第150話 気付いている者、気付いておらぬ者

天正十三年 盛夏 飯盛山 伊藤元景


 ぱらっ。


 古河からの文。差出人は瑠璃だ。

 去年あたりから、母上は私への文を姪たちに代筆させることが多くなった。


 古河にいる時には瑠璃に、羽黒山にいる時には椿に代筆をさせることにしているのだろう。この二人以外からの文というのをここ最近は受け取った覚えがない。

 母上に限って、この二人を重用するのは太郎丸と阿南の子だからという理由ではない筈だけど、代筆役はこの二人。


 ……けど。

 順番に姪たちの顔を思い出していく。


 杜若……輝以上の剣術馬鹿だったけど、修行中に兄弟子である北畠家の顕光あきみつに惚れこんでそのまま半ば強引に祝言を上げ……させた感じでもあったわね。息子も生まれて幸せな母親といった風情。


 千代……こっちは杜若とは逆よね。一歳下の直政に惚れられて、まぁそれは熱心な求愛を受けまくっていたものね。基本、おっとりとした性格だった千代だからこそ成功した直政の作戦。……これが、それこそ杜若相手だったら木刀で叩きのめされてどうなってしまったことだろうか。ともあれ、今では直政の良き妻として幸せに暮らしているわ。東山三国に関する報告も助かっているしね。


 美月……輝の娘の三人で一番の剣術馬鹿ね。太郎丸の護衛役をこなしているのも、多少は、純粋に、両親への愛情からなのもあるのでしょうが、動機の大部分は輝との修練がいつでもできるからでしょう?上泉様が亡くなられたということもあったし……きっと、あの娘は上泉様の最後の弟子として、武者修行をする心持で太郎丸の護衛をしているに違いない。 


 椿は……。


 「……母上、景文院様はなんと?」


 ああ、いけないいけない。

 どうにも思考が飛んでしまっていたようね。


 ここは飯盛山城の広間。

 午後からの畿内討伐軍諸将との最後の打合せを控えて、先に当家の面々で話し合いをしているんだったわね。


 「そうね。太郎丸が古河城に入ったことと、古河の夏は暑すぎるのでいち早く羽黒山に戻りたいこと。あとは……信濃から信幸が土木奉行所を訪ねてきたことあたりね」


 領内各城の動静や噂話、事務方の綱紀粛正の報告といったあたりは、ここにいるみんなの守備範囲とは違うので省略をさせてもらう。


 「信幸と言えば真田のか?!早速修行の成果かな?」

 「はっはっは。古河に行ったというだけではわかりませんよ。……ただ、土木奉行所を尋ねましたか。うん。いい傾向ですね」


 何やら、伊織叔父上の目がきらりと光ったようにも思えるけど……伊織叔父上も弟子は沢山いても、後継者とも呼べるべき存在がいないものね。

 伊藤家としても、複雑な土木事業を発案・設計・施工・管理できる人材は絶対に必要。

 信幸には是非ともその地位についてもらわなくては、というところね。


 「どうにも、千曲川の抜本的な改修を考えているようね。その手始めに関東で行った利根川と荒川の改修工事の話や資料を探しに来たみたい」

 「それは結構。千曲川は暴れ川ですが、あの川を制することが出来なければ、北信地方の発展は進みませんから。自発的にそれだけ動いてくれるというのはなんとも有難い話ですね」


 景貞叔父上、伊織叔父上の二人からは、自分たちの年齢を考え、今後は後身を育てることを第一義として行動したいと告げられている。

 先ずは領地経営の部分を若手に譲って行くとお考えなのでしょう。……ただ、お二方の性格を考えると、死ぬまで隠居とかは無理でしょうから、自分たちが派手に前線で動くための方便作りとも……思えなくもないのよね。

 私も後方勤務は苦手だし、この辺りは伊藤家の血ということなのかしら?


