第128話 勿来での聞き込み
1583年 天正十一年 春 勿来
しゃっ、しゃっ、しゃっ。
勿来城を西南に見る小高い丘の上に建てられた教会。
そういえば、ここって領内で最初の教会だったんだっけか?
華麗さは控えめだが、石灰壁に煉瓦を使った姿は、中々に見ごたえがある建物だ。
「おお、これは太郎丸様。ご無沙汰しております。本日はどのような御用で?」
「ああ、すまぬなビクトル。少々、あれの事でお主にエウロパの情勢を聞かねばならんと思ったのだ」
そう言って、俺は湾内に浮かぶエストレージャ卿の船列を指さす。
「左様でございますか。……それはそれは、ではどうぞ、中の方でお待ちください。まもなく午前の仕事も終わりますので……」
「そうか、いや、それほど急がなくても大丈夫だぞ。急に邪魔したのは俺の方なのだから」
「ははは。ご心配なく、務めはしっかりと終わらせてから伺いますので……」
そうか、と俺は頷いて教会の中へと入って行った。
教会の中に入ると、トレドから取り寄せたという絵画が俺を出迎える。
……なんだろう。
俺って美術とかに造詣が深いわけじゃないけれど……この絵画ってエルグレコの作品なんじゃないか?
五百年後まで最大級の評価がされている画家の……。
なんでここに飾られているのかは知らないが、なにやらマリアさんがスペインにいた時に親交があった画家が新天地での無事を祈って贈った物らしい。
モチーフは受胎告知なのかな?
金髪美女に描かれた聖母が天使に跪いている図案。
マリアはまんまマリアさんっぽくて、後ろにいるヨセフは獅子丸っぽいよね。
……けど、そうなるとマリアのお腹の父親はどうなるっちゅうねん。
……うん。深読みは止めよう。
「お待たせしました。太郎丸様。どうぞ、こちらへ……」
「あ、ああ」
俺は絵画の前から離れ、ビクトルについて行って、事務棟の方へと移動する。
「して、エウロパの情勢とのことですが……」
ビクトルは俺を執務室に案内してくれた。
テーブルの上には狭山茶と教会で作られているビスケット。
くくく、このビスケットは俺のみならず、勿来の住民にとっては大好物といえる一品。
教会で丹精込めて焼かれたビスケットは勿来の商人街で広く一般販売されております。
その売り上げで維持される勿来教会。
ぽり、ぽり、ごっくん。
まずは一口ビスケットを頂いてから茶を一口飲んで話を始めよう。
出された物に手を付けるのは、相手を信用している証拠だからね。
ぽりぽりぽりぽり。
ぽりぽりぽりぽり。
あいや、輝さんや。少しは遠慮しなさいな……。
「……そうだな、聞きたいのはポルトガルとイタリアの諸都市の商人の動きなのだが」
「そうですか……。ただ、私も長年勿来におりますので、持っている情報というのは、マニラとアカプルコから齎されるイエズス会からの報告書だけとなりますが、それでもかまいませんか?」
「もちろんだ」
この時代の事情通は海を股に掛けるタイプの商人と宣教師たちだからね。
「では……まずはポルトガルの商人達ですが、彼らの商品は大きく分けて二つ。香辛料と奴隷です。そのうち、香辛料の商売の方は、この十年あまりは調子が良くないようです。理由としましては、パイセスバホスによるポルトガル植民地の占領、その結果による海上交通の不安定さとなります。一部の商人達は、エスパーニャ王によるポルトガル支配によって、エスパーニャの同盟国であるパイセスバホスの攻撃から逃れることが出来るであろうと考えているようですが、現実はそれほど甘いものではなく、ポルトガル商人達にとってはそれほどの旨味がある商売ではないようです」
ふむ。
この経緯は前々世の世界と似た感じだな。
ただ、あちらの世界では宿敵スペインと同君連合になったということで、一層オランダの攻撃は激化していくことになってしまうんだがな。
