第148話 阿南の想い

天正十三年 春 古河 伊藤景広


 しかし、今日はどういうことなのであろうな?


 「兄上は未だ畿内の仕置きが残っているかと思っておりましたが、こうして古河で俺と話をしたい。更には瑠璃も呼べとは一体全体どういうことなのですかな?」


 俺は思いっきり首を傾げる。

 兄上は畿内にこそ入っていないが、名古屋より畿内に入った軍の統括をされるという面倒く……いや、重大事をこなされているはず。

 合間を見て、なのだとしてもこうして古河にやってくるということは……。


 「ああ、その、なんだな。お前たち二人に折り入って相談事が有るのだが……」

 「俺達に相談??」

 「どうしたの?一丸兄上、とうとう顕子姉さんに愛想付かれた?!」

 「な!そ、そうなのか?!兄上!顕子殿に離縁を!!」


 そ、それは一大事ではないかっ!瑠璃よ!

 顕子殿のご生家、北畠家は奥州頃よりの伊藤家の重臣の一つ!その顕子殿が離縁を決意されるなど……。


 「……そんなわけなかろう。瑠璃よ。兄を揶揄うのも大概にしろ」

 「はぁ~い」


 なんだ、瑠璃の冗談であったか……驚かすでないわ。


 「と、まぁ、冗談はさておき、どういった御用件?兄上?」

 「ああ、そうだな。少しばかり二人に相談事が有ってな……」

 「それはさっきも聞いた」

 「う、うむ……その縁談話の相談をだな……」


 な!なんと!縁談!!

 と言うことは先ほどの瑠璃の言は冗談とも冗談と言えぬことであったとは……。


 「なんて顔をしておるのだ、中丸。……縁談話が持ち込まれたのは私ではない。……父上にだ?」

 「ああ、驚かさないで下さい。兄上にではなく父上にですか……って、え??!!」

 「もう。中丸兄上驚き過ぎ!父上も年が明けて十歳なんだから縁談話の一つや二つが舞い込んできたとしても不思議ではないでしょ?……で、何処の姫君?まぁ、どこぞの良家の娘が嫁いできたとしても、私たち姉妹の中では沙良ちゃんが父上の一番の妻であることに変わりはないけどねっ!」


 ああ、そうであったな。

 年の差はだいぶあるが、沙良は父上の妻になるのであったな。

 うむ。ここまで小姑たちの支持があるのならば、二人の仲は上手く行くであろうというものだが……。

 しかし、相談する相手が俺と瑠璃で良いのか?

 父上の父上は仁王丸だし、一家の長としては伯母上のご判断が全てであろうし……。


 「ああ、心配するな二人とも。古河に戻る前に飯盛山に滞在されている上様と大御所様には先にご相談してきた」

 「で?仁王丸兄上と伯母様はなんと言ってたの?」

 「父上ご本人と私たち兄弟が納得すればそれで良いとのことだ」

 「ほう?俺達の判断に任せるというのか?」


 伯母上がそう言われるのはわかるが、仁王丸まで……まったくあやつめ、己の育ての父、血を分けた息子であろうが!


 「で、相手の姫君だがな……」

 「おお、そうでしたな!相手の名を聞かぬ事には賛成も反対もありませぬな!……で?」

 「斎藤家の筆頭家老の明智光秀殿のご息女、玉殿だ」

 「「斎藤家の筆頭家老の明智殿??」」


 これまた、意表を突かれた相手だな。

 てっきりどこぞの公家が要らぬ姫を押し付けて来たとか、大友、長曾我部あたりから声が掛かったとかだと思ったのだが……。


 「その……なんとも言葉が見つからぬというか……なんで明智殿の娘なのだ?」

 「……理由も話すが、相談したいところはもう一点あってな、実はその玉殿だが……今年で二十三になられる」

 「「なっ?!!!」」


 沙良より二つほど下ではあるが、それでも……十三違いは大きくないか?

 家と家との繋がりでの婚姻なら考えんでもないが、明智殿とは……。


 「ふぅん。なんか、理由があるんでしょ?さっさとその理由も教えてよ、一丸兄上。そうじゃなきゃ判断もしようがないよ?」

 「まぁ、そうだな……じつは……」


 ……

 …………


 「近衛の首ですか……それは確かに当家としては有難い、十分な功績ではありますが」

 「それって表沙汰に出来る方法での討ち取りなの?玉殿を父上の妻に迎えることを公にしたら、結局のところ、皆が不思議がるよ?十三歳差で斎藤家の家臣の娘って……」

 「明智殿は公にして構わないと言っておられる。代々、近衛に仕えていた丹波忍びを寝返らせて身柄を抑えたということだ」

 「……まぁ、相手は武家ではなく公家ですからな。戦場の手柄として……なんぞにはならんでしょうが、忍びを寝返らせてですか……今一つすっきりとはせぬ手柄の取り方ですな」


