第146話 畿内仕置き

天正十三年 啓蟄 秋田 前田利益


 「ほぅ。あそこに見えるが雄物川か。確かに大した河川であるな!」

 「見えるのか?慶次郎。俺には一面の雪景色しか見えんぞ?」

 「はっはは。確かに水面は見えんが、雪が途切れておるあの辺りが川なのであろう?」

 「ああ、そういうことか。そうだな、そういう言い方で良いのならば、あそこに見えるのが雄物川だ」


 ふむ。

 助十郎のやつも自暴自棄になって、秋田城城主を引き受けたわけではなかったようだな。

 良かった、良かった。


 伊達家と伊藤家が南部家を降し、北陸奥の仕置きを終えてから三年近くが経った。

 伊藤家が直接支配する地域の内、北上高地の城塞群は早々と安中の血族で面倒が見られることとなったが、この秋田城だけはなかなかに城主が決まらなかった。


 南部諸氏は四国連合に降り、秋田周辺を治めておった安東家も当主の安東愛季あんどうよしすえが南部家に婿入りしていた関係で、南部諸氏の一つとしての扱いを受けており、今では大舘周辺のみを領する一族として存続している。


 そして、この秋田周辺と男鹿半島だ。

 ここはその地理的な好条件から伊藤家の直轄となったものの、関東と南奥州を根拠地とする伊藤家にとっては飛び地になっている。


 北は安東家、南は由利ゆり仁賀保にかほから庄内までが伊達家の直轄。東南の横手盆地は最上家、奥羽山地を越えた奥六郡は九戸家の領地となっている。


 伊藤家と伊達家は一門のごとき固い結束で結ばれてはおるが、最上家とは微妙な関係だ。

 先代太郎丸様の側室は最上家の姫であるはずなのだが、どうもその姫と実家の仲はよろしくないらしい。

 最上家先代の義守よしもり殿の時代でも微妙であったようだが、今の義光よしあき殿の代では更に微妙になっているようだしな。

 九戸家とは、良くも悪くも特別な関係にはなっていないようなので……うむ。見事にこの秋田は飛び地だな。


 仕置き後は安中忠豪殿の手によって、最低限の備えとしてこの秋田城が築城されたが、如何せん、伊藤家の基準では前線砦の域を出てはおらん。

 御殿や長屋には火箭暖炉も整備され、寒さ厳しい秋田の冬でも身体を壊さずに過ごせるのが救いではあるが……。

 信長様が目指しておられるような、北回り航路の重要湊としての活用には、……はてさて何年の歳月が必要とされることやら。


 「して、此度の畿内遠征だが、……これほどの大戦、お主は参加しなくて良かったのか?慶次郎よ」

 「ん?……ああ、そうだな。もしかしたら、この戦が日ノ本で行われる最後の戦かも知れぬが……正直俺にとってはあまり楽しそうな戦ではないな。……それよりも秋田の地で奮闘しておるお主らの方がよほどに辛い戦いに身を投じておるように思えるぞ?」

 「何を馬鹿なことを!……確かに冬のこの時期、雪にすべてが閉ざされれば確かに辛い場所ではあるが、雪さえ融ければ良い場所だぞ?ここは。海の恵み、山の恵み、川の恵み、そして土壌も肥沃だ」

 「しかし、それも人が増えて初めて手にすることが出来る恵みであろう?見た限り、そもそもの人がここは少ないのではないか?言うても、この百年、付近一帯を治めておった安東家は大舘に移り、多くの民もそれに付き従ったと聞く。……まったく信長様も、伊藤家の本領から遠く離れた秋田を「伊藤家有数の湊町にせよ」などと……まったく無茶な御命令をされるものよ」

 「くっくく。なんだ?慶次郎よ。この冬に秋田に来てくれたのは俺を慰める為か?……これはなんとも熱き男の友情に感謝だな」

 「茶化すな……」


 助十郎が秋田城城主の任を志願したのは、前原と御子柴の一件に責任を感じてではないのか?

