第156話 指月城築城計画

天正十四年 啓蟄 飯盛山 伊藤元景


 「一丸、話はわかったけど……その話は太郎丸と信長が検討すべき案件ね。私たちは彼らの結論を聞いてから、その案の修正と確認を出せばいい。それに、湊でもなく水軍の拠点でもないこの飯盛山から決定を下すのはおかしなことだと思うわよ?」


 当家としても、四国連合内では、ある程度の造船技術を共有してきたという歴史があるけれど……連合の枠組みの外に関してはどうしても慎重にならざるを得ないわね。


 何かが起きた場合。

 確かに当家と大友家を純粋な兵の力量と動員力で見れば、当家が圧倒的に上ではあるでしょうけれども……少なくとも私には兵を率いて九州までをも攻め獲る気などは全くない。

 九州遠征なんて労力にまったく見合わない愚行。


 ……まぁ、向うから一方的に喧嘩を売られたら、その喧嘩を買うことを躊躇するつもりは無いけれどもね。


 「承知しました。……私もそのようには考えておりましたが、大御所様より確と言葉を頂きほっと致しました」

 「あら?そう?当家の人間なら、それこそ五つの童でもわかりそうなことじゃないの?」

 「本来でしたら……」


 やぁね。

 なんか曰くありげに話すとか……。


 「一丸!……ここは北の丸の奥、あなたが書斎として使っていた場所でしょ?今は私とあなたしかいない。心の内を隠すのは止めなさい」

 「いやっ……別に隠しているというわけでは……ただ、この話ですが、どうにも上様は満更でもないような気がしましたので?」

 「ん?仁王丸が?」

 「はい……」


 仁王丸が大友家に造船技術を提供することに前のめりとは不思議なことね。

 今までの仁王丸は諸々の調整や大きな枠組みの作りには興味を示していたけれど、個別の案件にはさほど……。

 古河でも、評定の席で出て来た話題を検討して最終的な判断を私に尋ねることと、フアンを呼んで海外の話を聞くことが主な役割だったわけだけれど……。


 良く分からないわね。


 「上様は左肩の調子が思わしくなく、未だに熱が全身い残っている様子でしたので、手短に、ほんの触りしかお伝えはしませんでしたが……、大友家に……というよりも私が伝えた高橋殿の言葉に心が揺さぶられたご様子」

 「その言葉とは?」

 「日ノ本の各家が大いに海を渡る……そう高橋殿が先の姿を語っていたと伝えたところ、大層……そう父上のように申すならば、目の輝きが変わっておられました」

 「……」


 当家の船が渡るのではなく、他家の船が海を渡ることを喜ぶ……私にはよくわからない心境ね。

 太郎丸なら何かわかるのかしらね?


 「で、その話を持ち込んだ当のご本人たちは?」

 「高橋殿と村上殿でしたら、大友家の定宿とも言える住吉神宮寺の津守寺に入られております。石山御坊の徳川殿と有岡城の長尾殿に挨拶をした以外は特に目立った動きはしておりませぬ。他は大友家と近い商いをしている堺の人間と会っているぐらいです」

 「……そう」


 徳川家と長尾家に挨拶をした後は、身内の商人から情報を集める……特におかしな動きではないわね。


 「まぁ、良いわ。ともあれ、大友家の要望に対する当家の考え方よね。……正直なところ、今の私には大友家に技術を提供するという行為に利点が見当たらない。場所も安芸の呉浦?遠いわよね。これまでの関東と奥州……は当然ながら問題ないとしても、七尾の造船所にしても信忠が見ているわけだし、最近では能登一国は当家の治めるところにもなっている様子だしね……そんな中で、西国は安芸と言われても困るわよ。大友家の支配が及ぶ場所でないにしても、せめて摂津国内にして欲しいと考えるのが普通よね?」

