第94話 北の幕開き

1572年 元亀三年 春 勿来


 「ご無沙汰いたしております。後見様。此度は守谷の津で三國通宝を受け取った後、塩釜に戻るまでの道中、ご挨拶に寄らせていただきました。お加減の方はよろしいでしょうか?」

 「ははは。今までは風邪などめったに引かなかったのですけれどね。私も年を取ってしまったのでしょうか?今年は珍しく風邪などを引いてしまいましたよ。……ただ、ご覧の通り、今は体も回復していましてね、明日か明後日には、家族の者で地引網でもしようかと話し合っていたところです」


 ……地引網とかは嘘です。ごめんなさい。

 まだ、身体がダルイので、常成殿が帰られたら、布団に直行です。

 ええ、後ろから厳しい監視の視線がビンビンに飛んできております。

 ……止めて、輝さん。達人の厳しい視線というのは怖いから。


 「地引網ですか!結構ですな~。私も今年に生まれた息子が大きくなったら、御一緒に参加させていただきたいものです」

 「そうですか、その節はどうぞ勿来にお寄りください!」

 「「ははっはは」」


 実に和やかな、伊達家家臣の支倉常成殿との会話である。


 「して、今年の伊達家はいつになく予算が多く、三國通宝に使った資材も多かったと聞きましたが何か?」


 天候や体の調子等の話題から始まって、家族の様子。そして、タイムリーな仕事の話題に移る。

 この辺りは戦国自体もポスト世界大戦の時代も流れは変わらない。


 「いえいえ、大したことでは……ただ、蝦夷地で建築中の伊達の町、その建設費用が思った以上に掛かりそうということで、殿にお願いして予算を増加していただいたのです。……そうそう、蝦夷地と言えば、当家の室蘭での土地を高く買い取って頂き、誠に有難うございました。おかげ様で、その資金で伊達の造成、その第一段階が成りました」

 「いえいえ、それこそお気になさらず。室蘭の町は両家が手を取り合って作り上げた街です。伊達家のご苦労に見合うだけの物を出させて頂くのは当然のことかと思います。……しかし、せっかくの室蘭、本当に伊達家は手を引かれてよろしいのですか?」

 「もちろんですとも!……やはり、当家の所有する船団は武凛久が少なく、蝦夷地でもっと大勢の者達が活動していくには広い耕作地が不可欠です。そんな中でポロモイチャシのハヨッペシャイン殿が手を組んでくれたのは正に渡りに船でしたからな。湖の中島にさえ手を付けなければ、大いに開拓をして構わんと……また、周辺を伊達と呼んで盛大にアイヌと倭人で畑を開拓しようと言ってくれましたからな。……それよりも、室蘭を放棄するような形となってしまい、伊藤家には申し訳ないと殿はおっしゃっておりました……」

 「そんなことはありません!正直、我々にとっても室蘭が手狭になりそうだった所です。町の土地の提供は有難い話です。喜んで買わせていただきますとも!……もちろん、造船所は今までと変わりなく両家で運営していきたいと思っておりますし、畑が軌道に乗るまでは食料の運搬は続けさせていただきます。更に、畑が軌道に乗った暁には、食料の買い付けも大いに行わせていただきますぞ」


 現段階の室蘭は、……だいたい八割ぐらいかな?輸送での食料に依存している。

 これを何とか五割以下に抑え、最終的には、蝦夷地での産物との現地交易ですべてを賄える形に持って行きたい。

 そこまでやって、初めて開拓が一応の完成を見るわけだからね。

 アイヌの人たちも、十分な食料生産が出来るようになれば、無理な争いもしなくなるだろうし、自然と人口も増えていくことだろうしね。


 甜菜の栽培、隈笹茶の生産、どちらにも可能性が見出せるようになってきたが、如何せん、未だに大商いをして銭を稼ぐような段階には至っていない。

 まずは、今まで通りに塩鮭に乾燥昆布が主力商品かな?