 元より、助十郎はあの二人を早々に処断すべきと言っておったのだ。それを、様子見……とは違うが、今しばらく改心の機会を与えようと言ったのはこの儂だ。


 「助十郎……上泉様からの最後の伝言だ。「済まなかった」と……」

 「……気にし過ぎなのだ。お主も上泉様も。……俺も良い塩梅で新天地に赴きたかっただけだ。ここ、秋田は必ずや、北回り航路の重要拠点となる。開発には長い年月がかかるであろうが、それは間違いなく、約束された未来なのだ。奥州の発展と航路の完成を期待している太郎丸様は、残念ながらまだ幼い。太郎丸様が安中の者達の助力を得て行おうとしても、独力ではどうしても限界がある。だが、それも太郎丸様が家督を継がれ、関東の者達の意識を北に向けることが叶えば、様子は一変しよう。……俺の仕事はそれまで、北の開発が本格化するまで、ここ秋田の地で伊藤家の旗を守ることだけなのさ」

 「そうか……」

 「ああ、そうさ。……それにだ。実際の所、安東家の軍一千が畿内征伐軍に加わるために出港したのは秋田の湊であったからな。十三とさ野辺地のべち八戸はちのへと南部諸氏が西に向かう船に乗ったのに混じって行った。……どうだ、慶次郎。俺達が童の頃にこんなことを考え付いたか?陸奥の最北端の軍が船で移動。ひと月もせぬうちに畿内の戦に向かえるのだ。俺の仕事は可能性に満ちているとは思わんか?!」

 「そうだな!確かに、こんなことは儂らは思いつきもしなかった!……と、そうであった。お主に会いに行くと言ったら、太郎丸様が土産に持って行けと言ってくださった。なんでも、ヨーロッパの火酒を模した物に色々と手を加えたらしいぞ?米、麦、芋、果実と様々な物を使った焼酎だそうだ」


 海路、秋田に来たので湊までは問題なく運べたが、城までは難儀をしながら運んだ木箱を開け、中身を助十郎に見せる。

 木箱の中には、色鮮やかな陶器に入れられた焼酎類と那須の牧場で作られた数々の燻製肉。


 ふむ、酒だけでなくつまみも入れてもらっておるのは嬉しいことだ。


 「まぁ、今日は飲もうではないか!」

 「ああ、そうだな!飲むか!」


天正十三年 初春 飯盛山 伊藤元景


 畿内の三好方の城は全て、一度も干戈を交えることなく降伏した。

 流石に三好家の本領たる四国の方では戦いが行われているようだが、安芸から撤兵し、大友家の後方支援を得た長曾我部家の前に風前の灯火と言った様子らしい。


 「この度は見事、三好の一党を畿内から追討でき、誠、おめでとうございまする」

 「「おめでとうございまする」」

 「ご丁寧に、ありがとうございます」


 今日は祝辞を述べに来たと言って、二条殿初め、親連合軍側の公家が揃って挨拶に来ている。


 京を軍が通った時には、数名の公卿しか顔を見せなかったけど、今日は大したものね。総勢で五六十人はこの城に来ているのでないかしら?

 一応、この広間には数名の……官位・家柄で選んでるのかしらね?数名の公卿の方々が挨拶に来られている。


 「しかし、流石は伊藤家のお声掛かり、四国連合の皆様の軍容は見事の一言に尽きますな。内国太夫とは言え、三好家では相手にならぬと、義興殿は一目散に京から逃げて行きました」

 「然り、石山の坊主共も畿内から立ち去り、畿内における仏の教えも、従来の穏やかなものとなりましょう。誠に有難いことです」


 ……畿内での仏徒の動乱って一向宗だけだったかしら?

 公家の子弟が頭になった宗派同士で武器を持ったり、火を点け合ったりしたこともあったように思うけど……まぁ、私には関係ないことなので無視しましょう。


 「前置きはこのぐらいにして、皆様がお聞きになりたいことからお話ししましょうか」

 「はっはは。大御所様には隠し事が出来ませぬし、確かに我らの仲で要らぬ腹の探り合いは不要でございますな」


 いや、一応は亡き二条晴良殿の面子を立てて、ここにいる九条の流れの皆さんとは話を合わせているけど、当家は公家とは関わり合いを持ちたくないのよ?本心から。


 「して、三好無き後の畿内、どなたが御管轄されるので?」

 「畿内……まぁ、この場合は細かく定義するよりも広くお教えした方が皆様も安心出来ましょう。まずは北より北近江・若狭・丹後・丹波・播磨・北摂津は長尾顕景殿が治められます。南近江・伊賀は六角殿がこれまで通り。大和・河内・南摂津・和泉・紀伊・南伊勢・志摩は徳川殿が治めます。四国では未だ戦が続いておりますが、一応は阿波・讃岐を含め四国は長曾我部殿が治めます」

