第93話 鹿狼山

1571 元亀二年 秋 相馬中村城


 「ふぅむ。儂の領内であっても阿武隈のことは安中家の者達の領域であるからな……領民の長老たちに聞けば何かしらはわかるのかも知れぬが……しかし、摩訶不思議なこともあったものよ」

 「左様ですな。しかし、晴宗殿直々に出向いてくれるとは有り難いことですじゃ」

 「なに。ご隠居殿。一丸も……景基も景広も儂の可愛い孫じゃ。孫の為ならば幾らでも一肌脱ぐというものです。……この気持ちは、何より、ご隠居殿が一番ご理解していましょうや」

 「左様、左様。しかし、なんといっても儂は八十を超え老い先短い身ですからな。孫やひ孫の為ならばという思いも大きくなろうというものです」

 「そうですな……儂も五十も半ば……いやいや、これからも皆を引っ張っていきませんと!」


 詳しいことはここに来る前、鹿狼山に参拝をしに行く前に勿来城で父上から聞いた。


 まさか、神仏のなんたらが出て来るとは思わなかったよ。


 まぁ、最近は忘れて久しいけれど、俺は記憶を持ったままに過去に生まれ変わったんだもんな。

 そりゃ、純粋な日本人としては神仏とは切り離せないよね。この不思議体験はさ。


 「景貞様。一丸と中丸、仁王丸は大丈夫なのでしょうか?お山でお祈りを捧げてから今まで、ずっと眠り続けています。南は……南は母親として心配です」

 「南ちゃん……心配いらないって、ねぇ?そうでしょ?叔父上?」

 「ああ、心配は要らんだろう。三人とも疲れて寝ておるだけだ。脈もしっかりしておるし、呼吸も静かなものだ。……単に、神仏の力を身近に感じて身体がびっくりしてしまっておるだけだろうさ。明日にでもなれば、何事も無かったかのように目を覚ますさ」

 「……ね?大丈夫だよ、南ちゃん。こんなことで、お母さんが動揺していてどうするのさ!」

 「そうですね。母親がしっかりしなくてはいけませんよね!」


 杏姉上の女中だった稲なる物が取り替えた、鹿の角と狼の牙。

 そうやら、この二つは本来、一丸と中丸がその手に持って生まれてきたものだったようだ。

 それをどこで聞きつけたのか、篤延の一族が自分たち、柴田の血を引く仁王丸が手に取って生まれたことにして、伊藤家の惣領にしようと企んだ。


 結果、彼らの目論見とはだいぶ外れた経緯を辿ったが、仁王丸は無事に伊藤家の惣領として立っている。


 う~ん。俺は産まれた時に狼の牙を持っていたんだろ?

 だけど、俺の考えでは仁王丸もどっちかを持って産まれてきてそうなんだけどな~。

 本人の記憶はあいまいだけど、やっぱりどう考えても仁王丸は俺と同じか、近い時代の知識が少しは残っているだろ?

 趣味嗜好や、ところどころ出て来る単語……どう考えても昭和以降の時代の知識を持っていそうなんだよな~。


 う~ん。ただ、幾度となくそのあたりを本人に正してみたけど、本気で「は?何言ってるかわかんないっす!」って感じで返事されたから……何かしらのエラーが出ているんだけだと思っていたが。


 う~ん、わからん!


 「杏姉上、落ち着きましたか?」

 「はい。元様。本当に、長々とご迷惑をお掛け致しました。事の起こりは、私が元様に抱いた妬みの心情でございます。……その醜い心、そこを草の者に付け込まれてしまいました。本当に申し訳ございません」

 「杏殿。……あなたは我が子を思う心優しい母だったというだけ、ただ、その心優しさを付け込まれたことと、その方向性を間違えてしまっただけです。これからはただ一心に子供の行く末を見守りなさい」

 「はい……義母上様……うっ……しかし、この上は、城に戻り次第、髪を落とし……うっ。勿来の金毘羅様か上野の放光寺で尼として伊藤家の安寧を祈って過ごそうと思っております……」

 「……涙をおふきなさい。あなたが決めたのなら私からとやかく言うことはありません。……私は勿来にいますので、できたら金毘羅様のご住職に相談して、勿来の近くの寺にいてもらえると嬉しいわ。私も会いに行けますからね?」

 「は、はい……ぐすっ」


 そうだね。

 直接神様とお話しできたわけじゃないけれど、杏姉上は山頂のお社で、心の底から今までの行いを謝罪していた。

 勿来に来た辺りは、相当に危険な感じがして……目の焦点も定まっていないし、まともに口もきけなかったけれど、山を下るあたりからは以前の杏姉上に戻られたように感じた。

 今ではしゃべりもはっきりしてるしね。


 「で、どうなのです。今は一丸と中丸の祖父、そして同盟国の者としてお聞きせねばならぬのは……伊藤家の次代、このままに元清なのですかな?それとも景基に?」

 「……それはなんとも。……まずは三人の意識が戻り次第、話を聞いてみませんことには」

 「そうですか……景藤殿は何か意見は?」


 爺様と話し込んでいた晴宗殿にそう聞かれてしまった。

 そうだよな。純粋にそのあたりは気になるよな。


 「……そうですね。私も三人が目を覚ましてから話を聞くのが良いと思います。……ただ、わたし個人の意見としましては」

 「「しましては?」」


 爺様も晴宗殿も興味芯々じゃん。

 いや、そんなに変わった考えなんか持ってないよ?