 「……私も大御所様と同じ考えが浮かびました。……ただ」


 そう、「ただ」なのよね。


 「太郎丸と信長なら別の考えが浮かぶかも知れないと?」

 「はい……やはり父上と信長殿は水軍のこと、交易のこと、船のことに関する造詣の深さは当家随一。私も童時分から勿来で色々と教わっては来ましたが、あの二人には遠く及びません。後は、獅子丸殿も加えた三名での意見を中心にせねば、私たちも気付かぬうちに間違った結論を取ってしまうかも知れませぬ故」


 ああ、そうね獅子丸を忘れていたわ。

 獅子丸も長年、そう、数百年の昔から「よーろっぱ」で水軍を率いてきた一族の末。私たちなどでは考え付かない部分での意見を持ってるでしょう。


 「……そう考えると、やはり飯盛山で結論を出すことは勿論、方向性を出すのも危険ね。素人考えは止めましょう、先ずは古河で太郎丸たちの意見を聞くこと。そうしましょう」

 「はっ!」

 「では一丸。申し訳ないけど、飯盛山での執務に目途が付き次第、早々に古河に向かってくれるかしら?」

 「はっ!……正直なところ、飯盛山での執務は妹達が万事こなしてくれているので、私としては明日にも古河に向かうことに不安は有りません」

 「あらやだ。……確かにあの娘たちの働きぶりを考えるとそうなるわね。今じゃ畿内に連れてきている事務方は瑠璃の手足として動いているものね」

 「はい。今のところ、一応の決済は私の名で行ってはおりますが、妹達の能力を考えれば、好きにやらせた方が良い結果が出ると考えております」


 薄々はわかっていたけれど、一丸め……早々に関東に帰りたがっているわね。


 残念だれども、それは許しません。

 帰るのは私が先ですよ!


 「一丸……責任者はあなた。実務は瑠璃たちに任せても構わないけれど、責任は貴方が取れるようにしなさい」

 「いや!大御所様!それは誤解というもので……」

 「わかってるわよ……要するに帰る時は一緒ということ」


 唖然とする一丸。


 もう、しょうがないわねこの子は。


 家康の長野家に対する宣戦の書状から始まり、何の因果かこうして私たちは摂津やら山城に来ているけれど、本来、当家は畿内には関わりを持たない形で生きてきたというもの。

 このままに、何の罪もない民を置き去りにするのも目覚めが悪いし、徳川家やら長尾家が戦を始めるのもなんだから……。


 「太郎丸じゃないけれど、潮時の見極めだけは間違わないようにしなくっちゃね。このままずるずると畿内やら西国の諍いに巻き込まれるのはごめんよ。……私は古河で眠りたいし、お墓は父上たちの隣に建てて欲しいしね」

 「!!伯母上!!冗談でもそのようなこと!!」

 「慌てないの。……私も自分では忘れちゃうけれど、来年には六十よ?暦が一周しちゃうのよ。そろそろそういうことも考えなきゃいけない年齢でしょうに」

 「いや、ええ、まぁ……そういうことではありますが……当家にとって大御所様の存在というのは……何物にも代えがたい存在なのですから……」


 そうは行っても私もいい年をしたおばあちゃん……とは言いたくないわね。

 お母様と一緒に太郎丸印の石鹸やら髪薬やら肌薬を使って努力はしているからね。

 そんじょそこいらの四十代の女性よりは若く見られる自信が有る!


天正十四年 啓蟄 飯盛山 伊藤景基


 伯母上がいなくなる……。

 確かに年齢を考えればそうなのですが……あまりにも不吉なことなので、これまでは自然と……いや、意識的に考えることを避けてきていたのでしょう。


 お婆様、景文院様は未だご健勝ですし、当の大御所様も非常に若いお姿だ。また、毎朝の鍛錬を見ても、いっかな、「衰えた」という雰囲気は一向に感じさせないお人だ。

 ただ、確かに年齢を考えれば、いつ何が有ってもおかしなことは無い。

 実際に、昨年は父上、伯母上とは腹違いの姉妹となる杏樹院様、霞雲院様、瞳観院様は揃って風邪をこじらせ亡くなってしまった。

 特に瞳観院様などは伯母上よりもだいぶ若く、むしろ私の方に年が近いぐらいだ。


 「……」


 どうにも言葉が出ない。

 まったく、こういう時はどうにも頭の回転が悪くなるな。


 父上ならなんと言うのだろうか?

