第90話 水軍出陣

元亀二年 春 古河 伊藤元景


 「信濃守様、こちらが蘆名家当主、塩生城城主の蘆名氏方様と黒川城城主の蘆名盛氏殿になります」

 「我らが親族の随風殿に仲立ちを頼みまして、こうして両名、信濃守様の御前に失礼いたしまする」


 奥州の雪も融けた頃合い、春の息吹が感じられるこの季節になって、会津から蘆名家の氏方殿、盛氏殿が古河にやってきた。

 仲立ちをしたのは、上野は放光寺住職の随風殿。


 「色々と、随風から会津の状況は聞こえておりますでしょうが、この度は何卒、蘆名家を伊藤家の傘下に加えて頂きたいと思い、罷りましてございます」

 「今後は伊藤家傘下の一家として、会津を基盤に一所懸命にて主家の為に働きたいと思っております」


 ……去年に報告を受けた段階では、蘆名家は会津を舞台に内紛でも始めるのかと思っていたけれど……。

 結局は、兵を集めることはせず、……というか、集めることすら困難であったようにも思えるわね。


 とにかく、「内紛は止めるように」という私からの書状を片手に、古河に来て臣従を申し込んできたわ。


 「ご両名が領民のことを思って、相争わずに、こうして古河にいらしたことは良かったと思います。ただ、当家としても蘆名家の臣従を認めるのは吝かではありませんが、領内の統制方法、自由市の開催、街道の拡充、三國通宝の使用など、諸々の政策は当家に従ってもらわねばなりません。そのあたりはご理解頂いてますか?」

 「はっ。何の問題も御座いませぬ」


 ふぅん。私への返答は盛氏殿が行うのね。代替わりでもしたかしら。


 「また、この度は家中の混乱を招いた責により、私は蘆名家の家督を弟の盛氏に譲ることといたしました。ついては、隠居した身ではございますが、これよりはここ古河にて剃髪をし、随風殿のおられる放光寺にて余生を過ごしたく……何卒そのことのお許しをいただければと存じます」


 やはり、代替わりね。

 兵を挙げての内紛は行われなかったけれど、家中での争いはあったということね。

 まぁ、大っぴらに血を流さないで決着がついたのなら良しとするのが良いでしょう。


 「ほう、放光寺でか。随風殿はそれでよろしいので?」

 「はい。無益な争いを生まず、一族の者が出家を求めるならば、それに応えるのも僧籍の身の私が行うべきことでしょう。今後は上野にて仏の教えの下で、共に修行していこうと思っております」


 父上も特段反対は無いようね。

 私は、蘆名家が当家の政を受け入れるというのなら、臣従を受け入れるに否はないわ。

 やはり、戦で人死にが出るよりは何万倍も結構というもの。


 ……それに、会津が加われば当家の奥州の領地が広がり、太郎丸も奥州でやることが増えて、無駄に動き回らなくなるでしょうからね。

 安中の者達は、また太郎丸の思い付きに振り回される日々が続くことになるのでしょうけど……そう、頑張ってもらうしかないわね。


 「では、氏方殿は上野にてお過ごしください。盛氏殿は、当家の奥州統括、景藤とその息子の景基が下で会津の領民の為、大いに働いて下さい」

 「「ははっ!!」」


 蘆名の二人は声を揃えて頭を下げ、随風殿と一緒に退席していく。


 そう、正月の後で、勿来で育った男子三人は揃って元服をし、名をそれぞれ改めた。

 一丸は景基、中丸は景広、仁王丸は元清と。

 三人は元服と同時に妻を娶り、それぞれの任地で守役により仕事を叩きこまれている最中だ。


 景基は羅漢山城で忠孝に、景広は鎌倉城で忠嘉に、元清は厩橋で景竜にと、それぞれみっちりしごかれている。三人とも、勿来で太郎丸の背中を見ていたなら、今の勉強もすぐに習得できることでしょう。

 ちなみに、景基は顕貞の娘の顕子を、景広は忠嘉の娘のマリアを、元清は景貞叔父上の娘の真由美を娶っている。……これが、面白いことに、全員がちょうど五歳上の妻となっている。

