第155話 天正大地震 ~後編~

1586年 天正十四年 雨水 古河


 「まだ水軍は出せぬのか?!太郎丸よ!」

 「……信長様。流石にまだ現地の湊は動いてオリマスマイ。落ち着いて下さレ」

 「そうだぞ、獅子丸の言う通りだ……しかし、吉法師の気が急くのも仕方は無いよな……船で物資を届けられるようになれば問題は解決に近づくという物だが……」

 「皆さまの言うこともごもっともなれば、今はそのための準備。まずは街道の復旧が第一ですな」

 「「そうだな……」」


 どうにも被災地から距離のある関東での会議は堂々巡りが続く。


 もちろんのこと、援助物資の食料・衣類、冬であるために暖を取るための薪や炭、火箭暖炉を作る為に必要な耐熱煉瓦と石灰壁の原料等々。

 考え付くもの、こちらから送れるものは既に送ってはいる。


 だが、被災地からの送られてくる桁違いの被害状況を見ると、どうにも「もっとできることは無いか?」「あれは出来ないか?」「これはどうだ?」と気ばかりが焦ってしまう。


 「ともあれ、先ずは街道の復興を第一に考えよう。残念ながら、伊勢湾と若狭湾の湊はまだまだどうにもならんが、堺や和泉、摂津の湊、淀川を使った道は動き出した。なんとか、東海道と中山道を使った東からの交通網と湖南、湖西、伊勢、伊賀などの西からの道を繋げ、東西両方から復興の支援をせねばだな」

 「「はっ!」」

 「そのためには大規模な人足が必要とはなるが……大丈夫かな?関東から送って……」


 幸いなことに、小さめの余震はこちらでも感じるが、建物がどうとか、津波で湊が……などと言った報告は上がっていない。多少の津波は観測されたようだが……。


 「東海道の名古屋までは構わんだろう……だが、中山道はどうであろうな?更に畿内は……」

 「中山道は止めた方が宜しいでしょう。幾ら被害甚大とはいえ、美濃は他国、斎藤家の所領です。主家の軍とはいえ、我らが大量の人足を派遣したら……多くの者達は地震にかこつけた侵攻かと怯える物も出てきましょう。ここは斎藤家からの援助の要請を受けてからでも遅くはありますまい。畿内も同様に、徳川家と長尾家の了承を取り付けて後、上様から連絡が入りましょう」


 忠清の言うことがもっともだろうな。

 だが、頭ではわかっていても、どうにも……何かをしないと罪悪感が心から湧いて来ちゃうんだよね。

 ふぅ……。


 どたどったどた!


 「失礼します。飯盛山より大御所様の文が届きました!」

 「ご苦労!寄越せっ!」


 第一報は瑠璃から堺に停泊していた水軍の船を使って受けてはいた。

 続報も事務方の流れを以て報告書が古河にも届いてはいたが、ここに来てようやく姉上からの文が届いたか!


 中丸が伝令を労わりつつも、文を取り上げいち早く読み進める。


 ……しかし、仁王丸じゃないのか。

 姉上は決して筆まめな方じゃないんだが……。

 また、一丸から届いていないのも気になる。


 「……なんと……!」

 「む?中丸どうした……悪い知らせか?もしや一門の誰かが?」

 「あ、いや……命に別状は無いようですが……どうやら仁王丸、上様は飯盛山の本丸の倒壊に巻き込まれ、左肩を損傷。どうにも満足に左腕を動かせぬようになってしまったようで……」


 うわっ……。


 瑠璃の一報にも書いてはあったが、飯盛山の本丸が崩れたらしい。

 幸いにしてというのか、当家で新たに拡充した建物は軒並み無事で、娘たちは全員が無事だということだった。

 姉上もその日は北の丸で瑠璃たちと夕餉を共にして、夜も本丸に戻らず北の丸で過ごしていたために無事だったようだ。


 「上様の他にはどうなのですか?中丸様?」

 「そうだな。伯母上の文では、何人かの兵や女中が被害に遭ったと書いては有るが、将や一門の者達にはそれ以上の被害は出ておらぬようだな……六波羅の方は一から当家で建てた館なのでびくともしておらぬようだ。ただ、王家や公家の建物は大いに被害を受けたらしく、どうやら六波羅の館を借り住まいとして貸し出せねばならん状況のようで、景貞大叔父上は大いに困っていると書かれておる」

 「そうですか……上様のことは心配ですが、皆に大きな被害が無かったのは幸いですな」

 「左様……して、中丸様、その他は?」

 「あとは……おお、兄上に関してだな……なになに……」


 ぬ?