 ……ホタテの養殖が上手く行ってくれればいいんだけどな。

 秀長の報告だと、延縄式採苗が成功とまでは行かなくても、なんとか形にはなりそうだと言っていたから……。


 「ははは。何とか我らも蝦夷地を大いに開拓し、皆が笑って暮らせる楽園にしたいと、我が殿も口癖のように仰せです。……ですが、その楽園を目指すためにも障害となりそうなことがございまして……」


 はい。本題ですね。

 待ってました。


 かしゅ、かっしゅ。


 輝が部屋の火箭暖炉に薪をくべてくれる。

 暖かい。


 「後見様もご存知かと思いますが、南部領のことです。……当家では、南部が大きく揺れ動くのは現当主の南部晴政なんぶはるまさ亡き後の信直のぶなおの代になってからと思っておりましたが、一足先に津軽は石川城を大浦為信おおうらためのぶ、家名を変更して今では津軽つがる為信ですか、かの者によって津軽一帯は占拠、制圧されました。地侍達の悉くが津軽に合力し、南部家は十和田とわだ八甲田はっこうだの南に追われました」

 「……確かに、我々もことが始まるのは南部の代替わりあと、しかも函館、松前から始まるものとだとばかり……」

 「左様です。その時には、ストゥシャイン殿はじめ、多くのアイヌの者達が合力するとの話だったのでしたが……」


 津軽が一足お先!とばかりに独立したので、今の南部領は松前、秋田、南部、奥六郡と大きく分けて四つの地域に分かれているが、その中でも松前だけがかなり明確に分断されてしまっている形だ。


 「そして、こちらが殿から今後の当家の方針について後見様へと預ってきた書状です」

 「……拝見しよう」


 輝が常成殿から書状を受け取り、俺に渡してくれる。

 どれ、どれ……。


 「なるほど……間を置かずに、九戸政実くのへまさざね殿は立ちますか」

 「はい。徳山館までの蝦夷地南部領を函館衆が制圧するには、今のままではやはり兵が足りませぬ。ここは、先に奥六郡を当家と九戸殿が解放し、しかる後に函館衆が蝦夷地を抑える。その流れが最も良いであろうとのご判断です」

 「……この景藤も伊達家のその考えに賛成です。折角、南部が分断されたのです。ここは兵を一ヶ所に集中させることなく、それぞれの地を制圧することが肝要かと考えます」


 これまでも散々、当家が関東制圧でやってきた手口だね。


 「つきましては伊藤家の皆様方にもお手伝いをお願いできないであろうか?というのが、当主輝宗の考えでございます。図々しいお願いとは思いますが、何卒ご一考くださりますよう、お願いいたします」


 まぁ、室蘭の土地を譲るってのはそのあたりも加味されているよね、当然。


 「わかりました。この景藤の一存だけで兵を動かすのは難しゅうござるが、全力で伊達家のお手伝いが出来るよう、信濃守様と入念に話をさせていただきます」

 「かたじけのうございます……」


 体が万全なら古河に行って、二三話をしてくるだけで終わりなんだけど……。

 まぁ、ここは一丸を呼んで古河に行ってもらうとするか。うん、そうしよう。


元亀三年 春 古河 伊藤元景


 「なるほどね。まずは九戸殿が兵を率いるにおかしくない状況を作りだすと……」

 「はい。後見様が考えられた策としましては、まず、当家の水軍が北上高地の海岸地帯、そこの釜石なる地を海より制圧することから始めるのはどうであろうかということです。伊達家が盛大に伊治、一関、胆沢と兵を進めてしまうと、どうしても南部家も大軍を編成することに相成りましょう。さすれば、当然大将は晴政か信直となります。それでは、政実殿が兵を率いる形にはなりませぬ」


 う~ん?

