-第二部- -第四章- 伊藤景清

第161話 利府城にお邪魔します

1586年 天正十四年 初夏 勿来


 「……で、なんでわざわざ勿来まで戻ってきたんだ?一丸?」


 少しばかり相談したいことがあると言って、ここ最近は飯盛山を中心に日ノ本中を駆け回っている一丸が勿来にやって来た。


 勿来は一丸にとっても故郷と言える場所。

 古河からの逃げ出しを常に考えている俺と同じように、一丸も不意に勿来に戻りたくなったのかも……って、そんな訳ないか……。


 「いや、その……ここは是非とも父上に相談せねばならぬことが有りまして……古河に尋ねれば、父上は勿来におられると……」


 なんだ?変にもじもじと……。

 息子とはいえ、三十路の男にそんなことをされてもな。

 こっちとしても扱いに困るぞ?


 「兄者が言いづらいのでしたら、某の方から……」

 「いや、ここは年長者でもある私の方から言わねば男が廃る!」

 「……景基様……」


 ……それに、なにゆえ一丸は政宗を連れてきてるの?

 え?しかも妙に甘い雰囲気出されても……。

 嫌ですよ?一応は理解あるパパであるとは自負していますが、妻子持ちの長男からカミングアウトされるのは、……ちょっとばかり心の準備が必要よ?


 「父上!!済みませぬ!!ややこが出来申した!!」

 「……」


 え?

 それが……?

 ……なんだよ、びっくりさせるなよ、一丸。

 孫というか従弟というか、ともあれめでたいことじゃないかね!


 「おお!なんだ、そいつは大した慶事ではないか!俺も沙良と祝言を近日中に勿来の教会で挙げる予定だからな。いや、今年に入ってから暗い話ばかりだったところに、明るい話が二つも舞い降りたか!これは目出度い!なぁ、阿南?!」

 「……」

 「ん?輝?義?」

 「「……」」


 おや?

 一丸さんの実母と義母は反応が薄いな。


 「吉法師?」

 「……ん~、あ~、なんだ。俺の職分にも関わることだとは思うが、今日一日は、まずもってお主の身内で片をつけてから連絡してくれ。俺は湯本の方に戻っているからな」


 すっ。すたすたすた……。


 ……おや?

 いったいどうしたというのだね?マイベストフレンドよ。


 「……美月はなんか知ってる?」


 勿来城の奥の丸、長年お気に入りの居間のソファに座りながら、この場に残っている中で唯一の娘に声を掛けてみた。


 「ん?父上は何を仰っているので?皆が沈黙しているのは兄上の言を受けてのことでしょう?」

 「おう、おう?いや、顕子か有が身籠ったという話であろう?それが何かあるのか?」


 がたっ!

 ずざざざっ。


 「も、申し訳ございませぬ!!!」


 うわっ!

 な、なにをしてるんだい一丸君よ……。


 そんな見事なジャンピング土下座を決められても父は何が何だか理解に苦しむぞ?


 ぶっしゃんっ!


 「「……」」


 そして、響き渡る平手打ちの音。


 「お、お、阿南さん?」

 「しばらく旦那様は黙っててください!」

 「は、はいっ!」


 謎展開は続く。


 一丸がジャンピング土下座を華麗に決めたかと思ったら、今度はその一丸の頬に向かって阿南が渾身の平手打ち……というよりも掌底だよね、その打撃……音も「ぴしゃん」どか可愛らしいものじゃなかったし、一丸が吹っ飛んでいるし……。


 「一丸!……母は……南は悲しいですよ!!」

 「……す、すみません。母上、私が軽率で……」

 「いえ、兄者に悪いところは無いのです。伯母上!すべては某の……」

 「そういうことではありません!!!」


 阿南さん大噴火である。


 「なぁ阿南……ここは……」

 「父上!しっ!」

 「あ、はい……」


 こんな私的な場所でも、護衛役としての役割を務めるため、俺が座るソファの後ろに控えた美月が、口元に人差し指を添えて「静かに!」と言ってくる……。


 「一丸、梵天丸……あなたたちが惹かれ合っていることはわかりきっておりました。ただあなた方には立場がある。弟の考えは知りませんが、彦太郎には彦太郎なりの考えがあるのでしょう」

 「「は、はい……」」


 うなだれる二人。


 うむ、ここまでの所、ようわからん展開だぞ?


