第92話 松平狂騒 ~後編~

元亀二年 初秋 古河 伊藤元景


 「此度は誠に、この家康の力及ばなかったがために、伊藤家の皆様にご迷惑をお掛け致し事、まさに万死に値まする」


 さっきから、古河の大広間では家康の独演会が長々と続いている。


 秋とはいえ、まだまだ残暑が厳しい季節だからと、飲み物も傍らに置いて話を聞いている状況だけれど……家康も大したものね。

 水出しほうじ茶を飲み飲み、かれこれどれぐらい一人語りをしているのよ……父親と息子、義父親と妻の首を脇に置いて……。


 「……と、繰り返しとなってしまいますが、すべては三条家の意向を汲んだ一向宗、その一向宗に唆された父広忠と今川義元の謀ったことに御座いまする。某は妻と息子を人質に取られ、泣く泣く……」


 はいはい。


 で、結局人質だと思っていた妻子が、既に今川の旧臣たちによって篭絡されていて、知らぬは自分ばかりだった、と言うのでしょう。

 さっきも聞いたわよ。……何回も。


 「なれど、祖父清康はこのことにいち早く気づき、当家の暴走を抑えるべく一人、蒲原城にて家臣の暴走を抑えておったのですが……無残にも今川の旧臣共の手で……うっううっ」


 何なのかしら、同じことを何度も何度も繰り返してるのに、毎回毎回、よくこのくだりを新鮮な気持ちで涙が流せるわね。

 絶対に家康は役者になるべきね。

 きっと、歴史に名を遺す名優と評されること請け合いよ。


 「そのあたりは、聞きあ……おほん。わかり申した。で、松平家としてはどのようにこの後始末をするおつもりで?」


 ……父上、何といっても「聞き飽きた」とは心の声が漏れ過ぎよ。

 ……本当に、聞き飽きたけどね。


 「ああ、先代様!某はこのような無様な姿をさらした松平という家名は捨て申した!これよりは松平の家名ではなく、某の直接の祖先である上野は義国流得川を名乗り、得川とくがわ家康と名乗ることといたしました!以後、得川を末長うよろしくお引き立てのほどを……」

 「……それはわかったから、どういう謝罪を当家にするのかを聞いているのですが?!」


 あ!

 思わずイラっとして、心の声が出ちゃったわ……。


 「「……」」


 広間は静まり返ったわね。

 なにかしら、別に狙ったわけでもないし、家康を切り捨てようとは思っていないわよ?

 だって、まだ鍔口を切ってないしね、私は。


 「……つきましては、得川家と伊藤家の絆を深めるためにも、某の娘の督を元清様の妻にと考え、何卒娘を頂いていただけないかと……」


 聞こえなかったふり作戦をされちゃったわね。

 まぁ、その方が話は円滑に進むのでしょうけど……父上の視線が痛いわね。


 「ふむ?それで?当方が有難がるということなのかな?元清の妻の真由美は俺の娘で、また、俺の妻は佐竹家当主義尚殿の叔母にあたるのだが?また有難いことに娘の腹の中には俺の孫がいるのだがな……その娘を退かせてお主の娘を嫁がせると?悪七兵衛景清公よりも八幡太郎義家公の子である義国公の方が上であるとでも言いたいのかな?事実、義国流得川氏ならばな?」

 「め、滅相も御座いません。この提案もひとえに両家の友好の階となれば幸いであるという思いからでございます」


 なにかしら、家康も、度胸があるというか、神経が図太いというか……諸々、大した人ね。景貞叔父上の怒りは本物だから、正面から睨みつけられればたいした圧力だと思うけど……家康は確か三十になったぐらいのはずよね。本当に大した役者だわ。


 「督姫は未だ幼少なのであろう?妻に云々はとりあえず置いて置き、その話は数年後にでも改めて話し合えば良いのではないか?で、話はそれまでなのかな?」

 「左様でございますな、この話はまた今度ということで……」

 「落とし前についてはその案だけなのかな?と伝えたつもりなのだが?……それでは、なんとも当家としては納得いかないがの?」

 「いえいえ、先代様……我らとしましては、此度の当家の暴走は全て、当家の力不足が原因。我ら得川には四国、特に名門の今川を取り込むことは過ぎたる重荷であったのでしょう。そこで、今後は尾張、三河、遠江の三国を領する形としまして、駿河は伊藤家に献上したいと考えております。今川の者達も我らに仕えるよりは由緒正しい伊藤家に仕える方が幸せでございましょう」


 家康は、伊藤家を貶めたいのか、持ち上げたいのかよくわからない発言をするわね。

 その時、その時の発言では整合性が取れているかもしれないけれど、この一刻ばかりの発言を繋げてみると、どうにもおかしなことになっているわよ?