 そういえば……確か一丸は飯盛山には戻ってきておらず、大友家と尼子家の仲介のために出雲に行ってたんだったか。

 若狭湾が津波で被害を受けたというから、どうやって戻って来るんだろうか……。


 「敦賀が津波で被害を受けているために、陸路で飯盛山に戻るようですな。……ただ、その前に大友殿に誘われ厳島いつくしま神社にて海難被害者の為の弔い祈祷をしてから戻るようです」

 「それは結構なことですな。厳島神社は我ら平家の者達にとっては大事なお社。景基様には我らの分も祈りを捧げてもらいましょうぞ」


 そうだな。

 俺もこの世界に生まれ変わってからは訪れていないが、前々世では親父と一緒に何度かフェリーに乗ってお参りに行ったもんな。

 うむ。一丸には親父の健康も合わせて祈っておいてもらおう。


 「……景広様。文では他家の動向……兵を云々とかということは有りませんかな?天下の趨勢が決まったとはいえ、このような大混乱。好機とばかりに蠢くものがいてもおかしなことは……?」

 「ふむ……信長殿の心配されるようなことは文には書かれておらぬな。寧ろ家康殿が諸将の中では一番に復興の仕事に精を出しているようだぞ?」

 「ふんっ!今回の災害で大きな被害を出した場所は徳川殿の旧領だからな。多少は汗をかいてもらわねばいかんという物よな!」


 忠宗はご立腹のようだな……って、本当に良いタイミングで家康は被害から逃れたよなぁ。

 尾張、三河、遠江……三国の沿岸部は津波にやられ、山間部では山崩れ、平野部は堤防の破壊と……これで大雨でも重なった日にゃ、東海のそこら辺の三国の窮状には目も当てられなくなるぞ。


 「……しかし、これで今回の地震にヨる犠牲は樹丸様だけでしたカ……」

 「「うむぅ……」」


 思わずうめき声が漏れてしまう。


 「樹丸……正月の席でしか顔を合わせはせなんだが、中々に良き少年であった……なんとも惜しい者を失くしたことよ」

 「左様でございますな……最後も住民の命を救うためにその身を投げ出したと聞きます」

 「……惜しい……つくづく惜しい……」

 「「……」」


 しばし、皆で黙とうを捧げる。


 「ともあれ!今は生き延びた俺達に出来ることをやって行こう!まずは東海道の復旧だな……忠清!関東の兵員を使っての作業指揮の手配、頼むぞ!」

 「ははっ!太郎丸様、この忠清にお任せを!」


 まずは交通網。

 流通路の確保から復旧しなくちゃな!


天正十四年 啓蟄 厳島 伊藤景基


 「統領殿、如何かな?この牡蠣の味は?伊藤家で養殖栽培しているという帆立貝も乾物となったものが博多に入ってまいりますが、この牡蠣も中々でござろう?」

 「いや、これは大友殿。実にお見事な牡蠣ですな……特にこの牡蠣飯の芳醇な深み有る様などは……安芸の海の豊かなること、この景基、深く感服致します」

 「はっはっは。それは良かった!この牡蠣、実は当地の一向宗が開発した養殖栽培でしてな?古来からある地元の養殖法を発展してくれたのだ。……石山の坊主共や毛利の残党共と騒いでいるばかりでは、揃って根切にでもしてやろうかと思っておったが、こうして面白い技術を持っておったとなれば、そうはいかぬ。これよりは安芸の海にて牡蠣の養殖に従事して貰おうと考えておる次第じゃ。はーっはっはは!」


 根切とはまた物騒なことを仰るが……しかし、確かにこの牡蠣は旨い。

 この牡蠣が味わえるのなら、少々遠回りをしてここ厳島まで足を延ばした甲斐があったというもの……常の状況ならば喜んでこちらに参ったことだろう。


 「では、いずれ安芸の牡蠣を産物として伊藤家の商人達にも買い求めてもらうように精進させよう……では紹運よ、あとは頼んだぞ。……儂はここで失礼させてもらうとしよう、では景基殿、また後日」

 「はい、本日はわざわざありがとうございました」


 厳島での祈祷も終わり、厳島の山裾にある温泉宿の一室で大友殿には瀬戸内の幸を馳走して貰った。

 ただ、温泉とは行っても汲み上げた地下水を沸かす形であるようで、関東や奥羽に数多あるような温泉とは少々形態が違うようだ。

 どうにも、安芸国は温泉の数が少ないようで、そのことに不満を持った大友殿により、こうした宿が何か所か建てられているということだ。

 ……確かに、豊後国は温泉が有名なお国柄、大友殿としては領内の主要な場所に湯船が欲しいのだろうな。


 「さて、瀬戸内の幸を楽しんでいただいた後は、一名、瀬戸内の人物を景基殿に紹介させていただきたいと存じ上げる……」

 「瀬戸内の人物ですか……」


 はて?

 瀬戸内と当家に縁があったとも思えませんし、ここまでの高橋殿との付き合いで、私が女性をどこにいても求めるような人間ではないとわかってもらっていると思いますから、女性ではないとは思うのですが……。


 すぅ。


 高橋殿の合図とともに隣室のふすまがそっと開けられる。


 「伊藤家の統領様には初めてご挨拶申し上げます。某は能島のしまの村上衆を束ねる村上武吉むらかみたけよしと申し、勿来でお世話になっております我が姉、べにの弟でございます。以後、どうぞお見知りおきのほどを……」


 おお!

 そういえば勿来では紅さんに泳ぎを教わったものだった。

 そうか、そうか、忘れていたが、勿来には瀬戸内の村上衆が来ていたな!


