第165話 伏見の街づくり

天正十四年 盛夏 伏見 伊藤瑠璃


 「清様、瑠璃様、大友家より鍋島殿、徳川家より丹羽殿、長尾家より河原殿が参っております」

 「わかりました。こちらに呼んでください」


 今日は粗方の絵図面が出来上がったというので、現地に赴いて清ちゃんと一緒に伏見城の築城縄張りの確認をする予定だった。

 そんなに大っぴらに「伊藤家の姫が視察です!」なんてことはしてなかったのだけれど、どうしてもこういう話が漏れるのは防ぎようがない。

 気が付けば、工事の陣頭指揮を執っている各家の普請奉行たちがご挨拶に伺いたい……ということだった。


 鍋島殿、丹羽殿、河原殿の三名はそれぞれの家中で名をはせる内政の名人ということだ。

 実際に、これまで上がって来る報告や進捗状況を見る限り、その噂にたがわぬ力量を披露してくれている。

 ……というより、予想よりもかなり早い進捗状況よね。


 これも一丸兄上が工事に参画してきた各家を煽った影響?

 三家を競わせ、工事の進み具合が早いところには現場への褒章を出す、全体が最も早かった家には負担分の一部を伊藤家から補填するなど、初めにその案を聞いた時には「大丈夫かなぁ?」と思った方法だったけれど、これが何故か当たった。びっくりするぐらいに三家が競いだした。

 上の方の人達はそれほどでもなかったようなのだけれど、現場の人足達は「俺らが一番だぁ!」と叫びながら槌やら鋸やらを盛大に振るっている。


 ……まぁ、いいわ。

 活気がある作業現場なら文句を言う筋合いではないしね、満足をしましょう。


 「これは伊藤家の麗しき姫君にこのような場所までご足労頂き、誠に申し訳ございませぬ」

 「誠に、このような炎天下の現場に来られずとも、わしらの方から報告に伺いますのに……」

 「がっはっは、お二方はそう言うが、伊藤家の普請責任者のお方がわざわざ出向いていただいているのだ。感謝こそが第一であろう!」


 優雅な言い回しで嫌味を言ってきたのが、大友家の鍋島殿。

 肥前、肥後と九州の西の島々を勢力圏としてきた竜造寺家の家臣筋のお方……ということだけれど、話は結構複雑みたいね。

 土着豪族に鎌倉の時代に赴任してきた武士が入り混じり、南朝・北朝に分かれていた時にも大いに相争っていた地域みたい。

 京周辺をはじめとして、日ノ本の大半が北朝は足利方で体制が整いだしていた頃にも、「畿内のことなど知らん!」とばかりにやり合ってたようで、大友家が伸長してきた時にも内部抗争に明け暮れ、各個に和戦を仕掛けられて、気が付けば大友家の風下に立つことを余儀なくされたという経緯みたいね。

 うん。この辺りを詳しく説明してくれた誾千代ちゃんは、どうにも、この肥前派……って呼んでたか、肥前派のことがあまり好きでは無いらしい。

 曰く、鍋島殿が筆頭格で、何を考えているかわからない不気味さが気持ち悪いって言ってた。

 確かに、男前ではあるけれど、不気味な雰囲気を漂わせているお人よね。


 次いで、徳川家から派遣されている丹羽殿。

 元は尾張の斯波氏の家臣筋のお方らしいけれど……まぁ、斯波は別にどうでもいいわよね。斯波だもの。

 ともあれ、尾張出身の徳川家臣ってこと。


 最後の河原殿は、母系で繋がった真田家の一族ということだ。

 昌幸殿の従弟とかそんな感じらしい。

 どうにも、長尾家先代の輝虎殿の時代に越中、加賀、越前方面へと転戦していたらしく、信濃に残り、今では当家の重臣となった真田家とは距離を置き、長尾家に仕え続け、聞いたところでは播磨のどこかに城を貰っているらしい。

 ……悪い人ではないし、こうした豪放磊落な振る舞いは慣れ親しんだ好ましいものではあるのだけれど、河原殿はどうにも無理をしてそういった装いをしているのが見透けてしまって、かえって痛々しい。

 しかし、どう転んでも真田に近い血筋の方だ。

 伊藤家の者として、仲良くして行かねばならない。

 ……念のために昌幸殿に河原殿の人となりを訪ねる文を送ってみたけど、昌幸殿の返事には「あ~、そんな御仁もおりましたな~」程度のものだった。

 どうしろっていうのよ、そんな返事をもらった私は……。


 「お三方ともお気になさらず、私も関東では良く利根川を初めとする河川の改修工事の現場には行っていたものですし、清叔母上は領内の数多の城の普請奉行をこなされてきたお方。今日のこの程度のこと、何ということもありませんよ」

