第166話 御三卿、六大老

天正十四年 盛夏 飯盛山 伊藤元景


 「おかえりなさい、一丸……って、おかえりなさいはおかしいわね。いらっしゃい?うん?……まぁ、良くわからないから別に良いか」


 私も飯盛山に滞在して足掛け二年になってしまったわけだし、こういった感覚は混乱してくるわよね。

 良いも、悪いも「慣れ」というのは恐ろしい。

 気付けば、飯盛山を中心とした城下と主街道の発展ぶりを眺めるのが楽しいことになってしまっている。


 「私の不在の間、上様と大御所様にはお手数をおかけしてしまったことだと思います。申し訳ありませんでした」

 「お気になさらないで下され、一丸兄上。兄上不在の穴は見事に妹達が埋めてくれました。……労いの言葉は是非とも妹達にお伝えください」

 「……そうですな。何を言われるか、ちと心配な気もしますが、確かに妹達には感謝してもしきれるものではありませんな」


 そうね、瑠璃も一丸が戻ってきたら「絶対に休暇を取る!」って息巻いていたものね。


 ……で、それはそうとして、一丸が藤吉郎を連れているのはなぜ?

 確かに一丸が羅漢山城城主だったころに奥州の内政の面倒を見ていたのは藤吉郎だったけれど?

 今は、全奥州の内政を見ている職務で忙しかったと記憶しているけれど……。


 隣では仁王丸も……って、私程には驚いた表情ではないかしらね?

 それでも幾分不思議そうに藤吉郎を眺めている。


 「上様、大御所様……そのぉ、儂を不思議そうに見るのは勘弁して下され。これも何もかも太郎丸様の思い付き……と言いましょうか、何と言いましょうか、儂も大いに混乱しているところでしてな」


 私たちから疑問の眼差しを掛けられ、藤吉郎自身も困惑しているようね。

 けど、やっぱり発端は太郎丸なのね。


 「……父上が?」

 「そこは私の方から……上様、大御所様。これは父上だけの想いでは御座いません。古河に残っている、勿来に残っている皆の想いです。どう考えましても、お二人そろって畿内に長居しているというのはよろしくありません。此度の畿内征伐軍以降は公家も山城を治めることに腐心して、おかしなことを企てる余裕がないのでしょうが、当家の頭たるお二人が揃って畿内にいるというのは、これはよろしくありませんので何としても古河に戻ってもらうよう計らうべき、というのが我らの考えです」


 一丸の言に藤吉郎も後ろで大きく頷いている。


 まぁ、それはそうよね。

 私自身も、事が落ち着けば一刻でも早く関東に戻りたい。

 ……その思いのままに、二年もずるずると引き伸ばされているわけだけれど。


 「一丸兄上の言われることは、真にもっともだとは思いますが……」

 「上様の懸念も理解できます。……実際に、古河でも無理にお二人がお戻りになられては、西国からまた戦乱の世が始まってしまうのではないかという心配の声もありました。そこで父上の考えられた方策というのが……」


 ……

 …………


 「なるほどね。御三卿、六大老制度……」


 東国を四つに分け、私、仁王丸から太郎丸の流れを伊藤本家、景貞叔父上から竜丸、清丸の流れを伊藤名古屋家、一丸と政子の流れから伊藤仙台家、鈴音と義宜の流れから伊藤水戸家ね……。


 「あ、兄上!!少々お伺いしたいことが!?」

 「なんでしょうか?上様」


 そうでしょう、疑問が沢山あるわよね。

 仁王丸、ここはきちんと一丸から納得できる答えを貰いなさい。


 「まずは御三卿制度!いや、鈴音と義宜殿の仲は理解していましたが、政宗殿は女性なのですか?!」


 ……まずはそこなの?

 政子の一丸へのべったり具合や、古河に来てからの身体つきの変化で気付きなさいよね。

 かなり努力して身体を鍛えているので、鎧甲冑をまとえばそれらしくは見えるでしょうが、平服姿では女性とわかるでしょうに……。


 って、男ではわかりにくいのかしら?

