第154話 天正大地震 ~前編~

天正十四年 初春 出雲 伊藤景基


 「それではご両名、大友家と尼子家は出雲国の斐伊川ひいかわを境とすること、備後を大友家が領することで手打ちとし、大友家はこれ以上の行軍を即座に止め、尼子家は山陽の豪族を纏め、大友家に敵対させぬこととする。この内容でよろしいですかな?……ご納得いただけたのならばそれぞれに署名を。一通は当家に、一通は大友家に、一通は尼子家で保管することとします」

 「構わん!わざわざ伊藤家から景基殿にご足労頂いたのだ。太宰府将軍の名に懸けて、この大友義鎮、誓約は必ず守り通そう」

 「ふんっ!そこもと等のことは知らんが、ここは出雲大社の境内だ。代々出雲に住まわう者として、儂はこの場で為された誓約を違えるような男ではないわ。尼子家当主の義久よしひさ、侮るでないわ!」

 「「ふんっ!」」


 お互いに鼻息荒く返事をしているが、どうにも格の差というか、人物の大きさが違うな。

 私が見るところ、大友殿は余裕綽々、尼子殿は威勢を張って己を保っている……そんなところか。


 ともあれ、これにて和議は成った。

 私もお役を全うできたということで、漸く安心できるな。


 畿内に残してきた妹達のことなら心配いらぬとは思うが、十分な説明も案内もせずに飯盛山に置いてきてしまったからな……。

 早く帰らねば、瑠璃にどやされてしまうな。


 「……景基殿。ご苦労様でございました」

 「これは高橋殿、私は単に仲介をしただけです。さしたる苦労など……」

 「大きな声では言えませぬが、この和議のお陰で無益な戦によって生まれるこれ以上の犠牲は無くなったのです。両軍合わせて何百、何千という兵共が無事な身体で故郷へと帰れます。本当に有難いことですよ」


 署名も終わり、それぞれの当主たちもこの場から立ち去った後、社の者達が後片付けを始める中、高橋殿はそう言って私に挨拶をされた。


 「喜んでいただけて結構なことです……しかし、これで本当に良かったのですかな?確かに私は中立な立場として両家の仲介を致しましたが……正直なところ、これでは大友家には利が少ないのでは?最低でも斐伊川の砂鉄に関してはもっと主張されるものと……」

 「はっはっは。確かに鉄はいくらあっても良いものではありますが……。そう、景基殿、少々お時間を頂いても?」


 高橋殿はちらりと社の者どもを見やり、私にそう告げた。


 ふむ。挨拶の延長線上の会話と思っていましたが、高橋殿は何やら私に相談したいことがおありの様子ですね。


 「ええ、もちろん。私はこれより飯盛山に戻るだけですから……済まないがお前たちは帰り支度を進めていてくれ。私は少々高橋殿と話があるのでな」

 「「はっ!」」


 護衛の者達にそう伝え、私は高橋殿の招きに従い、別室へと向かう。


 ……

 …………


 「飯盛山で頂く茶程とは思いませぬが、我らが大友の領地でも筑紫平野の山裾では良い茶が作られておりましてな。統領殿のお口に合えば良いのですが……」

 「ありがたく頂戴しましょう……」


 別室に着いた私を、高橋殿は大友家流の茶でもてなしてくれた。


 ふぅっ。


 なんとも……。


 「これはなんとも滋味豊かで奥深さを感じさせる茶ですね。当家の登頂茶などのすっきりとした味わいとはなんとも対局にある、良い茶ですね」

 「おお!美物好きで名高い景基殿のお褒めに預れるとは嬉しいことです。これで、我が領内でも南蛮人相手に茶の商いが出来ますかな?」

 「はっはっは!これは痛いところを付かれましたな。ただ、この茶の味は南蛮人も好むでしょうね」


 ……本当のところ、彼らはすっきり、さっぱりとした味わいを好むので、この筑紫茶の評価はそれほどにはならないでしょうが……そこは言う必要はないでしょう。外交の席ですからね。


