第127話 奴隷貿易の噂

1583年 天正十一年 春 羽黒山


 「おお!忙してしまって済まなかったな、太郎丸!」


 鹿島神宮より急ぎ羽黒山城へと戻った俺を待っていたのは藤吉郎ではなく吉法師だった。


 「気にするな。で、急ぎの事とは?」


 ぽふっ!


 書斎のソファに身体を沈めて吉法師の話を聞く。


 目の前の急須に入っているお茶は……孫さん肝いりの赤城山で作られた烏龍茶かな?

 「凍頂烏龍茶って知ってる?」的な会話を孫家飯店でしたところ、非常に興味を惹かれた孫さんが、顧客筋のコネを総動員して作り上げたのが、こちらの赤城烏龍茶。


 駿河の山奥と狭山……というか秩父?の方から、寒さに強い個体の枝を持ってきて、挿し木で育てた茶から作られている。

 緑茶のようなまろやかな甘みと、飲んだ後に、それこそ胸の奥から沸き立つような爽やかな香りが身体中を駆け巡る感じ……実に、旨し!


 今宮から赤城山一帯を管轄している清平に言わせると、「これで炭や鉱山以外の産物がここいら一帯に根付きそうですな」とのこと。

 美味しいお茶はいくらあっても有難いので、嬉しいことです。

 十分な量が生産できるようになったら、高級ブランドにしてヨーロッパにも売らなきゃね!


 「ああ、実は昨晩にエストレージャ卿が五隻ほどの船を率いて勿来に来られてな……」

 「ん?通常のガレオンでなくエストレージャ卿が率いる??……もしかして戦列艦とかか?」

 「そうだな。十文字の一族の者達はそう言っておったかな?横浜ガレオンよりも高さがあって、大砲も百門近くを備えている船であったな」


 戦列艦五隻って言ったら、そこそこの規模だよな。

 しかも、彼らの領地の内海じゃなくて、外海も外海、太平洋航路を乗り越えなきゃ到達しない勿来だぞ?


 「でだ。エストレージャ卿曰く、スペインの隣国のポルトガルと言っておったか、そこの国王殺害犯を捕まえる為に日ノ本に来たそうだ」

 「ポルトガル王殺害?……なんとも物騒だな」

 「なんでも三十手前だかのポルトガル王が遠征中、味方の裏切りにより戦死したそうだな。で、その裏切りの首謀者が日ノ本に逃げ込んだようだ」

 「それをなんでスペイン貴族のエストレージャ卿が……」


 っと。そうか、スペインによるポルトガル併合がこの世界では別経緯で行われたのか、行われているのか……?


 「どうにも、その国王戦死を受けてポルトガルが分裂内戦を始めそうになったらしくてな、その情勢を危ぶんだ元老院なる組織によって、隣国スペインの国王が一時的にポルトガルの統治権を受けたようだ。徴税や関税、兵役には変更を入れず、スペインであれポルトガルであれ、同じ国としての権利を得られるらしく、基本的には好意的に受けいられておると言うておったな」

 「ふぅむ。しかしこれで世界は全てスペイン帝国の影響下となるか……で、話を戻すとその裏切り者が日ノ本に?どうして見つかったんだ?というか、時間経過はどのくらい?」

 「何やら、そのポルトガル国王の死は二年前、エストレージャ卿が前回に勿来を訪れていたあたりの出来事らしいぞ。……で、その裏切り者とされておるのは曾祖父だか高祖父の孫でアントニオとか言うらしい。王族の産まれながら母親の身分が著しく低いようで、結構な扱いを受けて来たらしい」

 「で、ある日、その待遇に我慢が出来ずに……」

 「……という筋書きのようだな」


 やれやれ、どうにもヨーロッパの王族の権力争いは、日本の将軍家やら公家と変わらんものがあるらしいね。

 まぁ、一部の武家もだけどさ。


 「エストレージャ卿曰く、そのアントニオがジェノバ?とか言うてたかな、その国の商人達とポルトガルの商人達の手引きによって、日ノ本……まぁ、言うてしまえば大友領だな。博多辺りに逃げ込んだという話を掴んだので追ってきたということだ」

 「博多かぁ……そうすると、ポルトガルとイタリア諸都市だけでなく、カトリコの各宗派や、イエズス会内での派閥争いとかもありそうで、実に厄介なことだなぁ」

 「で、あるな。……して、そのイタリア諸都市とは?」


 ああ、そうか。

 この時代はイタリア統一前だもんね。世界史的に良く言われる、枢軸国の国内統一時期での歴史学派経済学的アプローチ。その頃の三百年前だからな、今は。


 ……っと、地球儀を使って説明するか。


 「ここ、ローマの周りの足の形みたいな半島の事さ。千年ちょっと前まではヨーロッパ全域を支配していた国だったが、今では都市国家の集合体みたいになっててね。だけど、歴史と技術は今も残っているし、教会の中心地たるローマもあるから、各都市が独自の力を持って……そうだね。規模を何倍にも大きくした堺みたいな町がいくつかある地域といった方がわかりやすいかな?」

