第162話 迅きこと風の如く
1586年 天正十四年 初夏 利府城
おっと、勢いで発言しちゃったけど?
そっと阿南と一丸の表情を見る。
阿南は平然とした表情、一丸はどうしたもんかなと思案顔。
うーん?
まぁ、俺も十一歳ってことで……普通にしてもいっか。
それこそ今よりも戦が多かった時には十代の当主も珍しくは無かっただろうし!
よし!
「政子殿を正式に伊藤家の統領、伊藤景基の妻に頂けませんか?祝言も古河とこの利府で盛大に!」
「なっ!父上!」
「……!」
おーい、一丸よ。
父上呼びが漏れているぞ?
「こう言ってはなんですが、ここまで政子殿を政宗殿として、男として扱えて来れたのは奇跡のようなものでしょう。……政子殿が血の滲むような身体の鍛練を続けていることによって、男と言っても通るような、その身体付きが維持されてはいるようですが、これからは出産に向け自然と体つきも変わり、その様な事を続けていくことは出来ますまい」
「……であろうな」
「ならばいっそのこと、政子殿は女性であると公言し、景基と祝言を上げ、生まれてくる子を伊達家の次代にする、とすれば良いのでは?」
「……政宗は……政子はおなご……しかし、今でも正式に伊達政宗は伊達家一七代当主なのだ。その前提を崩すというのか……?」
「先程のお話でも出てきましたが、伊藤家の先代、伊藤元景もおなごです」
「……先程も申した。……残念ながら、政子には大御所様程の武功も城主としての実績もない!」
そりゃ、姉上はちょっと別規格だからな。
凡人と比べちゃ駄目だろ?あの人は。
でも……。
「輝宗殿、その様な実績、必要ですかな?」
「なっ!……実績もない只のおなごに誰が付いていくというのだ!?」
「そう、その点ですね。果たして「誰」が付いていけば良いのか?」
「……それは当家の家臣、領民であろう」
「ええ、そうですね。ではまず領民についてですが、本当に彼等は当主が女性であると困りますか?反対だと文句を言うのでしょうか?……手前味噌なことでは在りますが、元景が当主であった時分、当家の領民がおなごの当主に文句を申したことなどございませんぞ?」
「それこそ、ここまでに何度も申した通りに実績が違うのであろう!?」
身を乗り出す輝宗殿。
なんか面白くなってきちゃったのかな?
目の色がキラッキラッになってないか?
「それは残念ながら違いましょう……元景が城主として羽黒山にいた事を知っていた領民など、精々が棚倉周辺に住まう者達だけだったでしょう。武功の方は……まぁ、確かに大袈裟に兵達の間で誇張され、半ば伝説と化してはいましたが……まぁこれはどうにかなりましょう。次に……」
「いや、ちょっと待ってくれ!……どうにかなる……その所が気になる!先に説明をしてくれぬか?」
む?
そちらがお気になる?
「どうにでもなりましょう。……政子殿本人には辛かったことでしょうが、彼女は片眼を失うほどの激戦に身を投じたことのある武将ですからな。その戦いを謳った武勇伝を紙にでも印刷し、大いに伊達領内の城下で配れば、瞬く間に市井にその武勇が伝わりましょう」
「……」
「ああ、その作業とか資材に関してはご心配なく。当家の棚倉にある製紙工房は、関東と南奥羽一帯の需要を一身に受けている工房ですからな、十分な数の紙を用意出来ましょうし、印刷技術も確かな物がありますので問題なく……と?」
いかんな、どうにも話に熱が入ってしまうと、周りを置き去りにしてしまう癖は直ってないのかなぁ。
ちらっ。
うん、阿南も一丸も慣れたもんだな。
輝宗殿も……別に変な顔はしてないか……良し!話を続けよう!
「最近、当家ではふれの内容は立札だけではなく、村長や名主の下に印刷で届けるようにしていますので、これまでの実績も十分です。きっと、政子殿の武勇も瞬く間に領民たちに広まることでしょう!」
「……そこのところは心配はしていないのだが……姉上……」
「……なんです?彦太郎?」
「やはり……」
そこのところは心配してないの?