 「ですが!……母が怒っている理由はそこではありません!」

 「「……?」」

 「良いですか?!子は宝なのです!何をもっても大事とすべきことなのです!それを……それを!」

 「「……」」

 「よろしいですか?一丸様、政宗様……阿南様がご立腹されているのは、お二人が結ばれたからでは御座いません。やや子をさも邪魔者のように表現したことにご立腹なのです。……一丸様、あなた様はご自分の赤子を殺そうとお考えなのですか?」

 「ま、まさかっ!」

 「ならば良いでしょう。……私も伊藤家に、旦那様の元に嫁いでそれなりの年月が経っております。人生の大半を勿来で過ごさせて頂いております。だからこそ理解しております。当家では、どのような理由であれ、産まれてくる子を祝福せぬことなどあってはならぬと……」


 感極まった阿南に代わって二人を叱りつける義。

 ……けど、義って知らない間にしゃべりが綺麗になったなぁ。

 俺が死んだ瞬間まで声を何年も失っていたはずなのに……って、いたっ!


 ぱこんっ!


 「父上、しっ!」


 美月さんに頭を叩かれて、「しっ!」とやられてしまった……なんかすいません。


 「政宗殿……あなたは我が子を殺めたいのですか?」

 「め、滅相もありません!義様っ!」

 「では、その子を育み、愛情を注ぎたいと言うのですね?」

 「当然ですっ!」

 「……と、申しております。阿南様」

 「……ありがとう、義。……では行きましょう!旦那様?!」

 「あ、は、はいっ!」


 ちょっと目の前で繰り広げられていることの内容が理解できてはいないが、阿南から強めの口調で呼ばれるとつい背筋を伸ばして直立不動になってしまう。


 「支度をしてください!すぐにでも出立しましょう!」


 ……え?


 「あ、あの……どこに?」

 「一丸!あなたももちろんついてくるのですよ?!」

 「は、はっ!承知致しました母上!」

 「いや、だから……どこに?」

 「政宗!……あなたはこの城で休んでいなさい。ついてくる必要はありません」

 「し、しかし!伯母上!それは……」

 「駄目です!……いいですか?あなたの第一の務めは元気なややこを産むこと……今はそれだけを考えなさい、良いですね?」

 「は、はい……」

 「義……留守のことは万事任せます。……おおよその所は義母上様も存じ上げているとは思いますが、あなたの方から今一度ご連絡をおねがいします」


 うん。

 これが蚊帳の外ってやつだね。


 俺が立ち入る隙間もない間に話が凄い速度で進んでいく。


 「旦那様、申し訳ないですが、今ここから一番早く出せる船の準備をしてください。後は、当地での産物から献上品に耐えられるものを数点集めてください!」

 「え?あ、はい……」


 阿南の勢いに押されて、俺はソファから立ち上がり事務方の執務室の方へ向か……おうとしたが……。


 「……と、何処に何しに行くか聞いてからじゃないと準備が……」

 「何を言っているのですか?!旦那様?!準備が出来次第、すぐに塩釜へ向かいます!まずは利府城に行き、彦太郎と会います!嫁取の挨拶です!」

 「ん、と……?」

 「伊藤の男と伊達の女の間に子が産まれるのです!きちんと形を整えるのは親の仕事ではないですかっ?!」

 「は、はいっ!」


 どたたどたどた。


 阿南の一言で駆けだす俺。


 って、あれ?

 ん??

 ん????


天正十四年 初夏 利府城 伊藤景基


 我ながら情けないとも思う。

 しかし身体が動かないのだ。

 かれこれ半刻ほどはこのままであろうか、ひたすら輝宗殿に対して頭を下げた姿勢でいる。


 「姉上……そう、わかってはいたのです。わかってはいたのですが……」

 「彦太郎……あなたも腹をくくりなさいっ!可愛い娘が愛しい男の子を身ごもったのですよ?!祝福こそすれ、厄介がるなど何事ですかっ!」

 「いやいや、姉上!そこのところは、どうぞ誤解なきように!儂は政宗の……いや政子の懐妊を嬉しく思っておるのです。ただ……」

 「ただ、なんですか?」


 この半刻、一方的に母上が輝宗叔父上を責め立てる展開が続いている。


 なんというか、ここ利府城に来るまでは輝宗叔父上に殴り飛ばされることも覚悟して、政宗、いや政子か、彼女との仲を許してもらうよう輝宗叔父上を説得するつもりであったんだが……。