 「なるほどな。傑物もいるかもしれんが、ほとんどが銭に汚い俗物共の集まりということか」

 「そういうこと」

 「ふむ。……太郎丸の説明だと、イタリアの諸都市とやらは堺の商人と一向宗のような宗教家が入り混じっておるのか、そりゃたまらんな。……そういう輩が手を貸して陰謀の網を張り巡らしておるとなると、何が真実で、何が嘘などというのはどうでも良いのであろうな。巻き込まれる我らも大変というものだ」


 流石の吉法師さんの理解力である。

 しかし、堺の商人に一向宗が入り混じりね……そう客観的に言われると、この時代のイタリアには近づきたくなくなるよね。ほんと。


 「話を戻そうか。エストレージャ卿が戦列艦を率いてまで勿来に来ているってことは、ある程度は武力を使ってでも、アントニオとやらを本国へ連れ帰りたいってこと。……だけど、多少は日ノ本の情勢もわかっている彼女としては当家に手助けを貰わないと面倒なことになってしまうので、知恵と力を貸して欲しい、ということか」

 「そうなるな。……して、如何する?親しい商売相手のスペインとはいえ、遠国の権力争いに巻き込まれて大友と戦などとなったら……伊藤家と大友家の戦など、日ノ本を二分する大戦となるぞ?」

 「そんな大戦。こういっちゃなんだけど、他人の巻添えで行うのは大馬鹿のすることだよ。話し合いの場を設ける手助けはするけど、武力は使わないし、見せもしない。それが俺の考えだね」

 「ふむ。俺も太郎丸に賛成だな」


 まったくなぁ……何とかうまいこと言って、大友家からアントニオの身柄でも受け取れれば最高だけれど、イタリアとポルトガルの悪徳商人とかが間に入っていたら面倒なことこの上ないよね。

 ってか、前々世ではこのぐらいの時期って、ポルトガルはイスラム勢力とオランダに追われて、だいぶ勢力が落ちているはずなんだよね。そのあたりってどうなっているんだろ……。


 「とりあえずは、エストレージャ卿に話を……って、そうか。俺が話をするのはどうにも不審か。う~ん、……お?そうだ、仁王丸に話をさせればいいんじゃん。うんうん。その間に俺はビクトルとフアンからもう少し深い事情を聞くこととしよう!」

 「なるほどな……では、俺はこのまま古河に向かって、その旨の話をしてくるか。で、話が通ったら勿来からエストレージャ卿をお呼びすることとしよう」

 「そうだね。それまでは獅子丸を勿来に呼んでエストレージャ卿の相手をしてもらうか。沙良と一緒に、一族の団欒でもしてもらって、ちょっとお待ち願うとしよう」


 さて、やることはだいたいわかってきたな。

 ……日没前までに鮫川にでも入って、明日の朝には勿来に行ってビクトルと話をしてみるとするか。

 で、ビクトルと話し終わったら古河に向かってフアンと話をすると……どうにも今のヨーロッパ情勢は、俺が勉強してきたものとはちょっと違うようだからな。

 願わくば、伊藤家に来ている宣教師たちが最新のヨーロッパ情勢を知っていてくれることを期待したいところだが……。


天正十一年 春 古河 伊藤景基


 「上様、かような次第でして、エストレージャ卿を古河に呼んでも構いませぬでしょうか?」

 「……そうですね。ヨーロッパの諸国を含めた話ですからね。私が直々に話をしなければいけないことでしょう……わかりました。急ぎ、エストレージャ卿には古河に来てもらうよう手配を」

 「はっ!では、早急に!」


 言うや、信長殿は足早に大広間を出て行った。

 行きは羽黒山から早馬を乗り継いで一日で古河に到着した信長殿。五十を超えたというのに元気なお方だ。流石は父上の親友なことだけはあるな。

 帰りは海路で、少しは休んでもらいたいものです。


 「しかし、そのアントニオ卿とやらが本当に大友の庇護下にいるとしたら厄介ね。どうやって身柄を渡してもらおうかしらね」

 「大友殿と当家は、別段付き合いがあるわけではありません。理由や経緯がどうであれ、こちら側が何かしらの要求をしたら、なにかしらの対価を求めてきそうではありますね」


 国力、兵力はこちらの方が圧倒的に大きいでしょうが、特に境を接しているわけでもない大国同士。向こうとしては吹っ掛けられるだけ吹っ掛けてきそうで……はぁ、面倒この上ない。


 「……大御所様、景基兄上、結局の所、大友が厄介払いをしたくなればよろしいということではないでしょうか?」

 「厄介払いを?」

 「左様です。信長から聞いたエストレージャ卿の話ですと、かのアントニオ卿を手引きしたのはポルトガルとジェノバの商人です。彼らは利益に忠実な、少々不道徳な噂のある商人達です。そこをつつけば、大友殿も彼らを庇う気が無くなるのではと思いついた次第です」