 そう考えると、太郎丸と竜丸は例外よね。

 あの二人は前線に出ることがあまり好きじゃないものね……というか、竜丸の場合は太郎丸の手伝いだけが生き甲斐みたいなところがあるから、ちょっと違うか。


 「ふむ。若手が動き出す。そういうことなら、懸念となっていた六波羅探題の役目、俺が引き受けるとしよう。年齢的にも俺が一門では最長老格であることだしな、公家のやつ等も阿呆な策略などをそんな人物には仕掛けてこないだろうさ……まぁ、仕掛けてきた場合は、その身で報いを受けてもらうがな。はっはっは!」

 「そうですね。兄上がお受けになるのが、一番しっくりときますか……それでは、兵の大部分が引き上げるのを受けて、私は吉田の築港に専念するとしましょう」

 「「吉田の築港?」」


 思わず首をかしげる、私、一丸、仁王丸。


 「ん?言ってなかったか?西に領地が広がったのを受けて水軍の拠点が駿府では不便なのでな。新たに伊勢湾、三河湾の中で最も条件が良い三河の吉田城近くに築港をしてもらうこととなった」

 「は、はぁ……」


 吉田城の近くに大きな湊とかは無かったはずよね?

 そうなると、一からの築港となるので、膨大な工事となるはずだけど……まぁ、東海三国……いえ、今では東海六国か、東海六国なら人員も銭も用意できるのでしょう。

 竜丸には景貞叔父上からの東海での最後の置き土産、とばかりに、かなりの額の予算が計上されることになるのでしょうけど……ここは頑張って三國通宝の鋳造を取り仕切ってもらいましょう。


 「では、六波羅の詰め所の建築も景貞大叔父上が見られるということでよろしいのでしょうか?」

 「ああ、構わん。聞くところによると、現地は鎌倉の六波羅壊滅後はあまり活用されておらぬ土地のようだからな。赤旗を立て、土地に挨拶をしてから詰め所を作らせてもらうとしよう……で、駐在する兵の規模はどれ程を考えておるのだ?」

 「どうでしょうか、少なくて千、多くて三千といった辺りではと思います」

 「そうだな。余り多くても維持の仕組み作りが面倒だし、京の町の諸々が兵相手で成り立ってしまってはずるずると、我らの滞在期間を引き伸ばさせられそうだしな」

 「では間をとって二千としますか。……二千ならば物資を領内から運び込むことも可能では有りますが、ここは近隣から集めますか?」


 そうね。二千を養うことだけを考えるのならば、隣領となる六角家、長尾家、徳川家に購わせることも出来てしまうでしょうが、それでは六波羅の存在が固定化されてしまう。

 私達は京には携わらない。

 公家連中を始めとする京の者達の準備が出来次第、六波羅は速やかに放棄する。

 そう考えると……。


 「その両方と言いましょうか、領内からの輸送と共に、六角家、長尾家、徳川家から買い求める形が良いのでは?」

 「ふむ。銭を払うか……一丸、その利点は?」

 「やはり、輸送はどうしても負担が掛かります。六波羅、京へはどうしても他領を通らなければ行けませんから、関税についても話し合わねばならぬでしょう。ならば、最初から銭を払う形で三家と繋がるのが良いと考えます。此方が対価を払っているのならば、我らが六波羅を去るときもやり易かろうと……」

 「確かに対価を払っているなら、此方の決断に三家がどうこう言えるものではないな……とは言っても、実際の段では色々と言ってきそうではあるがな」


 そう言って苦笑する景貞叔父上。

 そうよね、多少はまとまった規模での商にはなりそうだし、京を空白地帯にするのも気味が悪いと考える者は多そうだものね。

 ……ただ、その心配以上に当家としては京には関わり合いたくないからしょうがない。


 「まぁ、そこはこの地に住まうもので頑張ってもらいましょう。で、その購いですが、商人を噛ませますか?それとも三家と交渉する形で?」

 「……理想は此方も彼方も商人を噛ますのが理想とは考えますが、期限は五年。私は家同士の交渉が良いと思います」

 「そうですね。……私も一丸兄上の意見に賛成です」

 「一丸と仁王丸の意見が一致したのならば、それで行きましょう。午後の話し合いが終わった後に、三家の方々だけ残ってもらい……と、輸送を考えるのならば、斎藤家と長野家にも居てもらわなければ駄目か」


 中山道から美濃・近江を抜ける道と伊勢関からの伊賀越え。

 輸送するにはこの二本の道順となるでしょうからね。


 「そうですね……ただ、実際の補給路を考えると彼らは別に居なくても構いませんが、当家に臣従をしているわけでもなく、連合を組んでいるわけでもない徳川家が深く関わり過ぎるのも、両家には複雑でしょうから、残ってもらった方が良いでしょうね」


 実際には使わない??


