第163話 結婚式

天正十四年 夏 勿来 伊藤景基


 「そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです』しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです……」


 ビクトル殿の説教は続く。


 何やらカトリコの祝言の様子をたとえ話に使った説教のようだな。

 賢いもの、愚かなもの。

 ……なにやらの油にしたところで、何かしらのたとえなのであろうが、どうにも日ノ本の習慣とは違う祝言の様子を語られてもなぁ。今一つ理解がしにくい。


 ともあれ、ビクトル殿も父上に感謝の念を深く抱いている方だ。

 きっと、父上と沙良の行く末を祝福してくれる内容なのであろうな。


 「兄者……なんとも沙良殿はお美しいですな。……太郎丸殿もあのように美しい女性を娶られるとは、なんとも羨ましいことなのではないですか?」

 「政子殿……あなたは旦那様の正室となられるのですよ?……「兄者」呼びなどはお止めなさい」

 「そうだぞ?この数年で政子殿のことは認めるようにはなったが……流石のあたしも「兄者」呼びは良くないと思うぞ?」

 「むむ。……そうか、これからは気を付けねばいかんな」

 「その男言葉もですよ……ただ、言葉遣いというのならば、有にも気を付けてもらわねばならぬのですが……」


 政子が古河に来てから早五年といったところか……私の知らないところで、三人の話し合いは終わり、政子を正室扱いすることの決着は三人の中では着いたようだ。

 私としては、三人の妻をそれぞれに好いてはいるのだが、どうにも武家としての家格という物は、どうやっても付いて回る。


 秀郷流伊藤家、景清公を祖とする当家の一門衆筆頭である私。

 畿内仕置きを経て、もはや王家、公家とは何の関わりも配慮も要らなくなったとはいえ、武家の中での体面という物はある。


 私の娘、美波の母である顕子は、伊勢北畠家の諸流にあたり、伊勢での家中争いの中で奥州へと移り住んだ家の娘。

 もう一人の妻である有は、上様の実父である寅清殿の養子で、上野から越後に抜ける山中にある柴田の里の出身。

 そして、政子は伊達家前当主の輝宗殿の長女であり、「政宗」として正式に伊達家の家督を継いだ身だ。

 ……二人の仲をこれからも隠し続けるのならばともかく、政子の腹の子のことも考えると、やはり正式に政子を妻として迎えたい。


 私を抜いた三人での話し合いは、私が知らぬ間に決着がついていたようなので、私の出番は無かった。

 そうなると、残るは私の両親と政子の両親の承諾といった物であったが……。

 大身の武家一門というのは中々に面倒だったな。

 確かに、我らの方に掛かる責任という物は大変い重いものが有るのは、重々承知している。

 何十万、何百万という領民の生活を預かっている身だからな……。


 「……これにて、式はつつがなく終了しました。前途ある二人に神の祝福が有らんことを……」


 っと、いつの間にか式は終わったようだな。

 参列者の半分はスペインの方々だからな、ビクトル殿もスペイン語で話したり、日ノ本の言葉で話したりと大忙しだ。

 うむ、こういう時にはつくづく思い知ることになるのだが、私も今少しスペイン語を覚えねばならんな。

 簡単なところなら理解できるのだが、やはり父上や信長殿、中丸などの足元には及ばない。

 ……おかげで、式が終わったとみるや、騒ぎ出した十文字の者達の言葉はとんと理解できん。

 まぁ、同じ東国の者達でも、興奮した人間の早口というのは大概が聞き取りづらいものではあるから、それが異国の言葉で行われているのならば、特に恥ずべきことではないというものか……。


 「兄者……次は我らの番ということですな。まずは古河で、次いで利府で……ふふふ。なんとも今から楽しみです」

 「そうか……お主が楽しみだと言うてくれるのなら有難い」


 そう言って、胸の前で手を組み合わせながら、ぽうっと沙良に見惚れている政子。

 思わず、そう、思わず私はそっと政子の頬を撫でていた。


 「兄者……」

 「政子……」


 ……


 「だから、兄者呼びは止めなさい!」


 ……そうだな、私自身はもう慣れたとも思うが、皆の手前となると政子の兄者呼びは変えてもらわねばならんか。


1586年 天正十四年 夏 勿来


 勿来の教会で沙良と結婚式を挙げた翌日、新婚さんの俺ではあるが、仕事の話?をするために皆に城の応接室へ集まってもらった。


 「ほう、すると昨日の式に参加しておったエウロパ人の多くが職人であり、日ノ本に移住してくれるというのか?」

 「ええ、信長卿。そういうことになります。……彼らはパイセスバホスに住まう民だったのですが、彼の地では神の教えに関しての諍いが激化しています。……この傾向はここ百年程の間、エウロパの全土で起きてはいたのですが、スペイン国王のお力によりここ数十年は穏やかなものとなって自然と消滅したかのように見えておりましたが……」