 何の偶然かしらね?まぁ、何にせよ、年上の妻を大事に、次代を築いてもらいたいものだわ。


 「しかし、これで名実ともに、鳥海山から富士山までが繋がったな……日本海側では加賀までか……。まさに東国が一つになったように感じるな」


 父上も実に感慨深そうね。


 「父上、そうは言っても今は西に問題を抱えておりますからね」

 「そうよのォ。松平も駿府に兵を集めておる形を見せながらも、一足先に伊那に兵を向けてきおったわ……。風魔の報告では東海道を東進となっておったが。……なに、清康殿は流石に一筋縄ではいかぬな」

 「そうですね。かといって駿府に兵と物資が集めてられているのは事実。ここは伊織叔父上には西への固めを続けてもらうと同時に、景貞叔父上に任せた伊那への対処、そこから良い結果が届くことを祈りましょう」

 「うむ。今のところは松平単独ではあるが、斎藤あたりが助勢しようものなら、こちらも景竜に後援を編成するよう伝えねばな」

 「ええ。伊那へは景竜を後援に、駿河へは昌貞と政繁に後援を指揮させましょう」

 「そうだな。……それが良かろう」


 父上はなんともすっきりしない感じね。

 ……実は私もすっきりしない。

 このところの動きはどうにも松平の主導で行われており、私たちは後手を踏まされている感が非常に強い。当家の方針として、領土の拡大は行わないことにしているが、多少はこちらから何かしらの手を打たないと駄目なのかしら?


 「……ふぅ。なんとも、こういう状況の打開策は太郎丸に任せたいわね」


 あ。声に出ちゃったわね。


 「元よ……。あまり病身の者を頼るでないわ。……ただ、お前のその気持ちはようわかるがな。不甲斐ないことだが、儂らではどうにも物事への対処しか出来ず、根本的な解決策を見出すのが難しい。このままでも、国力の差で松平を疲弊させ黙らすことは出来るが、こう、なんともすっきりしない泥沼に引きずり込まれるような感覚がな。どうにも気持ちが悪いわ」

 「父上もですか。……私も、どうにもすっきりとしません。何か面白い手は無いものかと……」

 「ふむ。なれば、先代様、信濃守様。ここは、やはり後見様のお知恵を借りる他ないのでは?」

 「む?忠宗よ。景藤を呼ぶのか?状況が不安定な今、儂と元景は古河を離れることは出来んぞ?」


 そうね。私としては勿来にでも行って美味しい海産物を可愛い姪達と一緒に食べて、気分を一新したいところではあるけれど、流石にこの情勢下で古河を離れることは難しい。

 ……非常に魅力的だけれども!


 「いえいえ、後見様達に行っていただくのではなく、よろしければ私が元清様と共に勿来に赴こうかと思います」

 「……忠宗だけでなく元清もですか」

 「はい。倅の忠清が言うには、元清様は信長殿に次いで、最も後見様の考え方を理解することに長けた方であると……私だけでは、後見様の考えの細かいところを理解でき兼ねるかも知れませぬが、元清様とならば……」


 そうね。

 確かに、太郎丸の考えを理解できるのは、幼いころから一緒だった私と竜丸以外には、信長と仁王丸だけね。


 「わかりました。忠宗、手間を掛けますが、厩橋の元清を連れて勿来に向かってください。そして、太郎丸の考えを聞いてきてください」

 「ははっ。では、直ちに動きまする」


 忠宗も六十の半ばを超えたはずよね。

 本当に当家の者達は年齢のわりに動きが早いわね。……まぁ、せっかちとも言うのでしょうけれど。


1571 元亀二年 春 勿来


 「……かようなわけで、この状況を打破すべく後見様のお知恵を拝借出来ないかというのが、先代様と信濃守様の思いでございます」


 スペインの太平洋貿易を何とかより良いものに出来る方策は無いものかと頭を悩ませる日々に一服の清涼剤……というか、別課題が父上と姉上よりもたらされた。


 う~ん、対松平の主導権か……。


 「で、伊那方面はどのような?」

 「はっ。我々が掴んでいるところでは、尾張勢一万五千を柴田勝家が、三河勢一万五千を松平家康が率い、尾張勢は恵那郡を抜けて、三河勢は天竜川沿いに伊那へ進軍している模様です」