 「なるほど……では、お話に上がっていない京……山城は大御所様が……?」

 「いえ?当家は特に畿内とは接点を持ちません」

 「さ、左様でございますか……」


 伊藤家の畿内嫌いは有名だからね。

 彼らもそれほどはびっくりしていないようね。


 「し、失礼ながら、それでは山城はどなたがお治めに?我らとしても今後の話などを致したく、大御所様にお教えいただければと……」

 「先ほど、言った通りの形ですよ?……ああ、山城は武家では治めませんので、皆様でご自由にお治めください」

 「「……」」


 あらやだ。

 みなさん口をあんぐりと開けて呆けてられるじゃないの。


 「……あ、あの……それは山城国内の荘園を我らが治めるという話で……?」

 「そうですね、山城一国が全て荘園でしたらそうなるのでしょうね」

 「……大御所様。申し訳ありませんが……大御所様は山城一国を我らで治めろと?」

 「はい。そういうことですよ、一条殿。これまでは豪族どもにいいように荘園を力づくで奪われていたりもしたのでしょうが、こと山城に関しては一国丸々あなた方の治める土地です。多少は宮中の財政も改善するのではないでしょうか?」


 頑張ればね。


 「お、お恥ずかしながら、どこぞのお家が力を貸してくれるなどは?」

 「それでは、その家が治めることになってしまうでしょう。京、山城はどうぞ皆さんでお治め下さいな」

 「……ざ、残念ながら、この数百年……さよう源氏や平氏が台頭して以降、我らはまともに政を行なってきたことが……」

 「おや?公家の方々は日ノ本を治めてこられた方々なのでしょう?我らとしては心苦しいことですが、山城一国だけしかあなた方の手元にお返し出来ず、非常に申し訳ない気持ちで一杯なのです」

 「お、大御所様!どうぞ、我らをお許し下され!今の公家には満足な人員も力も銭もなく、一国を治めることなど不可能でございます!な、なにとぞご寛恕くださりませ!」


 ああ、ちゃんと私たちが怒っていることはわかってくれたのね。結構、結構。


 「なりませんね。……あなたたちはやりすぎでした。不始末は近衛の仕業と言いますが、近衛はそもそも五摂家の一つではありませんか?残りの四つは貴方方なのでしょう?この十年、二十年。我らは辛抱強く待ったと思います。だが、流石に限界です。今回も王家、公家の責任は自分たちで取らせると言っておきながら、何らその責任なる物の形が見えません。もう沢山です。山城はお任せしますから、どうぞご自分たちの手足を働かせて、ご自分たちの食い扶持を稼ぎ、民を守ることの意味を考えてください」

 「「……」」

 「ただ、今のあなたたちにぼんと山城を渡しても、その地に住まう民に迷惑が掛かるだけとなりましょう。それは我らの本心ではありません。そう、五年。五年は差し上げます。それまでは最低限の治安維持は我らで承りましょう。……そうですね、鎌倉の幕府を見習って六波羅に探題を置きます。五年間は六波羅に兵を常駐させますので、その間に皆さんで山城を治める仕組みを構築なさってください。流民などを出すこと無きよう、万事勤め上げること、この元景、祈っておりますよ」

 「「……」」

 「それでは、皆さまからの祝辞、ありがたく頂戴いたしました。お気をつけてお帰りを」

 「「……」」


 ……

 …………


 「母上、皆様は帰られましたか?」

 「ああ、仁王丸。貴方もご苦労様。諸将との話し合いは終わった?」

 「はい、つつがなく……と申して良いでしょうね。思ったよりも反対の声は上がりませんでした。根来衆の一部は強行に反対してきましたので、後日徳川家に反旗を翻すかも知れませぬが、丹波、播磨、摂津の諸将は長尾家、徳川家に降ることを了承しました」

