第167話 船上ふぃえすた

1586年 天正十四年 初冬 古河


 「ついに出来たか……」

 「これはなんとも神々しい光り方で……」

 「ふむ……しかし、俺の気のせいか?形の割には微妙に軽いのではないか?」


 わいわいがやがや、とばかりにこの場に集まった皆が卓上に並べられた金子、銀子、銀貨、銅貨を手に持って己の感想をぶつけあっている。


 「ヨハンだったか?……ご苦労だったな、お主が厩橋に来て僅か二か月でこのような結果を出すとは驚いたぞ!」

 「お褒めに預り恐縮です。これもザクセンの鉱山から仲間と一緒に連れだしてくれたサンタクルス侯爵のお陰でございます……家族と仲間の命を救っていただいた御恩。このジパングにて返させて頂くことを神に誓います」

 「そうか、お主のその思い、確かに伊藤家の皆様に伝えておくぞ!さぁ、今日はこうして銀貨の試作が完成した祝いだ!広間の方に飯が揃えておる。侯爵家ゆかりの調理人が造った御馳走だからな、お主の仲間と共に楽しんでくるが良い!」

 「あ、ありがとうございます……お殿様の御厚情に感謝いたします……」


 エストレージャ卿が神聖ローマ帝国領から連れて来た銀細工技師の一団……本当のところは銀に限った職人だったわけではなくて、鉱山の町で様々な鉱石を溶解、分離、研磨、鋳造、めっき等々、金属加工の工房で親方をやっていた一家と従業員を丸ごと引っ張ってきたらしい。

 俺はこの当時のドイツに関してそれほど詳しいわけじゃないので、何だが……。


 要するに貴族同士の抗争に帝位と宗教が絡んで、庶民は大分生き辛い状況だったということだ。

 ヨハンも奥さんのアンナが美人だったことから地元の有力者と貴族に目を付けられ、異端だなんだと難癖をつけられ、あわや無実の罪で殺されそうになっていたらしい。

 そんなヨハン工房の存在をエストレージャ卿が小耳に挟み、義憤に駆られて大立ち回りをして、日ノ本に連れてきたという経緯らしい。


 義憤に駆られてって部分が、どうやら沙良との会話で教えて貰った御老公の悪人成敗の旅に触発されたとか何とか……。


 いや、ま、あーね。


 前世の勿来城の子供部屋で、太郎丸印の創作水戸の御老公とか、般若の仮面を被った成敗侍とかの影響……なのかなぁ……。

 ちなみに当時の子供たちの中での一番人気は、瀟洒な生活好きの母親の為に片手業に明け暮れる侍の話だったりする。

 うん……子供への寝物語には時代劇が最適だったということだね……。


 「……ということだ。太郎丸よ。ヨハンが感涙しておったぞ?……聞いておったか?」

 「うん?あ、ああ、聞いていたぞ?」


 一部分だけはね!


 「……まぁ、良い。しかし、他所の職人が加わるだけでこうも見事に希望の物が出来上がるとは驚きだな……」

 「信長にそう言われるのは、なんとも赤面の至りだが……確かに、私を初め、厩橋の面々は固定観念に縛られ過ぎていたのだ」

 「ふむ、どういうことだったのですかな?景竜殿」

 「兄上からの御命令は「銀貨鋳造」だ。この「銀」の部分にばかり目が行ってしまっていた……要するに、銀のみで何とか貨幣を造ろうとしていたのだ」


 つまり?


 「銀と鉄や銅では融ける温度が違う……散々に転炉を使っているはずの我々でもそこのところが抜けていた。ヨハンは一目でそこのところを見抜いたのだ。厩橋の技術、施設で銀の加工が難しいのならば、今できている鉄と銅の加工だけで、銀には細かい細工をする必要はないと……その銀貨を持って、信長が「軽い」と言ったのは正しい。その銀貨は外側だけが銀で、中身は鉄なのだ。だからこそ、そこまで均一で意匠もしっかりとしたものが揃えられたのだ」


 ……めっきの技術か……。

 ちょっとは考えないでもなかったけど、鶴岡斎の大叔父上から失伝の技って言われてそれまでにしちゃってたんだよな。


 うん!

 正直忘れてた!

 だって、めっきってイオンとか電離とかそんな技術だとばかり思ってたし!

 溶かして云々とかもっと融点の違いがある奴でしか出来ないと思ってたし!

 ってか、俺って専門家じゃないし!