 「はっはっは。それはなんとも頼もしい!」


 うん。

 清ちゃんに関しては本当のことだけど、私の現場云々は嘘である。


 そりゃ、何回かは古河から厩橋や奥州に向かう道すがら、利根川、渡良瀬川、鬼怒川なんかの改修工事を見かけてはいるが、視察的な物はしたことがない。

 そもそもの仕事が違う。

 もっぱら、私の仕事は伯母上とお婆様や母上の使いっぱしり。

 しかも、その仕事とて、古河の塾を終えてからだからほんの数年ぐらいしか従事してなかったりするのよね。


 「では、遠慮なく、この場にてご相談をさせていただきましょう」

 「「相談ですか……」」


 挨拶だけでなく相談とは面倒なことね。

 私の」本心としては、そういうたぐいのことは一丸兄上が戻って来てからにして欲しいのだけれども……。


 「なに、別に難しい話ではありませんぞ?お二方。……今日は絵図面の確認と聞きましてな。ついては我ら三家の屋敷の場所について、お許しとご了承を頂きたいと思ったまでのこと」

 「左様です。巨椋池と周辺河川の改修も大体の形が見えてきましたからな……と良いっても図面上のことではありますがな?はっはっは!」

 「淀川から巨椋池、伏見の町の普請は簡単に終わる物ではありませんからな。今はそれぞれが集めた人足を動かしているだけですが、より細かい作業を多方面で行っていくには、それぞれの拠点と言いますか、事務をする上でも屋敷が必要になっていきますから」


 面倒ね。

 彼らの言い分はもっともだけれど、私たちの了承を得たいということは三家の間だけでは調整がつかないってことでしょ?

 どうせ、誰かが簡易的な城としても使える屋敷を作ろうとしてきて、三家が互いに牽制し出しちゃったんでしょうよ。


 「口で説明するだけではなんともご理解が難しかろうということで……こちらに仮縄張りの絵図面がございます」


 ばさっ!


 鍋島殿が簡易机の上に絵図面を広げる。


 むぅ。

 清ちゃん渾身の絵図面の上に無造作に広げるんじゃないわよ!


 「賀茂川と桂川を合流させる地点を伏見の町の西の端としまして、山科から流れる川を集めた山科川と宇治川を合流させる地点を東の端と考えております」


 うん。

 そこのところは問題ない……というかこの工事に携わる皆が共通して理解している点だ。

 ただ、宇治川というか、その上流の瀬田川の改修はどうしよう?というのが清ちゃんと二人で頭を抱えている点だったりする。

 瀬田川の源流、琵琶湖は巨椋池の何倍も大きいしね。

 巨椋池の目途が着いたら次はそっちになるのだろうか……?

 って、それは六角家が完全に当家に吸収された場合か。

 近淡海おうみ国は伊吹の西だものね、関係ない、関係ない。


 「そう考えますと、我らが屋敷を構えるに便が良いのは伏見の山の裾野の高台、この辺りに北から、大友家、長尾家、徳川家の屋敷を建てるのが良いかと考えました」


 そういって、今度は丹羽殿が絵図面の三か所を指差す。

 あらやだ、ご丁寧に家紋付きで屋敷の位置を書き込み済みじゃないですか。


 「ついてはこの三つの屋敷から西へ延びる道を大通りとし、伊藤家の城であるこの指月城とを結びたく思っております」


 この三つの屋敷、指月城の建つ場所よりも五十尺近くも高台にならない?

 平屋だとしても、当家の城よりも上に建てるとか、中々にやる気満々ね。


 しかも、この三家の屋敷、絵図面ではわからないけれど、どれも台地の突端、突き出た場所で三方が崖になっているじゃないの。


 「なるほど……お三方のご意見は理解しました。飯盛山へと持ち帰り、家中の者と相談してからお返事させて頂くことにします。それでよろしいでしょうか?」

 「おお!この絵図面を受け取ってくださるか!ありがたい、ありがたい!」

 「勿論問題ありませんとも。どうぞ上様と大御所様によろしくお伝えください」

 「では、わしらはこれで……。どうもお二方のお仕事を邪魔してしまい申し訳ございませんでした。失礼いたします」


 すすすっす。


 三人は絵図面だけを私たちに渡すと、急いで自分たちの持ち場へと帰って行った。


 「……瑠璃。大丈夫かい?こんなの受け取っちゃって。……三家が共同で持ってきて、しかも家紋入りのしっかりした絵図面とかさ。彼らは強引にこれで進めちゃうかもよ?」

 「へへっへ、清ちゃんは心配し過ぎ。大丈夫だって!逆にこの絵図面を持ってきてくれて色々と助かっちゃったよ」

 「うん?助かったの??……だって、この場所に屋敷というか砦を築かれたら厄介だよ?」

 「ふっふっふ。心 配 御 無 用 !……万事うまく行かせますって!」

 「う~ん、瑠璃がそう言うなら任せるけどさ……兄上からも瑠璃の好きなようにさせてくれって言われてるしね」

 「ありがとう、清ちゃん!……けど、私の好きなようにか……父上の信頼が重くのしかかるね!」


 父上からの信頼は重いけど、今回のことが有難い申し出なのは事実。

 もちろん、高台を獲られた城は脆い。

 これは覆しようのない事実だけど、それもこれも、彼らの屋敷が砦として機能すればの話。


 いやぁ、街の造成の方はどうしようか困っていたけど、彼らが自ら方策を示してきたんだからね。

 伏見の街づくり、しっかりと彼らの懐で頑張ってもらいましょう!