 すっきりせん。


 「私としては、そのあたりを伯母上が了承されているのなら、まぁいいかな……問題はその玉殿ね。本人と話がしてみたい。彼女自身が望んでいないのならこの話には反対だし、変な野心溢れるような人物だったらお断りよ」

 「そ、そうだな……玉殿に会ってみぬ事には話は進まないな!」

 「……なによ。一丸兄上は名古屋にいながらも玉殿自身に会うって考えは浮かばなかったわけ?」

 「……面目ない。話が話であったので、いち早く皆に相談することしか考えていなかった」

 「まったく……一丸兄上って、変なところで抜けてるのよね。それじゃ、いつの日にか悪い人に騙されるわよ?」


 確かに一丸兄上は、良いところも悪いところも母上にそっくりだからな……。


 「いや、言葉を返すようだが、明智殿は悪い人ではないと思うぞ!」

 「そういうことを言ってるんじゃないの!」

 「あ、はい……」


 妹に一喝されて小さくなる兄上。

 なんであろうな、当家の男というのはどうしても女性には弱い。

 たとえそれが十以上も年が離れた妹相手であってもな。


 「とりあえず……そうね。行儀見習いとか何とか言って、古河の斎藤屋敷に玉殿を連れてきてもらいなさいよ。そうしたら、後は私の方で面接の用意をするから」

 「む?……お前ひとりか?俺は会えんのか?」


 俺の義母上となるかも知れん人物だ。

 俺もその為人は確かめたいところだぞ?


 「はぁっ……なわけないでしょ?古河で面接と言ったらお婆様に決まっているじゃない。私たちは付き添いよ。……そうね、母上も勿来から出てきてもらった方が良いわね。うんそうしましょう。そうなったら、久しぶりに古河で一家が揃うのも良いじゃない!杜若姉さんや千代姉さんにも文を出しましょう!そうしましょう!」

 「おお!妹達とも会えるのか!……兄妹が勢揃いするなど、勿来での童時分以来ではないか!」


 これはなんとも心躍るな。

 思いがけずに面白そうなことになったではないか!


 「ああ、別に兄上たちは良いわよ?仕事忙しいでしょ?」


 ……連れないことを言うな、瑠璃よ……。


天正十三年 晩春 古河 伊藤阿南


 ずらりっ。


 義母上を筆頭に、古河の奥の丸大広間に居並ぶ伊藤家の女性たち。

 なんとも壮観です。


 相手を怖がらせることにならないようにと、円座に近い形で座ってはいますが、こちらの人数は十五名、相手はたった一人……。

 なんでしょう、南はちょっとだけ玉さんが可哀想になってきました。


 「ごめんなさいね、玉さん。どうか怖がらないで頂戴ね。私の可愛い孫のことなもので、手の空いている当家の女性たちが出てきてしまっただけなの。いつも通りの心持で、ちょっとだけ私たちとお話しをしてもらえると嬉しいわ」


 手の空いている?


 こてんっ。


 思わず首を傾げてしまう南です。

 だって、南は勿来から輝・義・美月・清ちゃんと連れ立って移動してきましたし……杜若は古河に住んでいますが、椿たちは羽黒山で事務方のお仕事をしていますし、千代に至っては甲府にて直政殿と一緒に甲斐を見ているのです。


 「はい。お気になさらないで下さい。尼様。私も姉妹や弟たちのこととなれば、日ノ本のどこにいようとも集まる気概を持ち合せております。此度のような仕儀、皆様がご心配されるのも当然と考えます」

 「まぁ!それは良かったわ……ああ、それと私は夫に先立たれ、今は景文院と呼ばれておりますが、どうか玉さんは文と呼んでくださいね」

 「はい!文様」


 ここまでは、はきはきと、しっかりとした物言いをする娘ということで合格点です。

 立ち居振る舞いもしっかりしていますし、なんとも良い教育を受けた娘さんですね。


 「で……ちょっとだけあけすけに尋ねさせて頂くと、玉さんのその肌の色と髪の色は生まれつき?」

 「あ……はい。亡くなった母もそうだったのですが、どうにも私は産まれてよりずっと色の薄い娘だったようです。髪もこのように、まるで老婆の如き銀色ですし、肌も病弱な者のような白さ。……加えて瞳は赤い。……文様もこのような娘は気持ち悪いとお思いでしょうか?」

 「……ごめんなさいね。そういうことで聞いたのではないのよ?ただ、生まれつきであったのかどうかが、少しだけ気になっただけなの。見たところ、玉さんは病弱というわけでもなさそうだし、身体にもきちんと肉が付いているように見えるものね。……そう、武芸もそれなりに鍛錬されているのでなくて?ねぇ、輝?」

 「……(こくり)義母上様の推察通りだと思います。重心の取り方などからみると、多分、薙刀。……それも、どちらかと言えば槍に近い形状の得物で鍛錬しているとみた」


 まぁ、薙刀ですか。

 それでは義母上と同じ武器を修練なされているのですね。


 しかし、輝は流石ですね。動きだけでそこまでわかってしまう物なのかしら?