 まぁ、細かいところはどうでもいいか。

 それよりも問題は価値と流通の方だな。


 「ともあれだ。これで銀貨の方の目途が立ったということで、これからここにいる皆で、銀貨の価値や使い方を話し合ってみたい!」


 俺の発言で、皆が静まる。


 「まず、こうなると金と銀の銅銭での価値、こいつをある程度は決めて行かなきゃいけないんだが……それって可能か?吉法師?」

 「無理だな!」


 返事が簡素で、勘違いの余地がない素晴らしい返答ですね!


 「……竜丸?」

 「私も信長と同意見です。金銀の価値を決めることなどは、伊藤家の力を持ってしても不可能でしょう」


 吉法師よりは長尺だけれど、まったくの同意見な竜丸……。

 いきなり暗礁に乗り上げたぞ、おい!


 「ですよね~」


 だが、言葉に出すのは二人への同意だけ。


 ふふっふ。

 まぁ、太郎丸さんはわかってましたよ。

 元から金銀の価値から貨幣の価値を決めて行くことなど不可能だと!

 だって、前々世の世界でも金属は相場だったもんな……値上がり、値下がり、高騰、暴落。

 相場の操縦なんかは、財政投融資の醜聞汚職事件で証明されていたもんね。


 「そう。金と銀の価値を決めることは出来ない、だが、交換所を我らで作ることは可能なのではないか?あまりにも不釣り合いな交換内容を監視するために、ある程度は交換所に参加できる商人は許可制にしなければいけないであろうが……そうして、大口の取引内容をある程度はつまびらかにし、相場を今よりも多くの人間が知る機会を増やす……さすれば、不条理な取引形態によって弱者が泣きを見ることも減らせるとも思うが、どうだろうか?」

 「ふむ。悪くはないな……今はそこのところは商人達の好きにさせておいて、座なり家から我らが税を集めておるわけだが……そこに手を入れると、まずもって集まる税は減るぞ?」

 「そこはしょうがない……って言っちゃってもいいのかな?まぁ、何だ。俺も銀貨は銀で造るもんだと思って、当家の採掘量とか領内の鉱山の埋蔵量なんかを頭に浮かべていたんだが、今回の造幣方法だと銀は余るだろ?細かい製法は良く分からんが、ある程度は残った銀で銀子とかも作って行かないと、工房がまわらないんじゃないのか?」

 「おお!流石は兄上!左様です。ヨハンと景宜が計算をしたところ、多くの銀子を同時に造って行かねば、逆に造幣の効率が落ちるそうです!」


 おっと、太郎丸さんの予想が大正解。

 そりゃ、道具の修繕やら点検なんかもあるだろうし、常に金属を溶かしっぱなしとか、燃料がいくらあっても足りないだろうしな。

 今の領内での燃料消費量でさえ、今市と貝泊の炭工房じゃ到底賄いきれないんで、会津から厩橋に至るまでの奥羽山脈の南側は炭工場が点在してはいるんだが……何事にも限界はある。植林の速度も考えなきゃいけないし……奥羽一帯が禿山になんかになっちゃったら、ご先祖様にどやされちゃうもんな。


 勿来周辺の石炭も地下には掘って行ってないから数量もそんなじゃないしな……。これは早いところ小一郎に蝦夷地での石炭を見つけてもらわねば。


 「というわけで、吉法師が言うところの問題は銀の力でねじ伏せよう!」

 「確かに、日ノ本に集まる商人どもが全て一つに集まりでもしない限りは、我らが手元にある銀子の力には勝てぬか……そうだな、当家の市での徴税方法と同じにしていけば……ふむ。金と銀の交換所……面倒なので金座、銀座とするが、座自体を一つの市と見立てて管理すれば税は落ちぬかも知れぬな」

 「……そうですね。信長の言う通りに、商人達が参加を拒否しない限りは、うまく回るでしょうね」

 「問題は、当家の所持する金銀が莫大なものであると商人達に理解させることですな?」


 ここまで聞き役に回っていた忠宗が意見を飛ばす。


 俺は構想を練るだけの人。

 竜丸は実作業を監督する人。

 吉法師は実商売をする人……って、商人はもう引退して長いんだっけか?


 とにかく、俺達三人は結構、言いっぱなし、やりっぱなしだったりするんだよね。

 そんな三人の思い付きを実務段階に落とし込み、領内でくまなく実施できているのは忠宗や業平のお陰です。

 ありがたや、ありがたや!