「そして、一方の奴隷貿易ですが。こちらはなんとも好況なんだとか。痛ましいことではありますが、新大陸のインディオス達が無法者たちの手によって無残なこととなってから後、土地の開発のための人手をアフリカスからの奴隷に頼ったという歴史があります。ドミニコの無節操なくせに石頭な者共がインディオスを守るための方便としてアフリカスを利用することを唱えなければ……いや、彼らも今では反省していますね。彼らの過ちを許しましょう……」
十字を切るビクトル。
この世界でのイエズス会とドミニコ会の相性はよろしくないようです。
……あっちの世界でもそんなに良くなかったか……この時代の日本じゃ。
「その結果、インディオスを保護する旨の令は出されたのですが、代わってアフリカスを購入する領主達がヌエバエスパーニャでは出てきていました。……ただ、この動きもレパントの大勝以降、非人道的な行いは行うべからずとの法令で、奴隷購入の機運は相当に弱まっております。代わって奴隷購入の大手窓口となっているのがポルトガル領のブラジルです。かの地での土木工事、金山銀山の採掘、カフェ、タバコ、カカオ、砂糖、綿などの栽培、そのどれもにアフリカスの奴隷が使われております」
「ふむ……メヒコなどでは奴隷は買われていないのか?」
「もちろんゼロではありません。土木工事や銀山などでは未だ、日常的な購入がなされてはいるでしょうが、ブラジルに比べれば微々たるものです。ただ、メヒコでは改宗した者達には非道な行いをすることは許されておりません。……確かに生まれ育った土地から強制的に連れてこられた者達には悲劇でありましょうが、数年の労働で己自身を買い戻すことが出来るような状況となっております」
買戻しができるとはいえ、奴隷は奴隷だからな……なんとも惨いことだと思うよ。
「これも我らが適応主義の政策を採ってきたからというもの。ヴィルヘン・グアダルーペの例のように、その土地固有の事象とカトリコの教えは乖離しないのです。すべてはデウスの御心のままだというのに……カブラルのような薄汚くも差別的な思想などに染まったポルトガル人どもというのは……」
ん?
カブラル??
どっかで聞いたような……?
「ああ、済まんがビクトル。そのカブラルという人物は?」
「おお、すみません。私としたことが興奮してしまったようです」
十字を切って一息つくビクトル。
「フランシスコ・カブラル。私どもと同じくイエズス会の宣教師ではあるのですが、ポルトガル人の彼はどうにも、エウロパの人種以外を下に見る傾向があるようで……どうにもゴアで軍人として長く戦に身を投じていたためか、オリエントの人達を敵と認識しているかのようでして……スペイン系ポルトガル貴族として生まれたことが彼のような捻くれた性格を生んだとしたら、なんとも皮肉なことなのですが……」
「で、そのカブラルとやらは博多におるのか?」
「はい。カブラルは博多におります。……ああ、そうですね、先にこの説明をせねばなりませぬか。実はジパングには布教区が二つあるのです。博多を中心に京までの西ジパングを見る博多管区と、伊勢より東、蝦夷地までを含む鎌倉管区の二つです。そして、博多管区の責任者がカブラルで鎌倉管区の責任者がフアン殿となるのです」
「ほう。フアンは管区責任者だったのか?!それは知らなかった。しかも鎌倉か」
それに管区名が鎌倉なのも初耳だな。
古河でもなければ勿来でもないのか。
「ローマでは鎌倉に建てられた教会をいたく評価しております。なんといっても、エウロパでもお目に掛かることが難しいぐらいの規模と荘厳さを兼ね備えた教会ですからな!」
なんとも自慢げなビクトル君である。
……自慢げなのは良いけれど、その教会を建てたのは当家なのよ?