 まさか、このような、微妙な感じになるとは露にも思わなかった。


 「……姉上、少々長くなりそうですが、姉上が嫁いで後の伊達家に付いて話をさせて下され。そう……儂は当初、最上義守殿の娘、義姫と祝言を挙げる予定でした。……されど、姉上もご存知のように、義姫は実の兄から逃れるために塩釜で南行きの船に密航。勿来へと逃れました。逃れた後は……その後は姉上の方がお詳しいでしょう」

 「ええ、義は良く旦那様に尽くしてくれました。私の最も信頼する人物の一人です」

 「はい……ともあれ、そうして最上家にとっては不名誉な形で儂と義姫の祝言は流れました。最上家も代わりの姫を、と彼らの親族から似合いの姫を探したようなのですが、あいにくと年頃の姫はおらず、当家との縁談は完全に流れました。……最上家との縁談が流れたとはいえ、儂も伊達家当主ですから、当然のこととして、子を作らねばなりませぬ。ですが、最上家の手前、他家の姫を正室として娶ることは難しく、内縁の妻として鬼庭の娘の喜多を近くに呼びました」


 政子の実母である鬼庭の喜多殿。

 今も静かに輝宗叔父上の後ろに控えておられる。


 「喜多と儂は幼少の頃よりの付き合い。最上家の手前、祝言を挙げることは叶いませんでしたが、儂としては幼少の頃より好いていた相手と結ばれたのです。……これで万事うまく行くと思っていたのですが、残念ながら儂らには中々に子が出来ませなんだ」

 「……阿南様、私もまさかおしめを取り換え、夜泣きを繰り返す彦太郎様を御前様と共にあやしたのは良き思い出、昨日のことのように思い出すことが出来るものなのですが……まさか、その当人とこうした仲になるとは思いもよらぬ事でした……」

 「う~、おほんっ、おほんっ!」


 ……輝宗叔父上も妻には頭が上がらぬのか。


 「まぁ、そんなこともあり、家臣から側室を新たに迎えるよう強く要請を受けましてな、初めの内は断っておりましたが、世継ぎの話をされるとどうにもそれ以上の抵抗をすることが出来ず、しまいには相馬の真珠姫を側室に迎えることとなりました。ですが、この真珠との間に関して最上家から強い牽制が有りまして、正室には絶対に迎えぬ事、出来た子も年齢に関わらず相続順位は低いものとする事を約束させられました」


 後継ぎ問題の為に迎えた姫なのに、そうまで条件を付けられるとは……なんとも奇妙な形だったのですね。

 ふむ。

 しかし、それでもまだその頃は晴宗お爺様もご存命であり、輝宗叔父上も十代の頃の話のはず。


 「伊達領の南は伊藤家との結びつきによって安泰とはなりましたが、北は南部家と向こうを張って争う時期となり、また家中では、標葉郡のやり取りによって相馬家中に不満を持つものがおり、最上家中に庄内のやり取りによって不満を持つものがおり、大崎家中に旧葛西領のやり取りや南部家への対処に不満を持つものがおるという、非常に舵取りが難しい時期でありました。……今も、この辺りの不満が解消されたとは言い難い状況ではありますが、あの頃に比べればましと言えましょう。……そして、そのような時期に喜多が懐妊、政子を産みました。このお産というのは、一時は喜多の命も危ぶまれるほどの難産で、何とか政子は産まれましたが、残念ながら次の子を喜多との間に望めるような状態ではなくなりました」

 「……そうだったのですね。喜多も大変だったのでしょうね」

 「ほほほ。お気になさいますな阿南様。確かに出産は辛いものではありましたが、私は無事に娘を産み、またこうして私自身も元気に生きておりますれば、何も問題は御座いません……私自身は」

 「……そして喜多との間に男子が望めなくなった後で、政子が産まれた翌年に真珠が懐妊をし男子の竺丸を出産したのです」


 なんなのであろうな。

 武家にとってのお家というのが大事であるのはわかるのだが、どうにも……。

 まぁ、今回は私と政子の話であるので、どうにも微妙な心持だが……父上はそのあたりはどうお思いなのだろうか?