 ……知らない間に、一丸も中丸も俺達よりの職務になってきちゃってるからな。

 実務部隊の存在は有難い。

 うん。そんな二人の配下を育てるべく、事務方塾をつくっておいて良かった、良かった。

 「学校は早いところつくっておかなきゃね!」と思いついた前世の俺を褒め称えたい。


 「それじゃ、金銀の価値を決めようかどうかという件は、金座・銀座の創設以降の議題ということにしよう。……次いでは……」

 「銀貨の価値だな」


 相変わらず端的な吉法師の指摘が有難い。


 ただ、そこは既に答えが出ているような気もするし、皆も考え付いていることだろう。


 「当家の銀貨は銀の価値に左右されない。ならば、もう一貫を銀貨一枚にすればいいんじゃないか?」

 「私もそれが良いと思います」

 「それが妥当であろう。適度にそれっぽい大きさにすれば文句はどこからも出まい」

 「「異存ありません」」


 総意に基づいて意思決定完了です。


 「それじゃ、この内容で姉上と仁王丸に話を通すか……うむぅ、一丸は飯盛山に戻っちゃったから……誰が伝えに行く?俺が行くか?」

 「何を言うのだ、お前は。……お主は沙良と祝言を挙げたばかりであろう?新妻に寂しい思いをさせるでないわ」

 「左様ですぞ!太郎丸様!我らは一日も早い沙良様のご懐妊を夢見ております故!」

 「……業平殿。沙良殿が妊娠すれば次はご息女の番だなどとは考えておらぬでしょうな?」

 「これはこれは、長老様は疑り深い……」

 「何を言うか、長老はお互い様じゃ」


 ……吉法師の軽口から変な方向に話がずれたぞ?

 まぁ、その、なんだ。

 俺も年が明ければ数えで十二。

 いわゆる精通を迎えたお年頃ではあるが、やっぱりお子ちゃまだぞ?

 そういったえっちなことはいけません。

 もう少し我慢します!


 「くっくっく。硬く考えるな、太郎丸よ。お主は子を十二名も成した前世の記憶を持っているのであろう?無理に行おう、止めようなどと思わず、心のままに新妻と戯れておれば良いであろうさ」

 「……信長。兄上を煽るのはやめてください。……ただ、兄上。信長の申すことにも一理あります。沙良もエストレージャ卿がスペインへと戻ってしまい寂しい思いをしていることでしょう。阿南様達も政子殿の出産の備えに祝言の準備と忙しくされています。ここはお二人で安房の館山にでも行かれては如何ですか?妻の実家に滞在するのも夫の役目という物でしょう。正月までは特にやらねばならぬこともありませんから」

 「そう言うことだ。景竜殿の言う通りにしておけ。上様と大御所様への報告は俺がやっておこう。横浜ガレオンも新規格にしたことだし、淀川の流通路というのもどの程度の船なら行けるのか調べてみたいしな。武凛久も少名も戦列艦も九律波ももって堺に横付けしてくるわ!大友も軽々しく当家の造船を真似出来ると己惚れんように、奴らの肝をつぶしてくるとするさ!」


 おめめをキラキラさせながら嘯く吉法師さん。

 そうか、俺は気付かなかったけど、新型ガレオンで現れたエストレージャ卿に対抗心を抱いていたのね、君は……。


 「おお!そうだな。ついでにエストレージャ卿から貰ったスペインの海軍将軍の服装で畿内と西国のやつ等を驚かせてやるか!よし!お蝶もエストレージャ卿から何着か服を貰っておったな。くっくっく。これは楽しみになってきたぞ!」


 吉法師さん。

 端からそれが目的だったよね?アナタ……。


天正十四年 冬 伏見 伊藤瑠璃


 「エストレージャ卿から沢山の御召し物を頂いたので皆さんにもお持ちいたしました」

 「「キャ~!!帰蝶様素敵!!」」


 私を含めた姉妹五名と清ちゃん、総勢六名の嬉しい悲鳴。


 本当に帰蝶様って素敵。

 母上より一回りも上のお方で、伯母上とも近い年齢のはずなのに、いつまでも若い娘のような瑞々しい肌をなされてて……しかも、今日の海軍服も大層お似合い。

 白く透き通るような肌が、エストレージャ卿やマリアさんのようにヨーロッパの方々のようで……。


 はぁ、私もこういう大人になりたい……。


 「此度は、卿の方から女性の正装着、べすてぃーどす、なるものを頂いたのです。絹で出来たこのように素晴らしいものなのですが、私には少々派手と言いましょうか、身体つきが細いお婆ちゃんには似合わないものですから、皆様にお持ちした次第です」

 「え~!帰蝶さまがお婆ちゃんなら、僕だってお婆ちゃんみたいなものになっちゃうよ!おなごは年のことなんか気にしないの!」

 「そうですよ~。帰蝶様は私たちが赤子の頃からお変わりないではありませんか~」

 「そそそ、私たちが沙良ちゃんと一緒に湯本の海で遊んでた頃から少しも変わらないお美しさなんだから!」


 うん。

 清ちゃんの発言には近づいてはいけない気がするので、うっかり同意は出来ないが、伏ちゃんたちの意見には同意だ。


 「ほっほっほ、ありがとうございます。……ですが、純粋にこの着物の形は、痩せ過ぎの私には似合わないんですよ。背丈があり、肉付きの女性的な方の方が映えると思うのです」

 「それは……そうかも知れない。特に、この赤と青のべすてぃーどす?優美な形と上質な絹のお陰で、その……いやらしさは感じないけど、首筋と肩がこうも開いているのは、着る人を選ぶよね……杏と伏と瑠璃は良いかも知れないけど、蘭と彩芽には向かないかも知れないね」

 「「え~!!清ちゃん横暴!!」」


 不満たらたらな蘭と彩芽。

 ……うん。私も二人にはこの手の衣装は似合わないと思うよ?

 どちらかと言うと若武者のようなしなやかさがある二人には、やはり今着ているような水兵服が似合うと思う。

 「ふぁるだ」よりも「ぱんたろん」の方が絶対に似合う!


 「あ~、済まぬが部屋に入っても構わないだろうか?」


 ここ、指月城は未だに築城途上だけれど、本丸と奥の丸の内壁と掘の部分は完成している。

 最近の私は清ちゃんと指月城に寝泊まりを続けているので、この奥の丸の一屋敷は男の立ち入りが少ない。

 部屋の外から声を掛けて来た一丸兄上は、そんな数少ない例外の一人だ。


 「一丸かい?入って来ても大丈夫だよ~。僕たちは帰蝶さまがお持ちになった衣装を見ているだけだからさ」

 「左様ですか、叔母上……それでは失礼いたします」


 すぅ。


 静かにふすまを開けて室内に入って来る一丸兄上。


 ……そういえば、一丸兄上だけは清ちゃんを「叔母上」呼びしても怒られないんだよね。

 僕たちは「清ちゃん」呼びを強制させられているし、中丸兄上も「叔母上」呼びを禁止はされてはいないけれど、口に出す度に睨まれている。

 うん。不思議。


 「はっはっは!どうですかな?皆さま。俺も景基様も中々に似合いましょう?」


 一丸兄上の後ろから豪奢な水兵服?いや、将軍服っていうの?きらびやかな衣装に身を包んだ信長殿が両手を開いて現れた。

 って、一丸兄上も将軍服を着てたんだ……なんだろう。

 正直、似合っているけれど、華やかさが信長殿の足元にも及ばないです。


 「流石は旦那様。良くお似合いです」

 「はっはっは!お蝶には、何度褒められても悪い気がせんな。うんうん」


 ……相変わらず、祝言挙げたての熱々な夫婦のような二人。

 何年経っても仲が良いのは羨ましい限りですね。


 「で、皆様が今宵に着て行くものは決まったのかな?早く支度をせんと日暮れに堺は間に合わんぞ?」

 「「え????!!!!」」


 信長殿の発言が良く理解できずに帰蝶さまを見つめる私たち。


 こてんっ。


 可愛らしく首を傾げるだけの帰蝶様。

 これは駄目だね、とばかりに次は一丸兄上を睨む私たち。


 「あ、いや……その……なんだ?……つまり、此度、信長殿が大艦隊で堺に、このようなヨーロッパの装束で現れたのでな。諸将や畿内の豪商たちが是非にもと面会を申し込んで来てだな……」

 「はっはっは!個別に対応しては面倒なので、スペイン海軍の者達が開いておった「船上ふぃえすた」なるものを催すことになったということです。ついては、参加希望の者達が多すぎるので、その対応に皆様もエウロパの装いで参加して頂こうと思いましてな?」

 「「一丸(兄上)!!」」

 「いや、そのなんだ……信長殿の案は合理的ではあるので……許してくれ!!」


 ……

 …………


 こうして、私たちはスペインの装いに身を包んだ「船上ふぃえすた」なるものを催した。

 綺麗な衣装に身を包むのも楽しかったし、久しぶりに食べるロサさんの料理も美味しかった。


 けど、なに?

 大きく口をぽかんと開けている参加者の人達に見つめられるのは凄く恥ずかしかったんですけど!!

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