 「私としてはこのままで良いと考えます。外政は元清に、内政は景広に、そして軍政は景基に……私はそう考えております」

 「……なるほどな。奥州が伊藤家の軍政の要か……」


 まぁ、これだけの水軍を抱えている勢力は、日本中だけでなく地球を見回してもそうは存在しないだろうからね。

 それに、今のところは戦でほとんど使わせていないけれど、実は数千丁のライフルが勿来水軍の下には配備されているからな。

 馬防柵越しに釣瓶撃ちでも仕掛けようものなら、数万の軍でも一瞬で殲滅出来るだろうさ。……やり方によってはね。

 あとは牧の存在もあるしね。


 「良かろう。儂は伊藤家の決断を尊重するとしようか。すべては方々にお任せする」


 晴宗殿はそう言って、すっきりした顔をした。

 ……そうだよな。元清が惣領というのは、晴宗殿にとって、可愛い孫の梯子が外されたように感じていただろうからな。胸のつっかえが取れたのなら、なんとも結構なことですよ。


 「おお!そうであった。一つ、儂から晴宗殿にお願いをせねばならんことがあったのじゃった」

 「おや?ご隠居様、何用で?」

 「いや、なに。儂は年が明ければお迎えが来よう。そのあかつきには儂と忠平の骨の一部を鹿狼山か、山が見える場所に墓を作らせてほしいのじゃ。もちろん、墓の維持は安中の者達が行うのでご心配なさらずにの」

 「「ご隠居様(爺様)!」」

 「ははは。そんなに、大声を出すでないわ。二人とも。……何、元より体の自由はだいぶ効かなくなって久しいのじゃ。そんな中で、思いがけずに生まれ故郷の近くに来ることが出来ましたからのぉ」


 ……なんだよ。爺様。

 ……悲しいことを言わないでくれよ……。


 「まったく。そのような顔をする出ないぞ、太郎丸よ。お前も子を何人も持つ父親であろう。まったく……まぁ、そんなわけでな。先ほどお山で手を合わせたおり、不意にこの場所の近くの里で生まれたことを思い出してな?忠平と二人で野山を駆けずり回っていたことを思い出したのよ。そうしたら、二人でここを見ながら眠るのも一興かと思いついたということで……」

 「……でしたら、丸森に遊仙寺という曹洞宗の寺がありまして……」

 「ほほぅ。曹洞宗でしたら、儂の弟が鎌倉で学んだのが曹洞宗ですかな。うむ、ちょうど良い。晴宗殿、申し訳ござらんが、その寺に話を通していただくことは出来ませんかな?」

 「……そういうことでしたら。……ただ、生きている間に墓を用意するのは不吉とも申します。お話しは承ったので、諸々のことはその時が来たらということで……」

 「そうですな。重ね重ねのご配慮、痛み入り申す」


 なんだろう。

 確かに、人は老いる。人は死ぬ。そして人は産まれる。生物としての摂理ではあるんだけれど……いかんなぁ~、なんだか良く分からんけど、……いかんなぁ~。


元亀三年 正月 鎌倉 伊藤元景


 本来だったら正月はめでたいものだろうけど、今年は悲しいものね。

 本人は自然の摂理だから悲しむなとは言っていたけれど……。


 お爺様は正に年が明けたその頃に静かに息を引き取ったわ。

 享年八十四。去年の相馬でのこともあるので、墓は鶴岡斎の大叔父上が修行をした、ここ鎌倉の建長寺に作ることとしたわ。丸森には分骨を後日行う予定。

 棚倉で、とも思ったけれど、私たちにとって棚倉は生きる場所。死後の場所ではないものね。

 大叔父上に相馬でのお爺様の言葉と共に相談をしたら、自分が修行をしたここに墓を作るのが良いだろう、とのことだったわ。


 これから、伊藤家の当主、それに連なる者達はよほどのことが無い限り建長寺に入ることになるのでしょう。

 ……もちろん、私もね。

 けど、その前にやらなければいけないことは沢山あるわ。

 まずは、その一歩ね。


 「で?私と太郎丸を呼び出して、どういう話があるのかしら?元清」

 「はい。……どこから話せば良いのでしょうか。……私も混乱しているのですが……そう、私は……」

 「未来の記憶を持っているのだろう?俺と同じだな。仁王丸」

 「……やはり太郎丸様は……」

 「ああ、俺は西暦の20xx年に交通事故で死んだ。そして、気が付いたらこの時代に産まれていた」


 ん??