 何かしらね、鹿狼山から帰ってから感じていた違和感だけれど、ここにきて確信に変わったわね。

 一丸は人が変わったのではないか、と疑うくらいに才が開花したわね。

 今までの童時代の一丸では考えが付かないような、落ち着いた語り口と理論的な説明ね。

 太郎丸の文では、この作戦もかなりの部分が一丸の案で占めているとのことだわ。


 「大筋としては理解したわ。それで問題は無いでしょう。……ただ、その釜石?どんなところなの?」

 「はい。場所は気仙けせん郡の北、閉伊へい郡は宮古みやこの南となります。後見様曰く、彼の地は良鉄を産するので、ことがなった後も当家で治めることが出来るよう計らってもらいたいと仰せでした」

 「なるほどね。確かに、わたしのところにも鉱山奉行からも村正一門からも鉄を持って来いと突き上げが来るわ……。いいでしょう、その策を採ります。伊達家との交渉は私の方で進めておきましょう。で、動員する兵については何か言っていた?」

 「今回は少名の調練も兼ねて、実戦部隊は慶次が率いる二千の兵で行いたいと。……また、海上から総指揮を信長殿が執るので、心配はいらないと……」


 ああ、なるほどね。


 「信長本人がそう言っていたのね」

 「はい。松平攻めでは海上からの砲撃だけだったので、是非ともに、今回は上陸の指揮を自分で執ると仰って……」

 「まぁ、信長が自分で執るんだから大丈夫でしょう。任せることにしましょう。……ただ、二千で大丈夫なの?九戸殿が指揮を執らなかった場合、もしくはこちらの作戦に乗らずに九戸殿が攻撃を仕掛けてきた場合は?」


 奥六郡の独立は、政実殿の方から提案してきたことだけれども、土壇場になって私たちを裏切ることになったら面倒よね。上陸していた兵に損害が出る形だけはご遠慮願いたいわ。


 「勿来より出撃し、釜石に上陸を予定している兵は二千だけですが、武凛久戦隊も後衛に付きますし、また忠惟の出身地、早池峰一帯の安中の里も、もしもの時には兵を挙げることとなっております」

 「……北上の安中、その総数は?」

 「五千とのこと」


 ふむ……その数なら、援軍が到着するまでは保たせられるかしらね。


 「……ただし平地では厳しいでしょう。砦作りの準備は?」

 「その五千が現地徴用された形をとり、簡易砦を築きます。もちろんそのための石灰壁の原料等は別途運び込みます」

 「わかりました。その作戦を了承しましょう。もちろん何かあった時の為に、一丸、あなたも勿来に入り備えなさい。いいわね」

 「はっ!」


元亀三年 初夏 勿来 伊藤阿南


 「なんだ、なんだ。助十郎ではないか!どうした、どうした。お主は俺が密航に誘った時は「前田家の臣としてここで抜け出すわけにはいかん!」などと恰好を付けておったのではないか?」

 「ははっは!そう言うな慶次郎。おお、そういえば俺はあれから元服をしてな、奥村助右衛門永福おくむらすけえもんながとみと名乗っておる。お主もいい年だ。名を改めたのであろう?」

 「ん?俺は慶次と名乗っておる。前田慶次だ」

 「……なんじゃ、その改めたとは到底言えん名は……ただ、郎を外しただけではないか。……通字の利は使わんのか?利久様も気にかけておったのだぞ?」

 「う~む、親父殿の名を出されると弱いな……ただ、俺も養子であるわけだしな。信長様の下とはいえ、今は伊藤家に仕える身。慶次あたりが妥当なのではないか?」

 「何が妥当なものか!……良いだろう、今度、利久様に文でも送って良き名を頂戴してくるからな、期待していろ!」

 「まぁ、期待しないで、待っておるわ」


 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。

 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。

 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。


 今日は天気も良く、旦那様も調子が良いので、勿来のみんな総出で地引網と、恒例の浜焼き大会を開催しています。

 南は、こうして、一心に火の管理をされている旦那様の汗ふき係りです。


 「で、そのお主の背後に控えておる青年と娘御は?」

 「おお、俺の弟子の昌幸とお船だ。それなりに鍛えておるからな、お前が想像しておるよりこの者たちは腕が立つぞ?……ほれ、お主たちも挨拶せい。俺の幼なじみで、この度、伊藤家に仕えることになった奥村永福だ……仕えるんだよな?」