 ……要するに、今日発言したことは、全て偽りの作り言葉だということなのでしょうね。


 「……そうですか、ならば駿河は当家が領しましょう」

 「お!お受けくださいますか?!信濃守様!」

 「も、元!」


 隣から、父上が小声で注意してくるわね。

 わかっているわよ、父上。


 「されど、今川の旧臣は一人もいりません。領民以外の全て、武士も郷士も村長も、一人もいりませんので、すべてを松平・・家でお引き取りを」

 「いや……得川……」

 「なにか?!」


 それ以上言うと、流石にその素っ首叩き落して、尾張まで軍を進めるわよ?


 「……いえ、信濃守様の仰るとおりにさせて頂きます。……では、某は、早速駿河をお譲りする準備を進めていきますので、今日のところはこれにて……」

 「はい。わざわざのお越しご苦労」


 そういうと、家康はぺこぺこしながら広間を出て行ったわ。

 あ!


 「家康殿!お父君たちの首をお忘れです!きちんと持ち帰り郷里の三河でしっかりとご供養なさい!」

 「……は、はい。お、お前たち、忘れるなよ」

 「「はっ!」」


 わざと、置いて行こうとしたのかしら。


 もう、勘弁してよね。流石に、実の息子、義理の息子、実の父親、実の夫に裏切られ、騙され、首を取られた人たちを置いて行かれてもね。

 戦国の倣いと言っても限度というものはあるわよ?


 ……しかし……家康の部下の一人……あれは相当に出来るわね。

 当代の黒景に乗って、景能爺遺作の偃月刀を担げば何とか勝てるでしょうけど、徒歩で太刀を持ってのやり取りとなったら、勝てる気はしないわね。

 慶次が良くて相打ち、輝で紙一重の勝利といったところかしら。

 世の中には幾らでも強い武士がいるものね。日ノ本も広いものよ。


 「元景よ?どうしたのだ?そのような険しい顔をして」

 「いえ、父上。……家康の供で来ていた者達の内、最も身体が大きかった男がかなりの達人と見まして……」

 「ああ、あれが本多忠勝という者であろう。伊那での戦いでは棟寅の包囲を軽々と破って天竜川を退却していきおったわ……軍を率いての戦いでは、俺が負ける姿を想像することは無いが、人一人の武勇という点では少しな……正直、正面切ってはやり合いたくない」


 あら?景貞叔父上をもってしても?


 「なんだと?!お主の腕をもってしてもか?!」


 父上も驚いているわね。

 ……純粋な剣の腕なら、多分家中で一番は輝だろうけれど、こと武勇と言うことになれば景貞叔父上が頭一つは抜けていると思っていたのだけれど……。


 「兄上、世の中は広いということさ。向こうは二十半ば、俺は五十半ば。この差はいかんともしがたいな。二十年前なら、やりようは幾らでもあった気がするがね」

 「ふむ。そうか……景貞がそう言うのならば、そうなのであろうな。まぁ、話を変えよう。駿河は当家で領することとなったということだな?」

 「……領地が西に延びて、伊織様の苦労が増えそうですな」

 「忠宗も言うわね。でも、今川旧臣は表立ってはいないでしょうから、少しはやり易いのではないかしら。それに甲斐も長尾勢が抑えたし。これで、駿河湾までは当家の領海となったわけだから、今後は落ち着いた東国になるでしょうね。後は北の南部かしら」


 松平のお家騒動とそれに巻き込まれた当家の遠征は、これで一段落がついたところかしらね。

 これから数年は駿河・甲斐・伊豆といったあたりの領地整備ね。

 領主が変わったから国が荒れたなんて言われたくはないもの。それに、当家の統治方針に異を唱えそうな人たちは軒並み松平に……得川に引き取らせたわけだしね。まずは内政。

 関東は、昨年の台風から立ち直ったというわけでもないのだから、この課題をこなさないことにはいけない。

 奥州も蘆名が臣従したことだし……。


 「で、元よ。別室に寅清が杏を連れてきているが、そちらは如何する?」


 ……あら。ちょっと忘れてたわね。


 「そうですね。……今回は父上と叔父上に忠宗と業棟にも来てもらいましょう」

 「……二人もか……うむ。わかった」


 家康が、自分の娘を売り込んできたということもあったし、二人にも次代に関する件には立ち会ってもらいましょう。


元亀二年 初秋 古河 伊藤景貞


 少々不愉快な会見を終え、俺達は別室で待機している寅清と杏の下へと来た。


 家康め……まぁ、端は家督騒動であったのだから、自分から動かなければ自分の命が危うかったのは確かであったろうが、実の父親と妻子、それに外戚の今川まで……ようも、そこまで身内を殺せるものだな。