 「……フェリペ二世も歳か……」

 「……残念ながら太郎丸殿の仰る通り。アブスブルゴを中心としたエウロパの治政に綻びが出てきております」


 うーん。

 スペイン王国には、交易での収益と新大陸から大量の銀が流入、と、俺の知っているヨーロッパ情勢にはならないようにスペイン王国の財政を強化してもらっていたと思ったが……。

 多少は宗教戦争の勢いは緩くなっても、根本的に科学技術の発展とヨーロッパ文化圏の拡大に伴って起きる衝突は回避できないか。


 せめてもの救いとして、力によって抑圧してきたわけではないから、歴史の反動が強く出ることは無いだろうけど……何とか、せっかくお近づきになれたスペイン王国には、頑張って勢力の維持に努めてもらいたいもんだよ。


 「……まぁ、ここで頭を捻っていてもエウロパの情勢に変化は起きまい。何はともあれ、エストレージャ卿よ。職人を連れてきていただいて、誠にありがたい。これで、銀貨の鋳造に一筋の光明が見えてきたというものだ」

 「私も、銀細工の専門家ではないので良くはわからないが、彼らがこの地の職人を指導すれば銀貨を作り出すことも可能となろう……私たちもジパングで流通する通貨が銅貨ばかりでは、微妙に不便なのですよ。これよりはジパングで銀貨が流行してくれれば、今以上に多くの商人達が海を渡ってくることになりましょうね……そうすると、軍人商人ばかりのエスパーニャには分が悪いこととなるのでしょうが……」

 「……構わないのですかな?」

 「構いません。そう、エウロパにしたってエスパーニャだけが国ではありませんし、唯一の民族ではありません。地球は広いのです。……それに我らは今でこそエスパーニャに仕えていますが、元をただせば自由なる海の民。……アルベルトには言えませんが、私の優先順位は一族の繁栄こそが第一ですから」


 一族の繁栄か……確かに、館山の町には続々と十文字の一族が世界中より集結しているらしい。

 そういえば、昨晩は沙良が「館山の町を歩いているとスペイン語で話しかけられて困る!」とか言っていたっけ。

 ……そりゃ、彼らにとって沙良の容姿は、純粋に同じ出身元の仲間だと思うからさ、まぁ、そうなるよね。


 「そういうことならば、当家の領内は喜んで貴方方一族の受け皿となりましょう。……だが、そうなると今度は農業に、食料生産に明るい人材が必要になりますかね。有難いことに東国では治水も上手く行っていますし、子魚を使った肥料の作成もうまく行っています。那須を中心に牧場も順調で、牛、豚、羊、鶏といった食肉も生産できています。ですが、どうにも当家の領内では人口の増加が止む気配は有りませんからね。どうしても食料増産の手を緩めることはできませんので……」

 「……食料に明るいですか……。ジパングでの主食は米ですが、エウロパでは小麦が主力。エウロパから人材を連れてきてもそのままで適応出来るかどうかの自信が有りませんが……そうですね、ジパングの気候ならば、ヌエバ・エスパーニャの低地で農業指導をしている者達を連れて来るのも面白いかも知れんませんね。うん。ちょうど、季節を待ってこれから東に向かうところです。メヒコの副王領とリマの副王領で人材を訪ねてみましょう」

 「よろしくお願い致します」


 俺は深々と頭を下げる。

 頭を下げて感謝の意を表すのは世界共通だもんね。


 「お気になさるな太郎丸殿。貴方は私の義理の甥なのですよ。……年老いた私の跡はレオン、そしてサラが継ぐのです。サラの夫である貴方の手助けをするのは、私にとっては自然なことなのですから」

 「有難い……そうですね、有難いついでに少々お聞きしたいことが……」

 「ふふっふ。なんでしょうかな?婿殿」


 おお!

 そうやって笑うと黒姫様は確かに沙良の伯母なんだな。

 目元なんかがそっくりだよ。


 「……いえ、エウロパの情勢について今少しお話しをお伺いしたいと思いまして」

 「ふむ。エウロパの情勢ですか……私が知ることでしたら何でもお答えしましょう」

 「では、早速ですが……宗教の争い。新教と旧教の争いですと、フランシアとパイセスバホス、それに……」


 む?

 この時代ってドイツは成立してないよな?

 あの地域ってなんて呼称すればいいんだ?

 神聖ローマ帝国でいいのか?

 ライン川とかで聞くのが良いのか?んん?


