第125話 戦国最強伝説

1582年 天正十年 秋 古河


 「うむぅ。江戸周辺を当家が領することになるならば、紡績工房を畑から一貫して一帯に建てるのは効率的だと思うんだけどなぁ」

 「左様ですなぁ。だが、上様がおっしゃられるように、江戸は交通要衝ですからな。巨大城下町としての開発の可能性も十分にあるとは儂も思いますぞ?」

 「まぁね。江戸は関東の湾奥で海上交通の便も良いし、内海を利用した地域開発にも適してはいるだろうけどさ……ただ、それだと、やっぱり川が邪魔になると思うんだよなぁ」

 「多摩川、荒川、利根川ですかな。若殿の懸念はわかりますが……しかし、儂としては上様の仰られるように、そのあたりは開発が進んでから考えられてもよろしいとは思いますぞ?」

 「うぅん……」


 今日は機織りと紡績機のプレゼンを評定で行ってきたのだが、皆の反応が今一つでどうにも納得がいっていない太郎丸です。こんにちは。


 ……


 綿布……弱いかなぁ、産物として。

 一応は産業革命の主役ですよ?トマス=モアの「羊が人間を食う」ですよ……?

 まぁ、そっちは羊毛ではあるけどさ。


 「ともあれ、若殿が奥州である程度の結果を紡績で出されれば、上様を初め、評定衆の皆様も家老の皆様もご納得することでしょうよ。それよりも、今は孫さんの店でうまいものでも食べて、気分を一新いたしませぬか?藤吉郎は腹が減って仕方ないものでしてな!」


 前々世の信長も、こうした秀吉の気遣いが気に入ったのだろうか?

 相変わらず主君ヨイショの上手いやつである。


 「……えぇ……そ……だって……!」

 「いや……そ……駄目……すみま……」


 ん?


 思わず藤吉郎と目を合わす。


 午前の評定が終わったので、気分転換に孫さんのお店へと、古河城から東の掘りを渡り、新市街地奥のここに来たのだが……なにやら、孫さんのお店の前で言い合いが行われている模様。


 尼姿の妙齢のご婦人とその孫娘らしき二人、それにお付きの者が三名ほど……どこぞの家の方かな?


 「む!……あの尼さん……出来る!」


 おや?紡績に関する俺たちの会話には一切口を挟まなかった輝さんが、あの尼さんに反応しているとは。……そんなに達人級の方なの?あの尼さんって。


 「どこぞの御家中の方なのでしょうかな?どうにも、店と揉めているようですが……」

 「う~ん?けど、孫さんの店ってさ。母上の息が掛かった者しか店の従業員にいないだろ?どうして客と、しかも武家の方と揉めるようなことに……?」

 「……そうですな。景文院・・・様のご教育を受けてきた方々な筈ですからな……ここは一つ儂が様子を見てきましょうかの……」

 「いや、いいさ。どっちにしろ店には行くのだから、どういった様子なのか聞いてみようよ」

 「そうですな。若殿がお尋ねなさるのが宜しいかも知れませぬな」


 俺は二十段ほどの石階段を素早く登り、店の前で問答をしているお客さんに声を掛けた。


 「尼様、如何なされましたか?何かお困りのようでしたら……?」

 「あ!若様……」


 一行と問答をしていた店の女中さんは、俺に気付いたのか、一礼して軽く下がった。


 「おや?坊ちゃんはこの店の若さんかい?……う~ん、ん?」

 「この店の人?!なら丁度いいじゃない!おばあ様!……ねぇ、ちょっとあなた!酷くない?」

 「と、いきなり言われましても……」


 年のころは俺の二三歳上かな?前々世で言うところのポニーテールに髪を纏めた女の子が元気よく俺に食って掛かって来る。

 ……ポニーテール……良いよね。俺も輝が稽古中にするあの髪型は美しいと思う……って、いかんいかん。今は軽いピンク色の物思いにふけている場合ではないな。


 「で、どういうことだい?」


 俺は女中さんに説明を求めた。


 「は、はい。こちらのお客様が、本日のご予約をなさっていたということなのですが……あいにく本日は貸し切りでございまして……」

 「それよ、それ!おかしいじゃない!だって、私たちは美味しいと評判のこの店の明料理を楽しみに、半年以上も前から予約しているのよ?しかも、父と叔父様方の連名で!」

 「そうじゃのぉ。……前回の正月に来た時には飛び込みであったがために、貸し切りで席がないとの言い分も聞いたが、今回はきっちりと予約をしてきたのじゃ。……こういうことはあまり感心せぬぞ?」


 ム?予約済みのお客さん??