 「対するは景貞大叔父率いる上野・下野軍の四万と伊那衆が五千です」


 なるほどね。

 こちらは遠路遠征をしてくるが、総兵は多く、分散されていないと……。


 「叔父上は誰を連れて行ってるんだ?」

 「上野からは棟虎殿を、下野からは顕景殿を副将として」

 「となると、勝家殿と家康殿のどちらかは山間の細い道で挟み撃ちにあって殲滅されるかな」

 「……当方の勝利は疑いようがないと太郎丸は見るか?」

 「まず、間違いないだろうね。なんといっても伊那盆地への道は北から以外は山間の細い道だ。大軍の進軍には合わない地形だからな。彼らの勝機は、唯一速度なんだが、どうにも今回も今までと同様に、我らの援軍が飯田に間に合ってしまっている。しかも、松平軍が伊那盆地に辿り着く前に……。当家の情報収集力が素晴らしいのは間違いがないのだろうけれど、どうにも松平家もなぁ……全速力で飯田城の北側に陣でも敷けば、何の問題なく飯田城は攻め落とせるだろうにさ」


 どうにも、松平の方々は大軍を揃えて粛々と行進するのがお好きなようで……。

 それだと、騎馬が主体の伊藤家の進軍速度とは比べようがなくて、毎回後手を踏んでいるんだよね。

 攻撃側は向こうなのに、なんとも勿体ない感じがするよ。


 「では、義父上はこのまま静観していれば良いと?」


 いや、それではつまらんのだよ。元清君。


 「なに、向こうが先手で事を始めながら、ありがたくも、こちらに先手番を寄越してくれるんだ。有難く、そのご厚意に答えたらいいんじゃないか?……吉法師?水軍はどれほど動かせる?」

 「お?俺の出番か!……ついぞ期待しておらなかったので、詳しくは調べておらぬが……そうよの。二十日で全軍、十日で八割が出撃できるといったところだ……ひと月あれば、商船も全て換装して戦船に出来るがな」


 おお、結構、結構。

 流石は吉法師さんである。


 「いや、商船はそのままでいいだろう。で、横浜と湯本で作っていた新型艦はどうだ?」

 「ふむ。横浜から来た戦列艦せんれつかん五隻、湯本の少名すくな二十五隻共に問題ないな。水兵の調練も終わっておる。安房の獅子丸、伊豆の清水殿も武凛久戦隊を出せるぞ。もちろんすべてに大砲は実装済みだ」


 戦列艦は思いっきり、欧州の戦列艦である。

 横浜に修理に来ていたマニラガレオンを研究した横浜造船所珠玉の作品である。

 片舷三階に三十門、うち四貫砲を二十門に、線条砲十門。前方は線条砲三門、後方七門の計七十門の大砲を備えている。

 うん。今の日本の戦艦としてはかなりのオーバースペック……。


 そして、少名はそのまま、スクーナータイプの帆船だ。

 湯本の少名は三本マスト。全長は百八十尺。片舷八門の四貫砲と線条砲が二門。前方一門、後方三門の計二十四門の大砲。

 少名は縦帆で逆進性が強い構造なので、日ノ本生粋の水夫達のウケが非常に良い。また、扱いやすさの評価が非常に高いため、近々、武凛久を遠距離商用、少名を近距離商用および水軍主力艦とする方向で、建造、配備が進んでいる。


 「で、水軍の向かう先は松平のどこだ?」


 お目目キラッキラで語りかけて来る吉法師様。

 上杉攻めにおいての水軍は後方勤務が主だったからな……。


 「こちらが聞きたいところなんだが、海上から大砲で破壊できる松平の城はどこになる?」

 「ほう。海上からか……相手が手も足も出ぬ距離から一方的に砲撃を加えるなど、何とも心躍るではないか!……ふむ。そうなると、駿河と遠江の国境の小山城と尾張の鳴海城かな?どちらも満潮を見誤らねば、海上からの砲撃が届くところに城が建っておるな」