と言ってやりたくもない。
「そのような見事な教会を建てることになった功績を評価されての鎌倉管区の誕生なのです」
「誕生……というと、鎌倉管区というのは新しい管区なのか?」
「はい。元はジパング管区はゴアやマカオの下に位置する管区でした。そういった経緯もあり、ゴアにいたカブラルが送り込まれたというわけです」
「ふむ。そんな中に、アルベルト卿に連れられた其方たちが、カブラルの頭越しに東国へ……」
「いえ、違います。その時にはまだカブラルはジパングに派遣されてはおりません。当時は、ザビエル様を継いだトルレス殿が責任者でございました」
おや?そうなるとどういうこと?
「鎌倉の教会が完成したのは1575年です。カブラルのジパング赴任は1570年。私たちが勿来に着いたのが1558年。トルレス殿がジパングに赴任したのは1549年です」
「ふむふむ。なんとなくわかったぞ。トルレス殿の後任のカブラルが自分の色を出し始めて、日本の布教活動を指揮しようとした時に鎌倉に教会が出来て、自分の権限が抑えられてしまったということか」
「はい。更には、信者の取得数と申しますか……まぁ、我らの布教地区の方が人口が大きいもので、そこに鎌倉の教会を初めとする、数々の教会と聖堂に大学での授業などの実績から、ジパング管轄の中で、鎌倉管区の方が席次が上になってしまったことが許せないようでして……」
「そこにエスパーニャとポルトガルという国の問題が重なるか……して、イタリア、特にヘノヴァ商人とヴェネスィア商人はどうなっておるのだ?」
ずっ。
期せずして、俺、輝、ビクトルは同じタイミングで茶を飲んだ。
「はい。ヘノヴァとヴェネスィアは共にレパントの海戦でエスパーニャと共に神聖同盟を結成したのですが、どちらもエスパーニャ程の戦力、戦果を出すことが出来ず、年々衰退の兆しが見えております。ですが、ヘノヴァは金融、ヴェネスィアはガラスやレースなどの特産品とムスリム国家との交易で、未だにある程度の存在感を示しております」
ふむぅ。
そうなると、ポルトガルの反スペイン勢力と手を組むとしたら、やはりジェノヴァということなのか?
「ヘノヴァの商人達、金融と言っておったが、その貸出先、優良回収元はどこになるんだ?」
「そうですね……多くの貸出先は紛争を抱える王家とかでしょうね。それこそポルトガル王家とエスパーニャ王家は大口取引先でしょう。回収元としてはエウロパの各商人達……一獲千金を夢見る航海者へ出資し、帰国後に全財産を回収する。そんな話を聞いております」
回収が全財産とかどんだけ悪徳なのよ……。
……けど、そういうことなら、意外と利益はジェノヴァの商人からは恨まれてそうだよな。
だって、ドレイク初め、海賊連中のスタート資金ってほとんどがジェノヴァからじゃないか?
全財産を没収する前に、その相手が生首になっちゃ、商売あがったりだもんね。
けど、一方のヴェネツィアも、ポルトガルがうだうだしてくれているから、イスラム勢力に対してのヨーロッパの窓口業務が続けられるともいえるわけだ。
スエズ運河が出来る19世紀までは、インド方面からの航路は喜望峰周りのポルトガル商圏が独占しているわけだし……この商圏がガタガタのポルトガルでなく、日が沈んでいない状態のスペイン相手ではイスラム交易の窓口としての存在感が薄れてしまう。
おや?
どっちの国も今回の逃走劇に資金提供する理由があるねぇ……。
「太郎丸様……?」
「あ、いや、助かったよビクトル。おかげで色々と考える材料が見つかったようだ」
「そうですか……コンスル様のお役に立てたのならば幸いです」
「……俺はコンスルじゃないぞ?」
「ははは。左様でしたな。……それでは太郎丸様。いつでも鎌倉管区の宣教師たちは太郎丸様のお越しをお待ちしておりますぞ」
「そいつは有難い。……で、頼みついでに、ビスケット余ってるのない?ちゃんとお金を払うので、城へのお土産用にいくつか売ってもらいたいんだけど……」
「承知しました。それでは奥方様用に何袋かお持ちいたしましょう」
「……俺は八歳で独身だぞ?」
「……はい。承知しております」
……まぁ、話が早いのに越したことは無いか!