 ちらっ。

 ……

 …………


 頭を下げながらも、脇に座っておられる父上を覗くと……。


 寝てるな。

 眼を閉じて神妙な面持ちを造られてはいるが、きっと寝ている。

 童であることを利用して、全力で寝ている。


 「ともあれ、そのような案配でしてな。父上や腹心の者達と相談をした結果、政子が伊藤家の大御所様のように、女子でありながらも大身の当主として問題ない器量を示すまでは息子として扱い、無駄なお家騒動、家督争いを避けることにしました」

 「あの子にも随分と不憫な思いをさせてしまいました……私としては男子として育てることには反対でしたので、いつでも、あの子が娘になりたいと言い出したら、その意思を尊重するつもりだったのですが……」

 「「いつの頃からか、あやつ(あの娘)は男として生きて行きたいと言い張って(しまって)!!」」

 「……」


 沈黙する母上。


 母上としては政子と私の仲を認めさせようとして、わざわざ利府城まで乗り込んできたのでしょうが、ことここに至って何やら風向きがおかしな方向に行っているようです。

 私としても、下げた頭を戻す頃合いが読めず、未だに額を畳に付けたままで……。


 「……一丸、そろそろ頭を上げても良いと思うぞ?」


 眠りから覚めたのでしょうか?

 父上がそう囁いてくれます。


 そうですね、腰も張ってきましたので、失礼して頭を上げさせていただきましょうか。


 「景基殿……いや、一丸よ。政子はあの年まで男として育った身の変わった娘だ。だが、どうか、……儂の娘を幸せにしてやってくれ。この通り、あの子の父として頼む」

 「いや!あ、その……顔をお上げ下され、叔父上!」


 なんだろう。

 話の展開について行けない。

 結局のところ、私と政子の仲は認められたのだろうか……。


 「景基殿……娘が古河へと向かう、あなたの傍について行くと言った日に、あの子の気持ちを私たちはこの耳に、直接に聞いているのです。私は母として、産まれてから初めてあの子が抱いた、娘としての気持ちを尊重してやりたい……だが……どうにも伊達家としての体面と、家中の懸念があるようですので、先ほどから殿の話は煮え切らなかったのですよ」

 「いや、煮え切らぬとは……喜多よ……」


 輝宗叔父上とは対南部の陣にて共に轡を並べましたが、確かにあの時も進軍は慎重を期した物でしたし、伊達の本軍は常に軍の中央に位置されるような進軍具合でした。


 それに……そう考えると、あの時に政子が戦功に逸っていたのも納得できますね。

 戦で功績をあげ、跡取りとしての地位を確固たるものにしたかったのですかね……しかし、その時はまだ女子であるとは傍周りの者にしか伝えてなかったようですが、そのあたりはどうだったのでしょうか?


 「とりあえず、彦太郎との仲を認めてもらったのは目出度いことですが、今後はどうするのですか?産まれてくる子の扱いは?政子はこれからも政宗としていきて行くのですか?」

 「……姉上。……そこが頭の痛いところなのです。一応は伊達家の家督は「政宗」が継いでおります。「政宗」は古河に在し伊達家の外交を担っている。そういう風に家中では取り扱っておりますし、実際に古河にいる景綱や成実が他家との話し合いや、大手商人達と話を付けてくれております。領内のことは儂が利府より動かしておりますれば、あと十年、二十年はこのままでも問題ありません。……ですが」

 「ですが、輝宗殿に何かがあった場合は、その体制も一晩で崩れると……」

 「……お恥ずかしながら……と、太郎丸殿?」

 「!!」


 思わず声に出してしまった!

 とでも言いたそうな顔で固まる父上。


 ……父上、このようなことにならぬように寝ていたのでは?


 「輝宗叔父上!実はそのような状況もあるかと思い、太郎丸の居城である勿来城で母上、政子を交え話をしていたのです!」

 「む……そうか……ならば、何やら案を考えてはくれたのであろうか?」

 「……はっ!」


 ……ええ、考えていません。

 とっさに父上の正体がばれぬように話を作ってしまいました。

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