 「お!二つもあるか。それは良い。松平の者達には申し訳ないが、これも戦の倣い。では、その二城には破壊されてもらうとしようか」

 「そうだな。更地になってもらうとするか」

 「……そんな、危険な話題をサラッと……」


 ん?元清君よ。

 たぶんだが、兵士同士の合戦よりは死者は少なく済むと思われるぞ?知らんけど。


 「では、後見様より頂いた案をこれより古河に持ち帰り、先代様と信濃守様にお伝えいたします」

 「ああ、返事をもらい次第、吉法師に水軍を率いてもらう。後方だと思っていた城が海上からの砲撃で破壊される。……まぁ、そのような状況になったら、もう、これ以後は、まともに兵を送る形での他領での戦は出来なくなるだろう。陸続きでもない遠江や尾張の城が好き放題に攻撃されるのだ。清康殿も馬鹿ではあるまい、こちらがその気になれば、松平家に後方などは存在しないことがわかって……顔を青くすることであろうさ」

 「松平は海岸沿いに東西に長い国だからな。海のすべてが国境と気づけば、今後は伊藤家に喧嘩を売る気になど二度となるまいさ。流石は、太郎丸よな」

 「いやいや、これも吉法師はじめ、水軍衆が当家にて万全に整備されているからよ。贔屓目というわけでなく、日ノ本広しといえど、何処を見回しても当家に対抗できる水軍はどこにもないだろうからな。これからも大いに水軍を動かしていこうじゃないか」


 長所は大いに活用していかないと勿体ないからね。


 「……忠清!」

 「はっ!」

 「お主も長年後見様に仕えて奥州の軍を率いてきたが、この松平との一戦が終わり次第、古河に来い。これよりは儂の後を継いで伊藤家の筆頭家老として勤めるが良い」

 「……はっ!」

 「お主が勿来を、奥州を離れがたく思っておるのはわかっておる。だが、儂も六十の半ば。安中の長老は続けるが、家老職はお主に譲りたい。……後見様、何卒お許しを頂きたいと存じます」


 そうだよな。忠宗も……六十六?六十七?

 忠平と同じく、安中の人たちは老いて益々盛んな方々だから忘れていたけど、確かにそうだよな。これからは忠清が筆頭家老として勤めるのが一番だ。


 「俺から反対することは無い。……長年勿来で一緒に過ごしてきたので、忠清がいなくなるのは寂しいが、年齢を考えればそれが一番だな。では奥州軍の統括には誰を充てるが良いと考える?」

 「三坂城城主を務めております、次男の忠文が良いかと。また、袋田城城主の三男忠豪を副将とし、二人で率いる形が宜しいかと」

 「……なるほど、それで、忠宗の弟の忠統たちには景基の補佐をさせるか……」

 「はい。先だって会津の蘆名が当家の傘下に入りました。弟たちには羅漢山城を初めとする阿武隈川流域の城々で奥州を監督するのが宜しいかと考えます」


 確かに、それがベストだね。


 「俺に異存は無い。忠宗の方で万事進めてくれ……で、忠宗が家老を降りるなら、業棟も?」

 「はい、業棟殿にも話をしております。後見様から忠清の家老就任が認められれば、同時に業平の家老就任も進めるようになっております」

 「そうか……長い間ありがとう。これからも当家に……って、そうだな。評定衆とか言う形で、姉上の傍にいてもらうか、忠宗もそれで良いよな?早速姉上に手紙を書かねば……元清、お前の方からも姉上に伝えてくれよ?」

 「はいっ!」


 良い返事!

 ……ちょっとだけ、忠宗が困惑してるのは見えないふりをしよう。

 忠平もそうだったけど、安中の血は七十過ぎても元気なんだって、大丈夫、大丈夫。

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