第124話 鹿島運河建設計画
天正十年 盛夏 古河 伊藤元景
じ~っ、じじじっ、じっ~。
じ~っ、じじじっ、じっ~。
なにやら、今年は過ごしやすい夏ね。
阿武隈育ちの私としては、古河のうだるような暑さは苦手だから、今年のような冷夏は歓迎したいところ。けれども、冷夏の年は米のなりが悪いともいうし……何事も一長一短ね。
「……という次第にて、計らずも上様と大御所様には事後のご連絡となってしまいましたこと、誠に申し訳なく。平に、平にご容赦願いたきことでございます」
今日も今日とて、家康殿の長口上は続く。
本当に、もっと簡潔な形で話すことが出来ないのかしらね?
「家康殿の仰る内容は承った。謝罪も受け入れよう。ただ、今後は境を接する国として、軍を興すことに関しては、あらかじめの報告を頂きたいところだ」
「いやいや、それは正に上様の仰られる通りに御座います。私は此度の一件が朝廷より齎されたこと故、慎重に慎重を重ね、万が一にも事が漏れることが無いように対処した故の過ちでございました。我らが徳川家には、欠片ほども伊藤家に二心等は抱いておりませぬ。その点だけは、どうかご理解を頂きたく……」
「……いや、ですから徳川殿の謝罪は承ったと……」
仁王丸も面倒くさそうにしてるわね。
流石の仁王丸をも辟易させるとは、家康殿の口上は、やはり無二のものよね。
「で、その功績によって、徳川殿は右京太夫に叙任されたとか?次は細川家を討伐するよう下命されましたかな?」
一丸も面倒事はとっとと終わらせたいのか、前置きを置かずに質問を繰り出してきたわ。
「いえいえ、そのようなことは決して。当家は遠江守と尾張守を拝命していた家というだけです。此度は畿内の混乱を治めるに功有りとのことで、右京太夫を拝命しましたが、それ以上のことは……」
「しかし、本多殿を初め、徳川家の主だった武将は兵と共に大和に残っておるとか?次の戦の相手が河内の細川でないとするのならば、何処の誰となるのでしょうかな?もしかして、当家に臣従しておる六角家ですかな?もしも、そういうことならば、当家としても家康殿とは、また違った話し合いをせねばならなくなりましょうからな」
「おおおぉ!それはどうかご勘弁くださいませ。某の伊藤家への信愛の情、これに嘘偽りは欠片も御座いませぬ。配下の者達が大和に残っているのは、ひとえに筒井の残党への警戒と、筒井によって大和より追放された興福寺の住職たちを無事に大和へ戻すための処置の為でございます」
ここまで流暢だと、今言ったことの半分も本心ではないのでしょうね。
本当に、話半分でも真に受けると馬鹿を見るという物……疲れるわ。
「また、右京太夫は京職の一つでございます。京職は内国職の下に仕えるもの。つまりは当家の軍は三好殿の下知が無ければ自由に動くことは御座いませぬ。……つまり、某の一存で動かす軍では御座いませぬので、その点はご理解を頂きたいと存じ上げます」
「……家康殿の一存ではなくとも、三好殿からの下知で動くこともある。故に、今後の動きは宮中の命なので、当家には口出し無用ということですかな?」
「めめめ、滅相も御座いませぬ。我が徳川家の本姓は上野の源氏を源に致します。つまりは伊藤家と同じ東国武士ということでございます。某の望みは東国の安寧、ただ、そのためには多少なりとも宮中の意向も聞かなければいけない場面も出て来るだけということでございます」
……結局は東国に対しては「宮中の意向」と言い、畿内に対しては「東国武士として」なんて使い分けて、やりたい放題にするのでしょう?