天正十四年 盛夏 xxxx xxxx


 「殿、報告ですと伊藤家の姫、多少は出来るようですが、やはり荒事には疎い様子。城の高台を獲られる策にも気付いた素振りが無かったとか」

 「ふむ……左様に報告してきたのか……やはり、人の力は伊藤家が何枚も上手だのぅ」

 「……伊藤家が上……ですか?」

 「左様、景基殿の代理として力を振るっておる太郎丸殿の娘たちは、皆が大した能力の持ち主だということよ」

 「はぁ……某には承服しかねる殿の評価ですが……」

 「簡単なことだ。此度の一件、確かに普請奉行が自ら家紋入りの絵図面を伊藤家に手渡したのだ。一度受け取ったのならば、そこに書かれている内容を突っぱねることは難しかろう。多少は手直しをさせても、基本的なところは絵図面に描かれた物の通りに、ことを進めなければいけなくなろうな」

 「……ですので、そこは姫君たちの失策であろうと……」

 「お主も察しが悪いのぅ。絵図面に描かれていたのは何だったのだ?」

 「む?それは砦の位置と大まかな通りの線でございましょう?」

 「左様、それだけだ」

 「……?」

 「はっはっは!お主も甘いな。つまり、我らは絵図面にて書かれた場所、そこに屋敷を建てざるを得ぬということだ。たとえどのような工事が追加されてもな?」

 「……」

 「まだわからぬか?……そうよな、此度の場合だと二つの対処法をされたら大事だぞ?」

 「大事……でございますか」

 「ふっふっふ。まず一つ目は城を砦よりも上に、新たに造られた場合」

 「なっ!!」

 「伊藤家は未だ畿内統治に本腰ではないから、とりあえず指月城というものを造る考えなのじゃ。一度、彼らが本腰を入れたならば、伏見の最も高い山頂に城を築くことなど朝飯前だぞ?」

 「そんなことをされては……」

 「さよう、今度は逆の立場だな?高台に城を造られてはどうしようもあるまい。しかも同じ山、連なった山にだ……しかし、此度の件はそちらではない方が本命であろうな」

 「……本命が別に?」

 「うむ。伏見の辺りは長年に渡って河川が削り出した天然の崖が沢山ある地形。その絵図面の砦の位置もそういった台地を選んでいるのであろうが……こう申してはなんだが、伏見の崖、巨椋池の改修工事に比べれば、埋めることなど簡単であろうよ」

 「崖を埋めるのですか!!」

 「左様。流石に川の改修で掘られた土砂を持って行くことはまではしまいが、儂らが造る砦の為に削り出した土砂、それらはどこに捨てる?平らな土地を造るために削った土砂を使って崖を埋め、広い土地を造って道も通すべし、と伊藤家より言われたら如何する。こちらが自ら選んだ場所での砦作りだ。反対は出来んぞ?」

 「……それでは、砦ではなく、ただの屋敷に……しかも街を広げる工事という大義名分もあるので、確かに反対は……出来ませぬな」

 「そういうことだ。……ただ、これは儂の読みであるからな。実際に伊藤家の姫君がそこまで読み込んでのことかどうかはわからんが……まぁ、すぐに事の次第はわかることになろう。屋敷の建築許可に関しては、大友殿は難しかろうが、儂辺りは飯盛山に呼び出されるであろうしな」

 「……これは早まりましたかな?」

 「なに、そう悲観することはあるまい。実際のこととして、今の洛中は商いも政も全く機能しておらず、どちらにせよ伏見に大きな町を造ることは必要なのだ。景基殿の呼びかけに応えて、淀川と巨椋池の改修工事には皆が手を挙げたが、伏見の街づくりにはどうにも消極的な者達ばかりであったからな。特に武家は……。伊藤の姫君に一本取られたのは悔しかろうが、これで伏見の町を大きく作れるのならば、それは周り廻って儂らにも大いに益があることと言えようさ」

 「左様でございますな……伏見が栄え、洛中が衰退する。さすれば自然と王家も公家も力を今以上に落としましょうな」

 「そうなって欲しいところだ。……このまま伊藤家に畿内から撤退されては困ると思っておったが、伏見がそこまでに大きくなれば、指月城と飯盛山城を手放すことなどは出来まい。完全に王家と公家が死に体となるまでは、伊藤家には何としても畿内にいてもらわねばな……それこそ、猿が関白になどに為られたら溜ったものではなかったということだ」

 「??猿が関白??」

 「ああ、何でもない。こちらのことじゃよ」

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