 ……ああ、海路と淀川ね。


 「む?……ああ、淀川か。少々思い付かなかったな。ただ、そうか……ふむ。……しかしそうなると水揚場の整備は必要になりそうだな。実際に淀川を使った水運はあるようだし、三好も使っていたようだが……どうにも脆弱に見えるぞ?商人達が個別で使っている枠を越えた物では無さそうだ。河口での小舟への積み換えと……伏見あたりになるか?積み降ろし場は新設せねばなるまい」

 「河口の方は長尾家と徳川家にやってもらいましょう。彼等にとっては丁度良い領内整備でしょうし、そのぐらいの負担を担ってもらっても罰は中らないと思います。問題は伏見の荷上場の方ですが……本来は山城を治めて行くことになる公家に任せたいところでは有りますが、彼らに出来るでしょうかね?」

 「「ふぅっ……」」


 誰からとなく、皆で溜め息をついちゃったわね。


 「……そこは腹を括るとしましょう。出きる出来ないではなく、ただやらせる。……流石に荷上場の利点がわからぬ無能では無いでしょうから」

 「そうだな……仁王丸の言う通りか……」


 すぅっ。


 「皆様、昼餉の用意が整いましたが、お持ちしても……?」

 「ああ、持ってきてください」

 「はっ!」


 近侍の者の声掛けを以て午前の評定を終える。

 ある程度の話は出来たかしらね。


 母上は羽黒山に戻りたいのでしょうけど、私もせめて関東には戻りたいわよ。切実にね。

 温泉もない、ちり紙も満足にない畿内はどうにも苦手よ。


1585 天正十三年 初秋 古河


 「兄上……残念ながら銭不足は目前になってしまいました」

 「……だよなぁ」「ですよなぁ~」「「はぁ~っ」」


 「今日は城の外で話がしたい」と竜丸が言ってきたので、中丸と一緒に孫家飯店にお呼ばれしている次第である。

 そして、のっけから、三人のため息。


 そうだよね、わかってたよ。

 こうなるであろうことは……。


 「終わってから言うのもなんですが、やはり伊勢の西は全くの無視を決め込んだ方がよかったのではないですか?公家どもが幾ら騒ぎ立てようとも気にする必要は無かったのではないでしょうか?それに、正直なところ、西の勢力すべてが一斉に連合を組んで攻め寄せたとしても、父上が揃えた装備の奥州軍に奴らが敵うとも思えません……」

 「……言うなよ。……たとえ本当のことだとしてもさ」

 「まったく……今回のことを引き起こした家康め……憎んでも憎み切れません!」


 竜丸さんの逆鱗に触れた家康君は寿命を確実に縮めたな。

 畿内整理という面倒事を押し付けたぐらいでは、俺達三人の怒りは収まらんぞ?


 「はぁ……そう。確かにしょうがないとは思うのですよ?父上、叔父上。……だけど、何であの時の俺は畿内討伐に賛成してしまったのか……」

 「……中丸だけではありません。あの時は私も賛成してしまいました……」

 「意見を求められたとしても、あの時点では俺も強硬に反対はしなかっただろうしな……」

 「「はぁ~っ」」


 本日何度目かのため息そろい踏みだ。


 そう、ウスウスはわかっていたんだよ?

 戦の気配が無くなれば、一気にその人員を使った行動……というか、経済が動き出すってさ。


 北上高地の整備、秋田の開発、千曲川の改修、飛騨の鉱山開発、七尾の造船所、水戸の運河水路、江戸の開発、領内の河川の改修……で、なに?今度は吉田に東海水軍の基地を築港から新設?六波羅築城?淀川の荷役場?畿内の補給路?


