いてきただけの男なのですが、勿来の教会と古河の教会を訪れたとたん、急に「日ノ本で働けるように世話してくれ!」と言い出……」
「わかった!喜んで召し抱えるぞ!!」
思いっきり食い気味に返事をする俺。
いやぁ、一からうちの事務方に金融業を叩きこむのは難事だと思っていたんだよ!
専門家が来てくれればこんなに有難いことは無い!
喜んで召し抱えますともねぃ!
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