 西暦の二千年代?

 たしか、今年は西暦だと1570……何年だったかしら?


 「あれ?姉上はあんまり驚いてないんだね?」

 「ん?だって、太郎丸は太郎丸じゃない。弟がなんであれ、弟でしょ?姉の方がえらいに決まっているじゃない」


 兄じゃなくて、弟なんだから気にすることは無いんじゃないの?

 だって、太郎丸のおしめを換えていたのは私なんだから。


 「ははは。流石は姉上だ。……ということで、仁王丸よ。気にしなくていいぞ?姉上はこういうお方だ」

 「はい。……なにやら、一人で悩んでいたのが恥ずかしくなります」

 「ははは。……しかし、一つ腑に落ちないのは、俺は過去に何度も仁王丸にそのあたりの記憶について尋ねたよな?あれは黙っていたのか?そういう感じもしなかったのだが……」

 「いえ、私の記憶が戻ったのは鹿狼山から戻ってからになります。よくは思い出せないのですが、相馬中村城で寝ていた時に、なにやら靄が晴れまして、それ以後はすぅっと記憶が戻りました」


 世の中には不思議なことがあるものね。


 「で、仁王丸は自分の生年と死亡年は覚えているのか?」

 「はい。産まれは昭和xx年、死亡は西暦20xx年です」

 「お?俺よりもだいぶ年上だったのか……すると七十を超えて死んだのか」

 「はい。孫はいませんでしたが、子供は三人程いました……顔は思い出せませんでしたが、それなりに楽しい人生だったと思いますよ?」

 「ふぅむ、なるほどな~」

 「……素朴な疑問なんだけど、七十の記憶で十代の身体って違和感感じないの?」

 「全然感じませんな。正直な所、前世の記憶と言っても……何でしょうか。勉強してきた記憶の一つであるというだけで、特別に心の持ちようには……」


 本人はそう言っているけれど、確実に、前よりも理屈っぽい性格になっているわよ?


 「そのあたりは俺とも違うのかな?俺の場合は純粋に、死後の心がそのまんまな感じだったが……まぁ、いいさ。で、姉上と俺を呼んだということは何か相談したいことがあるのだろう?」

 「あ、はい。そうです。……その、私は偶然にも、生前も伊藤の家の者でした」

 「おお!そこは一緒だな。俺も伊藤だったんだ!」


 あら?そうなの?

 ふたりの前世は私の子孫ってことね……直接のではないだろうけど。


 「あ、そうなんですね。もしかしたら親戚だったかも知れませんね」

 「そうだな。ただ、言うても日本は広いし、伊藤さんは沢山いたからな」

 「そうですね。まぁ、わたしの場合はどう考えても自分の祖先の筋になりますけれど」

 「……ん?」

 「いえ、私はこの棚倉の伊藤家の子孫だと思うんです。前世は……母からは奥州の伊藤家、伊達から佐竹に行った伊藤だと……太郎丸様?」

 「いや、何でもない。続けて……というか、技能的な所で記憶に残ってるものはあるかい?幸いにして俺は歴史の知識とちょっとした産物を作る知識、それから言語なんかを覚えていたんだけれど」


 ……思いっきり誤魔化したわね。

 あとで、とっちめて吐かせましょう。


 「そうですね。私は大学では外国語学科だったので、理系的な知識は大学受験程度までしか……そうですね。専攻はスペイン語で卒論はシモン=ボリーバルに関してでしたので、そのあたりの歴史は詳しいと思いますし、英語とスペイン語は大したものだと自負しています」

 「……おぅ!そ、そうか!ならばこれからの対スペインの交易と外交は元清に任せられるな」

 「任せるなどと!そのあたりは太郎丸様の選任事項だとばかり……」

 「いや、そうではなくな……そうか、話していなかったか。……俺は上杉謙信の毒を塗られた刃に倒れ、身体がだいぶ弱っている。……姉上に言うのも初めてだけれど……たぶん五年は持たないんじゃないかな?内臓も触ってわかるぐらいには硬くなっている箇所があるし……」


 五年??!!

 何ですって!!

 そんなことは聞いてないわよ!


 「そのことは、他に誰が?」

 「たぶん誰も……いや、出浦殿は気付いてるかな?そのぐらいだよ」

 「出浦殿にはね……となると真田殿の耳には入っているわね」

 「ああ、だから甲斐で真田殿と揉めなくて正解だったよ。丁度、古河には人質として真田昌幸がいるからね。彼とは仁王丸も仲良くしておけば良いさ。なんといっても表裏比興の人だから」

 「真田昌幸ですか。……そうですね。ここは戦国時代ですもんね。わかりました。これからは私の才は最大限に伊藤家の御為に使います!」

 「そんなに気負わなくて良いさ。俺も前世では出来なかった妻子が今世では出来たんだ。仁王丸も心のままに、幸せな人生を送って欲しい。きっと爺様もそう言うはずさ」


 まったく……いやになるわね。

 どうして人は死んでいくのかしら。

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