 「で、高橋殿、御用の向きは?」

 「ええ……確か、景基殿は、今回、敦賀の湊から美保関に船で参られたのですよね?」

 「はい。当家の舟を能登より敦賀に回し、美保関まで持ってきておりますが……それが?」

 「美保関においでになられたというのならば見ておられるのではないでしょうか?和船とも明船とも南蛮船とも違う和船と明船の中間のような船を……」


 ふぅむ。

 そういえば、なにやら関船に明船の帆を付けたような船を見たな。

 喫水がそれほど深いようには見えませんでしたので、あれでは外海を走るのは出来ないだろうと思いましたが……それが何かあるのだろうか。


 「ええ、確かに。……それが?」

 「……実は、その船は朝鮮の船なのです。美保関みほのせきから隠岐島おきのしま、そこからいくつかの島を渡って朝鮮の江原なる湊に着きます」

 「外海を越えるのですか?あの船で??」


 太平洋とは違い距離の近い日本海を渡ることにはなりますが、日本海は荒海で知られるところです。

 あんな……と言っては失礼でしょうが、あのような船では安全な航海などは出来ないでしょうに……。


 「ええ、越えて来るのです。……ただ、景基殿がおっしゃられるように、あの船での航海、年に何艘かは沈没してしまうようではありますが、それでも朝鮮からの綿反を日ノ本の銀で贖う交易は十分に利が出る物のようです。実際に尼子家の台所はこの交易で成り立っているとも言われていますからね」

 「そうですか……それは、なんとも……」


 なんとも勿体ない話だな。

 そんな沈没を前提とした交易などまともな商いではない。

 当家の船でも使えば、今の彼らの利の数十倍は軽く稼げてしまうのではないか?


 ……ん?

 つまりはそういうことか?


 「……そう、そういうことです。かように危険で、多くの人命と物資を海に捨てるが如き交易、我らの手で安全で安心なものとするのが万民の為ではないでしょうか?」


 高橋殿はそう言って満面の笑みを浮かべる。


 ……あまり、私が好きな類いの顔ではないな。


 「おや?景基殿は私の提案に乗り気ではないご様子」

 「……そう見えてしまったのなら申し訳ない。ただ、現在、尼子家が使っている商いの道を乗っ取るかのようなことはどうにも気が進みません」

 「いやいや、乗っ取るなどは表現が悪い。私はただ、尋常なる商いの争いの結果、我らが朝鮮との交易をするというだけ。……尋常なる商いの結果の話をしたのみです」

 「……そうですな。商人同士が尋常な商いの争いをするのでしたら文句は有りません。当家も商いは手広く行っておりますし、領内の商人達には支援もしております」

 「左様でございましょうとも。当家も同じです。……ただ純粋に当家としては、尼子家が独占する形での朝鮮との交易は納得がいかないと思っているだけのこと。左様、明との交易が当家だけのものではないようにです」