 俺達では到底考えつかんわ。

 一族の手助け失くしては永らえることが出来なかった伊藤家とは、だいぶものの考え方が違うようだ。


 「……杏よ。久しいな、息災であったか?」

 「……ぶつぶつぶつ……」


 話には聞いておったが、杏はここまで心が壊れておったのか。

 兄上の呼びかけにも、まともに答えることが出来ておらんではないか。


 「ほれ、杏よ。義父上が心配しておられるぞ?」

 「ひっ!!」


 ん?なんじゃ? 

 寅清が肩を揺すっただけなのに、そこまで怖がらんでも……ふむ。元景の方を見ておるのか?


 「わ、私は悪くないっ!私はおいしくない!私を食べないでぇ~!!」

 「こ、これ、杏よ!落ち着け!ここには義父上を始め身内の者しかおらん!!!」

 「い、いやよ~!!助けて!!助けて!!後見様!!太郎丸様!!!巨人が、巨人が私を責める!!」


 話の通りか?

 思わず俺達は顔を合わせる。


 「あ、あの信濃守様、先代様。これは?……いたく杏様は怯えていらっしゃいますが?……しかも、ここにはおられない後見様に助けを求めていらっしゃる……」

 「……私たちにも良く分かりません。此度は不審死を遂げた杏姉上の元女中の話を聞こうと、寅清に姉上をお呼びしていただいただけです……」

 「ひっ!!そ、そうよ!!あの女中が悪いのよ!!あの女が私をそそのかして角と牙を!!!」


 ???

 話が全く繋がらんな。

 やはり心を壊しているのか?角と牙?

 まったくわからん。


 「!!忠宗!!角と牙!左様に杏は申したな!」

 「は、はいっ!景虎様!」


 ???

 まったくわからん。

 角と牙がどうしたというのだ。

 必要なら牧場から持って来た方が良いのか?


 「杏よ、落ち着いて、話すが良い。儂らはお前の味方じゃ。儂はお前の父親ぞ」


 そう言って、兄上は優しく杏を抱きしめる。

 ……ふむ。杏の震えもだいぶ落ち着いたか。


 「ああ、父上……お会いしとうございました……。私が愚かだったばかりに巨人様のお怒りに……」

 「良い、良いのだ、杏よ。まずは落ち着け。……そうだ、誰ぞ茶でも持ってきてはくれぬか?」

 「では、俺が行ってこよう。どうやら、一番話がわかってないのが俺のようなのでな」


 角と牙と聞いて、ぽかんとしているのは、……ここには元景と俺の二人だけだ。

 元景は当主だしな。しかも杏の怯えの元は元景から来ているようだし……。


 静かに衾を開け、誰も近づいてないことを確認して、勝手所へと向かう。


 「……っと、スマヌな。ちょっと茶を持ってきてはくれぬか?盆には大ぶりの急須を二つ。湯飲みは七つ。暖かい茶でな」

 「はっ!では、お部屋までお持ちいたします!」

 「いや、いい。ここに持ってきてくれ。俺が運ぶ。……そして、あの部屋には誰も近づかぬようしてくれ。わかったな?」

 「わ、わかりました!早速手配して参りますっ!」


 ふむ。近侍の者を脅すのは趣味ではないのだが、兄上たちのあの様子では余計な者達を近づけぬ方が良いようだからな。


 ……

 …………


 「ああ、ご苦労!」


 盆を受け取り、俺は部屋に戻る。


 「……なんと!!」

 「そのような……」


 なんか、驚いておるな。


 「戻った。済まんが、誰ぞ衾を開けてはくれぬか?」


 すっ。

 寅清が開けてくれたようだ。

 俺は、再度近くに誰もいないことを確認して部屋に戻る。


 「ほれ、杏よ。景貞が茶を持ってきてくれたぞ?しかも太郎丸の作ったほうじ茶じゃ。心も休まるぞ」


 ……震える手で兄上より湯飲みを受け取り、茶を一口すする杏。


 すっ、ずずっ。


 「あ、ありがとうございます。ち、父上」


 ふむ。だいぶ人心地が付いたようだな。

 多少は目に光が戻ってきておるな。


 「では、景貞も戻った。もう一度順を追って話をしてくれるか?杏よ」

 「は、はい。父上。……そ、その稲なのですが、わ、私が羽黒山で仁王丸を出産した時のことです。ほん、本当に出産したての時に、こ、こう言ったのです「この鹿の角と狼の牙をもつものが伊藤家の主の証です。これは伊達の娘、しかも双子を生むような娘の子が持っていて良いものではありません、と……」


 鹿の角?