天正十一年 春 駿府 伊藤景貞
「ふん。徳川家が伊勢に大和、河内を制圧したか。流石、戦巧者のことはあるのか、家康殿は……素早いことだ」
「そのようですな……今のところは三好家とは揉めていないようですが、これは時間の問題でしょうかな?」
「家康殿の野望は畿内三国で収まりますまい。あの御仁、いっそのこと東海の三国を捨てて畿内の制覇に乗り出すことすらあり得そうですな」
「宮中からの大義名分さえ取れれば、そういう動きもするであろうな」
家康も当家の東海三国の者達からは相当な言われ様だな。
まぁ、俺も同じような感想を抱いてはいるが……。
「……で、掛川城や浜松城の城主は変わった様子があるか?」
俺の気になる点はここだな。
馬鹿が近くにいると、変な暴発でも起こしそうで怖いからな。
「いえ。今までと同様に、掛川城城主は
「そうか……それならまずは一安心か」
「え?一安心なのですか?」
竜清は不思議そうなしておるな。
「そうだ。当家と一番の境を接する遠江の城主が阿呆では気が気でない。最寄りの城の城主が家康の腹心ということは、家康自身の目はしっかりと当家を見据えているということだ。……見据えてさえいてくれるのなら、当家の力量を見誤ることもないので、無用な戦が始まる心配もないということだな」
「そういうものですか……」
「そういうものだ。いざ戦が始まれば、敵の指揮官が阿呆なことにこしたことは無いが、戦をする気が無い時は、敵の指揮官は利口な方が良い。無能な武将ほど戦をしたがるものだからな」
「……」
「まぁ、お前もそのうちにわかるであろうさ」
竜清もまだ十八。これから、こういう感覚を覚えて行けば良いであろう。
「とりあえず、徳川家はこれまでと同様、様子見だ。我らは地に足を付け、東海三国の国力を上げることに全力を尽くすだけだ。良いな?」
「「はっ!」」
駿河・伊豆・相模。
海に面したこの三国は、米の生産こそそれほどではないが、漁が盛んだ。
太郎丸が発案した硝石丘、硝石を取ると同時に肥料も作れる便利なものだが、東海三国ではこの肥料に加えて、食えぬような魚や鰯などの小魚を原料とする肥料作りも行われている。
これも太郎丸の発案だな。
この肥料は綿花との相性が良いらしいので、今は小さな綿花畑しかないが、今後は大きくその面積を増やしていこうと思っている。
駿河の茶、河東の馬、伊豆の金、相模の米、そしてそれぞれを繋ぐ海の道。これに綿布が加われば、米の生産量の低い東海三国でも大いに発展していくことが出来るであろう。
柑橘畑も増えているので、スペイン船向けの柑橘汁の生産も伸びているしな。
そうだ、御厨城の一帯は那須に地形が似ているからな、牧場を作ってみるのも面白いかも知れん。
那須の牧場にいる十文字の一党に声を掛けてみるか。
「景貞様?いかがしました?」
「如何とは何だ?信繁?」
「いえ、何やら楽しそうにしておりましたので……先ほどまでの皆の報告、特に徳川家に関する話などは決して愉快なものではないように思えますので……」
「うん?そうか……なぁに、俺は元来がひねくれ者でな?こうした難事に直面すると、それを如何に乗り越えてみようかと心が弾むのよ!」
「左様でございましたか。それは何よりでございますな!」
なんだ。
俺が楽しそうな顔をしていたと信繁は言うが、こやつも相当に楽しげな顔をしているではないか。
……いや、ここにおる面々のほぼすべてが、楽しそうにしておるではないか。
いやはや、駿府に移ってまだ日が浅いが、ここは中々に面白き地だな!
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