 「ああ、得川なぞは知らんからな。今回の戦で捕虜になったのも何かの縁よ。これからはご同輩だ」

 「お初にお目に掛かる。師匠の幼なじみですか。儂は信濃の真田が三男、昌幸と申します。今後よろしくお願いいたします」

 「初めまして。越後は直江の娘、船と申します。母上と一緒に古河に来ていたんですが、暇を持て余していたら、知らない間に師匠のお供で船に乗ることになりました!よろしくお願いしますね!」


 あら?お船ったら、やっぱり暇だったのですね。

 そうですね。南は旦那様に嫁ぐために伊藤家にやってきましたが、お船は聞けば人質として古河に来たとか……そのあたりは武家の倣いとは申せ、子供時分では暇を持て余せてしまうでしょうからね。


 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。

 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。

 ぱたぱたぱた。ふきふきふき。


 「お方様、こちらの貝はもう持って行ってもよろしいので?」

 「はい。お願いしますね信尹。……あ、あと陳さんかロサさんを見かけたらこっちに呼んでくださいね。そろそろ旦那様にも休憩してもらいたいですから」

 「承知しました。お方様」


 う~ん。実に信尹は良い子です。

 まぁ、良い子、と言っても南とは十も離れていませんけれどね。


 「旦那様?そろそろ、休んではどうです?一心不乱に火を見つめておりますが……」

 「そうだな……誰か料理人が来てくれれば喜んで代わるのだが……。貝の調理は火力が大切だからな、気は抜けないのも確かなんだよ……」


 そうなんですか。

 貝の浜焼きは奥が深かったのですね。


 「せっかく、渾身の出汁醤油とポン酢が作れたんだ。ここで焼き方を失敗してはもったいないからな、うん。頑張り時というものだ」


 そう、このポン酢なる物!南も大好物です!

 肉でも魚でも野菜でも!なんでも合う魔法の逸品なのです!


 魚醤、味噌の上澄みを加工して作る醤油、安房で見つかった酸っぱい柑橘の汁、室蘭から送られてくる昆布、阿武隈の干し椎茸と清酒、そして那須で作られる砂糖を少量……これらが陳さんとロサさんの魔法の手に掛かるとあら不思議、絶品のポン酢が産まれるのです。


 特に焼きたてのあつあつお料理に掛けた時に香る見事な匂い。


 きゅ~るるる。


 「ははは!くいしんぼ阿南もお腹が空いてきたか!」

 「……もう!旦那様の意地悪!南はくいしんぼではありません。このいい匂いが南のお腹を刺激しただけなのです!」

 「はいはい、そういうことにしておこうか」

 「もう!!旦那様が意地悪です!」


 お腹が鳴るのは元気な証拠なのですよ?!

 まったく問題なしなのです。


 「おかぁ~さ~ん!ロサさんを連れて来たよ~!」


 あら?椿が妹たちと一緒にロサさんを連れてきてくれたようですね。

 信尹ありがとう。わざわざ城まで伝言をしに行ったのかしら。


 「コウケン様、オカタ様。ワタシが代わります。ココカラは私にお任せアレ。丁度、ヤマからお肉トドキました。焼きます。ヤキマス」

 「それじゃお願いするわね。ね、旦那様」

 「そうだな。肉の焼き方はロサには敵わんからな~。……まずはプランチャで肉を食べさせて欲しい」

 「ワカリマシタ。そっそくヤキます!」


 牧場は那須にしかないのですが、お肉に加工する工房は領内に数か所あります。

 勿来で頂く分は鮫川の里にあり、夏の暑い時期を除いて、一年中笹の葉で包まれたお肉が勿来まで届く形になっています。

 商人街でも普通に売られており、兵の皆さんを中心に勿来や湯本、小川などでは一般的に食べられています。

 羽黒山でも鮫川から運んでいましたね、確か……。


 ともあれ、お肉は滋養強壮に最適だとか、旦那様にも美味しく食べてもらって元気な体を維持して貰わないといけませんからね!

 決して、南が美味しい思いをしたいだけではないのです!

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