本当に、口だけは達者なお人ね。
家康殿と接するには、その言葉ではなく、行動で判断するのが最善ということ。
家康殿は大和に主力を配置し、その備えを整えたままということが全てね。
「まぁ、良いでしょう。徳川殿もご存知の通り、当家は畿内について一切の口出しをしない方針です。これには変更がありません」
「おお!それは、そうでしょうとも……」
「ただし!」
「……ただし?」
釘は打っておかなきゃね。
「ただし、当家は代々武家としての矜持だけは捨てることなく生きております。……要するに、当家に縋ってきたもの、礼を尽くして頭を垂れたものを無駄に見捨てることはしません。そこの所だけは覚えておいていただきたいと思います」
「……ははっ!この家康!大御所様の思い、この魂に刻ませていただきました!」
……
…………
最後まで大仰な言葉遣いと態度を残して、家康殿は古河を去って行ったわ。
「大御所様、結局の所、徳川家の狙いはどのあたりなのでしょうか?」
やれやれ、といった表情で一丸が家康殿が去った後を見つめている。
「そうね……仁王丸はどう思って?」
「はい。……家康殿は当家によって沿岸部の城を破壊されておりますし、山間の村々は当家に帰順を申し入れているところが大半。故に遠江・三河・尾張の開発や拡張が思うように行っておりませぬ。……まともに機能している城といえば、掛川・浜松・岡崎・名古屋・清州の五城だけでしょう。特にその中でも旧織田家臣の手によって大々的に改修・増築され、改字された名古屋城ぐらいしか発展していないように思われます」
「上様は、徳川家は伸長の場を畿内に求めたと?」
「ええ、そうです景基兄上。……どこまでを歩むかはわかりませんが、あの家康殿のこと。三好家を追いやって、内国大夫の地位を狙っていたとしても不思議ではありませぬな」
「そう考えると、河内の畠山家を攻めるのと同じぐらいの確率で伊勢の北畠家を攻めるかも知れないのね……」
今の北畠とは特別な交流……というか、普通の交流もない状態ではあるけれど、伊勢北畠家は顕家公の弟君の流れ。流石に当家として敵対する気は起きないわけだし、助力を要請されたら断ることは難しいわよね……。
「……徳川、潰しますか?大御所様?」
「……いや、止めておきましょう。今回の件についても、一応は宮中からの命を受けてのことですしね。……先も申した通り、当家は畿内のことには一切関与しません。……例外は当家に臣従してきた者達から救援要請が来た時だけです。後は……北畠家、伊勢は畿内ではありませんが、これに関しては、よほど徳川に非があるような形での開戦以外では当家は口出ししません。良いですね」
「「はっ!!」」
さて、次は佐竹殿との話し合いか……。
最近は今日のように、一丸、仁王丸との三人で、諸将と面会する日が多くなっているわね。
……そういえば、私も家督を継いだ当初は、父上とお爺様の三人で面会をこなすことが多かったわね。
ふふふ。なんだか懐かしいものね。私も年を取るはずよ。
天正十年 盛夏 古河 伊藤景基
「それでは私が義尚殿をお呼びしてきましょう……」
「ええ、お願いするわね、一丸」
「はっ!」
……そういえば、伯母上ぐらいなのかな?、私を一丸と呼んでくださるのは。
母上も今では「景基殿」などと形式ばって私を呼ぶぐらいだからな……。母上が言葉を飾ったとて、どうにも違和感しかないものなのだが……。
私は本丸の大広間を出て、緩やかな階段を降り、一の丸は控えの間に向かう。
当家が築城した古河城は、鎌倉公方が居住していた館から一里ほど東北に向かったところの微高地に建ててある。
東西に渡良瀬川の支流も流れており、堀としても機能させている。
ただ、そこまでの深さと水量があるわけではないので、船を使っての水運利用が出来るほどではない。
小舟での行き来ぐらいは可能ではあるが……。
本丸は微高地の頂上付近に、堀を掘った時の土を盛り土して土台を造成して築かれている。一の丸は西の掘りに面した場所に、東の掘に面した場所には二の丸がある。
また、西に掘を渡れば武家屋敷と旧城下町。東に掘を渡れば、新城下町と工房街。また、商人街は渡良瀬川に沿った形で、武家屋敷の更に西に広がっている。
「お待たせしました義尚殿。どうぞ、本丸までお出で下さいませ」
本丸と一の丸を結ぶ、両脇に柳が植えられた通路を通って控えの間に向かい、義尚殿に声を掛ける。
「おお。わざわざ景基殿がお越しとは忝い。それでは向かうとするか……お女中。結構な茶であった。うまかったぞ」
「恐れ入ります」
静かに頭を下げる女中……!!