 ……痛いところを付いてきますね。

 確かに明との交易に関しては長い間、大内家……その後を継いだ大友家が差配してきました。

 ですが、今では当家の湊でも大いに明の商人達は商いをしていますし、北は塩釜の湊にまで足を延ばしているとも聞きますからね。


 しかし、それも元々は足利将軍が始めた朱印船が始まり……と言っても意味がないですね。

 そう、商いは時代と共に拡大し、多くの商人が自由に交易を始める物なのですから。


 「わかりました。高橋殿の仰られること、飯盛山に戻り次第、上様と大御所様に相談してきましょう」

 「……お手数をおかけしますが何卒よろしくお願いします」


 深く頭を下げた高橋殿には、もうさっきのような嫌な笑みは微塵も浮かんでいなかった。


天正十四年 初春 森 伊藤伊織


 正直なところ昨日の出来事は思い出したくもない。

 ……だが、この目の前の光景、遠くから聞こえる民のうめき声と嗚咽。

 そして、少なからぬ犠牲を出した我らの土木奉行の者達の遺体は、どうしても俺の意識を現実へと引き戻すのです。


 「伊織様!……旦那様!良かったご無事でしたか……」


 ああ、祥子ですか……わざわざ諏訪から駆け付けてくれましたか。

 これは心配を掛けてしまったようですね。


 「なんと、御労しい……して、旦那様は?本当に無事なんでしょうね?!」

 「はっ、奥方様!……伊織様はこのように今はお休みですが、昨晩までは精力的に被害の把握と人足や兵、住民の避難と救済を指示なされておりました。今はこうして静かにお休みですが、このように寝息も静やか……医師が申すには疲れとお年から、身体が睡眠を欲しているだけなのであろうと……」

 「そうですか、ならば良い。……で、蕪木はまだ?」

 「はい。蕪木様は樹丸様の下で……」

 「そうですか……」


 祥子は私の近侍の者や諏訪からついてきた護衛の者達と話していますね。


 「済まないことですが、旦那様がお目覚めになられたら、援助物資は関東、奥州から陸路、東海道を通って引馬城と岡崎城と名古屋城の三城に集めていること、岡崎城は真田昌幸殿が、名古屋城は小西行長こにしゆきなが殿が復興の指示を執っているので心配ないと伝えてください」

 「はっ!」


 ……そうですか、岡崎の指揮を昌幸が執っているのは納得ですが、名古屋は小西行長ですか……確か尾張屋を買い取った黒田孝高くろだよしたか殿の所の番頭で……そうそう、信長が召し抱えて尾張方面の手伝いにと一丸に貸しているという人物でしたね。


 ふむ。

 しかし、一連の地震と津波から一晩と少々しか経っていない筈ですが、こうして諏訪にいたはずの祥子の元にまで話が通ているということは、中々に達者な手腕によって復興指揮を執っているのでしょうね。


 ふふふ。

 兄上も俺も心配していましたが、次代は無事に育っているではありませぬか。

 これはもう俺たち年寄りはお役御免ということですかね?

 何やら寂しい気もしますが、太郎丸の時代には彼らの力こそが必要ですからね、老兵はただ去るのみということでしょうか。


 「では、樹丸を見舞いに行きます。案内を」

 「ははっ!」


 おや?

 樹丸の見舞いですか。

 そうですね、俺も父親として息子の見舞いをしに行きましょうか……。


 先日、森の築港現場を襲った地震と津波……。

 地震自体は美濃のあたりが一番被害を受けたようですが、森には大きな津波が襲ってきました。

 当家は湊に拠点を持つ家。常に津波に対する備えというのは意識をしていましたが……実際に災害に接するというのは……やはり人間の無力さに苛まれてしまいますね。


 「……樹丸は本堂にいるのですね?」

 「はっ……本来でしたら個室を、とも思いましたが、伊織様が特別扱いをするなということでしたので……」

 「構いません。状況が状況なのです。旦那様が仰る通り、このような時に伊藤家の者だからと特別扱いする必要はありません」


 森の築港に関して、俺は高台にある寺を本陣として借り受けることにしました。

 湊が完成した暁には、その管理と周辺地域の政に対応するために城を築かねばならぬでしょうが、今はこの借り受けの本陣を使って作業を進めている段階です。

 俺が寝ているのは、寺の裏手側に建てた建物内ですが、樹丸は本堂にて手当を受けています。


 樹丸……築港の手伝い、土木奉行所の仕事を勉強するためにここに来ていた息子は、丁度、海岸での作業中に津波に遭いました。

 地震が起きた後、その後に起きたおかしな波の動きに漁師出身の者達がいち早く気づき、全員で高台目指して移動したようなのですが……何名かの年老いた者達は間に合わず波に飲まれたといいます。

