第149話 古河への引っ越し

1585 天正十三年 夏 古河


 「太郎丸殿、この部屋が今日からあなたの部屋となります。何かしら用があるときは近くの者に気軽に声掛けをしてください。私の部屋もこの屋敷内にあるので、何かがあったら気軽に尋ねてください」

 「はい!わかりました!ありがとうございます、母上!」


 城持ちから、部屋住みへの華麗なるジョブチェンジ……。


 といっても、奥州総指揮の役職が外れたわけじゃないので、一年の半分ぐらいは向こうにいることになるんだけどね。

 俺の気分的には、古河に滞在するときに使っていた孫家飯店の離れ替わりみたいなもん……だよね。


 まぁ、古河の勝手番も姉上や一丸の要請に押されて、すご~く中華料理というか、陳さんの系譜の料理色が強い。

 残念なのはロサの手によるスペイン料理というか、地中海料理?が遠のくことぐらいだな。

 那須の牧場から運ばれる各種の肉は、奥州同様に古河にも流通しているようだから、肉食欲が暴走してしまうということもないだろうね。うん。

 城内の食事に飽きたら孫家飯店に行けば良いだけだし!


 「で、では……私はこれで……」

 「はい!また後でお会いしましょう!母上!」


 古河で再会してからこの方、どうにも微妙な表情を継続装備していらっしゃる実母様である。


 うむぅ。

 扱いに困っているからなのであろうが、真由美の方からある程度の距離感を決めてくれないと俺としても困るのだが……。


 「もう、父上ったら……あんな見え見えの子供の振りされても真由美姉さんとしては対応に困っちゃうに決まっているじゃない」

 「と言われてもだ……俺としても、多少は円滑な母と息子の付き合いという物をだ……」

 「今日は初日だから難しいでしょうけど、これからは自然な対応をしなさいよ?作り物の対応じゃ、所詮作り物の関係しか出来上がらないんだから!」


 おおぅ。

 娘が手厳しい……。


 「自然な対応、自然な対応ねぇ……それで行くと俺って、真由美よりはるかに年上だし、竜丸の一つ年上でもあるわけだぞ?仁王丸と真由美の息子として行動するというのは、どうしても何かしらの役に入り込まなきゃやってられん」

 「……別に、演じなくても良いと思う」


 お?

 久しぶりに輝さんが能動的に話し出したね。


 「演じなくても良いっていうのは?輝さん?」


 話の続きを促す瑠璃。


 ちなみに俺の娘達、自分の実母のことは「母上」、実母以外の俺の元嫁(?)達のことは「さん」付けでで呼んでいる。

 最初は阿南に対してだけ「様」付けをしようとしていたらしいのだが、「子供たちに距離を取られているみたいで寂しい」という阿南の一言で、一律でこの呼び方なったとのことだ。

 この辺りは年長組が喋れるようになった辺りでの決め事だというので、一番の年下でもある瑠璃は物心がついた時から、この呼び方に親しんでいるのだろうな。


 「旦那様は旦那様。そこに演技が入れば旦那様の良さが失われる。……作り物の旦那様は可愛くないから真由美も困ると思う」

 「「……」」


 なんとなくは理解できるが、微妙に輝の独特な世界観で説明されると、今一つピンと来ない……。


 ちらりx2。


 俺と瑠璃は輝の言葉の翻訳を依頼すべく、美月を見つめる。


 「あ~……その……なに?要するに、父上の演技って気持ち悪いからやめろってことじゃないの?」


 母親同様に凛々しく総髪にまとめた頭をがしがしと掻きながら翻訳してくれる美月……。

 なんだよ。娘の言葉って妻の言葉よりも過激で遠慮が無いんだな……お父さん泣いちゃうぞ?


 「美月姉さん……あんまり父上をいじめちゃ駄目だよ?泣いちゃうよ?」


 瑠璃も俺を慰めるふりして、さりげなく落としてるよね?