……何をやっておるのだ。瑠璃よ……。
「む??景基殿?なにか?」
「あ、いえ、何でもございませぬ。ささ、こちらへ。大広間までご案内仕る」
「……うむ」
瑠璃め……私の驚いた顔を見て喜んでおるな?!
まったく……父上も娘達には甘かったが、私も妹達には甘かったからな。特に母を同じくする千代、椿、瑠璃にはどうしても甘く接してしまっていたか……。うむ、これは良くないな。今度、中丸とも話をして妹達には厳しく接するようにしなければいけない、と言わなければならないのであろうな。
「上様、大御所様。義尚殿をご案内いたしました」
「景基、ご苦労です。ささ、義尚殿、どうぞこちらにいらして下さい」
「……では、お言葉に甘えまして……」
私は上様と大御所様に声を掛け、義尚殿を広間へ促す。
正面上座には、上様、向かって左隣に大御所様。私は義尚殿が上座に正対する形で着座されたのを見てから、向かって右側の壁を背に着座する。
「それにしても今年は暑さも柔らかいものです。上様、大御所様も壮健そうで何よりです」
「義尚殿も……して、御子息の様子はどうですかな?徳寿丸殿は好奇心強く、勉学に対し貪欲な姿勢であると、塾長である随風和尚が言うておりましたが?」
「ははは。どうでしょうな。昨夜に言葉を交わしたところでは、毎日の勉学が厳しく、予習と復習で寝る間も惜しいと言うておりました。特に、自分より年少の上様の息女、麻里殿と鈴音殿には負けられぬと言うております」
「それは良いことです。何より競い合える相手がいるのは大事ですからね」
「ええ、本当に……」
前置きはこのぐらいで良いでしょうね。
さて、本題ですか……。
「して、古河に立ち寄られた義尚殿に城まで来てもらったのは他でも有りませぬ。一つ相談したいことが有りまして」
「お聞きいたしましょう」
「……江戸の地ですが、あの土地は永禄十三年の大嵐以降、復興も難しくどうにも統治がままならぬ様子ですが……」
「左様。大嵐に高波とで、大いに城も崩れ、この十年で多少の修復もしましたが、市街地が復興するまでには……まぁ、当初より、家屋よりも葦原の方が多かったぐらいの土地では御座いましたが……」
江戸の統治について尋ねられるとは思っていなかったのでしょう。
義尚殿も苦り切った表情をなさっています。
「ついては、江戸の土地。当家に復興を担わせては頂けますまいか?」
「……江戸を譲れと?」
「ええ、こう申しては何ですが。江戸は佐竹殿の本領の太田よりは最も遠く、霞ケ浦、利根川、荒川といった大河川や湖沼地帯を越えなければ行けぬ場所。ここは、中途半端な復興による費えを水戸や鹿島といった町の発展のために使った方が佐竹家としても有用なのではないかと思いますが、如何?」
「……上様も随分なことを仰る……。そう、仰ることはわかりますが、彼の地は伊勢家より、当家が戦にて勝ち取った土地。今の当家では手に余るからと言って、簡単には手放せられませぬ。戦で勝ち取った場所を簡単に手放しては、家臣にも示しが付きませぬ」
そうだ。
江戸は佐竹家が伊勢家より戦で勝ち取った場所。
簡単に譲ることは難しかろう……だが、その要らぬ矜持が佐竹家の負担となっているのも事実。
「しかし、義尚殿。江戸の現状は貴殿もご存知だろう。遣わされた代官はいるようだが、満足な農地も城下町もなく、多くは流民が勝手に住み着いているような様子。周辺の村々も多くが当家の庇護に縋っている始末。ここは佐竹家の負担となっている江戸を手放し、代わりに当家からの代替を手にした方が良いのではないだろうか?」
「……代替ですか……どこぞの土地を頂けるので?」
「いえ、申し訳ありませんが土地ではありません。当家がお出し出来るのは土木の技術……どうでしょうか?内海に繋がる鹿島の湊。その浚渫・掘削工事を当家にさせては頂けませぬか?」