 「そ、そう言って、稲は角と牙を持って生まれたのは仁王丸だということにして……ど、どういうことかは知れませぬが、そ、その時に部屋にいた産婆を含め、伊達の者以外のか、彼らは数年のうちにはすべてが……」

 「……篤延の里の者はその段階で伸びておったのか……」


 ……


 「わ、私は、角と牙などと思い、それほど気にかけては……た、ただ、自分の子が伊藤家で大事にされるならと……そ、それから数年経ってからです!毎晩ゆ、夢に巨人gあだえがrgg!!」

 「杏!大丈夫じゃ!!儂らはここにおる!!すべてを理解しておる儂らがここにおる!!」

 「ふぅふぅふぅ~!……いつも助けて頂くのは後見様です。ですので、わ、私は仁王丸を後見様の下に……そ、そうすれば、わ、私は呪い殺されようとも、仁王丸だけは!!だ@hふぉいあえ@ほ!!」

 「あ、杏!!!」


 ……白目を剥いてしまったな。

 ……脈をみようか。


 ……


 「大丈夫です。脈は弱いですが、しっかりと動いています。今は、何かしらの神仏の影響を受けていたのでしょうな……」

 「神仏の??」


 元景が不安そうな顔をしておる。


 「ああ、俺は童の頃にそういった方々に修行をつけて貰ったことがあってな。祓ったりなんだりは当然出来んが、こういった症状はある程度は見知ってっておる。兄上たちの表情を見れば、杏がこうなった原因にも心当たりがあるようだしな。……原因さえ取り除けば、緩やかにではあるが、杏の心も平穏を取り戻すこととなろうさ。……で、兄上?角と牙とは?」

 「……そうであったな。景貞。お主は神仏とは縁があったのだったな……そう、これは忠平が幼少の頃に経験した話で、安中家が当家に仕えてくれておる話でもある……元にもまだ話してはおらんからな。杏も今は気を失ってはいるが、そのままで聞いてもらった方が良かろう……そう、ことの始まりは忠平が病に倒れた時のことじゃ……」


 ……

 …………


 「と、言うわけでな。鹿の角と狼の牙には、伊藤家と安中家、奥州の民の想い、そして鹿狼山の神のご加護が深く関係しておるのじゃ。……それを……知らぬ事とはいえ、この馬鹿娘が……うっ」


 兄上が泣いておられる。

 そうよの。

 神仏の大いなる考えの下では人間など等しくちっぽけなものだ。

 我らは我らの信じる道を清く正しく進むことが最善の事なのであったな……文よ……。


 「話の筋はわかりました。……寅清よ。角と牙、何処に仕舞っておるのか?」

 「……烏山城は私の床の間にて、大切に……」

 「ならば、それを一丸様と中丸様の手元に戻すのだ。だが……杏様とて、どちらがどちらをお持ちで産まれたかは知らぬであろう……知っておる者は生きておらぬであろうし……」

 「いや、伊達の者には手を出していないと、姉上はおっしゃっていたのでは?」


 ……


 「それじゃな。たしか、その時は晴宗殿と久保殿がいらっしゃっておったな!早速使いを出さねばなるまい!忠宗!済まぬが米沢まで!」

 「いや、兄上。俺が行こう。たぶん、……この手の話は俺が行くのが、伊藤家での俺の役割だろう」

 「そうか。……そうしてくれるか?景貞よ」

 「任せておけ、兄上。日程のすり合わせは米沢から文を書いて送るが、……そうだな、あらかじめ関係する者達は全て本宮城に……いや、権現堂城の方が近いのか、そちらに集めておいてくれ。全員で鹿狼山の祠とやらに出向いて手を合わせる必要があろう。なに、相手は神仏なのだ。人間が過ちを認め、頭を下げればそれ以上のことにはならん」


 神仏とはそう言ったものなのだ。なぁ、爺に文よ。

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