一応は、失伝していた活版印刷の技術を復活させたり、「明朝体」を数百年先取り設定したりとか、色々と頑張ったのよ?俺と仁王丸で……。
うん、俺達は大身の一門だけに教養の一環として、書を学んだりもしてるんだが、どうにも昭和生まれな二人だからな。草書体も読めるっちゃ、読めるが、得意なのは楷書体だ。
前世の記憶持ち二人のそんな経緯もあって、二人だけの簡単なやり取りは楷書とひらがなでメモ書きを回していたりしていた。
そんなある日に……どこの城の事務方だっけか?立札だけだと限界があるので、領民に対する告知を円滑に行える、なにか良い方法が無いでしょうか、と相談が上がってきた。
古河での学校、寺子屋?的な教育機関が増えてきていたので、自然と領内の識字率は上がってきていたから、単純に立札の数を増やすかすればいいんじゃないか?と意見を言ったんだよな……って、あれ?立札云々は前世でだったっけかな?……記憶があいまいだな。
ともあれ、そんなことを話している席で、立札だけでなく紙に記した物を回し読みさせればいいんじゃないかという意見が出て来た。
「回覧板ね!」という認識で俺と仁王丸は一も二もなく即決即断!
ついでに、活版印刷機を作れないかな?と思った次第。
活版印刷自体は数百年前に大陸で発明されているし、日ノ本にも数百年前に渡来している。
だが、平安貴族の間で草書体が流行っていることもあり、あっさりと失伝してしまう。まぁ、ほんの一部ではあるが木版印刷は残っていたので、活版印刷の復活も概念上は難しくは無かった。
工房の技師たちも、未知の物、考えも付かない物を造るより、ある程度完成形を見知っていた方が楽に作れるってもんだもんね。
で、技術の理論と機械の概念はあっさりと復古できたんだが、問題は文字の制定というか統一だった。
「楷書は優雅さが……」「この流れるような字体にこそ優美さが……」
なんてことをのたまいまくったのが、古河に滞在して書を教えていた公家の皆さん。
……だが、彼らを説得する材料は俺が持っていた!
明から持ち込んだ本の数々……明朝体と言うだけに、明の書籍には印刷された物もあって、それらは楷書に近い自体で印刷されていたんだよね!これが!
「あなた方はそう言うが、明ではかような「明朝体」で印刷された物が!」ってやったら一発だった。
やはり、文化の伝道者を辞任するお公家さん達は、「明では……」の枕詞に弱い。
「……なるほどな、やはり、姉上が仰っていたように太郎丸殿には、亡き景藤殿のご記憶が……」
「もう、彦太郎は南の言うことが信じられなかったのですか?」
「いやいや、流石に、そのような話はそれこそ書物の中の物語だとでしか……」
「もう、南は十年前から文で書いていたでしょ?……彦太郎は姉を信じる心が足りないのですよ!まったく……少しは旦那様を見習ってもらいたいところですよ」
「はぁ……善処致します……」
……と、おや?
俺が物思いに耽っている間に姉弟の会話が進んでいたらしい。
って、なに?輝宗殿には俺が俺ってことを昔から伝えていたのね?阿南さん。
だから、今回は俺をここまで連れて来たのか。
「……父上、お戻りになられましたか?」
「戻った……だが、一丸よ、その表現は何やら気になるぞ?」
「だって父上……今さっきまで確実に物思いに耽っていたでしょう?母上と輝宗叔父上の会話を聞いて無かったのでしょう?」
「まぁ、そうなんだがな……で、どうなった?」
「どうなったというか……まぁご覧の通りです」
小声で状況説明をしてくれる孝行息子。
しかし、……ふむ?
どういうことかな?
「太郎丸殿か……父の紹介で何度かお話しをさせて頂いていたし……今でも室蘭の温泉で言葉を交わした時のことを昨日のように思い出せる……太郎丸殿」
「……何でしょう」
輝宗殿は居住まいを正し、言葉を整えた。
「まだどうにも……なんとも気持ちの構えようが定まらぬのだが……だが、景藤殿になら……と、景藤殿と呼ぶのもおかしいですな。なんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「輝宗殿、どうかそのような言葉遣いはお止めください。確かに私は頭の中に景藤の記憶も持っていますが、今の私は伊藤元清の嫡男、太郎丸であり、今年で十一の童です。……呼び名は、どうぞ気軽に太郎丸と」
「左様か……では太郎丸殿と呼ばせて頂こう。……では太郎丸殿、二三相談事があるのだ。……別室で景基殿も一緒によろしいか?」
「ええ、もちろんです」
そりゃ、否は有りませんよ?
でも……この場にいるのも伊達側は輝宗殿と喜多殿、伊藤側は俺に阿南と一丸。これでもか、っていうぐらいに身内しかいない状況ではあると思うのだが……なんで身内しかいない場所を外して、別室に移動するのだろうね?
天正十四年 初夏 利府城 伊藤阿南
……彦太郎に二人が連れられて、南一人が取り残されてしまいました。
まったく、あの子は何を旦那様に相談したいのでしょうか?