 母上の手の者達も上手いことしていたとは思うけれど、……言われてもれば、明らかに古河の男性陣は政子が女性だと気づいている者は少なかったかしらね。


 「ええ、上様には黙っていたことになってしまい申し訳ありませんでしたが、真、政子は女性です。また、政子の腹には私の子がおりまして、出産と産後の肥立ちを見てから、古河と利府にて祝言を盛大に行うように手配を進めております」

 「「あら(なんと)?!おめでたなのね(なのですかっ)?!」」


 顕子は美波を産んで以降に妊娠の気配がないことを憂いていたし、有も子が出来ないことを悩んでいたしね。

 そんな中で政子が懐妊したのならば、一丸の正妻の座を譲ることも了承する……ということかしらね。


 「なんと……なんと……」


 仁王丸が隣で泡を食ってるわ。

 よっぽど驚いたのね……ある意味、珍しい光景。

 仁王丸って、よっぽどのことには動揺しない性格だもの。


 「ふふっふ。そうね、驚きはしたけれど、目出度いことじゃない。一丸に新たな子が出来たのは嬉しいこと、手放しで喜んでいいことよ。それに、利府でも祝言ということは輝宗殿にも話をしたのでしょう?先の御三卿の制度含めて伊達家の了解は獲れたのかしら?」

 「……左様ですね。しかと御三卿制度の話をしたわけではありませぬが、私と政子の子供を次期伊達家当主として迎えることは了承してもらいました。ですが、これは勿論のこと、子が無事に産まれ、育つことが前提ではありますが……」

 「当然よ!でも、私としてはそこのところは心配していないわ!ご自分も辛い思いをされた母上の指導の下、出産に向けての当家の体制は万全なものだし、古河の大学でも医師を育てる体制は順調に動いているとの随風殿から連絡も貰っています。おかげで、妊婦が心安らかに出産を迎えられるようにと女性医師も増えているようですからね」


 古来より、女性の医師もいることにはいたが、やはり医師は男の仕事という風潮は強かった。

 だが、当家は男よりも女の方が多い家系ですからね、無意味に男をどうのという考えはない。

 男がやる仕事は女もやるのが当たり前の生活。

 父上もお爺様も忠平も、「男だ、女だと騒いで腹が膨れ、暖が取れるのならば好きにすれば良い」という考えの人達だったものね。

 男女の別でいちいち騒いでいては、奥州の冬は生き延びられない。特に阿武隈の山中では……。


 まぁ、私も実際にはそこまで厳しい生活をしてきたわけではないんだけれどね。

 生まれは棚倉の館だったし、隣の丘まで登れば温泉もあったしね……けど、そうね、太郎丸と鶴岡斎の大叔父上が製紙工房を立ち上げるまではちり紙の無い生活だったのよね……もう、思い出したくもないわ。


 「……そ、そうですか……一丸兄上と政宗殿……いや、政子殿ですか……いやはや……なんとも」


 仁王丸の方は未だに理解が及んでいないようね、だいぶ混乱しているわ。


 「なんと言いましょうか、申し訳ございません。……ともあれ、東国についてはそのように三家と本家にて統括していくのが良いのではないか、というのが古河に残っている者達の総意でございます」

 「……総意というのであれば、私の方からは反対する物ではありません。太郎丸の案も、案としては悪いものではないと思いますし、これからの百年、二百年の安寧を考えれば、伊藤家の流れをいくつかに分け、それぞれに育てるのは良いように考えます」

 「……私も反対をするような考えだとは思わないわ。多少心配だった伊達家と佐竹家をそのような形で平和裏に取り込めるのならば、かえって安心というものよね」

 「はっ、ではこの案をもとに東国で話を進めてまいります」


 そう言って一丸と藤吉郎は頭を下げた。


 「……で、話変わって六大老というのは、さしずめ大友、長尾、徳川、長曾我部、尼子あたりを使って畿内から西を治めるための体制と言うことで?……しかし、それでは六にはならないでしょうに」

 「はぁ、そこでと言いましょうか、何と言いましょうか、儂の出番だと太郎丸様は……」


 今度は六大老制度について話をしようと仁王丸が振ったところに応える藤吉郎。


 「む?……そうか!太郎丸は秀吉殿を大老筆頭に据える!そして築城中の指月城城主として畿内から西の責任者に据えるというのか?!」


天正十四年 盛夏 飯盛山 伊藤景基


 「……かような仕儀にて、畿内から西を皆で納めて行きたいと考えているのだがどうでしょうか?徳川殿、高橋殿、大谷殿……まずはお三方のご意見を伺い、考えて行きたいと考えているのですが」