 はぁ……。

 一丸から届いた文が恨めしい。


 「なんだろう、俺が言うのもなんだけどさ……皆、俺に感化され過ぎじゃない?こういう無茶な土木工事は俺一人だけが企画してきたからこなせて来たって所は有るだろう?」

 「それを言われると耳が痛いのですが……単純な富は充分にあるのです。年貢、関税、自家貿易、鉱山からの収益……領内を知っていれば、……深く知っているほどに当家では大規模な工事が出来る力があると理解できてしまう……」

 「「だけど、銭が無い……はぁ~っ……」」

 「竜丸……答えはわかりきっているけど、今の厩橋での造幣所に余裕は……」


 怒られるのを承知で訪ねてしまう俺。


 「兄上……工房の火は一年を通して、一日たりとも落とすことはなく、全力で作業が続いております。新たに高炉も転炉も鋳造機も刻印機も研磨機も増築に増築を重ねてはいますが、一日で造りだせる貨幣の数には限界があります」


 ですよね~。


 「エストレージャ卿にお連れ頂いたヨーロッパの技師たちの手により、領内の各鉱山の採掘技術は十年前とは比べ物にならぬほどに進んではおります。材料だけで言えば、当家単独で年間に三百万貫の銅銭に相当する物が楽に掘り出せてはおります。……おりますが、そのような枚数。三百万貫とすれば三十億枚の銅銭。日に一千万枚近くに上る銅銭を作らねばなりません……不可能です!」


 ですよね~。


 「……増産に増産を重ねて、何とか今年は十万貫の大台に乗りはするでしょうが、それでも当家に四万貫、伊達家と佐竹家に三万貫を配ったら終わりです。もちろん、交易の結果、当家に、領内に集まる銅銭の枚数はこの数量の何十倍という物ではありますが、……細かい計算などしなくてもわかります。このままでは、近いうちに当家から銅銭が無くなります」


 ですよね~。


 「父上……江戸の開発。計画上はすぐに行える物、結果が見えている物も数多くありますが、現状では人足を大々的に集めては日払いの銭が足りぬので、飯と寝床という現物支給で事足りる一向宗の手を借りて少しづつ行っておるのです。……本心を吐露させて頂くと、「何とかならぬのでしょうか?」と泣き言の一つも零れようという物です」


 ですよね~。


 「……で、試行錯誤を繰り返している銀貨と金貨の試作品がこれね」

 「はい……」

 「「はぁ~っ」」


 三人が手元の試作金貨、銀貨を手に取りため息をこぼす。

 長年三國通宝を造り込んできた厩橋の造幣所の面々でもこれが精一杯なのか……。


 銅銭とはなにが違うのか?

 見た目の輝き、手に持った感触、刻印の具合……どれもが銅銭、三國通宝のような統一感が全くない。

 見事にばらばらだ……。


 銅貨と金貨・銀貨でこんなに違うものなの?という感じだ。


 「……エストレージャ卿の連れてきた技師の中には、造幣に詳しい者はいなかったんだよな?」

 「ええ、残念ながら……彼らは鉱山技師、山の専門家ではありますが、加工に関しては素人でした」


 ……どうしよう。


 「……もう、あるとこから持ってくるしかないか?」

 「えっ?ち、父上、それは……」

 「……堺でも焼き尽くして銭をかき集めますか?兄上」

 「違うわ!!」


 もう、二人とも絶望感でテンパり過ぎだぞ!


 「明では銀貨ではないが銀子が大いに流通している。年貢でさえ銀で納入されているぐらいだからな。後はノエバエスパーニャでは銀貨が大量生産されて大陸の本国に運ばれている」

 「「つまり?」」

 「つまり、銀の細工に長けた者達、銀子や銀貨を作れる者達がいるということだろ?」

 「あ!なるほど!」

 「ん???」


 ピンとくる竜丸と、ポカンとする中丸。


 「鉄砲も船も焼物も、勿来では外から技術者の村を持ってきて製造に漕ぎ着けた!今回も!」

 「「村を国外から持って来れば良い!!」」


 それしかないよね。


 「早速吉法師を呼ばなきゃな!」


 助けてください!吉法師様!

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