この場には身内しかいないというのに……まったく。
「ほほほほ、お許しくださいな阿南様。どうにも殿には優秀な家臣はおりますが、信頼できる腹心がおらぬのです」
「そうなのですか?それこそ喜多のお父上は父上の代からの重臣なのではないですか」
「そう、我が父は晴宗様の代からの、もっと言えば稙宗様の代からの伊達家重臣……殿にとって信頼できる重臣ではありましょうが、何事にも心の内をさらけ出せるような腹心ではありません」
「そうですか、彦太郎も大変なのですね……」
その点、旦那様はどうでしょうか?
腹心……というか、無二の親友である吉法師が常に傍にいます。
赤子の頃より共に育ってきた竜丸殿にも、気兼ねなく心の内を打ち明けになります。
息子の一丸にも中丸にも良く相談していますし、仁王丸とも何やら書き難い字で文のやり取りをしていたりします。
そう考えると……彦太郎は孤独なのでしょうか……?
「強いて言えば……、殿の代から事業を共に為してきたような家臣とすると……支倉家の
「むぅ……では、喜多。貴方には複雑な話なのかも知れませんが、子との仲はどうなのですか?彦太郎と政子の間は良いように見受けますし、もう一人の相馬の姫との間の子などとは?」
「そうですね……あの子とのこともありますか。殿は自分に信頼できる腹心がいないような状況、そのようなことがあの子に無いよう、守役として私の弟の
こてんっ。
やはり、相馬の姫ということで家中では微妙な扱いなのでしょうか?
「いや、私と真珠姫の間にはそれほどの物は御座いません。多少の嫌がらせと微笑ましいいたずらをやり合う程度の間柄です」
……喜多の笑顔が怖いです。
南は知っています。米沢にいたのは本当に幼いころまででしたが、喜多のあの笑顔が出たら、即座に回れ右をしていたものです。
「竺丸殿が殿に……というよりも伊達家の中心に近寄れないのは、やはり母君である真珠姫の取り巻き連中に問題があると思います。竺丸殿も今年で十九、未だに元服をしていないというのは、どう考えても遅いでしょう。……しかし、竺丸殿の元服は相馬一派の強い要望にて執り行われておりません。まずもって、伊達家当主の息子ともなれば、元服後はそれなりの城の城主として赴任することとなりましょう。今の伊達領で考えると、庄内の酒田城か、蝦夷の松前城、若しくは北の一関城辺りが妥当でしょうか……」
「なるほどです。それらの領地では相馬の影響力が及ばず、どちらかと言えば相馬とは相対す側の最上に近い地縁ですか。……むぅ。まったく!大の大人が子の未来を閉ざすとは、いったい何を考えているのですかっ!?」
南だって、一丸、中丸と離れるのは辛かったものですが、子の成長を願って、二人には羅漢山城と鎌倉城の城主として勿来から送り出したものです。
……まぁ、あの二人は一年の全てをその任地で過ごし続けたというわけでも有りませんが。
「人というのは、何事も自分を規準に頭を働かすという物。相馬の者達は、自分たちが竺丸を最大限に利用したいと思っているからこそ、竺丸を利用する機会を最上の者達には、寸分たりとも与えたくないのでしょうね」
酷い話です。
誰も竺丸を一人の人物として見ていないというのと同じではありませんか!
なんでしょう、南はちょっとむかむかしてきました。
うん、旦那様も良く言っておられます。思い立ったが吉日なのです。
「喜多、竺丸は利府城にいるのですよね?」
「……?ええ、ここは利府城の奥の丸ですが、竺丸殿の屋敷は北側の一の丸内にあります」
「わかりました。では、そこへ案内をしてください」
「……阿南様が竺丸殿の屋敷に?」
「はい!なんだか、南は今の話を聞いて、どうにも竺丸と話をしてみたくなりました!案内を!」
ふんすっ!
直に話してみなければわかりませんが、甥が苦しんでいるかも知れないのです。
父親と母親が家中の
ここは動の盤面です。「迅きこと風の如く」です!
今の南は勿来城城主の伊藤阿南なのですから!
「くっ……くっくくっく!」
「ぬ?どうしたのですか、喜多?」
「あ~はっはっはっは!……流石は阿南様です。御見それいたしました。やはりあなた様に相談して良かった。……では参りましょう!」
なんでしょう、微妙な引っかかりがある喜多ですね。
涙を出すほどに大笑いしていますし……。
でも、いいでしょう。
今は竺丸と話をするのが第一なのですから!
ぱんっ!ぱんっ!
喜多が手を叩いて人を呼びます。
「誰かある!これより阿南様と一の丸の竺丸殿の屋敷へと向かいます。先ぶれを疾く行うよう!」
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