第126話 棚倉にて
天正十年 師走 諏訪 伊藤伊織
季節も冬となり、諏訪もめっきりと冷えて来た。
本丸天守から臨む諏訪湖はまだ凍ってはいないが、朝夕の冷え込みは厳しく、火箭暖炉の火を落とすことは無い時間が続く。
「お目通りかないまして恐悦至極。某、
年は俺の十程下であろうか。
立派な所作をしたお人だな。
「畏まないで下さい。私は伊藤家の一門であるというだけすから……と、そういえば、このような会話も重治殿と初めて会った時にもしましたかな……」
「左様でございますか……」
そうか、重治殿が亡くなったのか……。
しかし、こちらの明智殿というのは、確か信長の話で……。
「そういえば、明智殿は一時美濃を離れられ、足利家に仕えていたとか聞いておりましたが?」
「はっ。身の上話とはお恥ずかしいものですが少々、……明智家は土岐家に通ずる武家として、長年、東美濃に住み着いておりました。父と叔父の代では、土岐家から
ほぅ。
土地を捨てたことを悪びれもせず、主君の治政が悪いと言い切りますか。
中々に見どころがある人物のようですね。
「
「ほう、それほどのことをお一人で教えておられましたか、大したものですね」
「いえいえ、それほどのことは……所詮は母と妻子に数名の家臣たちを養うためだけの代物でございました……して、そのような時に竹中殿が私の下に現れ、「共に美濃を立て直す仕事をしてくれぬか」と誘ってくれましてな。……はじめのうちは断っていたのですが、話を聞けば、どうやら義興様も行状を改められ、政に精を出しているとのこと。それならばと五年ほど前に美濃へと戻ったのでございます」
話しぶりも落ち着き、筋も通っているようですね。
……小太郎の話では、重治殿は稲葉殿と明智殿の権力争いの中で命を落としたようだ、ということでしたので警戒をしていたのですが……。
「そうですか、それでは、今後は明智殿の下で美濃の方々は力を集められるということですね。結構なことです。東山道は信濃から美濃へと続きますからね。斎藤家の方々には領内の発展に尽くして頂きたいものです」
「……そのことでして……」
我が意を得たりとばかりに話を繋げる明智殿。
目線で人払いを要求しますか。
「すみませんが、勝頼以外の者は、少々席を外してください」
「「はっ!」」
「……」
明智殿は、多少不満げな様子ですが、こちらとしても勝頼を外す気はありません。
なにより明智殿は斎藤家の臣、勝頼は伊藤家の臣にて、東山三国の軍統括なのですから。
「で、どのようなお話しですか?」
「徳川家のことと、お恥ずかしながら美濃のこととなります」
おや?
てっきり、稲葉殿との何やらを話したがっているようだと思ったのですが、徳川までが絡んできますか……。
どうぞ。
目線で先を促す。
「徳川家が今年の春に大和へ出兵したことは記憶に新しいところだとは思うのですが、……その大和遠征軍、近々、伊勢は北畠に攻めかかる由」
「……名分は?」
「三河より大和へ送る物資の横領と荷駄隊守備の
「「呪殺?!!」」
それはなんとも古風というか、時代錯誤というか……五百年前の権力争いの名文ではないですか。
「流石は徳川家だな。呪殺を理由に戦を吹っ掛けるとは恐れ入る!三条といえば、儂の父の正室が三条家の出であったために、儂自身も縁がまるっきりないというわけでもないのだが……しかし、明智殿。そのような馬鹿げた理由で戦を始め、数多の兵士の生き血を流すことが京の公家どもの間ではまかり通るのか?」
「普通なら、一笑に伏されて終わりでしょうが。此度は確かな物証があるのだとか……で、話を戻しますと、その物証を見つけたのが、まぎれもなく当家の
おや、話が何重にも回ってきますね。
「稲葉殿のご正室は実綱卿の御実父、
「それが物証だと?……どうにもきな臭いとしか思えませぬな?伊織様」
「もしかしたら、その人形自体は本物かも知れませんが……結局は大和平定で功のあった徳川に融通を利かせたということなのでしょうね。……しかし、そのような下種な芝居に斎藤家の臣が関わっているというのは、少々、伊藤家としては納得いきませんね」
京の連中と徳川がやる分には「好きにしろ」で終わる話ですが、当家に臣従しているはずの斎藤家の重臣が、嬉々としてそのような企みに加わっているようなら……。
まぁ、それだけを理由に戦を云々とか、処罰云々とは言いませんが、気分は良くありませんね。
「某が言いたいのもその事でして……この世は戦国乱世。すべてが公明正大、綺麗ごとばかりで進むとは考えてはおりませぬが、このような下種な行い、決して立場ある武家が行うようなことでは御座いませぬ!」
「おお!明智殿!光秀殿!儂も全くの同意見だぞ!」
おや?