 中丸なら一笑にふしてしまうのかも知れない。

 母上なら……そうだな、優しく抱きしめてくれるのかも知れないかな……。


 どたどたどた。

 がらっ!


 「おお!すまんな、飯盛山の様子を見に来たのだが、お前たちがこっちにいると聞いたので直接来させてもらった!」

 「あら?景貞叔父上、京の方はよろしいのですか?」

 「……ああ、そのことでちょっとな。簡単な相談をしに来た」


 これは助かったとでも言うのでしょうか。

 大御所様と二人のままでは、どうしても言葉が出てこない私を心配して、大御所様も大変だったでしょうし。


 「……で、早速ではありますが、その相談というのは?景貞大叔父上」

 「ふむ。それよ。……此度の大地震、被害は西東海が一番酷い様子ではあるが、京もそれなりに揺れてな。六波羅は無事であったが、街の中の旧い建物は軒並み……勿論被害の重い軽いは有るがな、そう、軒並みやられてしまった」

 「それは、そうでしょうね。この飯盛山でも当家が建てた部分ではない本丸は、建物自体に結構な被害が出ましたら……」


 ええ、本丸、一の丸、二の丸に東西の門と階段。倒壊とは言いませんが、かなりの被害を受けました。

 特に本丸では一部の梁が崩れ、上様が怪我をしてしまいましたから。


 「でだ。京で古い建物と言えば寺社に王家・公家の建物……」

 「内裏でも崩れましたか?」

 「……それよ。大いに壊れ、寒風、隙間風が厳しいらしい」


 冗談のつもりだったのですが、当たってしまいましたか。

 この数十年で、だいぶ彼らの住まいも修繕が効いたとは聞いていましたが、この地震で壊れてしまいましたか。


 「それに今の帝は俺よりも年長のようで、そのようなところでは身体に障るということだな。……京の冬は奥州に比べれば大したことは無いが、寒いことに間違いはない。ついぞ仏心を出して、棟の一つでも貸してやったら、いつの間にか六波羅に王家と公家が大勢移り込んできてしまってな……追い出すのも哀れなもので、今では六波羅は彼らの住処となりつつある」

 「……それでは、大叔父上はどちらに?」


 京に滞在する兵は三千、後は百名足らずの事務方と雇いの女中あたりとなり、六波羅の屋敷と兵舎長屋以外に建物は建てていないと記憶しているので……。


 「ああ、それに関しては心配するな!我らが六波羅に拠点を建てると同時に、付近からは多くの者達がいなくなってしまってな?今では六波羅のあたり、鴨川から清水寺、八坂神宮寺に至るあたりは、まさに野原のようなものよ。適当に移動天幕を張って寝起きをしておる。俺にとっては、会いたくもない公家が挨拶に寄って来るような屋敷住まいよりはずいぶんと快適よ!はっはっは!」


 相変わらず、景貞大叔父上は豪快なお方だ。


 「まったく……景貞叔父上も笑っている場合ではないでしょうに。では、ご相談というのは新たな拠点をどこぞに、ということなのでしょうか?」

 「おお、その通りよ。もとより六波羅の屋敷は十年とせぬうちに引き払う予定でおったから、そこそこの物としてしか造っておらん。彼らが欲しいというのならくれてやっても良い。……ただ、そうなると流石に俺たちの居場所が欲しくてな。兵共は移動天幕で問題ないが、事務方などには書類管理や執務の為の部屋が必要だ。……いっそのこと、それらを纏めて公家どもに屋敷のお供に付けてやっても良いが、今の様子では迷惑を受けるのは力なき民、となってしまいそうなのがな」