 「それは結構」


 根来衆、紀伊の北は独立独歩の気風が強いと聞いてるわね。

 家康殿にはご苦労だけれど、そのぐらいの苦労はして貰わないと、こちらとしても困ってしまう。


 「して、母上。公家の方々は結局、何の責任も取らずに?」

 「さて、取る気が有るのか無いのか……取らないで済むのなら取らないままでお茶を濁そう、と考えていたようにも思うわね」

 「では、我らの対応を知ったからには……?」

 「これから誰の責任にするのかの話し合いを再開するのでしょう。はてさて、多少は彼らも腹を括ってくれるとありがたいのだけれど……このままだと、山城から善良な民は人っ子一人いなくなるわよ?」

 「戦乱の世も収まりつつある世界、このままでは山城はならず者たちの集う国となりかねませんからな。……と、治安が悪いのは今も変わりませぬか」

 「まぁ、そうね。……ただ、山城の治安が悪いままだと、京を境に東西が分断されてしまうのよね。多少は公家の皆さんにもまともな働きを期待したい物よね」

 「で、ありますな」


天正十三年 初春 xxxx xxxx


 「ど、どうするのでおじゃるか?!あの鬼婆は本気でおじゃったぞ?!」

 「どうするもなにも、麻呂達で山城を治める他ないでおじゃろう!」

 「何を呑気な!この数百年、麻呂たちはまともに政なぞしてきておらぬではないか?!荘園以外の年貢はどうやって集めるのでおじゃるか?!罪人共の取り締まりは?!野武士や山賊どもの討滅は?!」

 「商人たちからの徴税はどうするのでおじゃるか?」

 「そもそも、宮中には事務処理をするための筆も紙も墨も人員もおらぬでおじゃる!」

 「そもそもで言えば、宮中に我らが毎日集まるなど可能なのでおじゃるか?そのような部屋がどこに有るのでおじゃろうか……」

 「五年……たった五年じゃと!あの鬼婆め!」

 「……嘆いていても仕方ないでおじゃる」

 「……なんぞ卿に考えでも?」

 「考えというほどではない。麻呂が思うに、五年というのは何ら行動を示さなかった麻呂たちに対する叱責でおじゃる。……何らかの行動を示して、五年を十年に、二十年に延ばすことぐらいしか思いつかないでおじゃる」

 「「……」」「「せ、責任と言っても……」」

 「近衛殿は?」

 「いの一番。東国から出兵の噂が聞こえた時には、既に京から逃げ出しておったでおじゃる」

 「ならば……仕方ないでおじゃるな。王家に責任を取ってもらうしかないでおじゃろう」

 「王家の誰に?」

 「誠仁さねひと親王は昨年に体調を理由に東宮を降りられ、和仁かずひと親王が東宮におなりでおじゃる。近衛の娘をもらうことになっておるのも東宮和仁様でおじゃる。……辛いことではあるが、東宮もお身体がすぐれずに近々東宮位を退くことになろう。幸いにして、弟君の智仁としひと様は幼いながらも聡明。親王宣下から東宮になられても問題は無いと考えるでおじゃる」

 「そうでおじゃるな。近衛殿の身柄を抑えることは適わなかったが、お身内の近衛殿の乱行に心痛めた東宮は体調がすぐれなくなったということでおじゃるな」

 「「御労しいことでおじゃる」」「「ほんに、ほんに」」

 「まずは、その旨を粛々と進め、あとは長尾殿、徳川殿、そして新設の六波羅探題との仲を深くすることが肝要でおじゃるな」

 「今のうちに一族の器量良しを集め直しておく必要があるでおじゃるな」

 「顕景殿は三十、家康殿は五十。どちらも妻帯者なれば、狙うは嫡男の妻の座でおじゃるな。長尾家には直江殿を通じて、徳川家には榊原殿を通じて話を進めねば!」

 「いや、待つでおじゃる。最近では直江殿は越後から出てこず、顕景殿との不仲がまことしやかに噂されているようでおじゃるぞ?」

 「では、長尾家には誰を通じて?」

 「天台坊官の倅で大谷義継おおたによしつぐなる者が長尾家中では力を持っていると聞くでおじゃる」

 「おお、天台坊官なら麻呂の弟を使えば誼を通じることが叶おう、任せるでおじゃる」

 「……では、話が見えたでおじゃるな」

 「「うむ」」

 「急ぎ動き出すでおじゃる!」

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