第97話 美濃からの使節

元亀四年 夏 古河 伊藤景虎


 「信濃守様にはお初にお目に掛かります。美濃は稲葉山城城主の斎藤龍興と申しまする。この度は当家の伊藤家への臣従をお認めくださりまして、誠に有難うございます」

 「……丁寧なご挨拶いたみいります。これからは四国連合の元、東国の、日ノ本の安寧の為に働いて下さることを期待しますよ」

 「ははっ~」


 ……相変わらず、元景の奴め、このような謙った挨拶が嫌いなのじゃな。……儂も嫌いじゃがな。

 何より、必要以上に謙る輩というのは、十中八九、腹の中に何かを抱えている者であるものよ。


 ただ、この龍興殿の場合は必要以上に自分への自信が無いから、という気もしないでもないがな。


 「さて、こうして斎藤家と伊藤家は歩みを共にすることになったわけだが……改めて儂から問わせてくだされ。……伊藤家は関東・奥州に拠点を置く武家。美濃とは隣接しておらぬし、当家と斎藤家の間には長尾家もあれば徳川家もある。なにゆえに当家に臣従する気になったのだ?」

 「はっ。その件については……竹中っ!」

 「ははっ。では、私から……」

 「待ってください。私は叔父より竹中殿の意見は聞いた。今は、せっかく当主の龍興殿が古河においでなのです。龍興殿、あなたの口から私は話が聞きたい」


 ふむ。

 元景の申すことはもっともだな。

 わしも、龍興殿自身の口からどのような言葉が紡がれるのか気になる。


 「は、はぁ……」


 当の龍興殿は自信なさげに視線を彷徨わせておるな。


 「殿!ここは信濃守様の申されるように、殿自身のお言葉で思いをお伝えなされ」

 「半兵衛……」


 腹心の竹中殿に背を押されて腹も決まったか。

 これは楽しみじゃな。


 「それでは……そ、その……わが斎藤家は祖父の道三が国を治めるようになり三代目。偉大な祖父、力強き父の尽力で何とか美濃一国を治めることが出来るようになりました。……尾張が清康殿により治められてからは、長年の同盟を結び、良き隣人として過ごしてまいりました。されど、家康殿が松平家……徳川家を継がれてからは、今までのような対等な関係を結ぶことが困難になってしまいまして……」

 「とは?」


 この辺りの経緯は伊織経由で竹中殿の意見を聞いてはおるが、果たして龍興殿はどう思い、どう考えているのか……。


 龍興殿。なにやら、言い難そうにまたしても視線を彷徨わせておるな。


 「殿。信濃守様は当家の状況そのままを知りたいと思っておられるのです。……どうぞ、お心のままにお話しなさってください」


 対朝倉、対浅井、対一向宗と近年の斎藤家の戦のすべてを差配して勝利に導いてきたという竹中殿は噂通りに斎藤家の柱なのだな。

 一見、ひ弱で頼りなさそうな当主と、覇気の無い武将とも評されておるが、どうしてどうして、良い組み合わせなのではないかな?

 こうして見ておる限りでは、妬みと嫉みは欠片も見当たらん主従だしな。


 ふむ。これは意外と面白い買い物だったのかも知れんな。


 「ことの起こりは津島、津屋、長島、桑名の津・湊に関してでございます。これまでは斎藤家もこれらの湊を使用することに何の制限も御座いませんでした。所定の帆別銭を支払えば、後は自由に商いが出来たものです。……このことは清康殿と祖父の取り決め以来、数十年に渡って続いたことです。それが、ある日突然、徳川家より、今後の津・湊の使用はまかりならん、と」


 むぅ。

 手っ取り早く金が必要になったのか?家康め。

 ……まぁ、官位やら家名やら、また、駿河の放棄やお家騒動後の引き締めなどに、銭と利権が必要になったのであろうが……。

 少々、やり方がな。

 それでは、味方が減っていくばかりに思えてしまうがな。


 「美濃は豊かな地。土地も肥沃で山林も豊かです。……ですが、当家はこれまでの数十年間、木曾三川の下流の津・湊で商いをしてきたのです。それを急に止められても……。土地を持つ武士と農民はある程度は大丈夫でしょうが、大垣から稲葉山に至る村々の者達、城下の商人、町人たちは困り果ててしまいます」

 「そのことを徳川殿には?」

 「もちろん伝えました。どうにか、今まで通りのやり方が出来ないものかと……しかし、どのように言葉を伝えようと答えは「否」でした。更に「そのようにお困りなら伊藤家のお力にでも縋れば良いのではありませぬかな?伊藤家は西の大友家と並んで日ノ本では最も豊かなお家。きっとお力になってくれましょうぞ」と……」


 ん?

 当家に臣従するように言うたのか、家康は……。


 伊織も初耳だったのか?微妙に眉を逆立てておる。


 「ほう。当家への臣従は家康殿の勧めもあったということですかな?重治殿?」

 「……私は龍興様と家康様の間の会話は承知しておりませぬ……されど、当家の窮状、徳川には縋れぬ中で、海を使った商いの道を繋げるには伊藤家におすがりするより他はないとの考え。どうぞ、汲んでくださっては頂けませぬか」


 あくまで、家臣は家臣たちでの結論として当家への臣従という選択をした、ということか……。


 状況を考え、海を目指すのであれば、当然の帰結として当家に縋るというのはわかる……だが、家康が仄めかしていたのがな……どういう意図があることやら。

 なにせ、家康は父と祖父を切り捨てて家中を統一したお人だからな。

 警戒するに越したことは無い。

 更に、徳川の家名を名乗るにあたって、京の勢力ともなにがしかの話し合いをしたであろうからな。


 「……後で重治殿には叔父上と話し合いの場を再度持ってもらうとしましょうか。ともあれ、我らに二言はありませぬ。斎藤家の臣従を受けましょう。海路の問題に付いても当家としても、対処させていただきます。……ただ、当面は東山道を強化するのが良いかも知れませぬね。伊織叔父上、現在の東山道の状況はどのような案配ですか?」

 「はっ。先年の台風で破損した個所の復旧は全て終わっており、今のところ利府・塩釜・胆沢と山形・庄内から当家の領内を通り、恵那郡の手前まで。木曽、飯田の両方まで、商いの道は続いております。関も、伊達・伊藤・長尾から木曽家か高遠家の四か所にて……」

 「それでは、早速当家も恵那郡より西の街道整備を、伊藤家の皆様の基準に合わせた上で、始めさせていただきます」


 ははは。

 竹中殿も必死だな。少しでも、当家に疑いを持たれぬように頑張っておる。


 「では、そのように。当家も徳川家とは話をしますので、何かしらの進捗が有ったらお伝えします。それでよろしいですか?」

 「「忝いお言葉でございます」」


 斎藤家の主従は揃って頭を深々下げた。


元亀四年 夏 古河 伊藤伊織


 「こちらの方は……」


 おや?初対面だったのですか?

 てっきり、津島を長年利用してきた信長は、美濃の者達にも顔が売れていると思っておりましたがね。


 「お初にお目に掛かる。某は織田三郎信長。尾張は織田弾正忠家の出でござる」

 「おお!お蝶様の!……いえ、失礼を……。初めて御目文字になります。竹中半兵衛重治。龍興様の下で斎藤家家老を務めております」

 「ふむ。……某も津島の尾張屋とは距離を置いて久しく、斎藤家の家中のことには疎くなりましたが……稲葉殿や不破殿、遠山殿や安藤殿、明智殿などは?」

 「流石に信長殿は美濃についてお詳しい。……斎藤家は美濃の領主、などと我らは申しておりますが、実際の所は飛騨と越前の国境は長尾、朝倉に占領され、恵那郡も東半分は長尾家に占領されております。ただ、西美濃と稲葉山城を初めとする沃野部は抑えておるので、一応は領主面が出来ているということです。……このような情勢、先ほど、信長殿が挙げられた者達も、稲葉殿と不破殿を除いて、皆が他国に付いて行ってしまい申した」


 個別の方々の家名はわかりませんが、どなたも美濃では有力な豪族だった、ということなのでしょうね。


 「そうか……重治殿も大変であったのだな」

 「いえ、私などよりも龍興様の方が……偉大な祖父、父と常に比較され、幼き頃はだいぶ屈折しておいででした。……そのおかげか、当初は奸臣・佞臣を傍に侍らせ……その後は、機会があったので、私と稲葉殿でそれらを一掃しましたところ、何とか聡明な斎藤の血筋が花開きだした……と言ったところでございます」


 ふむ。重治殿は結構あけすけに物事をしゃべるのですね。

 まぁ、変に隠されるよりは数段ましだというものです。


 「では、紹介も終わったことですし、話をしましょうか。……重治殿、龍興殿は家康殿から当家に臣従を勧められたとか?……先ほどの口ぶりでは、龍興殿は勧め、などとは思わず軽口の一つのように受け取ったかのような口ぶりでしたが……」

 「伊織様、それはありますまい。竹千代、家康は腹黒い男ですからな。龍興殿に吹き込めば斎藤家が伊藤家に直接臣従する可能性が高くなると思って、言ったのだと思いますな」

 「……確かに、信長殿の申す通りかと。……稲葉殿とも話し合っていたのですが、此度の伊藤家への臣従を龍興様へ進言しても成し遂げるのは困難ではないかと……それが、実にあっさりと龍興様はお認めになりました。……まさか、家康殿からも話を聞いていたとは……」


 なるほど。

 実務を考えれば当家への臣従という選択肢が浮かび上がるのは理解できるのですが、単に国、領主として見た場合は、中々に当家への臣従という選択肢は浮かばないことでしょうからね。


 「しかし、家康め。斎藤家と当家を繋げてなんの利があやつに?それこそ、伊勢湾の湊に当家が侵蝕する契機になってしまうであろうに……直接支配でなくとも、少名や武凛久が伊勢湾に出入りして、銭をばらまけばあの近辺の湊は伊藤家の傘下となろう……それが?」

 「少名?伊藤家の南蛮船ですかな?たしかに、そのような船が入って力を見せつけられては、津・湊の有力者たちはこぞって伊藤家に靡きましょう……確かに、それがどのように徳川家の利となるのかは……美濃におる私でも皆目見当が付きません」

 「景藤ではありませんが、わからないことは、わからないで良いでしょうね。……ただ、わからないというのは、今の状況だからわからないというのでしょう。ここは当家が斎藤家を臣従させ、状況が変わった濃尾、西東海を考えてみませんか?」


 そう。

 思考の壁にぶつかったら、一度、その壁を迂回してみると良い思案が出てきたりするものですからね。


 「そうですな……斎藤家を臣従させ、斎藤家の悩みを取り除く」

 「当家の悩み……木曽三川の下流に対するものですな」

 「つまり、伊藤家が木曾三川を制する……すると、長島……は徳川家の城があるか、さすれば桑名に城を造り、南蛮船が出入りできる築港を行う」

 「……何でしょう。私の仕事が増えることばかりになりそうですが……まぁ、徳川家と対話をしつつも、その線で動くことになるでしょうね。ただ、そうなった場合、桑名の防衛はどうなりますかね」

 「桑名、北伊勢は豪族が割拠しておる地域ですからな、斎藤家と共に、彼らを吸収していくことになるでしょう……あの辺りには利益の生家の者達が根を張っておりますので、彼らを頼るのも面白いかも知れませんな……ふむ。そうなると、意外とすんなり伊勢・志摩は攻略できる流れになりそうですな。なんといっても伊藤家は伊勢の名家。伊藤の旗印の効果は抜群でありましょうからな。北畠と一戦交えることぐらいでしょうが、これは純粋に兵力の差で一蹴出来ますな」


 まぁ、確かにそうでしょうね。

 それこそ、桑名の村正一門は伊勢の伊藤家の縁を頼りに渡りを付けたわけですしね。

 また、北畠家は顕家公に繋がる家ではありますが……こちらとしては敵対する気がなくとも、あちらから手を出されれば鎧袖一触となるのは目に見えていますね。


 「そうなると、まさに四国連合は東国の支配のみならず、実際に日ノ本の東半分を治めることになりますね……徳川が四国連合を増強させる?ますますわかりませんね」

 「はい。私も理解に苦しみます」

 「未だわからぬのならば、考えを進めてみましょうぞ。それこそ、伊吹の東を我らが治めることになったら如何相成りましょうな……」

 「……少なくとも関白殿下の集りは増えましょうね。なんといっても京と伊勢は近いですから。伊勢の当家の城には頻繁に使いが来ることでしょう」

 「……初めて伊織様とお話しさせて頂いた時にも伺いましたが、伊藤家は京の勢力とは距離を置くことが、一つの家訓ともなっているのでしたな?」

 「そうです。当家は家祖の悪七兵衛景清、その前の伊勢平氏伊藤の頃より京の勢力には苦渋を舐めさせられ続けていますからね。かの地は一種の忌み地とも言うべきものです……」


 忌み地と言っても当家が勝手に思っていることですから、これが徳川に?

 いや、関係ないでしょう。


 「ふ~ん。わかりませんな。この辺りで、多少は徳川に益があるとすれば、……伊勢湾が発展すれば、必然的に徳川の湊も発展していくだろう……ぐらいですな。ただ、圧倒的な差が当家と徳川家には商いに関してもありますから、そこまでの恩恵を受けられるとは思えませんが……」

 「育った湊を後から奪う……たとえ奪えたとしても、使われなくなった湊になどなんのうまみもないですしね。それに、そもそもが我らが斎藤家だけならば力づくで奪えましょうが、伊藤家が相手では、最悪滅ぶのは徳川となりましょう……」


 そうですね。

 そうなった場合は、徳川には日ノ本より退場して貰わざるを得なくなりますね。

 その後は美濃・尾張に三河は斎藤家に任せる形となるでしょうが……。


 「うん。某もわかりませんな。ここは、勿来に戻ってから後見様の知恵でも借りますか。何かがわかりましたら、ご両名にお伝えしましょう」

 「おお、それは有難い。噂に名高い、伊藤家の後見様のお知恵ならば……そうですな、何かしらの思い付きでも構いませんが、何かがわかり次第、美濃の私の下へもご一報ください。こちらも何かを掴み次第、小太郎殿の伝手にご連絡させていただきます」

 「そうですね。風魔も美濃に拠点を持ったと聞いています。連絡はそちらを使ってお願いしますね。重治殿」

 「はっ!確と……」


 わからない。というのは気持ち悪いことではありますが、こればっかりはしょうがありませんね。


 それでは、この三名で、更に濃尾での開発の話をこれから詰めて行きますか。

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