 「……ただ、とりあえず、私もさっきの真由美姉さんに対する父上の言葉や仕草は気持ち悪いと思う。あれじゃ、真由美姉さんの違和感は増えるだけだよ。……そうだなぁ、呼び方を単純に「母上」にするだけで、あとは何の意識もせずに過ごしてみれば良いんじゃないかな?」

 「……三人から「気持ち悪い」と言われて、既に心が折れそうだけれど……わかったよ。瑠璃の助言に従って、その方向性で頑張ってみるよ」

 「そうそう、それがいい!私もそう言いたかったんだ!」

 「……」


 いや、美月よ。お前の話っぷりからはそうは感じんかったぞ?


 「……私はさっきの旦那様も可愛いとは思う」


 ぎゅっ。


 ああ、輝さんの愛情が心地良いよ!


天正十三年 夏 古河 伊藤瑠璃


 「早速だけど、真由美の太郎丸に対しての反応と対応を報告してくれるかしら?」

 「はい、お婆様」


 ここは、古河城の奥の丸の大御所様の屋敷。

 奥の丸の屋敷と言っても、奥の丸そのものがほぼほぼ大御所様の、元伯母上の屋敷みたいなものなのよね。一応、奥の丸には父上の部屋もある真由美姉さんの屋敷もあるけど、あちらはそれほど大きな建物ではない。

 奥の丸は元伯母上、本丸は仁王丸兄上、一の丸は一丸兄上、二の丸は中丸兄上の住居と言った案配。

 もちろん、それぞれに執務室やら勝手所やら広間やらなんやらが付いているから、住居機能は曲輪の一部でしかないけど。


 ああ、いけないいけない。

 お婆様への報告途中だったね。


 「そうですね。……私が見たところでは、真由美姉さんは父上の扱いに困惑しているところはあるけれど、心の底では喜んでいるようです。自然と笑みが出る機会が増えましたし、父上への言葉遣いに混乱している節は有りますが、視線は穏やかで慈愛を感じられます」

 「……そう。やはり、なんといっても母は母、息子は息子でしょうね。良い傾向です」

 「はい。私もそう思います。……今は父上の方にも硬さが有るので、どうにもぎこちない関係ではありますが、父上が自然体で接することが出来るようになって来れば、真由美姉さんの方も楽に、自然と息子への愛情を表現できるようになってくるのではないでしょうか?」

 「そう。瑠璃の見るところでは、第一歩は成功。あとは時間が解決してくれるであろうということね。わかりました。それでは当初予定のように、太郎丸には一年の半分を古河、残りの半分を勿来と羽黒山で過ごしてもらいましょう」

 「はい」


 お婆様と伯母上によって整備された領内の城を預かる女中軍団。

 私たちの務めは、円滑で強固な一族の繋がりを保つこと。

 お家騒動などは決して伊藤家で起こさないようにすること。

 そのための情報収集力と対処能力だ。


 「……ふぅ。これで元が古河に戻ってくるまでにこなしておかねばならぬこと、大体は終わらせたという物でしょうかね。やれやれというもの……」

 「お婆様……お疲れなのでは?少しは私たちに仕事は託して、少し休まれてはどうでしょうか?」

 「ああ、違うのよ、瑠璃。これは仕事疲れではないですよ。……単に、古河の夏は肌に合わなくてね。今年のようにひと夏丸々元が古河を離れるのなんて何年振りというものでしょう?……早くあの子には古河に戻って来てもらって、私は早々に奥州へと戻りたいものだわ……と、そうね。奥州に戻る前に鎌倉には寄って墓参りもしなくちゃね」


 そう言って、お婆様は遠くを眺めるかのように、遠い昔を懐かしむかのように、目をつぶられ思案に耽られる。


 お婆様は父上の考案した化粧水?

 お肌の手入れ薬を長年使っておられるので、とても七十を越えられたようには見えない、美しい姿を保っておられるけれど……そう、既に七十を越えられているのよね。

 「年齢」というもののことを考えると、伯母上もあと数年で還暦を迎えられるし……。


 ぶるっ。


 そう考えると、どうしようもない、やり場のない不安が押し寄せて来る。


 「あら?身震いかしら?瑠璃。……そうね、今日はもう夜が深いわ。明日以降も仕事は続きますからね。今日はもうおやすみなさい。子供には夢を見る時間が大切というものよ」

 「はい……お婆様。おやすみなさい」

 「ええ、おやすみなさい」


 子供……そう、孫の私はお婆様にとってはいつまでも子供なんでしょうが、私も気が付けば十八になっているのよね。


 う~ん。

 早いところもっと大人になって、お婆様と伯母上を楽にしてあげないと駄目ってものね。

 伊藤家の女として頑張って行かないと!

 うん!


天正十三年 夏 上田 真田信幸


 ここ上田城は千曲川を望む上田平の高台に、叔父上たちが心血を注いで作り上げた真田家の城だ。

 裏手の山を越えれば、我らの家名の由来となった真田荘もある、まさに真田家にとっての本領。

 ここの城代に任じられ、全信濃を監督するようにご下命頂くとは……まさに身が引き締まる思い、今後は一層の忠誠を伊藤家に捧げて行かねばな!


 「殿!こちらにおいででございましたか……矢沢様がお探しでしたよ?」

 「頼邦よりくに叔父上がか?わかった直ぐに行く!……と、伝言は有難いが、どうかその……私を「殿」呼びというのは……」

 「ん?何かおかしいでしょうか?殿は岩櫃城の城主であり、ここ上田城の城代。そして信濃を統括するよう伊織様よりのご下命を受けた方で、私の夫です。「殿」と私が呼ぶことになんの不都合が?」

 「あいや!あいや待たれよ!小松殿!……私たちはまだ祝言を挙げる前で清い関係です!それをその……!」

 「ほっほほ。信幸様はなんともお可愛らしいこと。そのようにお可愛らしい姿を見せられては、思わず食べてしまいたくなるというものですわ」

 「た、食べて?!……いやいやいや、待たれよ。落ち着かれよ。小松殿。……そ、そう。私たちの関係については今度ゆっくり腹を割って話そう、そう、腹を割って話をしてから……」


 いかん、どうにも小松殿は私の七つも年が下のはずなのに……何故だか、いつも一方的に私が揶揄われる羽目になってしまう。


 「そ、そうだ。叔父上が待っていたのだったな。早く行かねばいかんな!ではな!失礼するぞ、小松殿!」

 「はい。お仕事頑張ってくださいね。今宵、二人っきりでお会するときを楽しみにしてますねっ!」

 「こ、こ、今宵??小松殿!私をからかわれるのも大概に!」

 「きゃーっ、怖い。これでは私の方が殿に食べられて仕舞いますわ!……さぁ、召し上がれ♪」


 だ、駄目だ。

 このままでは時間がいくらあっても小松殿には勝てぬ……。


 「……叔父上のもとに行って参ります」

 「行ってらっしゃいませ、殿」


 ……

 …………


 「なんだ源三郎殿。また小松殿に揶揄われていたのか?……この半年ばかりお前たち二人を見てきたが、お似合いではないのか?儂はそう思うがな」

 「しかし、叔父上。私は……」

 「憎からず、とは思っているのだろう?小松殿もまだまだ幼いが、後数年もすれば立派な武家の嫁となろう。それまでは……そうだな、妹だとでも思って遊んでおれば良いであろうさ」

 「は、はぁ……」


 私に妹はおらず、姉しかいないのだが……たぶん。

 父上は自由なお人だからな、詳しいことはわからんし、あまり聞きたくはない。

 海の向こうに、目の色の違う弟妹がいたとしても……いや、考えるのは止めようと思ったばかりだったな。


 「まぁ、お主の嫁取り話は一先ず置いておいてだ。……信幸よ、信綱殿も頭を悩ませていた事なのだが……やはり、今年の増水期も暴れそうだぞ?千曲川は」

 「今年も……ですか……」

 「ああ、場所がどの辺りになるかはわからんが……河川が太くなる小諸城周辺、上田平、善光寺平……正直なところ、何処が暴れても不思議ではない」

 「例年の対処工事は続けているのですよね?」

 「ああ、伊藤家の他領の河川と同じように、石灰壁を使った自然堤防の補強は続けておる。そのお陰で街道が水没するとか、何百、何千という民の家が流されるという事態こそ起きてはおらぬが……やはり田畑が水に浸かるというのは収量に悪影響しか残さん」


 全信濃の管轄とは言え、やはり私が伊織様より期待されているのは千曲川流域の政。

 安曇野・松本盆地は甲斐武田の遺児、仁科殿がおられるし、伊那には高遠殿や保科殿が、木曾福島には木曾殿がおられる。

 彼ら……いや、我ら真田もか……そう、信濃は伊藤家に所属した経緯が経緯なだけに、地縁有る者が城主になっている場合が殆どだからな……。

 信濃統括として私が発言力を得るには、先ずもってこの千曲川流域を、千曲川その物を制さねばいけないのだろう。


 しかし、千曲川を制す、大河川を制すには……。


 「如何した?源三郎?なんぞ閃いたか?」

 「いえ、叔父上……別に閃いたという訳ではなく……ただ、伊藤家の領内、他の河川工事にはどの様なものがあったかと思いまして……」

 「他の河川工事だと……?それこそ自然堤防を補強したという事ではないのか……っと、そうだな……」

 「叔父上!なんぞ思い付かれましたか?!」

 「思い付いたという訳ではない、……ただ儂も父や、伯父上から聞いた話なのではっきりと知っておるわけではないが、確か伊藤家では利根川と荒川の大工事を松山城や忍城の近くでは行ったと聞いた事が有ったな……その工事のお陰で関東の水害は多いに減ったとも……」


 なんと!!


 「叔父上!其ですぞ!その工事内容を調べ上げ、千曲川に応用すれば、これ迄の、これからの水害を軽減できるかも知れませんな!」


 こうしてはいられない!


 「これはすぐにでも古河に行って、実際の工事を監督した者に話を聞きに行かねばいけません!叔父上、少々上田を留守にしますが、万事よろしくお願い致します!」

 「……まぁ、落ち着け、源三郎。お主が自ら古河に赴くことを俺は否定せんが、その前に、まずは近領内の土木奉行所の中で、そのあたりの工事に従事したことがある者がいるかどうか、それを尋ねてからでも良いであろう?」

 「そ、そうですね。確かに、何も知らないまま古河に行っても徒に時が掛かるだけかも知れませぬ。調べ物をするにしても、先ずは己が何を知らぬかを知らねば……」

 「そう言うことだ」


 叔父上は私が落ち着いたのを確認して大きく頷かれた。

 ……いかんな。千曲川の問題を解決できる手がかりが見つかって、どうにも心が浮かれてしまったようだ。

 指揮官が浮かれては、軍全体が足元を掬われる。

 父上からよう言われていたではないか。

 好機である時こそ指揮官は慎重にだ。


 「では、まずもって領内の土木奉行所に話を通してきましょう」

 「それが良かろう。……さて、信濃の土木奉行所で生き字引の爺さんは……お?そういえば宮城の爺様は古河の近くの出身だったような??」

 「宮城の爺様?」

 「ん?お主は知らんのか?信濃では有名なお方なのだが……確か関東の武蔵だが、下総で……太田殿の配下だったような?いや、大道寺殿の??まぁ、とりあえず大事なのことはそこではない。この爺様、宮城政業みやぎまさなり殿はな、なんと御年九十二でありながら、未だに、毎日土木奉行所に通って仕事を続けておられるというお方だ」


 九十二ですか!!

 それは……なんとも凄まじい。

 しかし、それほどの年齢でも仕事を続けられる頭脳をお持ちなら、きっと当時のことを色々とお話し下さることでしょう!


 これはなんとも素晴らしい人物の存在を叔父上は思い出してくれました!

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