 「これはご丁寧にいたみいります。私は伊藤景基。先代統領の景藤の息子です……そうですか紅殿の弟御……紅殿には私が童時分、勿来の浜で良く遊んでもらいました。一族の方々にも船のことや泳ぎの骨など、色々なことを教えて貰いました……こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」


 私が紅殿のことだけでなく、村上一族のことにも言及すると、武吉殿は深く笑みを浮かべられ、頭を下げられた。


 「で、挨拶をお互いに済ましたところで……どうでしょう?この武吉を勿来の紅殿の元に修行に出させては頂けませぬか?」

 「……武吉殿を勿来にですか……」


 なるほど……出雲での話とここで繋がりますか。


 「ええ、伊達家、佐竹家、長尾家……四国連合の枠組みがあるというのは理解しますが、日ノ本が落ち着いた現在……どうでしょうか?日ノ本の各家が大いに海を渡る……何とも胸踊る景色!何卒伊藤家でご検討いただけないでしょうか?」

 「なるほど……」

 「此度は伊藤家と長尾家が被害を受けましたが、日ノ本では大地震や大噴火の歴史がありますからな。九州でも阿蘇を初め火を噴く山は多いですから……迅速なる支援が各家で行いあえるよう、良い船を各家に配備と整備が出来る状況にさせて頂くというのは……?」


 ……狡いですね。

 自然災害を引き合いに出されては断るのが難しい。


 「……あくまで、あくまでも参考までにですが……大友家は造船船渠はどこに造ろうとお考えなのですかな?」

 「そうですな……あくまでこちらも参考にということですが……この部屋の正面、庭越しに見えるのとは丁度反対になるのかな?武吉殿」

 「左様ですな、庭の反対というよりも……そう、統領様の背後の方向になりますかな?江田島という島が有りまして、そこの対岸の安芸の外れを「呉浦くれうら」と我らは呼び習わしております。そこなどは造船船渠を造るに最適かと思いまする」


 呉浦ですか……。

 どうやら、大友家では時間を掛けて土地の調査をしていたようですね……。


 「高橋殿のご意見は頂戴しました。……飯盛山に戻りましたら家中で計らってきましょう。ただ、船に関わることは伊藤家の家中の秘。意思の決定には時間がかかることとご承知おきして下され」

 「左様でしょうな。伊藤家も飯盛山に御家中全てが揃っておられるわけでもございませぬでしょうし、此度は地震に因る混乱もあることでしょうしな」

 「……ご配慮いただけて幸いですな。……それでは状況が落ち着きましたら、ご返事を差し上げましょう」

 「おお、それは忝いことです。本日はこの宿でゆっくりとしていただき、明朝、海路で堺まで武吉殿と共にに送らせていただきましょう」

 「……こちらこそ忝いことです」


 ふむ。

 返事をもらうまでは高橋殿は武吉殿と共に畿内に滞在するおつもりですか。


 しかし……ことは水軍に関わる大事。

 この事における決定権は上様にも大御所様にも有りません。 

 水軍に関わることは父上と信長殿に決定権がある。

 このことは特に明文化や口頭で確認をしたわけではありませんが、家中では暗黙の了解となっていることです。


 どうやら、これは地震の対応に目途を付けたらすぐにでも古河に行かねばいけませんね。

 瑠璃には後始末をまたお願いしてしまうことになってしまいますが……そうですね、手土産を持って帰りますか。


 「時に高橋殿。申し訳ありませんが、幾つか牡蠣の良いところを見繕っては頂けないでしょうか?飯盛山で復旧の指揮を執っている者達に精を付けてもらいたいもので……」

 「はっはっは。もちろんですとも!牡蠣だけでなく、援助物資はふんだんに持って行けというのが殿の命でも有りますので、その点はご心配なく」

 「ありがとうございます」


 今度は素直に感謝の意味を込め、私は頭を下げた。


天正十四年 雨水 xxxx xxxx


 「殿の仰る通りに大地震が起きましたか……」

 「なんじゃ?お主は疑っておったのか?儂の「眼」の言うことを?」

 「いやいや、滅相も御座いませぬ……とはいえ、流石に此度は信じ切れなかったのも本当のことですなぁ」

 「まぁ良いわ……それで此度の地震で京のやつ等の被害はどうだった?」

 「……王家の御所を初め、多くの屋敷は崩れたり倒れたりしましたが、主だった者に被害は出ておりませぬな」

 「そうか……そうであるか……いっそのこと上様に願い出て御所の大改修などをしておればことは早かったのか……」

 「殿!あまりことを急がれるのは危険かと……」

 「ふむ。……確かにな。急いてはことを仕損じる。ここまでゆるりと外堀を埋めてきたのだからな。お主の言う通り、仕上げはゆるりと行わねばならんか」

 「……はい。そのように考えます」

 「ともあれ、まずは当家が担当する街道修復に邁進するといたそうか」

 「それが宜しいかと……」


 ……

 …………


 「はてさて、此度はこの「眼」もあまり役に立たぬようだしどうなることやらな。……願わくばより良き未来を作って行きたいものだが……」

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