この二人は意外と馬が合うのでしょうかね。
「この世がここまで乱れたのは、力ある武家が節制の心を持たず、己の欲にまみれて身勝手な行動を始めたがため。某は短い間ですが、義輝公の下に仕えた期間で、そのことを痛感いたしました!……重治殿が義興様を教育しなおし、伊藤家の力を借りつつも美濃にて良き政を行ってきたと思っておった矢先に……某は悔しい思いでいっぱいで御座る!」
「わかる。わかるぞ!光秀殿!儂も光秀殿と同じ志を持つが故に、こうして伊藤家の旗の下で戦っておるのだ!」
……言いたいことはわかりますが、どうにも行き過ぎですね。この二人は。
「明智殿……あなたの言いたいことは理解したつもりです。伊藤家全体としての考えは上様と大御所様にお聞きしなければなりませぬが、あなたが天下の正道を歩むためになされる行動であるのならば、私は理解を示しましょう。隣領を預かる者として、そのことはお約束しましょう」
「忝いことでございます!!」
1583年 天正十一年 春 棚倉
「そう!そう!そう!ほれ!若様、気張りなされ!左!右!左!左!」
かんっ、かんっ、かんっ!
左!右!左!左!
眼の前の鬼婆の掛け声と振りに合わせ、休まずに受けを取って行く。
ぱか~んっ!
おお!い、痛い……。
「若様、今、何ぞこの尼のことを「鬼婆」とでも考えましたかな?」
「いえいえ!滅相も御座いません!!」
ぶんっ!ぶんっ!
首が引きちぎれんばかりに、全力で首を振って否定の意を示す。
ここは命を賭けるべき場所です。
「まぁ、良いでしょう。……しかし、若様は八つになったばかりというのに、大した腕前ですな。多少、力が劣ってはおりますが、十分な稽古量を感じられます。今後もこの勢いで精進なされませ」
「はっ!ありがとうございます!」
ここは棚倉の鹿島神宮。
ひょんなことから知り合いになった戦国最強婆……。
ぎろっ!
……もとい、戦国最強尼様の妙院尼こと赤井照子姫は、ここ鹿島神宮にて病床の上泉信綱様の代わりに奥州伊藤家の剣術指南役を買って出てくれている。
伊藤家全体としての剣術指南役は、今まで通りに利益が務めているのだが、前原弥五郎の不始末の責任を取り、剃髪した上で、領内各地の鹿島神宮を休みなく回り、伊藤家の一兵士に至るまで、多くの者達に剣術の手ほどきをしている。
剃髪して反省、心を入れ替えて……といっても道号が
ただ、幼なじみの永福に言わせると「あの道号はただの照れ隠しですな。慶次郎は心底反省をし、二度と弥五郎たちのような若者が出ぬようにと領内を回っているのですよ」などと言っていた。
心優しい利益らしい話だとは思うけれど……瓢戸斎はやりすぎだと思うんですよね。うん。
「……よし。こっちも終了。みんな、よく頑張った」
「「はいっ!」」
輝は、俺に対しての指導が甘くなる、という理由で俺の指導には携わらず、この春より俺の世話係兼、女中塾の生徒として奥州にやってきた、忠峰の娘の梢、業平の娘の笙、妙院尼の孫娘の甲斐の三名を鍛えている。
「輝子様!今日こそは一本頂きますよ!」
「ふんっ。その意気は良しと言いたいところだけど、まだまだ一本をくれてやるわけにはいかないね!」
「「いあやぁっ!」」
妙院尼から解放された俺と入れ違いに、元気よく打ちかかっているのは獅子丸の娘の沙良だ。
今年で二十三になった沙良は、俺の世話係筆頭として、梢、笙、甲斐の三名を手下の如く扱っている。
ちなみに、彼女の手下はここにいる三名の他、まだ嫁に行っていない前世の俺の娘、八名全てらしい。
……美月は沙良より年長だったはずだよな。何がどうしたっていうんだ?