 こういうことはきっちりしてる店だと思うのだが……。何より、この店の経営方は母上や姉上、阿南の手が入っているのだが……。

 って、もしかして……。


 「尼様、お嬢様。少々お待ちを……」


 そういって、俺は彼女たちと距離を取り、女中さんに手招きをしてみる。


 「もしかしてだけど、今日というか、今回の評定で俺達が来るのって急だったっけ……」

 「いや、あぁ……その……確かに、秀吉様よりご連絡を頂いたのが二十日ほど前のことでして……急といえば急かとは……ただ、こちらのお客様にも、急遽ではありますがお断りのご連絡を差し上げてはいるのですが……」

 「連絡の行き違い?」

 「……かと思われます」


 ……ことの発端は、紡績機の発明でテンションが上がって古河行を急遽決めた俺だった模様……。


 「何か事情は分かったの?!」


 腰に手をやり、ふんすっ!、とでもいった擬音が聞こえてそうな恰好を為されるお嬢さん。

 いやいや、それほどドヤられても困っちゃうのですが……。


 「はい……えぇと……それで失礼ですが、尼様とお嬢様のお名前を聞いても?」


 そう、ここ孫家飯店は古河の一流店。

 いわゆる一見の客や紹介が無い客は予約などは出来るはずがない。きっと、彼女たちもそれなりの家の方のはず……俺のことを知らないってのは……って、こっちも彼女たちのことを知らないけどね。

 俺の前世の記憶が飛んじゃったというわけでもないだろうしな……。

 そうすると、どっか新規領地の武家の方なのかな?


 「私は甲斐!伊藤家の家臣、忍の城代を務める成田氏長なりたうじながの娘よ!」

 「私は妙院尼みょういんにと申します。息子は伊藤家家老の大道寺様の家臣にて横瀬国繁よこせくにしげ顕長あきながと申します……して、あなた様はこちらの店の?……失礼ながら、その割にはお腰の物が年に似合わず立派で……」


 おお、成田さんちと横瀬さんちの縁者ね……って、うん?


 おおおお!

 もしかしなくても甲斐姫に赤井輝子!!

 まさかの、戦国最強婆さんとその孫娘か!


 「ぬ?小僧、何ぞ失礼なことでも考えたか?」


 きらんっ!

 と目を光らす妙院尼様。


 ……どうして、達人って俺の思考が読めるのだろうか……姉上といい、姉上といい、姉上といい……。


 「おおっと、お待ちあれ、お待ちあれ!尼様!何やら、うちの若様が……」

 「……」


 思った以上にまごついてしまっていたのか、ゆっくりと石段を上がってきていたはずの藤吉郎と輝が、いつの間にやら俺の前に身体を入れて来た。


 って、輝さんや。さりげなく達人オーラを出すのはお止めなさい。


 すっ。


 俺は片手を上げ、軽く二人を制して前に出て、二人に頭を軽く下げる。

 この二人は身元もしっかりしてるんだ。俺が名乗り出てもおかしなことにはなるまい。


 「いや、これは失礼いたしました。私は伊藤元清が嫡男、太郎丸と申します。産まれてこの方、ずっと奥州におりましたので、お二人のことを存じ上げかねておりました。申し訳ございませぬ。平にご容赦を……」


 立場が上の者が先に謝ってしまう。

 手っ取り早くトラブルを解消する日本人的対処法である。

 前々世では、「欧米では先に謝った方が負け」なんて間違った言い方も流布していたけれど、圧倒的立場の違いがあるのならば、力ある者が先に頭を下げる方が楽に処理は進むのは万国共通よね。


 「「!!!若様!!!」」


 おお!いかんいかん!


 俺の素性を知って、思わず膝を折りそうになった二人を押しとどめる。

 ここは外なんだからね。そんな格好をしたら着物が汚れちゃうよ。


 「そのような挨拶は無用。ここは城ではなく、外なのですから……しかし、こうしてお二方と出会えたのも何かの縁。もしよかったら、昼でも共にしませんかな?そちらはお供の方を入れても五名、それならば、孫さんも十分に対応出来ましょう……藤吉郎!」

 「はっ!」


 藤吉郎を呼んで小声で伝言。


 「……もともと、この二人は今日に予約をしていたみたいで、割り込んだのはこっちみたいだし……申し訳ないけど、孫さんに人数が増えたけど大丈夫か聞いてきてくれる?ってか、うまいこと伝えてくれ!頼む!」

 「はぁ……確かに、こちらも立場というか。伊藤家としての力で借り切ったわけですしな。承知しました。孫さんたちには上手いこと言うておきましょう……」


 流石は戦国一のトラブル解決屋さんである。

 こんな些細なトラブル解決もお得意の藤吉郎さんである。


 「ささ、どうぞ。私の店というわけではありませぬが、ここは私とも縁深き者達がやっている店です。さぁどうぞ、ご遠慮なく……」

 「……では、若様のお言葉に甘えまして……」

 「……失礼します」


 おや、甲斐ちゃんはお淑やかモードかな?

 お可愛らしいことですな。


天正十年 秋 古河 伊藤景広


 「……上様は父上の提案は気に召しませんか?」


 午前の評定が終わっての昼餉休憩。

 奥の丸の居間では、上様、大御所様、兄上と俺の四人で昼飯を共に食っている。


 「別に、私は太郎丸さ……太郎丸の発案が気に食わないというわけではないですよ、景基兄上。ただ、紡績は大きな作業となり得るだけに、土地と人がこちらの予想を超え、手綱を握れぬ事態となってしまうのを恐れているだけです。……まずは、交通の要衝としての機能、江戸城の改修と城下町の整備をしてからでないと、江戸を今以上の混乱に陥れてしまうだけだと思っているのです」

 「……確かに、上様の御懸念もわかりますが……」

 「まぁ、良いではないか兄上!佐竹殿からの話では、やはり江戸引き渡しは鹿島の件が片付いてからなのだ。新水路の建造は少なく見積もっても一年以上はかかるというもの。それまでにゆるりと、意見を戦わせて行けば良いでしょう」


 ふぅむ。

 どうにも、父上が関わると、兄上と上様は意見を無駄に戦わせてしまうな。

 ここは、俺が二人の間に入り、衝撃を和らげねばならんか。


 「そういうことね。まずは鹿島の新水路、運河の建設よ。……それを見越して、私は守谷の津に私の隠居城を建てようと思っています」

 「な!……大御所様!隠居なされるのですか?!」


 勘弁してくれよ!

 大御所様がおられるから何とか纏まっておるというのだが……大御所様がおられなくなった中で、上様と兄上の間を取り持つとか、やってられんぞ!


 「いやね。景広。……あなたも言った通りに、すぐにどうこうなる問題ではないわよ。ただ、今から動いておかないと、いざ私が隠居した時に、いつまでも古河にいる羽目になりかねないからね。前もって、引っ越し先を作っておくというだけよ」

 「……焦らせないでくだされ……ご隠居様。……しかし、守谷ですか。これはまた良いところに目を付けられましたな」


 守谷は今でも鬼怒川が霞ケ浦に流れ込む合流点の湊として、また、霞ケ浦を通って古河に向かう上陸地点として、水運の要の津として機能している。


 伊藤家と佐竹家は鬼怒川の東西で国境を決めているので、守谷は伊藤家の領地内となる。

 しかし、そこから五里ほど南に行った場所の小金城は佐竹方の城なので、両家の領地が入り乱れた地点ではあるのだが……。


 「確か、守谷ではよく大御所様や母上が集まられて、夏の涼をとっていたと聞いております」

 「……そうね。父上やお爺様達が古河で難しい顔で話し合いをしているのを横目に、しょっちゅう母上と一緒に守谷に行っていたわね。……なにより、あそこには下野で作られた砂糖がいち早く届けられる場所だったのよ。……そうかぁ、守谷で菓子作りなんかをみんなで集まってやっていたんだもんね。懐かしいわぁ。……そうね、私も五十六、母上に至っては七十か……」

 「何をおっしゃいますか、大御所様。大御所様はいつまでもお若く美しい!景文院様、婆様も矍鑠とされ、いつまでもお元気ではないですか。この景広、いつまでもお元気なお二人に囲まれ、幸せでございますぞ!」


 そう、物思いにふけられるのも結構ではありますが、未だ日ノ本には解決せねばならぬ課題が山積みなのです。まだまだ、お元気でいてもらいませんとな!


 「そうね。まだまだ、老け込む年でもないか!今でも、一日一日と新たな剣の気づきがあるぐらいですものね!……と、剣といえば、太郎丸の剣の手ほどきは結局誰がやることになったの?」

 「……さぁ?……景基兄上はご存知で?」


 ふぅ。どうにも上様、いやさ仁王丸はな……。

 これは父上のことであるが、仁王丸にとっては自分の息子のことであろうが!


 「……領内から見どころのある若者二人を見つけて棚倉の鹿島神宮にて、上泉様の手ほどきを受けさせていたのだが……結局潰れてしまいました。己の腕に溺れ、狼藉を働いたかどで、同門の者達に討たれました。責任を取り利益殿が剃髪をし、自分が太郎丸様の指導を行っていくとのことです」

 「では、利益が太郎丸に付いて……って、今回は同行していなかったわね」

 「はい。利益殿の修行は、身体が出来上がっておらぬ父上には早いとして、あと四年ほど、十を超えるまでは輝殿が基礎的な体の動かし方を教えるのみで済ますとのことでございます」

 「そう、輝がついて教えるというのなら問題は無いわね。ここは輝に任せましょう」


 そうだな。

 輝様は大御所様、利益様と並んで伊藤家最強のお方だ。

 俺も勿来時分は、よう扱かれたものよ……そのおかげで、それなりの腕前になれたとも思っておるがな。


 「太郎丸の話は良いとして……」

 「「……」」

 「南部のことはどう決着を着けますか?信直殿には津軽を?」

 「……そうですな。私が輝宗殿、政宗殿と話おうた所では、三戸城と毛馬内、七戸のあたりを晴継殿、八戸城、野辺地城、田名部城をそれぞれの南部緒流に、津軽を石川城を拠点に信直殿、檜山城と大舘城のあたりを安東殿に安堵し、蝦夷地は伊達家が、染川・久保田を当家が治め、角館・横手は最上に任せてはどうかと考えております」


 ……仁王丸はどうしてここまで、父上のことになると変な方向に拘るのであろうか。

 まぁ、いい。結局は親子のことだ。時が解決してくれよう。


 「染川・久保田は飛び地となりますな。……七尾も飛び地ではありますが、こちらは更に遠い」

 「いや、そうとも言えんのだ。中丸。……私が整備を計画し、今は父上にお譲りしている事業。阿賀野川を使っての水運を使えば、会津より新潟を通って、丸二日強で道は繋がる。城に物資さえ溜めておけば、兵員の輸送だけで軍が動かせるのだ」

 「確かに……ただ、兄上。一万の兵をいっぺんに動かすのには、百隻は少名が必要だぞ?流石にそれほどの少名を七尾で維持し続けるのは不可能だ。それに阿賀野川は小船での移動となろう。さすれば、一船に二十人が精々。……のべ五百隻……昼夜問わず動かしても、新潟に集めるまでに十日以上は掛かろう。やはり飛び地は難しいのではないか?」

 「しかし、ある程度の拠点は当家も抑えなければ、太平洋岸と日本海岸の航路がいつまでも繋がらん」


 兄上の意見もわかるが、染川・久保田で城主をやらせても良い人材などは……。


 「……いま、ここで結論を出さなければいけない問題でもないでしょう。まだ、時間はあるのですから、叔父上方とも知恵を出し合って行けば良いのではないかしら?」

 「……左様ですな。大御所様。これは、私も結論を焦ってしまったようです。ゆるりと考えて行きましょう」


 そうだな。

 江戸の話、鹿島の話、南部領の話、日本海航路の話……まだまだ片づけなければいけない話は山積みなのだ。

 一つ一つこなしていこうではないかな。

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