 南には到底理解できない世界です。


 「はい!そうなんです!幼い頃に祖母から薙刀の動きを教えて貰ってきました。ただ、最近では父が大和の方から槍術の先生をお呼びになられて、穂先がこう……三又に分かれた槍を習っております!」

 「大和……三又……十文字槍……宝蔵院流槍術……是非とも玉殿の型を見てみたい!」

 「はいっ!是非にも!」

 「ふふふ。お話しが終わったらね……」


 輝がそこまで饒舌になるということは、玉さんが習っている槍術というのは大したものなのですね。

 武芸をよく学ぶ……伊藤家の女性としては非常に大事なことです。

 こう見えて南も義姉上と輝から、長年に渡って剣を教わっていますからね。そこそこは強いのです。

 輝曰く、前世の旦那様よりは一寸だけ劣る程度で、一般兵の二三人相手なら問題なくあしらえる腕前だそうです。

 自分ではわからないですけどね。


 「あとは肝心なことだけれど、今回の話は決して明智殿から強要されたわけではないのね?」

 「はいっ!もちろんです!私はどうしても関東に、カトリコの本場である関東に来たかったのです!」

 「カトリコですか……玉さんがそこまでカトリコに傾倒する理由を聞いても?」

 「はいっ!」


 ここまでカトリコに深く信心する人は珍しいですね。

 中丸の妻のマリアも深くカトリコの教えを信じ、名も変え、日々の奉仕で教会に通っていると聞きますが……。


 「まずはどこから説明すればよろしいでしょうか……そう、その……私は、このような外見の為か、幼い頃より、周りからは腫物が如き扱いを受けてきました……母上も私同様の白さではありましたが、色の薄さは私の方が母の何倍も……気がついたら、私は自分の部屋から一歩も外に出られなくなってしまいました。人の目が……家族や近臣の者達でも怖かったのです……」

 「「……」」


 人の目の怖さですか……。


 「そのような幼少期を過ごしてきた私に、ある日、父上が関東で流行っているカトリコの教えというものを教えてくださいました。「人間とは神の下に平等である。なぜならば、『神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された』のだから万人が同じ起源と本性を与えられて産まれているのだ。私たち人間は、その総てが同じ霊魂を神から与えられているのだ」……私はその話を聞いて涙を流しました。このような姿かたちをしていても、このように醜くとも、神は等しく愛を与えてくださるのだと。……こうして日々の糧を取り、生きながらえても赦されるのだと……」


 ……


 ぎゅっ。


 体が勝手に動いてしまいました。


 「あ、あの……」

 「いいのです。玉さんは生きていて良いに決まってます!幸せになって構わないのです!南は……南も小さい時から要領が本当に悪くて、……後から生まれてきた弟たちが当たり前に出来ることが出来ない駄目な子でした。でも、でもでもでも!勿来に来て、伊藤家に来て、義母上は優しく抱き寄せてくれました!義姉上は私を妹だと可愛がってくださいました。清ちゃんは親友だと言ってくれましたっ!旦那様は優しく愛してくれましたっ!子供たちはこんな南をこんなに慈しんでくれますっ!……うぅぅっ。ぐすっ。いいのです!玉さんは幸せになる権利があるんですっ!」

 「……えっ?あっ……その……いやっ?なんで?私……泣いて……る?」

 「いいのです!人は嬉しい時、楽しい時、悲しい時、寂しい時!涙が出るものなのですっ!涙が出る時はただただ流せばいいのですっ!」

 「……ぐっ……えっ……うぅぅっ、うううっぅ……うわぁぁっ~!!うわぁぁ~んっ!おがあぁさん!ゎだしだっで……わたしだって……生きていて良いって……うわぁぁぁぁ!!!!」


 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ!


 泣きじゃくる玉さんを力いっぱい抱きしめます。


 ……

 …………


 「……す、すみません。文様を初め、皆様の前でこのように声を上げて……」

 「良いのですよ?阿南も言っていたでしょう?人間、感情が高ぶった時に泣いてしまうのは別におかしなことではありませんよ?」

 「は……はい……」


 えっぐ、えぐっ。


 玉さんは落ち着きを、取り戻し……たようです、ね。


 「……もう、南ちゃんてば本当に優しい娘なんだから」


 ぽんぽんっ。


 なんでしょう?

 さっきまでは溢れる母性で玉さんを撫でていた私が、今では清ちゃんにぽんぽんされています。


 うっ、ぐすっ。


 これでも南は五人も子供を産んだお母さんなんですよ?!


 「はいはい……でもね、これで玉さんの気持ちも私たちに伝わったよ?ありがとう南ちゃん。流石は僕の親友だね?」


 う~っ!


 せっかく涙が収まってきたのに、また南を泣かせるなんて、清ちゃんは意地悪ですっ!

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