「……浚渫ですか?」
どうやら、上様からの提案は義尚殿にとっても意外だったようですね。
「ええ、今の内海、霞ケ浦は一たび中に入れば十分な深さがあるのですが、入り口部分には土が溜り、船が満足に航行できません。もちろん、喫水の深い、武凛久などは持っての他です」
「……」
「今は、鹿島の湊で船と積み荷の乗り換えをして何とか水運を動かしてはいますが、これではどうにも不便で、商人達も鹿島の湊は敬遠しだしているのではないでしょうか?」
「……」
「ここは当家の技術を使い、内海の入り口を浚渫することで、南蛮船を霞ケ浦まで通すことが出来るようにし、霞ケ浦の内側、佐竹領内を大いに発展させることが最善の内政なのでは?」
「……」
義尚殿も心はだいぶ動いているな。
内海の入り口の浚渫さえできれば、鹿島の湊の商業規模は今の何倍にも膨れ上がることだろう。スペインや明の船も直接に石岡や土浦、行方などまでに到達できるかもしれない。
……当家としても守谷の津がより重要な拠点となるやも知れぬ。
「……上様はその浚渫の工事。成功させる算段がおありなのですね?」
義尚殿は絞り出すように声を出した。
「如何にも。私は成功を確信している」
「詳しく聞いても?」
「もちろんですとも……」
上様は脇に置いてあった地図を片手に、義尚殿の前にまで進まれ、地図を広げる。
「工事の方針はこうです。鹿島の湊の南側の入り江から内海までの半里ほどの砂丘に、新航路となる水路を造り南蛮船はここを通します。そうすることで、今の内海の入り口は水量が減り、今度はここを工事することが叶いましょう」
「なるほどな……川口を直接にどうこうするのでなく、先ずは新たな水路を造るということですか……それならば……」
「話に乗ってくださいますか?」
「そうですな。私としては乗っても良いと思います。それならば、正直な所、手に余らせている江戸を手放す良い口実となりましょう……ですが、江戸を正式に譲渡するのは水路が出来てからとなるでしょうが、構いませぬかな?」
「義尚殿がそう約束していただけるのなら!」
「ふふふ。上様から、そこまで信頼していただけるのならば、私としてもその信頼を反故にするわけにはいきませんか……良いでしょう。少々お時間を頂きますが、家臣たちを説得して参りましょう」
「おお、それはなんとも忝い」
「なんの。これも関東の発展ためです。当家でもこの工事の可能性を探るよう奉行を据えることとします。……その者には伊藤家のどなたと話を進めれば良いと伝えれば?」
ふむ、責任者は中丸となろうが、現場は誰が適任か……上様と大御所様には存念がおありなのであろうか?
「責任者は伊藤景広、現場の土木奉行は大道寺直英が務めることになります」
「ほほぅ。大道寺殿のご嫡男か……承知仕った。当家も早急に対応させていただきます……ああ、そうそう。この件とは直接には関係ないのですが……その、鈴音殿。やはり徳寿丸の相手として考えて頂くことは出来ませぬかな?」
「……次女の鈴音ですか」
「はい。息子の恋路をどうこうするのは、如何なものかとは思うのですが、どうやら徳寿丸は鈴音殿と机を並べて学ぶうちに惚れてしまったようでしてな。もしよかったらお考えいただきたい」
「あの子も未だ十二ですが……そうですね、本人の意向も聞いてお返事致しましょう」
「よろしくお願いいたします」
義尚殿は爽やかに一礼をして、広間を立ち去って行った。
徳寿丸殿は十四であったか。
年齢だけで言えば、似合いは似合いであるか。
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