 御三卿制度については、特に問題は発生せず……というか、東の話なので、上様と大御所様のご了承が取れれば、後は古河を中心に進める案件だ。

 文を忠宗殿と父上宛てに送ったので、後のことはあちらで進んでいくだろう。


 問題は六大老制度の方だ。

 こちらは東国ではないし、伊藤家とは縁戚にない……というわけでもないな。私の祖母は長尾家先々代の為景殿の娘。ここ最近は繋がってはいないが、長尾家と伊藤家が血で繋がっているのは間違いのないことだ。

 そう、長尾家とは縁戚ではあるが、他の家と血が繋がっているわけではない。


 徳川家とは何度も矛を交えた間柄だし、大友家とは朝廷からの官位では同格の大将軍位を授けられている間柄だ。

 いくら、現状の力量差に基づいて、大友家当主の義鎮殿が伯母上と仁王丸を「上様、大御所様」と呼んでくれていても、大友家中の中には当家が名実ともに上に立つ事に反発を覚える者もいることであろう。


 「……高橋殿、大谷殿のお二方は当主代理ということで、某から意見を申しましょうか。……そうですな、その六大老制度ですか、某は大賛成ですな。もはや狭い日ノ本の中で戦をどうのと言っておる時代では御座いますまい。三好の残党は畿内と四国内に残ってはおりますが、それは些細なこと。事の大事は、日ノ本の行く末を我ら武家の総意で以て指示していくことこそが肝心。武家の連携が損なわれるようなことがあっては、それこそ源平の、鎌倉の、室町の頃のように公家どもが蠢動してこの国に大いなる災いが齎されてしまいましょう。太平の世、大いなる安寧の為には、王家と公家には静かに京の一角で静かに寝ててもらいましょうぞ」

 「そうですな。大友家も混乱の世に遡ることなどは望んでおりませぬ。義鎮様初め大友家中で伊藤家を筆頭とする武家の世を築くことに反対する物は一人もおりませぬ。また、その武家の世の中で当家が重責を担えるのならば、それは願ってもないことです。喜んで、長尾殿、徳川殿と共に伊藤家の世を支えて参りましょう」

 「……私もお二方と同じ意見でございます。当主顕景よりも伊藤家を盛り立てるよう常日頃より申し付かっております」

 「そうですか、それは有難い」


 なんでしょうね。

 もう少し、反論と言いますか、ささやかながらも反発を受けるものかと思っていましたが……。


 「ただ、一つだけ統領殿にお伺いしたいことが……」

 「なんでしょうか?徳川殿」


 やはり、家康殿は一言ありますか。

 先ほどの言葉もいつも通りに饒舌だったので、何かしら腹中に潜ませているものがあるとは思っていました。


 「六大老……その六という言うことでわからぬことがございましてな?まぁ、某を初め、ここに集まっている三家にはそれぞれが大老職をということなのでしょう。そうなりますと、残りの西国大身は長曾我部と尼子。よもや浦上を加えることは無いと思いますので、そうなりますと残りの一席はどこが?浦上でもなければ六角でも斎藤でもございますまい?」

 「ああ、そのことですか。それについては、伊藤家より席を埋めようと考えております」

 「ほう。なるほど!そこで景基殿ですか。それならば納得だ。私としても大老の筆頭格に景基殿がいてくださるのならば、義鎮様に説明がしやすい」

 「いえ、私ではありません。当家からは築城中の指月城城主として赴任する者を充てたいと思います」

 「……指月城の城主?……よろしければその方のお名前を教えて頂いても?私も顕景様に報告をしなければなりませぬので」

 「ええ、もちろんです」


 お三方の質問にそう答えて、私は側に座っている秀吉殿に目線を送る。


 上座の私、正面に座るお三方の側面に控える家臣団の内先頭に座っていた秀吉殿が一歩進み、頭を下げながら挨拶をする。


 「某、先代統領景藤様の代より伊藤家に仕えております、浪江秀吉と申します。恐れ多くも、此度は指月城の城主、及び伊藤家の伏見奉行として大老職を務めるよう仰せつかりました。皆様にはどうぞお見知りおきを頂き、よろしくご教授、御鞭撻の程をお願い致します」

 「……ひ、秀吉じゃと……」

 「え?あ、はい。秀吉でございます。……徳川様とは初対面ですかの?以後よろしくお願い致します」

 「……も、もちろんでござる。そ、某も高名な秀吉殿と仕事を共に出来るとは光栄なことで……」


 ぬ?

 名乗るまでは秀吉殿のことなど眼中になかったように見受けられましたが……秀吉殿が名乗られたら急に人が変わったような……何でしょうか?ちょっと怯えているようにも見えますね。


 「高名でしょうかの?某も長年伊藤家にはお仕えしておりますが、どちらかと言えば景藤様と信長様の下で奥州の政を専門にしておりました故……どうしても田舎者、粗忽者であります。どうぞご指導の程をお願い致します」

 「そ!!そうですか、信長様の下でですか!」


 むむ?

 信長殿の名前でもう一段階、様子が変わりましたね。

 家康殿は幼少の頃より、信長殿とは付き合いがあり、まさに竹馬の友と言える関係だと思っていたのですが、何か違うんでしょうかね?


天正十四年 盛夏 xxxx xxxx


 「……参った。参った、参ったぞ」

 「殿……先ほどから参った、参ったとそればかり。それに爪噛みの悪癖も出ておりますぞ?」

 「仕方あるまい!表舞台から消え去ったと思っておった信長様と猿が戻ってきたのだぞ!」

 「猿とはよう知りませぬが、信長様なら、以前より伊藤家の重臣でございましょう?」

 「そうじゃ、此度の信長様は奥州でのんびりと船を浮かべておられ、濃姫様と幸せな隠居暮らし、商人暮らしをしておるだけじゃと思っておったが……まさか、腹心の猿を権力の中枢に送り込んでくるとはな!やはり、第六天魔王はどこまで行っても魔王のままか……」

 「はぁ、某には殿の懸念が今一つぴんときませぬが……どちらの御仁も大御所様ほどではないにしろ、五十を越えておるのでしょう?それほどまでに殿がお気になされる心配はないものと……」

 「そ、そうだな……そうよな……うむ、儂もここまでは順調に来ておるので、些か逆境に弱ってしまったようじゃ。そう、儂の本領は耐え忍び時を味方につけること」

 「はっ、誠に……」

 「よ、よし。……此度の信長様、御子息は信忠様ただお一人。お市様も伊藤家に嫁ぎ、娘は一人も産んでおらぬというしな。猿も独り身のままで子などはおらぬという……よし、よし……」

 「……?殿、如何なされました?」

 「いや、何でもないぞ!なんでもない!そうじゃ、儂の十五の目は問題なく働いておる。此度ではあのような国難を繰り返させるものか……」

 「は、はぁ……」

 「そうじゃ、そうじゃ……今は今として百里の道の半ば……と、そうじゃな。目の前のことに対処をせねばならん。三好の残党は手筈通りに手取城に集まっておるか?」

 「はっ!蒲生と藤堂が上手く焚き付けたようですな。淡路洲本あわじすもと城と阿波勝瑞あわしょうずい城は長尾家の旧浅井勢が攻略したようで、当主義興初め三好家で我らに捕縛されておらぬ者達は全て手取城に集めたと連絡が入りました」

 「結構、結構。これで本願寺の法主が三好の当主を毒刃で刺して終わりじゃな」

 「義昭様も淡路攻めで長尾に内応しましたからな。これで邪魔な勢力は洛中の一部分だけになったかと……」

 「天正十四年で国内の戦乱は幕を閉じるか。……あとは海の向こうじゃな」

 「海を渡るですか……」

 「そう不審がるな。こちらからは手を出さずとも向こうの方から混乱がやってくるのじゃ。……ふむ、そうじゃな。ここからはちと伊藤家の皆様の手腕を拝見と行こうではないか」

 「殿の仰せのままに……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る