 そのうちの一人が木にしがみつき助けを呼んでいたところに差し掛かった樹丸は……。

 心優しいあの子らしいことです。


 助けに入り、その老人を無事に引き上げたようですが、本人は後ろより流れて来た大木に頭を打ち、血を流しながらここに担がれてきました……。

 なんとか流血は収まったのですが、どうにも意識が戻らない状態が続いています……。


 「……蕪木」

 「姉上……」


 目を覚まさぬ樹丸の手をじっと握る妹の肩を抱き寄せる祥子。

 どうにも、父親としてやるせない思いに……。


 「……は、ははうえ?」

 「い、樹丸!!目が覚めたのですね?!そう!母ですよ!!」

 「お、おぉ。……樹丸はお会いしとうございました……残念ながら、この場でお別れをせねばならぬのが、こ、心苦しい……ことなれど……」

 「なんということを言うのです!大丈夫です!!当家の優秀な医師達に掛かれば、そのような怪我はすぐに治ります!!」

 「は、ははは……左様ですね。弱気は、いけませぬな……ああ、父上……それはいけませぬ。そのようなところにおられては……父上はこれからも伊藤家にとって無くてはならぬ人物。……どうぞお身体にお戻りください。……そして、見事に森の湊を完成させてくださいませ……」


 そう言って俺の方へと力なく手を伸ばす樹丸。


 ああ、そうですね。

 俺にはまだやらねばならぬことが有りますか……。

 しかし、もういいのではならないでしょうか……息子のいない日ノ本になぞ戻りたくもありません。


 「これ……なんという罰当たりなことを言うのじゃ。お前というやつは」

 「まったくですな、父上。……まぁ、自ら腹を切った私が言うのもなんですが……伊織よ。こうして息子がお主の無事を願っておるのだ。早う己の身体に戻れ!」


 ち、父上……兄上!


 「日ノ本は無事に平定されたとはいえ、いまだ東国の民には不穏な先が待っておる。お主には申し訳ないが、景貞ともども、今しばらく……そうじゃな、太郎丸が元服して、その子が育つまでぐらいは生き抜いてからこちらに来い」

 「はっはっは!そうだぞ、伊織よ!俺は孫の……はて?この場合は孫で良いのでしょうかな?父上?」

 「ふむぅ。まぁ、良いのではないか?どうであれ太郎丸の子になるのならばな」

 「そうですな。……その孫を抱くことを私は出来ぬのだ。代わりに弟のお前が私の孫を抱いてやってくれ、良いな?」


 ち、父上……兄上!


 「なぁに、皆がお主たちの活躍を見守っておる。ここまでの道筋は文句ないものじゃ。他の神仏も余計な口は挟めんようじゃしな。おや?……そろそろ時間のようじゃからな、ではな?!」

 「お主の息子の世話は任せよ。……その代わり、私の息子の……太郎丸のことは頼んだぞ?」


 ああ、父上、兄上……。

 そうですな、この伊藤伊織、最後の時まで伊藤家の為に力を果たしましょうぞ!


 「かっかっか!そこまでは力まんで良いわ。見守るぐらい、手助けするぐらいでちょうど良い」

 「頼んだぞ?……わが弟よ……」


 あ、ああ……

 ……

 …………


 ぱちっ。


 「お目覚めになられましたか、伊織様!……まずもってお目覚めと共にこのようなことをお知らせすることをお許しください……」

 「……わかっておる。樹丸が逝ったか……」

 「は……はい。一刻程前に……」

 「そうか……近隣住民の被災者と合わせ、五日後に葬儀を執り行う。良いな?」

 「はっ!」


 たったったったったた。


 諸行無常とはよく言ったものです。

 これも私が悲しいと思うからこその悲しみなのでしょうが……。


 父上、兄上、見ていて下され。

 この伊織、伊藤家の男子として恥ずかしくない最後を勤め上げてみせましょうぞ!

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