 「アウストリアに帝国の諸侯の争いですか……確かにその三つの争いが激しいですね。まずは、そう……職人たちの出身地でもあるのでパイセスバホスの話からにしますか。……パイセスバホスには国王フェリペ二世陛下の弟、フアン殿下が総督として赴任し、現地の選挙で選ばれたオランジュ公ウィレム殿下と共同でパイセスバホス一七州をよく納めておりましたが、昨年、立て続けにお二人が亡くなられ、互いの後任者は前任者程に上手く統治が出来ていません。……結果、一七州は実質南北に分断されてしまいました。北部は新教徒を中心に連邦共和国の成立を議会で採択し、南部はカトリコを中心にエスパーニャ王国パイセスバホス領として再編されました。現在は両地域の両勢力による衝突は散発的な物ですが、近々大きな戦に発展する可能性は高いと思います」

 「「……」」


 黙りこくる俺達。


 「次いでフランシアですが、これはエスパーニャと地続きの土地の為に、大きくカトリコの勢力が優勢です。新教徒側にはイグレシアが後援していますが、カナル・デル・エステはエスパーニャ海軍によって支配されています。物資の輸送もままならず、私の見る限り、フランシアの新教徒勢力がカトリコ勢力を上回ることは無いでしょう」


 ほう。

 ならば、この世界ではブルボン家が王権を奪取することは無いか……。


 「最後に帝国内での紛争ですが、こちらは私としても良く分かりません」

 「ぬ?エストレージャ卿でもわからぬのか?」

 「ふふっふ。信長卿は私を買い被りですよ。私にはわからないことの方が多いですから……。とはいえ、わからない点をお伝えすることはできます」

 「……お願いします」


 答えはわからなくても、問題がわかれば、別の人間が答えを導き出すかも知れないしね。


 「形として、帝国内での争いはアブスブルゴに近い南部諸侯とその支配から距離を取りたい北部諸侯の争いです。ただ、帝国は圧倒的に南部の国力が大きいので、北部には南部と戦えるほどの力は無いはずなのですが、どうにもここ最近の彼らは強気なのですよ。……確かに、現皇帝の父、マキシミリアーノ二世の治政では北部の新教徒は大分優遇されたていましたが、現皇帝はエスパーニャ王の薫陶篤い人物ですので……」

 「代替わりで風向きが変わり、反抗の機運は高まっていると……」

 「そうです。……ですが、帝国内で弾圧と言っても、迫害や殺戮といったことは起きていない筈。……少なくとも私の耳には届いていません。せいぜいが、関税措置が変わったとかのことで、ことは信仰云々よりも商人達の権益に関わる物が大部分のはずなのですが……」


 けど、商売の権利のゴタゴタって結構、紛争に繋がったりするからなぁ。

 この時代の前だと……第四回の十字軍とかが良い例かね? 


 「父上、私のスペイン語では所々しか理解できませんでしたが、その帝国内での紛争というのは、目に見えて国力差があるのに、弱小勢力が強気だということですか?」

 「おお、その通りだぞ、一丸。なんだ、お前もエストレージャ卿の話を理解できているじゃないか!」


 エストレージャ卿も外国人である俺達に説明するために、ゆっくりと、しかもわかりやすい言い回しで説明をしてくれているとはいえ、この内容を理解できているのならば、一丸のスペイン語力も大したものだよ。


 「なるほど……でしたら、父上。弱小勢力が強気な理由。それは後援の存在なのではないでしょうか?同盟の支援が現実的な物であるのならば、そう言った動きも理解できると思いますが、どうでしょう?」

 「はっはっは。やっぱり一丸のスペイン語は今一つだな。そこのところはフランシアの情勢説明の中でエストレージャ卿が言っていたではないか?海峡はエスパーニャ海軍によって……」

 「いや!まて、太郎丸よ!景基様の言は尤もかも知れんぞ?」


 ぬ?


 「……俺も正確にはエウロパの地形を覚えきれてはおらぬが、帝国は相当に東では無かったか?」

 「そりゃ、スペインからは大分東だが、ハプスブルグ家の本拠であるオーストリアからは西だぞ?」

 「地続きなところではそうであろうよ。だが、問題は海だ。俺の記憶が確かなら、パイセスバホスの北部がスペインに反旗を翻したのならば、彼らは帝国の海には近づけないのではないか?」


 ぬぬぬ?


 「確かに……北の海、バルト海にはスペイン海軍は近寄れないな……と?お?おお!」

 「閃いたか?!」

 「ああ、そうか!スウェーデン王国の勃興か!バルト帝国!!」

 「ん?どうした?太郎丸殿、そのように大声で……」


 おお、いかんいかん。

 エストレージャ卿を置いてけぼりにしてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る