「おお!やってるね!沙良ちゃん、オラ~!」
「オラ~!美月ちゃん!」
どうしても妙院尼から一本が取れない沙良。
床に胡坐をかいて、頭を毟りながらも美月の挨拶には応えている。
……「オラ」などとスペイン語で挨拶をしている二人。
実は、美月の方はソコソコ喋れるようになったが、相変わらず沙良はしゃべれないという事実。
言語って血じゃないんですね。太郎丸さんはちょっと新発見です。
「ちょっと見てたけど、沙良ちゃんは、まだまだ動きを目で追っちゃってるね。目で見る相手は幾らでも騙せちゃうんだから、もっと気配を感じる稽古をしないと駄目だよ?このままじゃ、輝子様の良い暇つぶしのままだと思う」
「ええ?!けど、気配って難しいよ。……輝様も輝子様も、勿論、美月もだけど、皆、その気配すら偽って来るじゃない!」
「そりゃそうじゃ。儂らが沙良程度に気配を察せられたら、お役目御免になってしまうわい」
「それじゃどうすればいいのよ?」
「「修練あるのみね(じゃな)」」
うむ。
達人には凡人が感じる壁という物がワカラン場合が多々あるんですね。
「って、そうだった。父上!さっき城から連絡が来て急ぎ戻って欲しいって言付けが……」
「「父上??」」
「ん?……ああ、若殿!」
美月よ……俺も人のことを言えないけど、お前もうっかりさんだよね。
俺が前世の記憶持ちってことは、奥州の血族にしか話してないのですよ!……たしか。……たぶん?
「おお、伝言確かに受け取ったぞ、美月。……それでは、妙院尼様。合い済みませぬが、今日はここまでで……輝、行くぞ」
「……はっ!」
輝は俺の警護も兼ねているからね。
沙良たちは予定通りの時間までここで修行していて構わないが、輝だけは常に俺の傍にいることになっている……。阿南からも口酸っぱく、輝から離れないように言われているしな……。
鹿島神宮の若衆から渡された冷えた手拭いで、汗をかいた身体を軽くだけ拭いて馬場に向かう。
道場から井戸のある水場を通り、裏門を抜ければ馬場だ。
馬場では一頭の葦毛が俺を待っている。
「おぅ!来やがったか、いつでも準備は出来てるぜ?」と言いたげな、ちょいニヒル声が聞こえてきそうな葦毛。狼牙丸と厨二魂全開で名付けた四歳牡馬である。
普通ならこのぐらいの年の牡馬というのはヤンチャ盛りで、力も有り余っている以上、俺のような子供が乗るのには向かないんだが、どうしてか、コイツとは去年に白河の牧で出会った時からお互いに「相棒魂」のようなものを感じた。
そろそろ、俺の身体も大きくなってきたので、乗馬でも始めるかと思い、白河の牧へ愛馬探しに行ったのは去年の秋口だったかな?
鶴樹の大叔父が初めに連れてきたのは八歳の牝馬だったんだが、……俺がその牝馬に跨って、牧童に轡を取ってもらいながら感触を確かめていたところ、「ヘイヘイ坊主!そんなお淑やかちゃんじゃなくて、俺のような牡馬中の牡馬に跨ってみねぇか?」とばかりに、結構離れた放牧地からこの狼牙丸が飛んできた。……実際に、俺の背丈の倍ぐらいはある柵を二つ三つ飛び越えて、来たんだったな。
鶴樹の大叔父はじめ、皆が驚いて、狼牙丸を俺から引き離そうとしたんだが、どうにもコイツの目が話しかけてきているような気がして目が離せなかった。
実際に、今も俺たちの間では会話が出来ているような気がしているしな。
「さて、お待たせしたな狼牙丸。羽黒山に帰るぞ」
俺は狼牙丸の首筋を軽くたたいてそう声を掛ける。
「なぁに、鹿島神宮の小屋にはカワイコちゃんが揃っていたからな。お嬢ちゃん方と草でも食いながら世間話をしてれば時間が過ぎるのはあっという間よ!」
なんともハードボイルドなオーラが漂いまくる牡馬である。
繰り返し言おう、牡馬である。
よいっしょっと。
伊藤家の男子たる俺は、今生でもこの時代の平均よりは大きな体をしているとはいえ、未だ八歳。
体高が四尺前後の木曽馬というか、在来馬というか、他家での一般的な馬ならなんとか一人で跨げるかも知れないが、当家が繁殖している軍馬の奥州馬は、それらよりも確実に一回り以上大きいからな。
特に、鶴樹大叔父が丹精込めて育てている白河の牧の馬たちは、その中でもひときわ体格が立派な馬たちが集まっている。
前々世のサラブレッドには遠いけれど、体高の平均は五尺近いんじゃないか?
狼牙丸も五尺は優に超えている……って、軽く小柄なサラブレッド並みか??
ともあれ、そんな立派な馬体をしている狼牙丸に跨るには介助が必要なのです。
いつもありがとう、輝さんや。
感謝の眼差しでにっこり頷く、俺と輝。
うむ。
声に出さずとも通ずる、この夫婦的な阿吽の呼吸よ。
「では、羽黒山に戻るとしようか。藤吉郎が急いで戻ってきて欲しいというのだ。厄介事の匂いしかしないが……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます