第96話 元亀の終わりに

元亀三年 冬 古河 伊藤伊織


 「西の方はそんなところですかね。で、景竜の方はどうなのですか?」

 「そうですね。私の方は……」

 「っと、御両人。少々よろしいですかな?」


 おや?

 珍しいですね。

 ……そういえば、景藤の文にありましたか。

 今回の評定では、自分の代理として信長を出席させたいと……。


 「構いませんよ。ああ、そうです。これから景竜から北の方の話を聞こうと思っていたのです。合わせて、あなたの方からも南部について報告を頂けますか?」

 「もちろんですとも。伊織様が望まれるのでしたら、何の否応がありましょうな」


 そういって、信長は私と景竜が座っている卓へとやってきます。

 ん?手土産でしょうか?なんでしょう。


 「ああ、これは奥州と下野の牧場の世話をしておる獅子丸の部下たちが作った燻製肉でしたね。サルチーチャと呼んでおりましてな、軽く炙ってから食うと、えも言われぬ味わいがあるのです。先ほど勝手所から手鍋を借りてきたので、火箭暖炉に火を点けて調理をしながら話を進めましょうぞ。日も落ちてきたので、冷えてきましたからな。評定前に身体を冷やしても良くないでしょう。この肉を食ろうて、身体の内から温まりましょうぞ」

 「なるほど、それではお茶を飲みつつ、景竜の報告を聞きましょうか」


 信長がこの場に持ってくるということは、俺たちに新しい産物も紹介をしに来たのでしょうかね。

 さるちーちゃ、燻製肉ですか。俺も伊藤家の男として、獣肉には親しんでいますからね。喜んでいただきましょうか。


 「では、信長殿がサルチーチャを焼いている間に、棟寅からの報告。まずは長尾家に関してさせて頂きます。……まず、長尾家ですが、政景殿は越中での輝虎殿への対応から、直江殿、真田殿、斎藤殿の反感を買い、早々に隠居させられました。代わって政景殿の嫡男、卯松殿が元服し、顕景として当主に就きました。そう、就いたのですが、顕景殿は父親とは仲があまり良くなかったようでしてな。母親、特に母の妹叔母の晶殿にべったりということで、家政はその全てが、綾殿の姉妹に握られているようです」

 「……ふむ。母方の姉妹か……まぁ、一族と仲が良いのならまだ良いのではないでしょうか?叔母と甥というのなら色恋などは無いであろうし」


 信長も小鍋を片手に景竜の話を聞いていますね。


 「ええ。ようは、その流れが結構であり過ぎて、気に食わない勢力があるということらしいのです」

 「追い出された側にとっては、何かしらの一波乱があれば返り咲けると思っていたのに、……というわけですか」

 「はぁ~。何処の家も家中の争いというのは醜いのぉ~」

 「ええ、本当に。そのあたりは薄い当家がめずらしいということなのでしょうか……」


 ……とは言っても、当家もこの間、寅清、杏、元清に関した話があったばかりではありますがね。


 「ええ。今の長尾家は顕景殿を当主に、直江殿、真田殿、斎藤殿、柿崎殿の四人を中心に動いております。……で、その家中が纏まっていることに不満を漏らすのは柿崎殿の派閥。要するに、上杉派からの転向組というわけです。彼らは主に越中から西に領地を持つ形で動いております」

 「ああ、それが美濃の斎藤家の動きに繋がりますか」

 「ん?美濃の斎藤で何か?」


 そうでしたね。

 信長が来たのは美濃の話が終わってからでしたか。

 彼には伝えていておかなければいけませんね。何しろ、妻の実家の話ですから。


 ……

 …………


 「……なるほどな。確か、竹中は西美濃の領主一族だったような気がしたな?そんな西美濃でも脅威を感じるほどに長尾の圧力が美濃に向かっておるか……ふぅむ。意外と東美濃は既に長尾の軍門に降っているのやも知れませぬな。ゆえに当家に降ることに拘る……」

 「なるほど、ありえそうなことですね。柿崎殿からしてみれば飛騨や南信濃に対して影響を強めるのには、東美濃を抑えるのが最適でしょうから……」

 「叔父上、そうなると斎藤の臣従を受けるかどうかは、一考の価値があるやも知れませぬね。長尾家は輝虎の退場により、当家に近しい者達で治められている現状ではあります。その体制が揺れ動く要因は少なければ少ない方が有難いことは事実」


 景竜の言にも一理ありますね。

 距離を理由に一顧だにしないというのは、思考の停止かも知れません。

 今一度、考える必要がありそうですね。


 「長尾に関するところではこの件となるでしょうか。後は南部となりますが、こちらはちょうど信長殿がいらしているので、お任せしようかと思います」

 「そうですね。信長は直接釜石まで出向いていますからね、……南部の話をお願いします」

 「おお、構いませぬぞ。……丁度サルチーチャもおいしそうに焼けましたからな。つまみながら話をさせて頂きましょうぞ」


 そう言って、信長は手早く小鍋の中身を皿に移して、卓に載せます。


 「まず、南部ですが……そうですな。石巻から北の北上川流域と北上高地に奥六郡。こちらは順調ですな。伊達殿の後援を得た九戸政実殿が、一関から花巻までを抑えましたな。今は一旦落ち着いておりますが、北上の安中の助力も得ておるので、閉伊郡までは順次、抑える形となりそうですな。そこから北の九戸郡となると、南部の本拠地の三戸城が隣にありますからな。少々難しいことになるかとは思われます」

 「なるほど、閉伊郡までとなれば、釜石は当家で抑えていても問題はなさそうですね」

 「ええ、九戸軍が沼宮内ぬまくないあたりまで前線を推し進めれば、当家で釜石城と製鉄所の本格着工を開始しても良いのではないか、というのが太郎丸と俺の考えです」


 釜石……北上もだいぶ北の沿岸部ですからね、流石に清をはじめとする奥州の土木奉行所に丸投げしましょうか。

 彼女たちも、今では立派に伊藤家の土木を支える者達ですからね。

 信頼していますよ。


 「ただ、陸奥の北、津軽では少々……津軽で独立を果たした津軽為信ですが、大舘付近の銀山を狙ったのでしょうな。南に軍を出したところ、南部の待ち伏せに遭い、首級を獲られました。おかげで蝦夷地で蜂起の準備をしていた函館衆は一旦蜂起を取りやめました。……胆振湾は変わらず当家と伊達家で抑えておりますが、津軽海峡は依然として南部の抑えるところとなっております。一旦は津軽家が立って、我らと長尾家が武凛久や少名以外の商船でも繋がるかと期待しておったのですが……残念ですな」

 「全部は思い通りに行かないということなのでしょうね。ただ、陸奥の南は九戸殿が抑える情勢なだけでも、当家にとっては有難いことですね。このままで行ってもらうとしましょう」


 そう、すべてが思い通りになることなどないのですからね。

 人の身で出来ることをコツコツとこなすだけです。


 「後は羽州方面になりますが、こちらは最上が横手を落としたと聞きましたな。そこから先にはまだ手を付けてはいないようですが、……最上義光は湊を相当に欲している模様です。……庄内を伊達に取られたのがよほど悔しかったのでしょうな。家中では秋田の湊を獲るまで北上すると息巻いているとかいないとか」


 そうですか、湊を欲しているのですか……景藤の側となっている義の経緯を聞くと、それほど仲良くは出来なさそうな人柄に思えますが……津軽海峡を通る商いの道を開発するには、一度、最上という選択肢も考慮に入れても良いのかも知れませんね。


 「ともあれ、我々が北で行うのは釜石の開発となりますね。拠点となる城に鉱山、鉄工所、資材置き場、軌道台車、積出湊……」

 「あとは、高炉をどうするかということでしょうな。鉄鉱石の形で勿来まで運んでくるのか、ある程度の鉄板として加工してから持ってくるのか……」

 「高炉となると、技術の漏洩ももとより、燃料としての炭焼場も必要となってきましょう」


 確かに、何処まで技術が流れることを黙認するか……。

 俺個人としては、金属精錬の技術でなければ、多少の流出は止むを得ないところのように思えますが、どうでしょうね。


 「そこは明日の評定で皆の意見を聞きましょうか。我々ではすぐに答えが出ないでしょうし、四国連合としての行き先も考えなければいけない話題でしょうしね」

 「で、ありましょうな。参考までにと言わせていただくと、太郎丸は高炉の技術に関しては伊達家に漏れても構わないのではないかという考えです。技術供与の代わりに、和賀で伊達家と共同で鉱山開発と鉄工所を作るのはどうかと言うておりましたな」

 「なるほど。……確かに、当家で必要とされている鉄の量は増えております。ここいらで、伊達と共同で鉱山開発をするのも一興ではないかとは思いますね。……あまり考えたくはありませぬが、兄上、太郎丸様が亡くなった後は、どうしても伊達家との繋がりは薄いものとなってしまうでしょうし……」


 景基、景広兄弟ではなく、元清が家督を継ぐ形になるわけですしね。

 伊達家とは何かしら、景竜が言うように縁を強化しておく必要があるのは確かでしょう。


1573年 元亀四年 春 勿来


 「秀長よ、すまないな。室蘭から釜石を行ったり来たりの中、報告にわざわざここまで来てもらって……」

 「何をおっしゃいます、後見様。小一郎の奴めは勿来に来ることを喜んでおりますぞ?可愛い嫁に会えるのですからな」

 「兄上……いい加減、儂を揶揄うのも……」

 「はっはっは。止めぬわ、ああ、止めぬわ。一生揶揄ってやるからな、覚悟しておけ、小一郎」


 くくく。

 太閤殿下は弟が大好きだということだな。


 「なに、秀長が気にすることは無い。俺も嫁は大好きだからな。阿南、輝、義……思いがけずに三人と、こうして長い間共にいることが出来るようになった……ふむ。そう考えてみると輝虎殿にも感謝するところはあるということか?」

 「何を言うておる。輝虎にも思いはあったのであろうが、俺達にしてみればただ単に憎らしい男よ。……まぁ、死者のことは良かろうさ。……それよりも?」


 ああ、二三お願い事が彼らにあるんだったな。


 「姉上には文をしたためたが、今後の勿来を初めとする奥州での船や武具、土木資材、産物作りなどについて話をしておきたくてな……景基よ。そう言ったわけでお前にもここまで来てもらったというわけだ」

 「はっ。承知しております、父上」


 この数年で一丸も急に大人になったな……。

 これなら、伊藤家は問題ないだろうさ。


 「まずは、産物だ。当家に大いなる富をもたらす茶、砂糖、磁器、絵皿の内、砂糖、磁器、絵皿は羅漢山から景基が監督してくれ。砂糖は那須で、陶石は那須岳から安達太良山、磐梯山の間で採れる。場所的にもお前が監督するのが一番だ。特に、磁器については盛氏殿と交渉をし、猪苗代湖畔で作ることを検討するのが良いのではないかと思う。今まで通りに勿来からスペインの商人達に売りさばくと同時に、阿賀野川を通じて新潟湊へ、斎藤殿を通じて西方へ売ってもらうのも良いと考えるのだ。……長尾家の四奉行の内、直江殿と真田殿とは強い絆を作れているが、武張ったお二人、斎藤殿と柿崎殿とはあまりうまく関係を築けていないからな、ここらで商いを通じて、新発田に入られている斎藤殿と繋がっておくのは大事だろう。……蘆名が当家に降ったこれからは、今まで以上にな」

 「はっ!父上の言うとおり、盛氏殿、斎藤殿と交渉を詰めまする」


 ……なんだよ。

 先の話をしているとはいえ、そんな遺言みたいに受け取らなくてもいいのにさ。

 俺って、そんなにすぐには死なないと思うよ?


 「そこまで、生真面目に受け取り過ぎるな。……で、後は……まず、秀吉よ」

 「はっ!」

 「済まないが、お前には権現堂からこの勿来に戻って、全奥州の政を見てもらいたい」

 「なっ!!わ、儂がですか?!後見様!!景基様や信長様でのうて?!」

 「ああ。お前にだ、藤吉郎。一城の主となっていたお前を戻す形となってしまうのは心苦しいのだが……」

 「い、いや、何をおっしゃいます、後見様!全奥州の政など……」


 そうね。城主ではなくなるけど、仕事量は滅茶苦茶に増えそうだよね。


 「景基は奥州の統括。見なければならぬのは政だけではない。伊達や佐竹、そして南部。また、臣従しているとはいえ蘆名などとも折衝がある。また、軍も管轄せねばなるまい。……現場での軍指揮に関しては安中の皆がいるので問題は無いが、大元の判断は景基が下さねばなるまい。どうしても内政に割ける時間は減ってしまうだろう。……そこで、お主には内政を専門に見る立場と成って奥州を支えてもらいたいのだ。……同じように吉法師には水軍がある。少名も数が揃いだしたので、これからは日ノ本中で商売を直接に見ていくことになるであろうし、ガレオンも完成した。数年のうちに明やスペイン副王領へも交易をしに行かねばならんだろうからな、吉法師も勿来にはとどまれん」

 「……そういうことでしたら、儂は景基様配下の奉行の一人として政を専門に見ていきます。……なんぞ、大任じゃな」

 「良かったではないか!兄者。大した出世ではないか!」

 「はっはは。秀長、小一郎には全面的に藤吉郎の手足となって働いてもらうからな。ある意味、一番の貧乏くじかもしれんぞ?」

 「……そんな、殺生な……」


 関東には伊織叔父もいるし、姉上と竜丸がいる。多くの才が今後も古河には集まるであろうが、どうしても奥州はな……人材確保は俺の方でやっておかねばならん。

 ふふふ。秀吉、秀長兄弟によって開発される奥州というのは非常に興味があるね。


 「利家にも秀吉の下で働いてもらうことになるだろう。……今はまだ、亀岡斎叔父上や鶴樹叔父上が健在だが、鶴岡斎大叔父上は高齢だ。叔父上たちが動けなくなったら、鉱山や牧が止まった……などと言ったら目もあてられん。今までは小川城で海岸地帯の食料と牧に鉱山を見てもらっていたが、これから全奥州を見る形になると理解してくれ。もちろん大叔父上の御了解は頂いている」

 「わかりました。……あと、後見様、俺も犬千代でいい」


 なんだよ。相変わらず言葉少ないが、中々に熱いおとこだよな……。


 「……そして、吉法師……」

 「いい、いい。俺には何も言うな!わかっておるわ。うまいこと伊藤家を支えてみせるし、東国を、日ノ本を支えてみせるから安心せい」

 「くくく。なんだよ。別に俺は遺言を言っているわけじゃないんだぞ?……ただ、多少は身体の自由が効かなくなってきたので皆に頼むと言っているだけだ」

 「かかか。だから、みなまで言うなと言っておる。俺に任せておけ」

 「……頼んだ」


 そうだな。今は元亀の四年。西暦で1573年か……。

 吉法師と出会ったのは天文の十七年。西暦で1548年。


 「「あれから二十五年か……!!」」


 声が重なっちまったな。


 「「くくく……あ~はっはは!!」」


 二十五年間、俺達は笑いあってきたのだ、これからも、精々笑いあってみせるさ。

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