 「……具体的に何か聞いているのですか?仁王丸?」

 「具体的には未だ……されど、かの商人の中には奴隷商人、人買い、人売りを主な商売とする者がいると聞いておりますれば、そこを利用出来ぬかと考えます」


 人買い、人売り……情勢が落ち着いた東国では、消え去って久しい商売ですが、お爺様や曾爺様が若い時分には奥州でも一部の領主が、戦のついでに女性や童をかどわかし、女郎屋を経営したり、領民に売り飛ばしたりしていたと聞きます。

 大身や由緒ある家はそのようなことはしなかったようですが、国人領主などと自称する武装村の者達などは、そういった悪行に手を染めている者が多かったとか……それこそ、父上が討伐なされた岩城家などではそのような行為が資金源だったとも聞きます。


 ……たまりませんね。私にも娘が産まれたばかりです。

 美波がそのような目に遭うと考えただけでも、怒りに我を忘れそうになります。


 「人買い、人売りですか……そのような外道な行い、大友領では大々的に?」

 「どうでしょうか。それほど大々的にとは聞きませぬが、私でも噂に聞くぐらいです。ある程度の規模では行われているのではないでしょうか?」

 「……西国では、安芸を中心に大友家、尼子家、長曾我部家が争いを繰り広げています。その戦の折の乱取りでなくて?」

 「……裏はとれておりませぬが、領民の売り渡しをしている領主もいるとかいないとか……」


 !!

 なんと……。


 己の手足を切り裂き売り払う……。

 そのようなことをしてどうして、己の足で大地に立つことが叶うというのだろうか……。


 「そのような汚らわしい商人達は東国には出入りしていないでしょうね!?」

 「はっ!そのような話は聞いたことがございません。……そもそも、東国のヨーロッパ商人達はスペイン人。かの国はここ数十年は人売りを本国のみならず、海外の領地においても禁じております。人買いの方はまだあるようですが……ただ、日ノ本の東国では人売りの市も立っておりませんから、その心配は無用かと……」

 「一丸!仁王丸はそう言っていますが、念の為です。各市への立札、各城への通達、当家にゆかりのある諸将への通達。人売り、人買いは固く禁ずる旨を徹底させて!」

 「はっ!大御所様の御命令すぐにも徹底させます!」


 私は一礼をして、奥の丸の居間を退出し、事務方が控える本丸執務部屋へと向かう。


 「おお、これは景基様、わざわざこちらまでお越しとは如何なされましたか?」


 丁度良かった。今日は業平が執務部屋に詰めておったか。

 中丸がおれば話は早いと思ったが、業平がおるのなら、それもまたよしだ。


 「済まぬな。少々、大御所様より急ぎの御命令が有ったので、私の方からお邪魔した」

 「左様でしたか……それでは早速お話しを某が承りましょう」


 業平は執務部屋の己の机に座り、墨と紙を用意して話を聞く態勢を取っている。


 「私も詳しくは知らなかったのだが、上様より、大友領ではポルトガル商人による人売り、人買いがそれなりの規模で行われているようだとお話しがあってな。それを聞いた大御所様が烈火のごとくお怒りになられ、領内の悉くに人売り、人買いの禁止を周知させるよう命じられたのだ」

 「……なるほど……」

 「なるほど?」


 なんぞ理由がるのか?


 「ああ、いえ、私は大御所様とほぼ同年でして、生まれも越後ではなく、棚倉でござます。ですので、少々は昔の事を知っておると言いますか……その、大御所様の初陣というのは、当時の 都都古和氣神社で行われていた人売り組織が相手でしてな。未だ童だった大御所様は、知り合いがその組織の被害に遭ったとか聞き及んでおります。……大御所様にとってそのような所業は許さざるものなのでしょう。相わかりました。この業平、確と御命令を徹底するように手を尽くしまする」

 「済まぬがよろしく頼むぞ。大御所様は、各市での立札、各城への通達、東国の諸将への申し渡しを厳に命じられた」

 「はっ。しかと……しかし、その話、大友領のことは、上様から齎されたと?」

 「ああ、そうだが……?」

 「左様でございますか。いえいえ、深い意味は御座いませぬ。何故に上様が大友領のことをご存知だったのかと……」


 ふむ。そういえばそうか……。


 「そうは言うが、上様は独自にフアン殿を初めとするヨーロッパ人と交流がある。その伝手で何かを聞いたのではないか?」

 「……そうですな。上様は非常に達者なスペイン語を話されますからな。うんうん」


 ……なにやら、業平は心配しているようだが?

 なに、上様は昔から曲がったことが御嫌いであったお方。

 中丸からは、よく私が融通が利かぬ石頭だ、などと揶揄されるものだが、実際の所は上様の方が、俺の何倍も頑固であるからな。

 そういうた意味でのおかしな付き合いがあるようなお方ではあるまい。

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