 「そうですね……丁度、今まさに一丸とも畿内からの撤収時期を見誤らぬようにと話をしていたところでした」


 景貞大叔父上は力強く頷かれた。


 「まさにその通りよ。我らは公家でもなんでもない。京の街やら山城の民には何の責任も持たぬ身だからな。……ただ、善良な我らは民が無駄に苦しむ姿は見たくないという理由だけでここにおる」

 「ええ、肝に銘じます……」


 そう、伊藤家は東国の民となって久しいのです。

 畿内の厄介毎に巻き込まれるのはこりごりなのです。

 それよりも、いち早く伊吹の東の復旧に努めなくてはいけません。


 「話を戻して、ここで相談だ。いつの世も名も無き民が一番被害を受けることというのは、野盗や足軽崩れの野武士どもによる乱暴だ。こいつらを討滅するにあたっての兵は山城に置くとして、どうだ?俺と事務方連中は名古屋か岡崎辺りに戻さぬか?そもそも、元があやつらに与えた五年の猶予は治安の維持に関してだけであろう?目付け役の意味も兼ねて俺が六波羅に滞在していたわけだが、この一年で六波羅に持ち込まれるものは「拒否」という答えがわかり切った公家どもからの相談事ばかりだとわかった。そこで、京の市中からは離れた場所、巨椋池を見下ろす山中にでも小ぶりな城を建て、淀川を使った流通路の警護を兼ねた部隊のみを置くように変更できぬものかと思ってな?」

 「……なるほど」


 確かに、京の抑えとして景貞大叔父上には六波羅ににて睨みを利かせていてもらいましたが、正直なところ「ただいるだけ」の役職に景貞大叔父上というのは如何にも勿体ないことでもあります。

 それならば、今は混乱の極みにある西東海のまとめをしてもらった方が、よほど当家には有難い話ですね。


 「一丸、あなたは景貞叔父上の話をどう思う?」

 「良きお考えだと思います。……それに、今は非常時でも有ります。六波羅探題とも称される景貞大叔父上が京から名古屋に向かったとしても、「大地震の復旧指揮の為」と言えば反対出来る者はおりますまい。京市中からの手切れ金として六波羅の屋敷を手放すというのも、それほど我らの損になるとも思えませんし、聞かせて頂いた様子ならば、公家の方々もこの提案には反対しないでしょう」

 「ふむ……では巨椋池の話は?」

 「そちらは蘭と彩芽の報告を聞く限りですと……どうにも当初の想定よりも、だいぶ大きな商いの町が伏見の南、巨椋池の畔には出来そうだということです。人足手配や住民の誘導などの手伝いを近隣の商人達に相談したところ、ほとんどの商人達が快く手伝ってくれたようですからな。工事完成後の商い許可と引き換えに……」


 あの二人も諸々を集めるために方々の商人達に話を振ってみたようだ。

 おかげで、工事に参加する者達を記した連名状には、京や堺だけでなく、それこそ畿内中の商人や寺社の百を超す者達が名を連ねている。


 まったく誰があの二人にそのような知恵を付けたのか……まぁ、間違いなく父上か……。

 借りられる人の手は、借りられるだけ借りろ、と仰っていたしな。

 瑠璃も「あの二人は際限なく動き過ぎぃ!!」とか吠えていたしな……。

 うむ、後のことは万事頼んだぞ、瑠璃よ。


 「巨椋池にそれだけの物ができるなら、確かにそれを管理する何かが必要でしょうね。私に否は有りません、叔父上。……ただ、一丸?城を建てるだけの資材と人員を確保できる?」

 「……少々、調べてみなければなりませぬが、充ては有るかと思います」

 「それは有難いぞ!では、俺は準備が出来次第に名古屋へと向かう形でかまわぬかな?」

 「はい。……東海の復旧。よろしくお願い致します」

 「うむ。任せておけ!伊織と二人で見事復旧を指揮してくるわ!」


 巨椋池付近での築城。

 話を聞くだけだと、父上や中丸辺りは発狂するかも知れぬが、今回は古河を騒がせるつもりは有りません。

 うん。ここは妹たちの手法を真似させてもらうとしましょう。

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